2019/03/03 - 2019/03/04
365位(同エリア2006件中)
ぱっちゃんさん
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鹿児島マラソン2019に出ました。鹿児島マラソンは鹿児島市から姶良市まで行って戻ってくるコースで、わが〇〇家は姶良市加治木町出身なので、まえから行きたいと思っていました。しかも昨年はNHK大河ドラマ「西郷どん」も放映され、行くなら今しかないと思い行きました。3/3早朝出発し、鹿児島観光。3/4はマラソン、そして横浜へ戻ってくるという過密スケジュールでした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- ANAグループ 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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横浜駅5:34発京急羽田空港行き快特に乗り、5:54羽田空港国内線ターミナル駅に到着。
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駅から第2ターミナルへのエスカレーターは人で一杯。
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7:10発ANA619便は予定通り出発予定です。
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朝ご飯を買いに売店へ。早朝なので、1軒だけあいていました。
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ANAラウンジで出発まで待ちます。飛行機に乗る時の朝食は、いつもなぜかロースカツサンド。因みに、電車の時はお弁当です。
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なんと、薩摩焼酎が! 一杯飲んで、ほろ酔い気分。
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定刻通り9:05鹿児島空港着。羽田空港の様に、着陸してから待つこともなく、すぐターミナルへ。9:10空港発のリムジンバスで鹿児島中央駅へ。
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バスは満席で、補助椅子に座りました。
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9:48鹿児島中央駅着。荷物をコインロッカーに預け、西郷隆盛等の生誕地めぐりに出発。
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時間短縮と疲労を抑える為の手段がレンタル自転車「かごりん」です。かごりんは事前登録不要で一回200円で使えます。更に、30分以内に次のポートに返却すれば、一日中だって使い放題。携帯番号を登録して、都度パスワードが送られてきて、パスワードを入力すれば、またレンタル可能。
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かごりんのポートは至る所にあって、とても便利。このレンタル自転車が格安で便利に使えるところはいいですね。
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まずは維新ふるさと館へ。西郷どんに合わせて建てられたのかと思ったら、平成6年オープンで、平成18年と平成30年に2度もリニューアルされていました。ここで、明治維新の偉人のみなさんのことを再度おさらい。
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西郷隆盛は文政10年(1828年)12月7日に、鹿児島城下の下加治屋町(現・鹿児島市加治屋町)に生まれました。下加治屋町からは、西郷のほか、大久保利通、大山巌、東郷平八郎など明治維新から日露戦争までに活躍した多くの人物を輩出しました。
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西郷隆盛の弟・従道の碑も隣にあります。「西郷どん」では、錦戸亮がいい演技をしていましたね。
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西郷隆盛29歳(安政2年(1855)12月)の時に下加治屋町からここに移り住み、明治2年(1869)7月武家屋敷に移るまで十数年過ごしたところです。
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大久保利通は、甲突川の対岸にある高麗町で文政13年8月10日(1830年9月26日) に生まれました。のち、下加治屋町の郷中に引っ越し、生涯の友でありライバルであり敵ともなった西郷隆盛に出会います。この碑は、通称ナポリ通りと呼ばれる道の北側にひっそりと立っていました。
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大久保利通生い立ちの地の碑です。維新ふるさと館の隣にあります。
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大久保利通は明治維新の立役者の一人ですが、鹿児島での人気はあまりよくないそうです。この像も、大久保利通没後100周年の昭和54年(1979年)にようやく建てられたそうです。
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天保7年(1836年)下加治屋町に生まれた村田新八は、幼少のころから西郷隆盛を慕い、その薫陶を十分に受けました。戦場ではフロックコートを着、アコーデオンを弾いていたといわれています。「西郷どん」最終回でアコーディオンを弾くシーンが思い出されます。
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東郷平八郎は弘化4年(1848年)12月22日、下加冶屋町に生まれました。本来の誕生地は鹿児島中央高等学校の敷地内にありますが、一般の人にも見られる様に現在の道路に面した場所に移されたそうです。
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大山巌は西郷隆盛の従兄弟で、日露戦争では元帥として陸軍を統括し、同じ鹿児島出身の東郷平八郎(海軍)とともに日本を勝利に導きました。西南戦争では政府軍の指揮官として、反乱軍を討伐する立場となり、城山で最後の抵抗を行う西郷軍に猛攻を加えました。心ならずも故郷の大先輩である西郷に引導を渡す役を引き受けた大山巌は、以後二度と鹿児島に帰ることはなかったそうです。
