2019/02/22 - 2019/02/25
418位(同エリア995件中)
茂作さん
2019.02.22(伊勢・奈良旅行)
東京から10:20発の新幹線のぞみに乗車し名古屋へ。 近鉄特急にて1時間30分で鳥羽駅へ、そこで近鉄志摩線普通電車に乗り換え上之郷駅に到着したのが午後2時30分。 無人駅で乗降客は殆どいない。 徒歩3分で妻が参拝を希望していた伊雑宮(いざわのみや)へ。 伊勢神宮の別宮で創立は第11代垂仁天皇の時代ともいわれているそうだ。 想像していたよりずっと小ぶりな神社。 参拝客はまばらだが、内宮に準じ内削ぎの千木と偶数の6本の鰹木を持つ萱葺の神明造。 近くには伊雑宮に奉納する米を作る田が広がり、毎年6月24日に行なう御田植式は、香取神宮・住吉大社とあわせて日本三大御田植祭とされるそうだ。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 新幹線 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
上之郷駅から鳥羽駅に戻り、JR參宮線に乗換え二見浦駅に夕刻4時に到着。 徒歩にて二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)へ。 観光案内では15分とあったが30分近くかかったであろう。 古来より伊勢神宮を参拝する人はその前に二見が浦で禊を行い、身を清めたといわれているそうだ。 沖合に沈む猿田彦大御神の霊を拝する鳥居としての役割も果たしているといわれる夫婦岩を参拝。 オフシーズンとはいえ観光客が多い。 外国人観光客もかなり目に付く。 シーズン中や年末年始の混雑が容易に想像された。
二見浦駅から伊勢市駅に10分で移動、駅前のコンフォートホテル伊勢に投宿。 夕食はインターネットで見つけたホテル近くの「和食さと」でとる。 アルコール120分の飲み放題998円(+税)は安かった。 タッチパネルで注文確定の前に「買い物かご」に入れる仕組みにも感心。 -
2019.02.23(伊勢・奈良旅行)
早朝ホテルをチェックアウトし、徒歩にて5分で伊勢神宮外宮へ。 火除橋を渡って第一鳥居をくぐり神楽殿を右手に見ながら豊受大神宮を祀る正宮へ。 ご鎮座は雄略天皇22年といわれている。 -
バスにて内宮へ移動。 途中皇学館大学を左手に見て20分で到着。 大鳥居から宇治橋を渡り、しばらく歩くと右手に五十鈴川御手洗場(みたらし)。 古くから参拝者がお清めを行っていた場所で、今でもその慣わしは続けられているそうだが、真冬の寒さの中ではとてもそのような気持ちにはならず参道の手水舎にて済ませる。 第一別宮である天照大御神の荒御魂を祀る荒祭宮を参拝した後正宮へ。 前回の参拝時は式年遷宮の前で東が宮地であったが、今回は西の宮地での参拝となる。 それにしても簡素な建物。 深い森と豊かな自然のなか玉砂利を踏みしめて多くの日本人が今でも参拝を続けていることに今更ながら感動すら覚える。 西行法師が、伊勢神宮に詣でて詠んだといわれる歌
何事のおはしますかはしらねどもかたじけなさになみだこぼるる
現代にも伝わる古来からの日本人の宗教観を表して余りあるような気がする。 -
バスにて伊勢市駅に戻り、駅舎内のコンビニで買ったおにぎりをベンチで食べて昼食とし時間節約と経費節減に努める。 近鉄線にて松阪へ。 所要時間15分。 ちなみに今回妻が手配した「近鉄週末フリーパス」は3日間近鉄全線乗り放題で一人4200円とお得感があった。 松阪駅から徒歩15分にて松阪城跡にある本居宣長旧宅へ。 宣長が12歳から72歳で亡くなるまでこの家で暮らし、2階の書斎を鈴屋と名づけた。 明治42年に保存のために松坂城跡の現在地に移築されている。 宣長が医療活動をした「店の間」、「仏間」、また講釈や歌会に使用し、二階増築までの書斎であった「奥の間」など一階部は上がって見学できる。 この旧宅で江戸の国学者・賀茂真淵との対面がかない、やがて門人となった宣長は、もっぱら『万葉集』について手紙で質疑応答を繰り返した。 隣接する記念館にはそれらの手紙が保存展示されている。
敷島のやまと心を人とはば朝日に匂ふ山さくら花
宣長はこよなく愛した山桜を墓に植えるよう生前指示していたという。 残念ながら時間がなく、今回は山室山にある奥墓訪問は叶わなかった。 -
