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アメリカのバーモント州在住の私が住んでいるこの家は、スコットランド移民のジョージ・マッキーという人が1887年に立てた家です。彼は1869年、20歳の時に結婚し、家族でアメリカに移住してきました。今年は結婚150周年に当たる年です。色々考えた結果、彼を故郷に連れ帰ってあげよう、結婚式を挙げた教会に連れ帰ってあげようと思い立ち、今回の旅を計画しました。これは、その①として、その旅の始まりです。単純にスコットランドにまっすぐ行ったのではなく、ポルトガルのリスボンからスコットランドまで陸路で旅をしました。

2019年春の慰霊の旅その①-旅の始まり

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2019/03/22 - 2019/03/24

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いしいやすなり

いしいやすなりさん

アメリカのバーモント州在住の私が住んでいるこの家は、スコットランド移民のジョージ・マッキーという人が1887年に立てた家です。彼は1869年、20歳の時に結婚し、家族でアメリカに移住してきました。今年は結婚150周年に当たる年です。色々考えた結果、彼を故郷に連れ帰ってあげよう、結婚式を挙げた教会に連れ帰ってあげようと思い立ち、今回の旅を計画しました。これは、その①として、その旅の始まりです。単純にスコットランドにまっすぐ行ったのではなく、ポルトガルのリスボンからスコットランドまで陸路で旅をしました。

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
交通手段
鉄道 徒歩 飛行機
旅行の手配内容
個別手配

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  • これは私が今住んでいる家を1887年に建てた、ジョージ・マッキーという人物です。表題の写真が自分の家で、中心の部分がスコットランドのお城に象って作られています。<br />自分の家の写真をこんなところに平気で掲載するのかと思うかもしれませんが、実はここでB&amp;B(Bed &amp; Breakfast)を経営していて、ウェブサイトもあるので、こんな写真を公表しても全然構わないんです。ただ、その宣伝をしてると思われたくないので、名前等は伏せておきます。<br />彼は1849年にスコットランドのFraserburghというところで生まれ、1869年に、すこしはなれた村にある、New Pitsligo Parish Churchという教会で結婚式を挙げました。

    これは私が今住んでいる家を1887年に建てた、ジョージ・マッキーという人物です。表題の写真が自分の家で、中心の部分がスコットランドのお城に象って作られています。
    自分の家の写真をこんなところに平気で掲載するのかと思うかもしれませんが、実はここでB&B(Bed & Breakfast)を経営していて、ウェブサイトもあるので、こんな写真を公表しても全然構わないんです。ただ、その宣伝をしてると思われたくないので、名前等は伏せておきます。
    彼は1849年にスコットランドのFraserburghというところで生まれ、1869年に、すこしはなれた村にある、New Pitsligo Parish Churchという教会で結婚式を挙げました。

  • これが、その教会で発行された結婚証明書です。1869年6月8日に結婚式を挙げた。結婚に異議のある人はいないかという問いを何度か問いかけたが、挙手をする人はいなかったと書かれています。

    これが、その教会で発行された結婚証明書です。1869年6月8日に結婚式を挙げた。結婚に異議のある人はいないかという問いを何度か問いかけたが、挙手をする人はいなかったと書かれています。

  • これは当時の役所の記録で、彼の当時住んでいた住所や、その時の職業、出生地なども記載されています。上の教会の記録も、この記録も、サインしてるのは同じ人物です。

    これは当時の役所の記録で、彼の当時住んでいた住所や、その時の職業、出生地なども記載されています。上の教会の記録も、この記録も、サインしてるのは同じ人物です。

  • 結婚後まもなく、ジョージは機会を求めてアメリカに移住してきました。そして、このバーモント州に住み着いて、自分のビジネスを打ち立て、1887年に、家族で住むようにとこの家を建てたのです。この写真は1900年当時の様子です。<br />移民してきたとはいえ、故郷を捨てたのではなく、逆にずっと自分の故郷を思い続けていたのに違いありません。この家も、故郷を思い出すように、中心部分をスコットランドのお城の形に作ってあります。

    結婚後まもなく、ジョージは機会を求めてアメリカに移住してきました。そして、このバーモント州に住み着いて、自分のビジネスを打ち立て、1887年に、家族で住むようにとこの家を建てたのです。この写真は1900年当時の様子です。
    移民してきたとはいえ、故郷を捨てたのではなく、逆にずっと自分の故郷を思い続けていたのに違いありません。この家も、故郷を思い出すように、中心部分をスコットランドのお城の形に作ってあります。

