2019/03/30 - 2019/03/30
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chiaki-kさん
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今回のNY行きを希望したのはカミさん。そして一番の理由は2001年9月11日にテロの標的となり崩れ去ったワールド・トレードセンター(以降WTCと表記)の跡地、グラウンド・ゼロに行くことだった。このアメリカ同時多発テロの映像は全世界に中継され、何度も繰り返し放送されたので、耳に、いや目にタコが出来るほど見ているのだが、あれから18年という歳月が流れたこともあり、公園のようになった跡地の状況や、新たに建てられた1WTC、そして9/11メモリアル・ホールの見学などを通して、改めて9.11とはなんだったのか考えてみようと思った。
表紙の写真はブルックリン・ダンボ地区から見上げたブルックリン・ブリッジと、灯が点りはじめたマンハッタンのスカイ・スクレーパー達。ツインタワーは見られないが、新しい高層ビル達がひしめきあっている。
なお、アメリカ同時多発テロの記事作成にあたってはWikipediaを参照させていただきました。
2024/03/10 一部修正
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 2.5
- グルメ
- 2.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- ユナイテッド航空
- 旅行の手配内容
- その他
PR
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3/30
朝一番の効果で、リバティアイランド&エリスアイランドの見学がすんなり終わった為、予定より1時間以上早くバッテリーパークに戻ってこれた。 -
公園には何台かの屋台が駐まっていたので、適当に選んだ店でチーズバーガー($6×2)を注文。この日は朝から冷たい風の吹く日だったので、暖めたチーズバーガーがなかなか、おいしかった。食べかけで失礼。
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公園の一部にはこんなスペースもあり、今日は土曜日ということもあり大勢のニューヨーカーが土いじりに励んでいた。
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お腹の虫も収まり、時間にも余裕が出来たので街をブラブラ歩いてWTCを目指すことに。
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ウォール街入り口にあったのは・・・・
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チャージングブル。ブルの○ま○まに触ると、ご利益があるということで、わざわざ下へ潜る方もいる。周囲のギャラリーは大笑い。
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NYPDとは New York Police Department(ニューヨーク市警察)のこと。イエローキャブと呼ばれるニューヨークのTAXIは殆どがプリウスなど日本車なのだが、パトカーまでもプリウスとはびっくり。
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NYSEとは New York Stock Excange (ニューヨーク証券取引所)のこと。1929年10月24日(ブラック・サーズデー)に、過熱気味のニューヨーク・ダウが大暴落し、WW2の誘因となった世界大恐慌を引き起こした。
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以前は「チャージングブル」と対峙していた「恐れを知らぬ少女」がNYSEを睨み付けている。
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こちらはフェデラル・ホール。1789年3月に第一回合衆国議会がこの議事堂で開催され、ジョージ・ワシントンが初代アメリカ合衆国大統領に選出されている。
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ジョージ・ワシントン像。1ドル札でおなじみ。
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NYSE前に停まっているのはホットドッグの屋台。おや、プレッツェルもある。
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左がNYSEの建物。路地の向こうに見えるのはトリニティ教会。
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マンホールから吹き出す水蒸気はNYの名物。
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トリニティ教会近くの街角に不思議な赤いキューブ発見。
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日系アメリカ人のイサム・ノグチ氏の作品だが、よく倒れないもんだね。
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ズッコッティ・パークに駐まっていた屋台。ハラルフード(イスラム食)だって。
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最初に見上げた高層ビルは4WTCビル。かつて、ここには9階建ての旧4WTCがあったが、ツインタワーの崩壊に巻き込まれて全壊。新たに建てられたビルは高さ297m、64階建、設計は日本人建築家の槇文彦氏。2013年11月13日竣工。
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そして圧倒的な迫力で迫ってくるのが1WTC。高さはアメリカ独立の年にちなみ1,776フィート(約541m)105階建、2014年11月3日に竣工した西半球で最も高い建物である。(世界では6番目)
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9/11メモリアルへ。
