2019/05/15 - 2019/05/15
618位(同エリア1805件中)
杏仁豆腐さん
小田原城、報徳二宮神社を見物し、きんじろうカフェでひと休み。
清閑亭、小田原文学館に寄り、小田原おでん本店を目指します。
平日の小田原は人も少なく、静かでした。
小田原散策の前半はこちら
5月の小田原①☆小田原城・報徳二宮神社☆きんじろうカフェ☆2019/05/15
https://4travel.jp/travelogue/11494544
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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報徳二宮神社を出て、すぐそばの報徳博物館。今日は休館です。
ここは、二宮尊徳修学の地です。
尊徳は小田原藩家老服部家に奉公していましたが、その近くにある藩士近藤某の屋敷で書物を借りて読んでいたそうです。
そのお家跡が博物館になっています。 -
清閑亭(旧・黒田長成別邸)に着きました。
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清閑亭は、明治時代に活躍した黒田長成(ながしげ)侯爵の別邸として、1906年(明治39年)に神奈川県足柄下郡小田原町(現・小田原市南町)に建てられました。
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旧小田原城三の丸外郭土塁の南向き傾斜地に位置しており、晴れた日は母屋から真鶴半島や大島を望む相模湾や箱根山を一望できます。
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建物は、格式ばらない数寄屋(すきや)風の造りで、平屋と二階家が連なっています。建物内には板絵襖や網代組天井など優れた意匠も見ることができます。
無料で内部も見学できます。 -
黒田長成は、1867年(慶応3年)5月5日、筑前福岡藩主・黒田長知の長男として生まれました。
明治維新後、福岡から東京へ上京し、1878年(明治11年)に慶応義塾へ入学。1880年(明治13年)に慶応義塾を中退し、1885年(明治18年)にケンブリッジ大学に入学、1887年(明治20年)に学士号を取得し卒業します。
その後、宮内省の式部官、貴族院議員、修猷館(しゅうゆうかん・福岡藩の藩校で、現福岡県立修猷館高等学校)の第3代館長を経て、1894年(明治27年)から1924年(大正13年)までの約30年間にわたり、貴族院副議長を務めました。1924年に枢密顧問官に任じられると、以後、終生その官に身を置き、1939年(昭和14年)亡くなりました。 -
平成17年に建物が国登録有形文化財に、平成18年に敷地が国の史跡に指定され、平成20年より小田原市の所有となりました。
平成24年度より6年間、小田原市の委託を受けNPO法人小田原まちづくり応援団が運営しています。 -
展示物も雰囲気を演出しています。
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国指定の史跡、国登録有形文化財にも登録されている家屋で、ゆっくり見て回れます。
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風情を感じさせる数寄屋造りの建物です。
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調度品も当時をしのぶものです。
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明治時代にタイムトリップしたような気持になります。
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優雅な暮らしぶりだったんですね。
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落ち着きます。
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庭園も見事です。
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2階に上がります。
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爽やかな風が入ります。
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見事な屏風
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鏡も素敵な演出
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いい眺めです。
相模湾に向かって広がる庭園。 -
こんな景色を見ながら生活するのは贅沢極まりないです。
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装飾品があることによって、温もりを感じます。
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ご挨拶も洒落ています。
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欄間もいいですねえ。
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ここに座って、景色を見ていると、時間が経つのを忘れてしまいそうです。
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金箔がきれい。
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階段の上にある窓からも景色。
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ティールームもあります。
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庭から見た建物。
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清閑亭のパンフレット。
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小田原には多くの邸園があります。
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清閑亭を出て、国道一号線方面に向かいます。
天神山(てんじんやま)
地名の由来は、この地の南側中腹に天神社が祀られていたので、この名があると考えられる。この社には室町時代の天神画像が伝えられており、この地名の古いことがわかる。なお、天神山には社の背後に小田原北条氏時代の三の丸の空堀が東西に伸びていた。
小田原の街には、歴史的町名碑があちこちにあります。 -
山角天(やまかくてん)神社
地元では、天神さんの名で親しまれ、市指定文化財になっている北条氏康が奉納した菅原道真の画像が残っています。 -
山角天神社は、童謡『通りゃんせ』の発祥の地と言われている神社で、境内には、歌の碑が置かれています。
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1820年に建てられた松尾芭蕉の歌の碑。
『有米家可耳 乃都登 日能伝る 山路閑難』 -
山角町(やまかくちょう)
小田原北条氏の家臣山角定吉の屋敷があったので、この町名がついたといわれている。町内には小田原北条氏時代から畳職人、屋根職人の頭(かしら)などが住んでいた。東海道筋の西から御厩(おうまや)小路、天神小路(いずれも武家屋敷が並ぶ)が南へ伸びている。 -
安斎町(あんさいちょう)
町名の由来は、町内に小田原北条氏の侍医田村安斎(栖)宅があったためといわれている。この町は、欄干橋町と筋違橋町との境を東海道から南へ折れ、安斎小路に至るまでの横町をいう。 -
安斎小路(あんさいこうじ)
この地名は、地内に小田原北条氏の侍医田村安斎(栖)宅があったためといわれている。小田原北条氏四代の氏政と弟の氏照は、豊臣秀吉の小田原攻めに敗れた後、この家で自害させられたと伝えられている。 -
西海子小路
この地にサイカチの木が植えられていたためといわれています。
この地名は、小田原藩主稲葉氏の「永代日記(承応2年(1853))」の記載に見られます。江戸時代の後期には、中堅藩士の武家屋敷地となり、江戸時代末期には、17軒ほどが道の両側に並んでいました。