  • ジョージは、スコットランドで御影石の石切職人として働いていましたが、バーモント州のこの町も、御影石の産地であり、それを足掛かりにして、ビジネスを築いて、大きな成功を収めました。<br /><br />彼はこのように家族を築いて、幸せな生活を送っていたかのようですが、御影石を切ったり削ったりすると、その粉が舞って珪肺症を発病する人が多数いました。ジョージもその例外ではなく、結核も伴って、53歳の誕生部を迎える数週間前に病気で亡くなりました。<br /><br />

    ジョージは、スコットランドで御影石の石切職人として働いていましたが、バーモント州のこの町も、御影石の産地であり、それを足掛かりにして、ビジネスを築いて、大きな成功を収めました。

    彼はこのように家族を築いて、幸せな生活を送っていたかのようですが、御影石を切ったり削ったりすると、その粉が舞って珪肺症を発病する人が多数いました。ジョージもその例外ではなく、結核も伴って、53歳の誕生部を迎える数週間前に病気で亡くなりました。

  • これは、ジョージが、家族とともに埋葬されているお墓で、私の家から歩いて5分ほどのところにあります。<br /><br />今年は、この家で私がB&amp;Bを始めてちょうど10年になる年でもあります。自分も若くしてアメリカに移民した身で、ジョージの故郷を思う気持ちが少しでもわかるような気がしていたし、自分はこの家に住むこの10年間、毎年故郷の日本に帰国できていたことに感謝する気持ちもあり、彼の結婚150周年に当たる今年、彼を故郷に連れ帰ってやろうと思い立ったのです。今回の旅を決心したのが去年の12月、ちょうど私自身の53歳の誕生日の数週間前のことでした。偶然が重なります。

    これは、ジョージが、家族とともに埋葬されているお墓で、私の家から歩いて5分ほどのところにあります。

    今年は、この家で私がB&Bを始めてちょうど10年になる年でもあります。自分も若くしてアメリカに移民した身で、ジョージの故郷を思う気持ちが少しでもわかるような気がしていたし、自分はこの家に住むこの10年間、毎年故郷の日本に帰国できていたことに感謝する気持ちもあり、彼の結婚150周年に当たる今年、彼を故郷に連れ帰ってやろうと思い立ったのです。今回の旅を決心したのが去年の12月、ちょうど私自身の53歳の誕生日の数週間前のことでした。偶然が重なります。

  • そこで、小さい容器を用意して、ジョージのお墓の横から、土を少しばかり詰めました。これをジョージの霊だということにして、それをスコットランドに連れ帰り、故郷の土地に置いてきてやろうという計画でした。そして、同じようにして、故郷の土をこの容器に入れて持ち帰り、ジョージのお墓の横に沿えてやろう、そうすればずっと故郷の土と一緒に眠れるだろうと思いました。くだらないと思われるかもしれませんが、今回の旅のきっかけと目的はそういうことだったんです。

    そこで、小さい容器を用意して、ジョージのお墓の横から、土を少しばかり詰めました。これをジョージの霊だということにして、それをスコットランドに連れ帰り、故郷の土地に置いてきてやろうという計画でした。そして、同じようにして、故郷の土をこの容器に入れて持ち帰り、ジョージのお墓の横に沿えてやろう、そうすればずっと故郷の土と一緒に眠れるだろうと思いました。くだらないと思われるかもしれませんが、今回の旅のきっかけと目的はそういうことだったんです。

  • さて、出発の当日は、大雪警報が出ていて、朝からジャンジャン雪が積もっていました。前の日まで暖かくて、雪なんか全部溶けてしまっていたのに。<br />空港まで行くバスは、ボストン発、モントリオール行きの長距離バスで、遅れが心配されていましたが、幸い、20分程度の遅れで到着しました。

    さて、出発の当日は、大雪警報が出ていて、朝からジャンジャン雪が積もっていました。前の日まで暖かくて、雪なんか全部溶けてしまっていたのに。
    空港まで行くバスは、ボストン発、モントリオール行きの長距離バスで、遅れが心配されていましたが、幸い、20分程度の遅れで到着しました。

  • バスが街を出て高速道路に入ったところですが、すごい雪です。反対車線では、かなり数珠繋がりになって渋滞している様子だと思ったら、後で聞いたのですが、大きな事故だったらしくて、私のバスが通過した後、道路は両方向とも全面通行止めになってしまったとのことでした。私はラッキーだったんですね。<br />最初から、そんな風にして、天に見守られているような気がした旅の始まりでした。

    バスが街を出て高速道路に入ったところですが、すごい雪です。反対車線では、かなり数珠繋がりになって渋滞している様子だと思ったら、後で聞いたのですが、大きな事故だったらしくて、私のバスが通過した後、道路は両方向とも全面通行止めになってしまったとのことでした。私はラッキーだったんですね。
    最初から、そんな風にして、天に見守られているような気がした旅の始まりでした。