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この2つのプールは、かつてここに存在した1WTC(ノースタワー)、2WTC(サウスタワー)の場所に正確に造られており、24時間絶えること無く滝のような水が注がれている。プールを囲むブロンズボードには犠牲となった方の名前が透かし彫りで彫り込まれており、夜になると下から照明が当たり、名前が浮かび上がるようになっているらしい。
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WTCで働いていた日本人の方の名前も見られる。
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1WTC跡のプールには・・・
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一輪の花が供えられていた。
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予約した入場時間まで1時間以上あったので、メモリアルの周囲をブラブラ。これはオキュラスという建物で、駅とお店が地階に入っている。
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内部はこんな感じ。まるで近代的な教会のよう。
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真下から1WTCを見上げてみる。100階に展望台があるが、今回はパス。料金は$34(一般)
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9/11メモリアル&ミュージアムを囲んで7つのWTCビルが建てられるようだ。
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予約時間の30分前だが、待ちきれなくなったので、ダメもとで入ったら、すんなり入れてくれた。ちなみに入場料は$20(シニア料金)だが、NET予約は手数料が$2必要。
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行列もたいしたことは無かったが、この後セキュリティが待っていた。
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エスカレーターを降りた最初のロビーにあったのはブルックリンブリッジ越しに見るツインタワーの勇姿。
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1962年、日系アメリカ人建築家のミノル・ヤマサキ氏がWTCの主任建築士として選出され、二棟の直方体 (63.4m × 63.4m × 415m) の超高層ビルを建てるという建設計画案が発表された。
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1972年に1WTC(ノースタワー)が、1973年に2WTC(サウスタワー)が完成し、1973年4月4日にワールドトレードセンター落成式典が挙行された。
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そして、展望デッキや展望レストランが1975年以降完成してニューヨークの新しい観光名所となり、「キングコング(1976)」などの映画に登場するようになった。
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2001年9月11日、ボストン発ロサンゼルス行きアメリカン航空11便は、乗客・乗員92名を乗せ、午前8時00分頃にボストン・ローガン国際空港を離陸し、ロサンゼルス国際空港に向かった。その後、11便は午前8時14分頃にハイジャックされる。そして11便は進路を南向きに変え、午前8時46分にツインタワー北棟に突入し爆発炎上した。
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ボストン発ロサンゼルス行きユナイテッド航空175便は、乗客・乗員65名を乗せ、午前8時14分に11便と同じくローガン国際空港を離陸し(アメリカン航空11便でのハイジャック発生とほぼ同時)、ロサンゼルス国際空港に向かった。午前8時42分から46分までの間に175便もハイジャックされた。
その後、175便は午前8時58分にニューヨークへ進路を変え、午前9時03分にツインタワー南棟に突入し爆発炎上した。南棟では北棟の爆発を受けて多くの人が避難を開始していたため、人的被害は北棟に比べて少なかったが、衝突による構造へのダメージはより大きく、先に突入を受けた北棟より早く南棟が崩壊している。 -
ロサンゼルス国際空港行きアメリカン航空77便は、乗客・乗員64名を乗せて、ワシントン・ダレス国際空港を午前8時20分に出発したが、午前8時50分頃までにハイジャックされた。直後に進路を北向きに変えた後、南へ転回、その後東へ進路を変えた。
そして午前9時37分、バージニア州アーリントンにあるアメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)に激突し、爆発炎上した。激突の瞬間の映像によると機体は水平の状態で地面を滑走しながらペンタゴンに衝突していたが、高速で建築物に激突・炎上したため機体の残骸はほとんど原形を留めていなかった。 -
ニューアーク空港発サンフランシスコ国際空港行きユナイテッド航空93便は、午前8時42分、乗客・乗員44名(日本人1名を含む)を乗せて、滑走路の混雑で30分遅延で出発した。93便離陸の僅か数分後、アメリカン航空11便が世界貿易センター北棟に激突する。
乗客の機内電話からの通報によると、93便は午前9時27分にハイジャックされた。オハイオ州クリーブランド付近で進路を南に変え、ワシントンD.C.へ向かうことを管制官に通告、標的はアメリカ合衆国議会議事堂かホワイトハウスであったと推測されている。
午前9時57分、機内電話や携帯電話による外部との連絡で、ハイジャックの目的を自爆テロと認識した乗客が機の奪還に乗り出す。その僅か数分後、WTC南棟が完全崩壊した。そして、午前10時03分、93便は時速907kmの速度のまま、ペンシルベニア州ピッツバーグ郊外シャンクスヴィル(ワシントンD.C.北西240kmの場所)に墜落した。
乗客たちがハイジャッカーたちに反撃した際に「Let's Roll.(さあやろうぜ)」を合図にしたと言われている。この「Let's Roll」は、9・11事件以降のアフガニスタンへの「報復戦争」において一種のスローガンとして用いられた。なお、離陸からハイジャック、墜落までの乗員乗客の行動を基にした映画『ユナイテッド93』が2006年に公開されている。 -