この周辺には、明治から昭和にかけて多くの文学者が居を構え、文学活動が行われていました。 -
小田原文学館に到着しました。
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小田原文学館は田中光顕別邸です。
田中光顕は天保14(1843)年、土佐藩(高知県)に産まれ、土佐勤王党参加しますが、弾圧が始まると土佐藩を脱藩します。
このとき浜田辰弥から田中光顕と名前を変え長州藩(山口県)を頼って陸援隊に参加します。
坂本龍馬、中岡慎太郎の暗殺現場に一早く駆けつけ、中岡死後の陸援隊を統率。
維新後は陸軍中将、宮内大臣などを勤めました。 -
大正12(1924)年に建てられた純和風の建物に加え、昭和12(1937)年に建てられたスペイン風の洋館があります。
ともに登録有形文化財に指定されています。 -
3階にはベランダがあります。
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気持ちのいい風を感じますね。
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眼下に庭園が見えます。
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庭園に回ります。
北村透谷碑 -
北条秀司碑
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庭から見た本館
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白秋童謡碑
赤い鳥小鳥 -
尾崎邸書斎
中に入ることはできません。 -
小田原下曽我にあった尾崎一雄邸の書斎を移築したものです。
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白秋童謡館
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田中光顕別邸として大正12年(1924)に建てられた純和風の建物。
藤棚で覆われた贅沢な外観、天守閣や武家屋敷を模して造られました。 -
現在は白秋童謡館として北原白秋に関する資料の展示がされています。
玄関を開けて、お邪魔します。 -
白秋の童謡のビデオもありました。
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藤田湘子碑
『愛されずして沖遠く泳ぐなり』 -
きれいな庭もあります。
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南門から出ました。
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小田原文学館のパンフレット
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小田原文学館のパンフレット
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ういろうを通過。
今日は定休日です。 -
済生堂薬局小西本店。
寛永10年(1633年)創業、400年近い歴史を誇る老舗の薬局。 -
小田原宿なりわい交流館
昭和7年に建設された旧網問屋を再整備したものです。 -
清水金左衛門本陣跡(えもんほんじんあと)
明治天皇宮ノ前行在所跡があり、江戸時代には小田原宿本陣筆頭の清水金左衛門衛門家がありました。 -
宮前町(みやのまえちょう)
小田原北条氏時代には上町・下町に分かれていたと伝えられている。町の中央に城主専用の入口、浜手門口高札場(幕府の法令などを掲示する場所)があり、江戸時代末期、町内には本陣一、脇本陣二、旅籠(はたご)が二十三軒あって、本町とともに宿場町の中心であった。
横のごみが残念ですが。 -
高梨町(たかなしちょう)
東海道から北へ向かう甲州道の起点に当たり、古くから商家、旅籠(はたご)が並んでいた。町の中央南寄りには下(しも)の問屋場(人足や馬による輸送の取継ぎ所)が置かれ、中宿町の上(かみ)の問屋場と十日交代で勤めていた。 -
小田原おでん本店に着きました。
2006年にオープンした比較的新しいお店です。 -
1時半をすぎた頃なので、客は私しかいませんでした。
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貸切り状態です。
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おでん茶飯ランチをいただきました。
好きなおでん種5品を選ぶことができます。
大根、こんにゃく、玉子、いか墨つみれ、地鶏入揚げつくねをいただきました。 -
前菜
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梅みそ、わさび、からしでいただきます。
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もちろんビール!!
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茶飯。半分くらい食べてから、おでんの汁を入れてもらいます。お茶漬け風でサラサラと。
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目の前のおでん。どれもおいしそうです。
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デザートのアイスクリーム。
お腹いっぱいになりました。 -
小田原おでん本店を出て、小田原駅に向かいます。
青物町(あおものちょう)
小田原北条氏時代、町内に野菜の市(いち)が開かれていたのでこの名がついたといわれ、商人の多い町であった。東京の日本橋にあった青物町は、徳川家康のころ江戸の町づくりのため、この土地の人たちが移り住んだ町といわれる。 -
だるまを通過。
明治26年(1893)創業の日本料理店。 -
小田原駅前でういろうを購入しました。
約600年前、室町時代に誕生。以来、25代にわたって伝統を守り続けている「ういろう」。元来“ういろう”とは外郎(ういろう)家が作る薬のことを指し、その後接客用に考案された米粉の蒸し菓子を“お菓子のういろう”と呼ぶようになったという。現在も「ういろう」ではお菓子とともに薬の“ういろう”も製造・販売されています。 -
ういろう(茶)を買いました。
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歴史のあるういろう
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江戸時代、東海道五十三次の主要な宿場であった小田原の名物として天下に名を知られていたのは、名薬「透頂香」でした。
あるとき、歌舞伎俳優の二代目市川團十郎(だんじゅうろう)が持病で声が出なくなり、役者人生をあきらめかけていました。
ところが、「ういろう」の薬のことをきき、これを服用してみると病がすっかり治り、そのお礼にと演じたのが歌舞伎十八番の「外郎売」なのだそうです。
外郎家は室町時代から650年、小田原で500年以上にわたる歴史をもつ商家ですが、この間、秀吉の小田原攻めや太平洋戦争など、様々な存続の危機を乗り越えてきました。 -
駅前のますや本店
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あじのひものを購入。
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あじの干物
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焼きちくわ
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さつまあげ
お土産もいろいろ買えました。 -
小田原駅で、駅弁も購入。鯛めし。
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子供のころ、旅行で小田原辺りで、駅弁を買ってもらいました。それが鯛めしでした。美味しかったのを覚えています。
ほんのりと甘い鯛のそぼろは美味しいです。 -
金目鯛と小鯵押寿司
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ボリュームのある押寿司。こちらも美味しかったです。
充実した小田原散策でした。
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