  • バスは無事に空港に着きました。バーモント州のバーリントン空港です。ここからニューヨークのJFKに向かいますが、デルタの飛行機も定刻通りの出発の様子です。

    バスは無事に空港に着きました。バーモント州のバーリントン空港です。ここからニューヨークのJFKに向かいますが、デルタの飛行機も定刻通りの出発の様子です。

  • 搭乗したデルタの飛行機。小さい50人乗りのCRJ200という飛行機です。朝から家を出たのですが、飛行機は午後2時半発です。実は、この便、金曜日の夕方4時にニューヨークに着く便ということで、かなり前からオーバーブッキングに違いないと心配されていて、出発まで不安な日々が続いたのですが、幸い、デルタに電話をして、JFKから国際線に乗ることになっていて、後の便に振り替えることは絶対できないと事情を説明したら、特別な計らいで事前に座席をアサインしてくれて、ちゃんと前の方の席に座れました。これもラッキーだったということでしょうかね。

    搭乗したデルタの飛行機。小さい50人乗りのCRJ200という飛行機です。朝から家を出たのですが、飛行機は午後2時半発です。実は、この便、金曜日の夕方4時にニューヨークに着く便ということで、かなり前からオーバーブッキングに違いないと心配されていて、出発まで不安な日々が続いたのですが、幸い、デルタに電話をして、JFKから国際線に乗ることになっていて、後の便に振り替えることは絶対できないと事情を説明したら、特別な計らいで事前に座席をアサインしてくれて、ちゃんと前の方の席に座れました。これもラッキーだったということでしょうかね。

  • 小さい飛行機なので、座席は狭いですが、短距離便だし、全然構いません。

    小さい飛行機なので、座席は狭いですが、短距離便だし、全然構いません。

  • 機内サービスもありました。小さいペットボトルの水と、ビスコフのクッキーです。出発して、飛行機に乗ってしまうと、一安心です。

    機内サービスもありました。小さいペットボトルの水と、ビスコフのクッキーです。出発して、飛行機に乗ってしまうと、一安心です。

  • さて、デルタでJFKに無事に到着すると、今度の飛行機はスイス航空で、別チケットだし、一旦外に出て、またセキュリティを通りなおしだとばかり思っていたので、「出口」を目指して、長ーいターミナルの通路をテクテクと歩いていました。デルタを降りたのが53ゲートです。<br />すると、ふと横を見ると、31番と書いたゲートに、スイス航空LX17、チューリッヒ行きと書いてあります。え?それって、自分が次に乗る便じゃん・・・。<br />この便も、前の日にオンラインでチェックインを済ませてあって、搭乗券も印刷してあるし、預ける荷物もないし、もしかして、ここで待って搭乗しちゃってもいいのかな・・・まさか・・・と思って、隣にあったデルタのサービスカウンターで念のために聞いてみたら、「そこから乗るんだったら、その辺で待ってればいいじゃない・・・」とつっけんどんな返事が返ってきました。その言葉を信じて、ゲート前で搭乗時間まで待つことにしました。<br />デルタの便で到着したのが午後4時で、次のスイス航空は夜7時半発です。なので、やや待ち時間はあったものの、外のごった返しているセキュリティの列に並ぶのを避けられたことは、やっぱりラッキーだったっていうことかな・・・。その言葉通り、搭乗は何も聞かれず問題なく乗り込めました。

    さて、デルタでJFKに無事に到着すると、今度の飛行機はスイス航空で、別チケットだし、一旦外に出て、またセキュリティを通りなおしだとばかり思っていたので、「出口」を目指して、長ーいターミナルの通路をテクテクと歩いていました。デルタを降りたのが53ゲートです。
    すると、ふと横を見ると、31番と書いたゲートに、スイス航空LX17、チューリッヒ行きと書いてあります。え?それって、自分が次に乗る便じゃん・・・。
    この便も、前の日にオンラインでチェックインを済ませてあって、搭乗券も印刷してあるし、預ける荷物もないし、もしかして、ここで待って搭乗しちゃってもいいのかな・・・まさか・・・と思って、隣にあったデルタのサービスカウンターで念のために聞いてみたら、「そこから乗るんだったら、その辺で待ってればいいじゃない・・・」とつっけんどんな返事が返ってきました。その言葉を信じて、ゲート前で搭乗時間まで待つことにしました。
    デルタの便で到着したのが午後4時で、次のスイス航空は夜7時半発です。なので、やや待ち時間はあったものの、外のごった返しているセキュリティの列に並ぶのを避けられたことは、やっぱりラッキーだったっていうことかな・・・。その言葉通り、搭乗は何も聞かれず問題なく乗り込めました。

  • ボーディングブリッジに降りていくときの様子です。この便の搭乗の様子は、動画にまとめてありますので、そちらも是非ご覧ください。<br />https://www.youtube.com/watch?v=Xz1vHFBF4HE<br />