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生誕地巡りは終了し、荷物をピックアップして、路面電車でホテルへ。鹿児島中央駅近くの高見橋から朝日通まで。
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一日乗車券600円を購入しました。スクラッチカードになっていて、乗った日を削れば、その日は乗り放題。この件は路面電車だけではなく、観光バスのシティビューにも乗れます。城山や磯庭園も観光する場合はとてもお得です。
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宿泊するのはリッチモンドホテル鹿児島金生町。鹿児島マラソンのスタート・フィニッシュ地点まで歩いて1分。しかも路面電車の駅は目の前。これ以上の場所はありません。
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部屋はこんな感じです。スーツケースを広げる十分なスペースもあります。荷物を置いて、ランナー受付に行きます。
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ランナー受付は中央公民館です。西郷隆盛像・小松帯刀像がすぐそばにあります。
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ここでナンバーカードと計測チップを受け取りしました。
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EXPO会場でTシャツをもらいました。明日は、ここで荷物の受け渡しになります。
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お昼時になったので、ラーメンを。鹿児島のおすすめラーメン店は何店もありますが、EXPO会場のすぐすばにラーメン鷹があったので、迷わずここへ。
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驚いたのが、大根の漬物がでてきたこと。後で調べてみると、鹿児島のラーメン屋さんでは当たり前のことだそうです。
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メニューは3種類、特大ラーメン、ラーメンとめし。めしという表現がいいですね。
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麺は細めのかた麺で、トッピングはモヤシ、ネギ。スープは豚骨5、鶏ガラ5の割合だそうですが、透明な醤油味のラーメンでした。
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城山観光は、西郷隆盛像から。没後50年祭記念として鹿児島市出身の彫刻家で渋谷の「忠犬ハチ公」の制作者・安藤照が8年をかけ製作し、昭和12年(1937年)に銅像が完成しました。わが国初の陸軍大将の制服姿で、城山を背景に仁王立ちする高さ8メートルの堂々たる姿です。
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小松帯刀は天保6年生まれで、西郷隆盛、大久保利通と並び明治維新に尽力した人です。明治3年、34歳の若さで死去。西郷隆盛や大久保利通が自説を主張して突っ走るタイプだったのに比べ、どちらというと調整役の人だった様です。その為、あまり日本史的には有名ではありませんが、この人なくしては西郷・大久保の活躍はなかったかもしれません。
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島津久光は島津家27代当主(薩摩藩10代藩主)で、島津斉彬は異母兄です。西郷隆盛とは大変仲が悪く、西郷隆盛のストレスの大きな原因の一つでもあり、西郷隆盛の活動を制約した要因の一つでもありました。
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島津久光の長男で、島津家29代当主島津忠義です。藩政の実権は当初祖父の斉興、次いで後見人となった父・久光、そして西郷隆盛、大久保利通らに掌握され、主体性を発揮することはありませんでした。
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照国神社の祭神は島津家28代当主斉彬で、文久3年(1863)天皇から照国大明神の神号が授けられ、翌年の元治元年(1864)南泉院跡に社殿が建てられ、照国神社となりました。
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入口にある鳥居は昭和4年(1929)の建設で、昭和3年(1928)の御大典を記念して建てられたもので、高さが19.8mもある大鳥居です。
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照国神社の御朱印を頂きました。
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鹿児島(鶴丸)城は、慶長6年(1601年)に島津家第18代当主・初代藩主となる家久が建設に着手した島津氏の居城で、背後の山城(城山)と麓の居館からなる城です。現在、御楼門復元工事中でした。
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百名城スタンプを頂きました。
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1753年、徳川幕府は薩摩藩に木曽川・揖斐川・長良川(岐阜県)の改修工事を命じました。この宝暦治水は非常な難工事であり、幕吏や地域住民との対立、 悪疫の流行などで88名の犠牲者をだし、その供養墓塔として薩摩義士碑が大正9年(1920年)に建立されました。藩の出費の責任をとって自刀した治水総奉行・家老平田靱負の碑を頂上に、将棋の駒を並べたような碑です。
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明治10(1877)年2月、鹿児島城下を出発した薩軍ですが、九州各地で転戦したのち、8月に解散。その後西郷隆盛は再び城下に戻り、城山に立て籠もりました。西郷が最後の五日間を過ごしたのがこの洞窟と伝えられています。
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城山から西郷洞窟横の道を下だり、西郷隆盛終焉の地へ向かう途中に敬天愛人の石碑の看板があり、矢印の方向を見ると鹿児島本線のトンネルの上に敬天愛人の文字が見えました。なぜこの様な場所にあるのでしょうか?