近鉄松阪駅より1時間かけて室生口大野駅へ。 途中名張駅で特急電車通過待ちの為暫く停車。 名張の地名が入った和歌が万葉集に収録されていたような記憶が蘇る。 詳しく調べ直して訪問してみたい気持ちも沸いてきた。 室生口大野は無人駅だが自動改札機が設置されておりフリーパス券では通過できないので困惑していたところ、地元の利用客が備え付けの専用電話機で遠隔の担当者と通話すれば改札を開けてもらえることを教えてくれた。 駅前からバス15分で山深い終点室生寺前へ。 乗客は妻と私の二人のみ。 バス代430円は地元の京成バスより割高な印象を受けたが利用客が少ないせいかと考え直しても見る。 バス停から徒歩5分の朱塗りの太鼓橋を渡り表門をくぐって境内へ。 同じ真言宗で女人禁制だった高野山金剛峰寺に対し、室生寺は女人の参詣を許可。 そのため女人高野と呼ばれ、女性の信仰を集めたことで有名。 国宝の金堂、五重塔、本堂を巡り、さらに高い石段を登り切ると重要文化財の奥の院があるが、息切れし今回は途中で引き返した。 しゃくなげと紅葉の季節が特に綺麗だそうだが、真冬2月では想像力を逞しくするのみ。
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再びバスで室生寺前から室生口大野駅へ引き返したが、今回は乗客は他に約10名いた。 数日前までの天気予報では宇陀地方は雨の可能性が高かったため、室生寺からは寄り道せずに直接奈良に向おうかと考えていたが、予報が外れ雨の可能性もほぼ無くなったので、隣駅の近鉄榛原で下車し人麻呂公園・大宇陀かぎろひ丘万葉公園を散策することを再検討。 ただ交通が不便なことは妻が事前に調べていたので、とりあえず榛原駅に向かい決断することにした。 榛原駅には午後4時ごろ到着。 運よく駅前に観光センターがあったので、飛込み情報収集。 レンタサイクルは午後5時迄しか貸し出さないとのことで、やむなくバスを利用することにする。 片道15分、バス代金430円でやはり割高な感じを受ける。 公園には柿本人麻呂像が立てられていた。
東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ
人麻呂が軽皇子に随行し阿騎野へ狩猟に出かけているときに作られた万葉歌とされているが、解釈には諸説あるようだ。 宇陀という地名は古事記・日本書紀では神武天皇の東征のなかでエウカシとオトウカシの話や「宇陀の高城に鴫罠(しぎわな)張る」で始まる歌にも出てくるので、万葉時代には大和朝廷の始まりに関わる特別な土地として捉えられていたのであろう。 そのような背景を知らなければ、日本のどこにでもあるような田舎町である。 -
帰りのバスまで少し時間があったので、公園近くにある倭姫命に所縁があるとされる安芸神社を参拝。 榛原駅から大和八木駅経由で近鉄奈良駅に着いたのは午後7時過ぎ。 JR奈良駅近くのコンフォートホテル奈良にチェックインしたのは7時半だった。 夕食はホテルの隣のラーメン店豚竹林でとる。 生ビールと味噌ラーメンが特に美味しかった。
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2019.02.24(伊勢・奈良旅行)
営業が6時半からのレストランに時間前から並んで、バイキング朝食を急ぎ済ませて近鉄奈良駅へ。 電車を乗り継ぎ、橿原神宮前駅に8時半に到着。 案内看板では9時から17時営業のレンタサイクル店の表におじさんの姿が見えたので、試しに聞いてみると時間前でも快く貸し出してくれた。 前回は普通の自転車でアップダウンに苦労したので、今回は電動アシストタイプを借りた。 まずは2キロ先の藤原宮跡を目指す。 初めての電動タイプ利用だったが、普通の自転車と負荷労力がそれほど変わらないとの印象。 まあこんなものかと暫く走ったが、やはりおかしいと思って妻に確認すると、電源が入っていなかった。
藤原京は中国の都城にならい、日本で初めて建設された本格的都城といわれる。 694年持統天皇が飛鳥浄御原宮から遷都し平城京遷都までの16年間、この地で持統、文武、元明の天皇三代が律令国家体制を押し進めた。 最近の調査研究によると、平城京や平安京を上回る規模だったとも考えられているそうだ。 宮跡には原野が広がり、大極殿跡には基壇が残る。 宮跡からは東に天香具山、西に畝傍山、北に耳成山を望める。 近くには橿原市藤原京資料室があり(入場無料)千分の1模型などが展示してある。