    ボーディングブリッジに降りていくときの様子です。この便の搭乗の様子は、動画にまとめてありますので、そちらも是非ご覧ください。
    https://www.youtube.com/watch?v=Xz1vHFBF4HE

  • 私の座席。なぜかヘッドレストのカバーがありません。2人掛けなので、窓側席でもそれほど苦になりませんでしたが、機内はかなり席が埋まっていて、伸び伸びというわけにはいきませんでした。

    私の座席。なぜかヘッドレストのカバーがありません。2人掛けなので、窓側席でもそれほど苦になりませんでしたが、機内はかなり席が埋まっていて、伸び伸びというわけにはいきませんでした。

  • 機内食。これは「チキン&フライドライス」ということで、中華料理っぽい感じでした。この頃、欧州系はいつどこのエアラインに乗っても、機内食の選択肢がチキン&ライスかベジタリアンのパスタばっかりで、ずいぶんつまらなくなりました。<br />ご飯ものにパンがついてくるというのも変なのですが、昔だったら、メインの半分以上がご飯で埋まってる、あるいはすべてパスタで埋まっているなんていうことはなく、ちゃんとした肉料理だったので、パンを添えることに意味がありましたが、今ではメインが炭水化物で埋まっているので、まったく意味がないと思うのですがねえ・・・。

    機内食。これは「チキン&フライドライス」ということで、中華料理っぽい感じでした。この頃、欧州系はいつどこのエアラインに乗っても、機内食の選択肢がチキン&ライスかベジタリアンのパスタばっかりで、ずいぶんつまらなくなりました。
    ご飯ものにパンがついてくるというのも変なのですが、昔だったら、メインの半分以上がご飯で埋まってる、あるいはすべてパスタで埋まっているなんていうことはなく、ちゃんとした肉料理だったので、パンを添えることに意味がありましたが、今ではメインが炭水化物で埋まっているので、まったく意味がないと思うのですがねえ・・・。

  • 機内食が貧弱になったとはいえ、機内からの眺めは貧弱にはなりませんね。ヨーロッパ方面はほとんど夜行便で、こうして日が昇る大変美しい幻想的な光景が見られるので、感激します。こういうのを見ると、ああ、旅にでてきたなと実感します。

    機内食が貧弱になったとはいえ、機内からの眺めは貧弱にはなりませんね。ヨーロッパ方面はほとんど夜行便で、こうして日が昇る大変美しい幻想的な光景が見られるので、感激します。こういうのを見ると、ああ、旅にでてきたなと実感します。

  • 着陸前に出た朝食。もともと、横に出してあるヨーグルトとオレンジジュース、バター、ジャムなどが箱に入っていて、クロワッサンはかごの中から配られたのですが、勧められるままクロワッサンを2つもらってしまったものの、テーブルにじかに置くわけにもいかないので、箱の中身を全部だしてそこに入れたものです。

    着陸前に出た朝食。もともと、横に出してあるヨーグルトとオレンジジュース、バター、ジャムなどが箱に入っていて、クロワッサンはかごの中から配られたのですが、勧められるままクロワッサンを2つもらってしまったものの、テーブルにじかに置くわけにもいかないので、箱の中身を全部だしてそこに入れたものです。

  • 最後に配られたスイスチョコ。これは、長距離便、短距離便に関わらず、全員に配られるようです。

    最後に配られたスイスチョコ。これは、長距離便、短距離便に関わらず、全員に配られるようです。

  • ニューヨークから7時間40分でチューリッヒに朝到着し、3時間半の乗り継ぎ時間を経て、次のリスボン行きの便に乗りました。11時半発なので、お昼は機内食かな…と思いたいところなのですが、いくら所要3時間と欧州便としては距離が長いとはいえ、やっぱり機内サービスは期待できないと思っていたのが本音です。

    ニューヨークから7時間40分でチューリッヒに朝到着し、3時間半の乗り継ぎ時間を経て、次のリスボン行きの便に乗りました。11時半発なので、お昼は機内食かな…と思いたいところなのですが、いくら所要3時間と欧州便としては距離が長いとはいえ、やっぱり機内サービスは期待できないと思っていたのが本音です。

  • サンドイッチくらいかと思ったら、出てきたのはこのようなもの。きゅうり、オリーブ、トマト、フェタチーズなどのギリシャサラダに、リンゴのケーキのようなもの。それとスイスチーズとパン。よさそうに見えますが、昼食時間帯の割に、食事と呼べるような量ではありません。サンドイッチなら、ハムとかターキーとかが挟まっているのでしょうけど、これは全くのベジタリアンです。<br />まあ、それでも出ただけましですね。ブリティッシュのように、機内サービスを完全に機内販売に切り替えてしまって、まったくLCC化しているエアラインもある中、ある程度のプライドを持っているところは、素直に認めないといけませんね。