9/11メモリアルの公園部分の地下はこのような記念館となっており、ハドソン川からの浸水を防ぐ為の”バスタブ”と呼ばれた壁がそのまま残っている。
AA11便は北棟の93階-99階を切り裂くように衝突し、数百人が即死した。搭載されていたジェット燃料によって高層階では爆発的な火災が起こり、引火した燃料がエレベーターシャフトを落下したことで1階ロビーのような低層階でも爆発が発生した。衝突から10分が経たないうちに、火災と黒煙は上層階に広がり始めた。8時52分には、熱と煙、炎による耐え難い苦痛により、高層階から飛び降りる人々も現れた。 -
WTCを支えた鉄の柱が残されている。
UA175便は2WTCの南面に機体を傾けながら77階-85階にかけて衝突しており、78階のスカイロビーで避難のためエレベーターを待っていた数百人の多くが即死、または重傷を負った。この衝突によって南棟が負った構造的ダメージは、北棟と比較してより深刻だった。2機目のジェット機が南棟に衝突した瞬間は多数のカメラによって捉えられたが、この時点で、一連の出来事が事故ではなく故意に起こされた攻撃であることが広く認識された。 -
WTCの特徴である外壁を支えたBOX状の柱。
ツインタワーは、航空機の衝突による大規模な構造的ダメージに加え、ジェット燃料が引き起こした火災の熱で構造部材(鉄骨柱・床トラス部材等)の強度が著しく低下したことで崩壊したと考えられている。アメリカ国立標準技術研究所の報告書によれば、火災によるダメージは(ジェット燃料ではなく)主にオフィス内の可燃物によるものであり、それらの可燃物が火災を増長しなければ、ツインタワーは崩壊を免れていた可能性がある。ツインタワーは、建設当時に世界最大のジェット旅客機であったボーイング707が突入しても崩壊しないよう設計されていたが、漏れ出したジェット燃料とそれによる大規模火災の影響は設計上考慮されていなかった。 -
柱を支えた基礎部分。小さく見えるが実際は大きい。
WTCへのテロ攻撃による死者は2763人。その内訳は、事件当時WTCに居た民間人が2192人、消防士が343人、警察官が71人、ハイジャックされた旅客機の乗員・乗客が147人、ハイジャック犯のテロリストが10人となっている。(AA77便とUA93便による死者を併せると2977人+テロリスト19人)
北棟では、直撃を受けた階以上のフロアに1355人が閉じ込められ、煙の吸引・タワーからの落下・最終的なタワーの崩壊などの理由によってその全員が死亡した。北棟の3つの非常階段すべてがAA11便の衝突の際に破壊されており、上層階から人々が脱出することは不可能だった。
南棟では、北棟へのジェット機突入の直後から多くの人々が自主的に避難を開始していたため、死亡した民間人は計630人と、北棟の半分以下の数字だった。 -
ノースタワーの屋上に設置されていたアンテナの残骸。
想像を絶する激しい衝突、100日間燃え続けた火災等で遺体はバラバラに粉砕され、焼失してしまったため、2017年8月の時点でも、犠牲者全体の40%にあたる1,112人の遺体がいまだ未確認の状態だった。また、アスベストや水銀等の有害物質がまき散らされたことによる健康被害も発生している。 -
押しつぶされた消防車。形が残っているのはWTCの外に置かれていたからと思われる。
これから先は写真撮影不可のため画像は無いが、テロで亡くなった方々の顔写真、旅客機が激突する映像、崩れ落ちるWTCビル、わずかに発見された旅客機の破片、全ての物が破壊された壮絶な現場、そして19人のテロリストがやすやすとセキュリティゲートを通り抜ける映像など、初めて目にするものばかりだった。 -
9/11メモリアル・ミュージアムから今の1WTCを望む。
事件直前、大統領就任後のジョージ・W・ブッシュ大統領の支持率は、50%を切っていた。しかし、その指導力が国民の注目を浴びることとなり、それがテロとの戦争として位置づけられたことから、事件直後には国民の支持率は史上最高の9割に到達、いみじくも政権最初の年から国民の支持を得た形となった。
ブッシュ政権は、このテロ事件を契機にアフガニスタン侵攻を行い、さらに2002年に国際テロ組織とならず者国家と断じた悪の枢軸(イラク、イラン、北朝鮮)との戦いを国家戦略とし、「アメリカの防衛のためには、予防的な措置と時には先制攻撃が必要」として推進する方針を決めた。これをもとに、アメリカ合衆国はイラクに対して大量破壊兵器を隠し持っているという疑惑を理由に、イラク戦争に踏み切った。 -
ミュージアムの東側の通りは歩行者天国になっていた。
結局、大量破壊兵器は見つからず、ブッシュ大統領は「戦争屋」と呼ばれ、国際的な非難を浴びることになったが、大多数のアメリカ国民は今でも9.11はサダム・フセインがやったと思っているらしい。
1915年5月にイギリス船籍のルシタニア号がドイツの潜水艦によって撃沈され128名のアメリカ人が犠牲になったことがアメリカのWW1参戦となり、1941年12月の日本軍による真珠湾攻撃がWW2参戦となるなど、普段は参戦・反戦で分かれているアメリカ人の意識が、アメリカが攻撃されると一気に参戦に傾いてしまうことを今回のテロも教えてくれた。 -
再びオキュラスへ入る。
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Worrd Trade Center 駅からメトロ1番線で50st駅まで戻り、2時間ほどホテルで休憩をとる。もう若くは無い。
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17:00頃、8av50st駅から今度はC線に乗り High Street 駅で下車。予想と違って Brooklyn bridge Blvd 近くに出てしまったので、思い切ってブルックリン・ブリッジを少し歩いて見ることにした。左は公園、前方に見える橋がブルックリン・ブリッジ。
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橋脚の中央付近に階段があり、ここを昇ると・・・
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はい、ブルックリン・ブリッジです。この辺はまだ橋の手前の高架橋。
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5分ほど歩くといよいよ橋にさしかかる。右側は自転車道、左側が歩道と一応分かれているのだが、道は広くなったり狭くなったりするので、あいまいな箇所も。なお、歩道・自転車道は木製!