春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山(持統天皇) -
飛鳥川に沿って自転車を南に20分走らせるとやがて小さな丘が見えた。 前回は見逃したので、今回は必ず見ておこうと思った雷の丘。 ふもとには「大君は神にしませば天雲の雷の上に庵りせるかも」という柿本人麻呂の歌碑がある。 また近年の発掘調査ではこの周辺に推古朝の宮殿小墾田宮があった可能性が高いとされている。
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そのまま南に行けば甘樫丘だが、東に向かい飛鳥資料館見学。 通常は270円の入館料がその日は天皇陛下即位30年を祝し入館無料日となっていた。 飛鳥の宮殿や水落遺跡の水時計、須弥山石等の石造物、高松塚古墳・キトラ古墳、飛鳥寺等の古代寺院に関する展示や、山田寺跡から出土した建築部材による回廊再現展示など見どころが多かった。
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資料館真向かいにある天極堂というレストランで軽い昼食をとり、再び南に自転車をこぐ。 アップダウンの道を10分で明日香村小原(おはらと読む)に到着。 ここには藤原鎌足の誕生の地と伝える大原神社があり、近くに鎌足の生母大伴夫人の墓がある。
天皇の藤原夫人に贈へる歌一首
わが里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後
藤原夫人、和へ奉る歌一首
わが岡のおかみに言ひて落らしめし雪のくだけしそこに散りけむ
藤原夫人は藤原鎌足の娘の五百重娘のことで、天武天皇の夫人の一人で大原の里に住んでいた。 優雅であったであろう貴族たちの暮らしを偲ばせるものは今には何も残っていないが、飛鳥浄御原宮跡とはわずかな距離しかないので雪の降る順番などあろうはずもなく、二人の間で詠み交わされたのが戯れ歌だったと云われていることに納得。 -
道を下ると右手におんだ祭で有名な飛鳥坐神社、さらに南に進んで5分で奈良県立万葉文化館へ。 1階では万葉歌をモチーフとした創作日本画が展示されており、また地下展示室では、人形や映像、ジオラマ、音楽などの手法を用いて、万葉の時代の暮らしや万葉歌人の個性・心情などが紹介されている。
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文化館の近くには亀形石造物遺構や酒船石があるが、今回は立ち寄らず天智天皇にも所縁の岡寺へ。 急な登り道が続くが、電動アシストのお陰で息切れもせず10分で到着。 義淵僧正が草壁皇子の岡宮をもらい受け創建したと伝えられ岡寺と呼ばれているが、正式な寺名は龍蓋寺。 山の中腹に書院(重要文化財)や仁王門(重要文化財)、本堂が佇む。 西国三十三カ所観音霊場第七番札所でもある。
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南へ10分で石舞台古墳の近くの島庄遺跡へ。 『日本書紀』や『万葉集』の記載から蘇我馬子の邸宅や草壁皇子の「嶋宮」があったことが想定されており、発掘調査では方形池や石組暗渠・曲溝・川跡・掘立柱建物等が検出されている。 いまは埋め戻されて田んぼや駐車場となっているが、なにか案内板でも設置されていないかと散々探してやっと県道沿いに見つけることが出来た。 この辺りを訪れる観光客は殆ど石舞台古墳見学が目的で、島庄遺跡案内板に目をやる人は他にいなかった。
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万葉集では飛鳥川を詠った歌が23首あるそうだ。 近くに当時の情景が感じられる場所は残ってないかと川沿いを暫くサイクリングしてみたが、これはというような場所は見つけられなかった。 次回はもうすこし上流まで行ってみたい。
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進路を北に向けて15分で飛鳥板蓋宮跡から飛鳥寺へ。
采女の袖吹きかえす明日香風都を遠みいたづらに吹く
壬申の乱で大海人皇子が勝利し、飛鳥浄御原宮で即位したのち、京は藤原京へと遷された。 この歌は京が遷されたのち、志貴皇子がかつての宮だった明日香を訪れて詠んだとされているが、千三百余年前の歌がいまでも我々日本人に理解でき、またその時の風景を実感させる場所が残っていることは驚くべきことであり、有難くも思った。 -