    サンドイッチくらいかと思ったら、出てきたのはこのようなもの。きゅうり、オリーブ、トマト、フェタチーズなどのギリシャサラダに、リンゴのケーキのようなもの。それとスイスチーズとパン。よさそうに見えますが、昼食時間帯の割に、食事と呼べるような量ではありません。サンドイッチなら、ハムとかターキーとかが挟まっているのでしょうけど、これは全くのベジタリアンです。
    まあ、それでも出ただけましですね。ブリティッシュのように、機内サービスを完全に機内販売に切り替えてしまって、まったくLCC化しているエアラインもある中、ある程度のプライドを持っているところは、素直に認めないといけませんね。

  • 飛行機は一旦大西洋に出てから、旋回して、着陸態勢に入ったので、海岸線の景色がよく見えました。大雪の朝に出発したことを思い出すと、ここリスボンはこの日23度くらいあって、暑いくらいだったので、長く旅をしてきたと思わせられます。

    飛行機は一旦大西洋に出てから、旋回して、着陸態勢に入ったので、海岸線の景色がよく見えました。大雪の朝に出発したことを思い出すと、ここリスボンはこの日23度くらいあって、暑いくらいだったので、長く旅をしてきたと思わせられます。

  • 着陸前の様子。リスボンなんて初めてです。楽しみです。<br />

    着陸前の様子。リスボンなんて初めてです。楽しみです。

  • さて、リスボンに無事到着し、空港駅から地下鉄に乗りました。ポルトガルは、他のヨーロッパの先進国に比べると、やや貧しさが目立つというか、インフラの整備がいまいちというか、空港も古くて暗い感じだし、ちょっと違うなという気がします。

    さて、リスボンに無事到着し、空港駅から地下鉄に乗りました。ポルトガルは、他のヨーロッパの先進国に比べると、やや貧しさが目立つというか、インフラの整備がいまいちというか、空港も古くて暗い感じだし、ちょっと違うなという気がします。

  • 地下鉄の車両は、やっぱり古い感じですが、それも外国へ来た情緒ですね。

    地下鉄の車両は、やっぱり古い感じですが、それも外国へ来た情緒ですね。

  • 地下鉄を乗り継いで終点のサンタ・アポロニア駅で降りました。地上に出ると、こんな駅があります。古くて小さいですけど、長距離列車の始発・終着駅です。ここから、夜、マドリッドまでの夜行列車に乗ることにしていました。<br />冒頭で説明した通り、今回の旅はスコットランドを目指すのですが、単純にスコットランドに行くのではなく、リスボンから鉄道で5,000キロ以上の長い旅をしてスコットランドにたどりつこうというマニアックな計画で、この駅からそれが始まるというわけです。人込みでガヤガヤと混雑した大きな駅よりも、よっぽど情緒があるような気がします。<br /><br />さて、ここで荷物をロッカーに入れておいて、身軽になって散策に出ようと思って、隣にある売店で小銭を両替して、ロッカーの使い方の説明を読んでいると、ふと、若い2人連れがしょぼんとした様子で座り込んでいるのが目に入り、ちょっと気になりました。ホームレス?でもなさそうだし、と思って声をかけてみると、ロッカーから荷物を取り出そうとしたのだけれど、暗証番号を入れても無効と出てしまって、荷物が出せない、これからベルリンまで飛行機に乗ることになっていて、時間も迫っているのに、困っているとのこと。<br />そういえば、ロッカーの説明書きにも、列車等に乗る予定の場合、切符類はロッカーに入れないでくださいと書いてあります。うーん、信用できない・・・。<br />ということで、ロッカーはあきらめて、バックパックを背負ったまま、散策に出ることにしました。それを不運だったと見るか、あの2人連れのようなことにならずにラッキーだったと見るか…。自分は、これもこの旅が天に見守られている証拠だと思うことにしました。

    地下鉄を乗り継いで終点のサンタ・アポロニア駅で降りました。地上に出ると、こんな駅があります。古くて小さいですけど、長距離列車の始発・終着駅です。ここから、夜、マドリッドまでの夜行列車に乗ることにしていました。
    冒頭で説明した通り、今回の旅はスコットランドを目指すのですが、単純にスコットランドに行くのではなく、リスボンから鉄道で5,000キロ以上の長い旅をしてスコットランドにたどりつこうというマニアックな計画で、この駅からそれが始まるというわけです。人込みでガヤガヤと混雑した大きな駅よりも、よっぽど情緒があるような気がします。

