2019/04/14 - 2019/04/14
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takasangさん
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旅の最終目的地、港町・木浦(モッポ)へやって来ました。
まずは、旧市街の古い街並みを見て回りました。
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4月14日(日)
羅州からバスに乗ること1時間、14:00に木浦総合バスターミナルに着きました。木浦総合バスターミナル バス系
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市内バス乗り場で、木浦駅に行くバスを探しました。
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バスロケーションシステムが入っていました。
あと何分で何番のバスが来るのかがわかって、非常に便利です!
最初に来る予定の60番バスも木浦駅に向かいます。 -
ということで、60番バスに乗りました。
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急いでいる方は、幹線道路をまっすぐ進む1番バスがお薦めです。
60番バスは東部市場のところで右折し、回り道で進みだしました。
それはそれで木浦の街の様子が余計にみられて面白かったのですが、木浦駅手前の「木浦駅ホ」というバス停で、間違えて降りてしまいました。
写真は木浦駅ホ周辺の風景です。 -
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木浦駅まで歩いて行く道すがら、桜吹雪が舞っていました!
(木浦中央小学校) -
木浦駅に到着しました。
木浦駅 駅
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木浦駅の中に、観光案内所がありました。
写真は、日本統治時代の建物の案内です。 -
木浦駅舎から見た周辺の街並み。
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木浦駅の南側の道から、駅の中を覗くことが出来ました。
早い電車では、2時間半しないでソウルに到着できます! -
木浦駅の南側の道から、駅とは反対側の、南の街を眺めた風景。
早朝からやってるヘジャンググのお店もありました。 -
ビルの隙間から、儒達山が見えました。
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木浦駅まで歩いて5分弱のオンチョンジャンモーテル(30,000ウォン)に泊まることにしました。
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部屋はこんな感じ。
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水回りはこんな感じ。
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日本統治時代は、朝鮮半島有数の大都市として栄えた木浦。
重要な貿易港として、多くの日本人も住んでいました。
そんな日本統治時代の建物が残る旧市街を見てまわりました。
この建物は「木浦文化院」です。 -
キム・ヨンジャ芸術劇場って書いてあります。
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ビルから木造住宅まで、そこかしこに日本統治時代の建物が見えました。
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木浦の港に出ました。
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また木浦に来るときに、時間が許せば、まわりの島々にも行って見たい。
下見のつもりで、フェリーターミナルに向かいました。 -
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フェリーターミナル前の道路を横断すると、綺麗な桜が咲いていました。
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港近くの木浦ファンドン市場。小さな市場でした。
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市場と交差していた急な坂道!
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市場を抜け、再び日本統治時代の建物を楽しむ散策を開始しました。
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細い坂道が、小高い教会に向かって上がっています。
これは行くしかありません! -
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道を登った先の公衆トイレの敷地から撮った写真です。
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公衆トイレの道を、もう少し上がると「木浦陣地」というところに出ました。
中の建物や説明書きを見ていませんが、恐らく朝鮮出兵時の海戦用の陣地と推測します。 -
北側に向かうと展望台になっていて、
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街を見渡すことが出来ました!
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坂道を下って、三たび日本統治時代の建物を楽しむ散策を開始しました。
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旧東洋拓殖株式会社木浦支店。
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旧東洋拓殖株式会社と交差点を挟んで斜め向かいに立派な日本邸宅があり、
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カフェになっていました。
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エスプレッソ(6,500ウォン)を注文。
パンやビスケットは食べ放題でした。 -
こちらの建物は旧日本領事館。
カメラがバッテリー切れになったので、一度モーテルに戻ることにしました。
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