2018/11/21 - 2018/11/30
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タヌキを連れた布袋(ほてい)さん
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「そしてその翌年二月(1994年),著者は朝靄の煙るハノイの街を後にして国道一号線を一路北上し,中越国境の街諒山(ランソン)へ向かった。諒山の街外れの村ドンダンの国境上で行われている中越間の国境貿易の実態を見るためであった。それは,冷戦終焉後の中越間の『緊張緩和』によって始まった貿易関係の象徴でもあったからだ。しかしハノイからやはり100キロぐらい中国国境へ向かって行った地点で,道路の両側から石灰岩の岩山が迫る所にさしかかったとき,車窓から一瞬,息をのむような光景が視線をかすめた。田畑の真ん中にポツリ,ポツリと小さなコンクリートのおびただしい建造物が急に目に入ったからである。車を止め泥の中を歩き回って近づくと,予感したとおり,それらは今では『使われていない』,古びたトーチカであった。もちろん,その銃眼はすべて北を向いていた。いうまでもなく,それはベトナム戦争の『遺跡』ではない。1979年の,あの中越戦争では何十万というベトナム軍の兵士がここで緊張して配備につき,侵攻してきた鄧小平の人民解放軍を撃退した『もっとも新しい古戦場』であった。」
「歴史上,中国がベトナムへ侵攻するときは,決まって三つのルートがとられる。一つは海上から海南島の西,合浦・北海から海沿いに南下し,紅河デルタ河口へ至る水軍のルートであり,その河口の一つが『白藤江』である。もう一つは雲南からラオカイを通って南東へまっすぐに下りハノイへ向かうルート,そして第三に,江西省の南寧(古くは邕州)から南西に向かい友誼関(古くは鎮南関)で国境を越え,諒山の街を貫いて,この支稜の隘路を突破しハノイへ至ろうとするルートであった。」
「清の乾隆帝は両広総督・孫士毅に命じ20万の兵を動かし,鎮南関から『チラン』を経てハノイ(当時は昇龍(タンロン)と称された)を占領した。これに対し,中部ベトナムに拠っていた西山(タイソン)党の指導者,阮恵(グエン・フエ)は,自ら『ベトナム皇帝(光中帝)』を名乗り,清軍の撃退を誓って次のように宣言した,と伝えられる。
『わが国の歴史において,徴(前述のハイ・バ・チュン)姉妹は漢と戦い,李常傑(リ・トン・キエト)は宋を打ち破り,陳興道(チャン・フン・ダオ 陳国峻の名)は元を撃退し,黎利(レ・ロイ)は明に打ち勝った。わが英雄たちは北方からの侵略者の跳梁を決して許さず,民衆と共に正義のために戦い,侵略者をつねに撃退してきた。清は今,宋,元,明がどのような目に遭ったかを忘れ,わが国を侵している。われわれは必ず彼らを撃退するであろう』
こうして阮恵は1789年1月,『ドンダの戦い』によって清軍に勝利し,ハノイを解放した。」
中西輝政著「帝国としての中国[新版] 覇権の論理と現実」(東洋経済新報社)より
ランソン逍遥その2:街歩き前篇
https://4travel.jp/travelogue/11483245
ランソン逍遥その3:街歩き後篇
https://4travel.jp/travelogue/11483265
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- ベトジェットエア
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今日はハイフォンからランソンまで移動する日である。
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にもかかわらず,風邪を引いてしまった。
薬局でデコルジェン総合感冒薬を買ってくる。4錠入りで5kd。(1kd=約5円) -
朝食は,病人らしくプリン。
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3番バスに乗ってカウザオ・バスターミナルへ。
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BTの切符売場には当日の発着便を表示するモニターがあるので分かりやすい。
早朝を除く午前のランソン行きは,10:30発の普通バス(110kd),11:30発の豪華バス(180kd)があるようだ。 -
普通バスはマイクロバス。今回は体調が悪いので,豪華バスを奮発してみることにしよう。
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現れた豪華バスは,
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寝台バス仕様だった。これは助かる。かなり楽な旅になりそうだ。
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定刻11:30に発車したが,乗車率は半分くらいだった。
渋滞するAH14をハノイ方向へ。トイレ休憩を挟んで脇道にそれ,ハノイーバックザン高速道路(AH1)に入る。
バックザンで高速道路が終わり,一般道をランソンへ向けて走る。 -
昼食休憩はなく,16時を回った頃にドライブインで20分停車。
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かなり大きくて新しいドライブインだった。
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土産物として発酵タケノコ(マンチュア)の唐辛子漬けが山と積まれている。
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結局,18時過ぎにランソンのフィアバック・バスターミナルに到着した。ハイフォンから約6時間半かかった。
フィアバックBTはランソン市街から北へ3km弱離れており,タクシーで30kdくらい。 -
11月下旬のランソンの夜は,かなり冷え込んだ。
宿に用意されていたブランケットでは用をなさず,風邪の悪化に追い打ちをかける。
ひたすら熱い茶を飲み続ける。 -
翌朝,ランソンの街は霧に沈んでいた。
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熱いチャオ(粥)が欲しいところだが,見つからなかったので,ソイ・ゾック(肉田麩おこわ)を買ってきて朝食にする。
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陽が昇って霧が晴れた頃,公共交通機関がどうなっているか調べに行く。
公共バスは最近整備されたのか,大きなバス停にはすべての路線と主な停留所,時刻表が掲示されていた。ありがたい。
ランソンの公共バスは1番ないし3番の路線がある。
路線情報は以下のとおり(写真にある掲示板による)。 -
1番バスは,ランソン市街南のMAI PHAを起点に,ランソン市内各所を回り,中国(友誼関)国境の街ドンダンを経由して,中国との第二の国境タンタインの国境ゲート前まで行く。路線距離約30km。
MAI PHA発は05:45-17:20(TAN THANH発は07:05-17:40)の間に30-60分間隔で運行。運賃は最大(起点から終点まで乗って)15kd。(1kd=約5円) -
2番バスは,ランソン市街南のMAI PHAを起点に,ランソン市内各所を回り,中国(友誼関)国境の街ドンダンを経由して,タンタイン国境よりさらに北にあるナサム(NA SAM)の街まで行く。路線距離約35km。
MAI PHA発は05:30-17:30(NA SAM発は06:50-17:30)の間に30-40分間隔で運行。運賃は最大(起点から終点まで乗って)18kd。 -
3番バスは,ランソンの遠距離バスターミナルであるPHIA BACを起点に,ランソン市内各所を回り,ランソンの南東にある炭鉱と火力発電の街ナドゥオン(NA DUONG)の街まで行く。路線距離約35km。
PHIA BAC発は05:40-17:30(NA DUONG発は05:30-17:30)の間に20-30分間隔で運行。運賃は最大(起点から終点まで乗って)15kd。
ちなみに,ナドゥオンの火力発電所は日本の商社が建設に関わったようだ。 -
1番バスの主要な停留所一覧。
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2番バス。
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3番バス。
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3番バスがもっともダイヤが密だが,それでも20分毎である。
ランソン中心部はそんなに広くないので,市内の移動だけだと歩いたほうが早いのかもしれない。
ドンダンへ行く場合は,バスが明らかに安上がりである。なお,ベトナムにノービザ観光で入国している場合,ドンダンから友誼関に出国するとベトナムにノービザで戻ってくる(再入国する)ことはできないので注意が必要(30日ルール)。
ランソン逍遥その2:街歩き前篇
https://4travel.jp/travelogue/11483245
ランソン逍遥その3:街歩き後篇
https://4travel.jp/travelogue/11483265
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