    さて、ここで荷物をロッカーに入れておいて、身軽になって散策に出ようと思って、隣にある売店で小銭を両替して、ロッカーの使い方の説明を読んでいると、ふと、若い2人連れがしょぼんとした様子で座り込んでいるのが目に入り、ちょっと気になりました。ホームレス?でもなさそうだし、と思って声をかけてみると、ロッカーから荷物を取り出そうとしたのだけれど、暗証番号を入れても無効と出てしまって、荷物が出せない、これからベルリンまで飛行機に乗ることになっていて、時間も迫っているのに、困っているとのこと。
    そういえば、ロッカーの説明書きにも、列車等に乗る予定の場合、切符類はロッカーに入れないでくださいと書いてあります。うーん、信用できない・・・。
    ということで、ロッカーはあきらめて、バックパックを背負ったまま、散策に出ることにしました。それを不運だったと見るか、あの2人連れのようなことにならずにラッキーだったと見るか…。自分は、これもこの旅が天に見守られている証拠だと思うことにしました。

  • 駅の外観です。駅を出ると、外は石畳の道になっていて、バス乗り場があり、タクシーなども止まっています。<br />バックパックを背負ったまま出たら、素晴らしい天気なのはいいのですけど、暑い・・・。Tシャツ1枚で歩いてる人もいます。雪のバーモント州から着てきたジャケットやセーターなどは、全部バックパックに詰め込み、長袖シャツ1枚になってみたものの、それでも暑いくらいです。気温23度。。。

    駅の外観です。駅を出ると、外は石畳の道になっていて、バス乗り場があり、タクシーなども止まっています。
    バックパックを背負ったまま出たら、素晴らしい天気なのはいいのですけど、暑い・・・。Tシャツ1枚で歩いてる人もいます。雪のバーモント州から着てきたジャケットやセーターなどは、全部バックパックに詰め込み、長袖シャツ1枚になってみたものの、それでも暑いくらいです。気温23度。。。

  • そして、一つ道を入っていくと、こんな風に急坂の超狭い道がクネクネと迷路のように。ここは、Alfama Districtと言って、リスボンの独特の古い町並みなんですね。グーグル地図の道案内を使っても、どこをどう歩いてるのか把握するのが難しかったです。目的地がなくて、この界隈を散歩するのが目的の場合は、地図など忘れてブラブラ歩いた方がいいかもしれません。<br />僕の場合は、時間もあり、計画していた場所があったので、そこへ到達するために、地図を見ながら歩きました。

    そして、一つ道を入っていくと、こんな風に急坂の超狭い道がクネクネと迷路のように。ここは、Alfama Districtと言って、リスボンの独特の古い町並みなんですね。グーグル地図の道案内を使っても、どこをどう歩いてるのか把握するのが難しかったです。目的地がなくて、この界隈を散歩するのが目的の場合は、地図など忘れてブラブラ歩いた方がいいかもしれません。
    僕の場合は、時間もあり、計画していた場所があったので、そこへ到達するために、地図を見ながら歩きました。

  • 狭い道に、こんな路面電車が走っています。これも、観光客が喜ぶ乗り物というだけでなく、地元の人の足となっているので、見たらぎゅうぎゅう詰めです。そんな窮屈なのはいやだし、大きいバックパックなんか持って乗ったら迷惑ですね。

    狭い道に、こんな路面電車が走っています。これも、観光客が喜ぶ乗り物というだけでなく、地元の人の足となっているので、見たらぎゅうぎゅう詰めです。そんな窮屈なのはいやだし、大きいバックパックなんか持って乗ったら迷惑ですね。

  • うーん、なんだか変な路地裏通りみたいなところに出ちゃったなあ。。。こんなところを進んで大丈夫かなあ・・・。

    うーん、なんだか変な路地裏通りみたいなところに出ちゃったなあ。。。こんなところを進んで大丈夫かなあ・・・。

  • すると、こんな広場のような(そんなに広くないですけど)ところに出て、何やら人が大勢並んでいます。どこまで行っても、どうでもいいけど、ものすごい急坂…<br />きっとここが目的の、サン・ジョルジェ城の要塞跡だろうと思ったら、その通りで、この列は切符売り場の列でした。<br />列が嫌いな私ですが、せっかくここまで来たのだし、ここを目的に来たのだからと、列に並びました。いろんな国から来た人がいっぱいですが、聞こえてくるのはほとんど英語。明らかにアメリカ人っていう人もいました。<br />列は、比較的スムーズに進み、切符を買うことができました。

    すると、こんな広場のような(そんなに広くないですけど)ところに出て、何やら人が大勢並んでいます。どこまで行っても、どうでもいいけど、ものすごい急坂…
    きっとここが目的の、サン・ジョルジェ城の要塞跡だろうと思ったら、その通りで、この列は切符売り場の列でした。
    列が嫌いな私ですが、せっかくここまで来たのだし、ここを目的に来たのだからと、列に並びました。いろんな国から来た人がいっぱいですが、聞こえてくるのはほとんど英語。明らかにアメリカ人っていう人もいました。
    列は、比較的スムーズに進み、切符を買うことができました。