甘樫丘の麓を巡って北へ10分で明日香村埋蔵文化財展示室へ。 明日香村が運営し明日香村内出土遺物やキトラ古墳石室模型などが展示されている。 旧飛鳥小学校の建物を利用しておりレトロな雰囲気。 名前と住所の記載のみで入場無料。 遠くからの訪問客は少ないのであろう、千葉県から来たと案内人に伝えると感激して戴けた。 近くに飛鳥水落遺跡と石神遺跡がある。
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西に向かい甘樫丘の北西麓にある推古天皇の豊浦宮があったとされる豊浦寺跡(向原寺)を見学。 「日本書紀」によると、欽明の御代百済の聖明王から釈迦仏や経典が献上された。 礼拝の可否を諸氏に問うたところ、蘇我稲目がひとりこれに賛意をとなえたため、稲目はその仏像をたまわり向原の家をもって寺として安置したとある。 しかし、その後悪疫が流行し、物部氏らが国神のたたりだと奏したため仏像を難波の堀江に流し捨て、寺は焼きはらわれたといわれている。
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西に2キロで橿原神宮前駅に戻れるが、時間が少しあるので途中剣池(今は石川池と呼ぶ)に立ち寄る。
軽の池のうらみ行きみる鴨すらに玉藻のうへにひとり宿なくに(紀皇女)
軽の池とは剣池のことだそうだ。 すぐ近くに孝元天皇陵がある。
午後4:30に橿原神宮前駅のレンタサイクル店に無事帰還。 近鉄奈良駅には6時前には到着できた。 三条通りの餃子の王将で夕食をとる。 品数も豊富で、餃子と細麺のラーメンが美味しい。 -
2019.02.25(伊勢・奈良旅行)
早朝ホテルをチェックアウトし荷物をフロントに預けた後、JR奈良駅西口からバスで北方向へ30分乗車、途中奈良育英小・中・高校、佐保小学校等の文教地区を巡り航空自衛隊バス停で下車。 直ぐ東に周濠がきれいな大型の前方後円墳ウワナベ古墳がある。 被葬者は不明だが、仁徳天皇皇后の八田皇女とする説も有るそうだ。 -
西側に隣接してコナベ古墳。 築造は5世紀前半とされウワナベ古墳よりやや古い歴史を持ち、ウワナベ古墳との関連性が考えられるが被葬者等の詳細は明らかになっていないようだ。 尚、宮内庁によれば仁徳天皇皇后である磐之媛命の陵墓である可能性を持つ場所として指定されているとのこと。
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また北側には、同じ宮内庁により磐之媛命陵として治定されているヒシャゲ古墳があるので不勉強な私にはよく理解できないが、これらの古墳は仁徳天皇に関わる妃たちが被葬されている可能性が高いのであろう。 古事記では、恋多き仁徳天皇と嫉妬する皇后磐之媛命の物語が展開するが、天皇の陵墓とは遠く離れた土地に被葬されたとすれば何か特別な事由が働いたのかと慮ってしまう。
秋の田の穂の上霧らふ朝霞いつへの方に我が恋やまむ -
南方向に徒歩で20分で平城宮跡へ。 復原された大極殿を見た後、平城天皇楊梅陵を廻り、さらにバスにて法連仲町まで戻り下車。
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一条通を東へ15分歩けば聖武天皇佐保山南陵、光明皇后佐保山東陵に到着。 参拝後佐保川を渡り東へ10分で東大寺転害門。 さらに大仏殿を左手に望みながら奈良公園内を散策。 外国人旅行者が多くぶつからないように歩くのにも苦労する。
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そのあと最後の訪問地興福寺へ。 国宝館入館料は700円と高いが乾漆八部衆立像、乾漆十大弟子立像、銅造仏頭など何度見ても見飽きない国宝が多く並んでいる。 じっくり見たいが電車の時間が迫ってきた。 猿沢池を廻ったあとホテルに荷物を取りに戻り、一昨日と同じラーメン屋で急ぎ昼食を取る。 JR奈良駅から京都駅で乗換え新幹線で東京へ。 船橋の我が家へ無事帰ってきたのは夕刻6時であった。 お疲れさまでした。
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