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歩道を占領するNYPD車。車種不明。
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石造りの橋脚、そして鉄骨とワイヤの向こうにマンハッタンのビル街が見えてきた。
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橋の1Fは片側3車線の車道。そして2Fは木製の歩道・自転車道となっている。
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イーストリバーの河口には今朝行ったばかりのリバティアイランドが見える。
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反対側はこんな感じ。
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歴史を感じさせる石造りの橋脚。ここでブルックリン・ブリッジについてちょこっとスタディ
ブルックリン・ブリッジ1883年に竣工、全長1,834m、中央径間は486mで、上流にウィリアムズバーグ橋ができるまで世界最長の吊り橋であった設計はドイツ系移民のジョン・オーグスタス・ローブリング。ローブリングは橋を設計する際に、当時必要と考えられていた強度よりも 6倍も頑丈に設計した。
橋が建設された当時はまだ風洞実験が行われておらず、同時期に建てられた橋のほとんどが廃棄されたのに対して、この橋が今日まで生きながらえたのはこのようないくつかの幸運があったためだと指摘されている。
ブルックリン・ブリッジは、1964年にアメリカ合衆国国定歴史建造物に、1972年に土木工学歴史建造物に登録されているが、NYを代表する観光名所として今でも沢山の観光客を集めている。 (Wikipedia参照) -
ブルックリン・ブリッジは橋脚でUターンして、 Washington St に移動する。このダンボ地区はもともとが倉庫街であり、煉瓦造りの古めかしい建物が残っているのだが、その間から見えるマンハッタン・ブリッジが名所になっている。何が有名かというと・・・
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マンハッタン・ブリッジの橋脚の間からエンパイアステートビルが見えるのね。
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数々の映画にも出てくる名所なので、この大賑わい!
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そしてこういった名所につきものの、結婚式前撮り。だいたいアジア系のカップル。
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イーストリバーの川岸にはこんな公園が作られている。
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ここで1時間ほど夕景色を撮影しようと粘った。後ろの吊り橋はマンハッタン・ブリッジだが、電車が通過する音が結構やかましかった。ここで、マンハッタン・ブリッジのスタディを。
この橋はレオン・モイセイフによる設計の近代的な吊り橋の先駆けとして1909年12月31日に開通。上層に、4車線の自動車道路、下層に3車線の自動車道路と4本の鉄道線路、歩行者通路、自転車通路がある。 観光最終日にここを渡る考えもあったが、当日の寒さと疲労などで断念した。 -
マンハッタンの高層ビル街をバックに、石と鉄で出来たブルックリン・ブリッジがイーストリバーに浮かんでいる。新しい物と古い物のの対比が何とも言えない。
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30分後、マンハッタンの向こう側に日が落ち、ブリッジとビル街がシルエットになった。
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やがてビルの灯りがつき始めてきたが、今日は土曜日ということで、若干少なめ。
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ほぼ、表紙写真の再掲だが、今日はこれで精一杯だった。
このあと、道に迷いながら、 High Street 駅からC線で、そのまま8av50st駅へ戻り、昨日も入ったスーパーでピザなどを購入して部屋食とした。 -
ブルックリン・ビールを飲みながら・・・
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ニューヨークピザをかじるシニア達でした。
これで、「2019年 ニューヨーク旅行記2:ウォール街、911メモリアルパーク&ブルックリン」は終了です。最後は何ともショボイ終わり方になりましたが、本日も最後まで、ご覧いただきありがとうございます。
2024/03/10 一部修正 -
OMAKE
3月30日の歩数は計測を始めてから、過去最高値を記録しました。
おしまい
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