  • 入り口で切符を見せて入っていくと、まずこんな広場があります。要塞だったので、きっと見晴らしがいいに違いないと思い、岸壁の方に進んで行きました。

    入り口で切符を見せて入っていくと、まずこんな広場があります。要塞だったので、きっと見晴らしがいいに違いないと思い、岸壁の方に進んで行きました。

  • リスボンの街一帯がよく見渡せます。キラキラと光る水がきれいですね。汗を拭きながら、ここでホッと一息という感じです。よく歩きました。

    リスボンの街一帯がよく見渡せます。キラキラと光る水がきれいですね。汗を拭きながら、ここでホッと一息という感じです。よく歩きました。

  • さて、要塞の中に入ってみたいと思います。跡地なので、外壁の構造物しか残っていないようですけど、これもすごく古い歴史があるものなので、しっかり維持していってほしいですね。

    さて、要塞の中に入ってみたいと思います。跡地なので、外壁の構造物しか残っていないようですけど、これもすごく古い歴史があるものなので、しっかり維持していってほしいですね。

  • 内側はこんな風に中庭のようになっています。周囲の壁に、急な狭い階段で登っていくことができるので、行ってみました。

    内側はこんな風に中庭のようになっています。周囲の壁に、急な狭い階段で登っていくことができるので、行ってみました。

  • 上に上ると、やっぱり眺めがきれいです。

    上に上ると、やっぱり眺めがきれいです。

  • 観光客がけっこういます。みんな身軽な服装なのに、自分だけでっかいバックパックを持っている・・・。ここまで来ると、そんなことは考えませんでしたけど。

    観光客がけっこういます。みんな身軽な服装なのに、自分だけでっかいバックパックを持っている・・・。ここまで来ると、そんなことは考えませんでしたけど。

  • 階段や通路が狭くて急なので、結構注意が必要です。<br />この下には、考古学的発掘で発見された古い道具類やら生活用品やら武器類やらが展示してあって、リスボンの古い歴史が説明してある博物館もあったので、ちょこっと入ってみました。

    階段や通路が狭くて急なので、結構注意が必要です。
    この下には、考古学的発掘で発見された古い道具類やら生活用品やら武器類やらが展示してあって、リスボンの古い歴史が説明してある博物館もあったので、ちょこっと入ってみました。

  • さて、要塞でひと時を過ごしてから、また急坂を下っていくと、こんな見晴台があって、人だかりがしています。急カーブになっている狭い道路の脇に小さな公園のようになっているのですが、眺めがいいようで、ここで犬を連れてボーッと座ってる人、ダンスをする人など、いろいろです。

    さて、要塞でひと時を過ごしてから、また急坂を下っていくと、こんな見晴台があって、人だかりがしています。急カーブになっている狭い道路の脇に小さな公園のようになっているのですが、眺めがいいようで、ここで犬を連れてボーッと座ってる人、ダンスをする人など、いろいろです。

  • 高さはそれほどないですが、建物の屋根がたくさん見えます。赤茶色の屋根がとても印象深いです。

    高さはそれほどないですが、建物の屋根がたくさん見えます。赤茶色の屋根がとても印象深いです。

  • そこからもう少し下っていくと、リスボン聖堂があります。狭い道路がカーブしているところにあって、広場などのスペースは一切ないのですが、これも歴史の大変古い素晴らしい大聖堂ですね。中に入ってみることにします。

    そこからもう少し下っていくと、リスボン聖堂があります。狭い道路がカーブしているところにあって、広場などのスペースは一切ないのですが、これも歴史の大変古い素晴らしい大聖堂ですね。中に入ってみることにします。

  • 中に入って前に進んで行った、祭壇の前の部分です。思わず息を&#21534;んでしまうような、厳かな雰囲気です。

    中に入って前に進んで行った、祭壇の前の部分です。思わず息を吞んでしまうような、厳かな雰囲気です。

  • 音楽の好きな私は、この素晴らしいパイプオルガンにも、思わずカメラを向けてしまいました。ポルトガルは、西欧では比較的経済に恵まれない国なので、こういうものを保存していくことは、きっと大変だろうなと思います。

    音楽の好きな私は、この素晴らしいパイプオルガンにも、思わずカメラを向けてしまいました。ポルトガルは、西欧では比較的経済に恵まれない国なので、こういうものを保存していくことは、きっと大変だろうなと思います。

  • さて、さらに足を延ばして、海の前にある広場に出てみました。この日、なにやら政治的な集会があったようで、大声のスピーチが続いていて、かなりの人手でした。夕方だし、集会は終わりに近づいていたらしく、人込みはどんどんと散っていくところでした。何の集会だったのかはわかりません。

    さて、さらに足を延ばして、海の前にある広場に出てみました。この日、なにやら政治的な集会があったようで、大声のスピーチが続いていて、かなりの人手でした。夕方だし、集会は終わりに近づいていたらしく、人込みはどんどんと散っていくところでした。何の集会だったのかはわかりません。

  • 広場から道を挟んで海になっています。風がさわやかで気持ちいいところです。

    広場から道を挟んで海になっています。風がさわやかで気持ちいいところです。

  • この時点で6時半頃だったでしょうか。もうすぐ夕暮れです。遥々アメリカから旅をしてきて、飛行機を乗り継いで、空港から地下鉄を乗り継いで、サンタ・アポロニア駅に着いたのが、午後3時頃だったので、そんなに時間はありませんでしたが、それでもこれだけ見られたら、十分リスボンの味見にはなりました。

    この時点で6時半頃だったでしょうか。もうすぐ夕暮れです。遥々アメリカから旅をしてきて、飛行機を乗り継いで、空港から地下鉄を乗り継いで、サンタ・アポロニア駅に着いたのが、午後3時頃だったので、そんなに時間はありませんでしたが、それでもこれだけ見られたら、十分リスボンの味見にはなりました。

  • さて、夜行列車に乗る前に、夕食にします。駅の近くのポルトガル料理の地位さな店に入りました。7時前だったので、まだ客は誰もいませんでした。<br />自分が食事をしている間に、どんどん客が入ってきて、テーブルはほぼ全部埋まってしまいましたが、こんな小さな店でも、Alfama Districtにあって駅に近いせいか、ポルトガル人の客は一人もいなくて、フランス、イタリア、ドイツ、アメリカといったところから来た観光客ばかりでしたので、店内はほとんど英語でやり取りしていましたが、店員は英語のほか、フランス語とかイタリア語のできる人もいるようでした。さすがですね。

    さて、夜行列車に乗る前に、夕食にします。駅の近くのポルトガル料理の地位さな店に入りました。7時前だったので、まだ客は誰もいませんでした。
    自分が食事をしている間に、どんどん客が入ってきて、テーブルはほぼ全部埋まってしまいましたが、こんな小さな店でも、Alfama Districtにあって駅に近いせいか、ポルトガル人の客は一人もいなくて、フランス、イタリア、ドイツ、アメリカといったところから来た観光客ばかりでしたので、店内はほとんど英語でやり取りしていましたが、店員は英語のほか、フランス語とかイタリア語のできる人もいるようでした。さすがですね。

  • メニューも、あまり品数は多くないので、選びやすいです。これはタコのサラダ。おいしかったです。ポルトガルはシーフードや煮込み料理がおいしいみたいです。ワインもおいしいです。

    メニューも、あまり品数は多くないので、選びやすいです。これはタコのサラダ。おいしかったです。ポルトガルはシーフードや煮込み料理がおいしいみたいです。ワインもおいしいです。

  • メインは少し悩みましたが、鴨の煮込みにしました。これもおいしかったです。エビと魚の煮込みが有名らしいですけど、悩んだ末にこっちにしました。(後の旅行記に挙げますが、それっぽいものには後でありつけることになります。)

    メインは少し悩みましたが、鴨の煮込みにしました。これもおいしかったです。エビと魚の煮込みが有名らしいですけど、悩んだ末にこっちにしました。(後の旅行記に挙げますが、それっぽいものには後でありつけることになります。)

  • 時間もあったし、最初の夕食なので、デザートとコーヒーもいただきました。<br />ほとんど寝ていないような状態で、日に当たりながら歩いたら、やっぱり疲れましたけど、太陽の日に当たることが時差ボケを解消するよい方法だと聞いたことがあるので、歩いたのはよかったと思います。

    時間もあったし、最初の夕食なので、デザートとコーヒーもいただきました。
    ほとんど寝ていないような状態で、日に当たりながら歩いたら、やっぱり疲れましたけど、太陽の日に当たることが時差ボケを解消するよい方法だと聞いたことがあるので、歩いたのはよかったと思います。

  • 食事を終えたらいい時間になったので、また駅に戻ってきました。ヨーロッパに着いての初日は、こうして気分よく終わりました。今回の旅は天に見守られているのでしょうかね。<br />ここから目指すスコットランドまで、長い鉄道の旅がこれから始まります。

    食事を終えたらいい時間になったので、また駅に戻ってきました。ヨーロッパに着いての初日は、こうして気分よく終わりました。今回の旅は天に見守られているのでしょうかね。
    ここから目指すスコットランドまで、長い鉄道の旅がこれから始まります。

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