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西南戦争終結後、西郷隆盛らの遺体を鹿児島の5ヶ所に仮埋葬していました。ここ南洲墓地には西郷隆盛ら40名が埋葬されていましたが、有志らが224名の遺骨を改葬し、更に鹿児島県外で戦死した薩摩軍の遺骨2023名が埋葬される南洲墓地として整備されました。
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城山の戦いで銃弾を受け、「晋どん、ここらでよか」と言って、自刀したそうです。享年51歳でした。墓銘碑は川口雪篷の筆です。
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村田新八は西郷隆盛自刀を見届けた後も戦闘を続けましたが、桐野利秋らとともに戦死しました。享年42歳でした。
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人斬り半次郎と呼ばれた桐野利秋の墓です。確かに剣の達人ではありましたが、他の人斬り程暗殺にはかかわっていない様です。「西郷どん」最終回での、撃たれるシーンが思い出されます。
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シティバスで磯庭園経由、鹿児島駅まで戻ってきました。ここからは、また路面電車です。
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始発なのでがらがら。
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一旦ホテルへ戻ってから、夕飯を食べに天文館へ。雨が結構降っています。
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どこにしようか迷いましたが、一人様ハーフサイズのメニューがあったので、吾愛人へ。開店直後だったので、なんとか入れました。
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カウンターのはじの方がおひとり様席です。
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キビナゴは“錦江湾の波のしずく”言われ、塩焼きや天ぷらでも骨ごと食べられます。刺身は菊の花にかたどって盛り付け、酢みそで食べるのが特徴です。
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新鮮な地鶏を生姜醤油でいただきます。
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黒豚しゃぶ鍋です。脂身がとろける美味さ。長居をすると、飲み過ぎるので、そうそうに退散。この日は早く寝ました。
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マラソンコースMAPです。鹿児島市内を約10kmほど走り、姶良市へ。錦江湾沿いでは、桜島が真横に見えるコースです。
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まず、着替え等の荷物を預けに行きました。普通であれば、そのままスタートエリアに行くのですが、ホテルが近くなので、先に荷物を預けに行きました。行ってもたらびっくり、凄い行列です。
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中央公園地下駐車場に荷物預かり・更衣室があります。荷物を預けてから、一旦ホテルへ戻り、チェックアウトしてからスタートエリアへ。最後のトイレも並ばずにすむので、気が楽です。
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スタート前風景。スタートエリアはDでした。
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スタート直前、桜島が噴火しました。
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スタート合図からスタート地点まで5分くらいかかりました。石原良純がゲストでいました。
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鹿児島新港からの桜島。雲が低く垂れこめています。
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鴨池陸上競技場南門前ではUSUKI夢太鼓のみなさんが和太鼓で応援してくれました。
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西郷どんも走っています。
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二宮橋軌道敷では鹿児島国際大学よさこい同好会のみなさんが応援してくれました。
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西郷銅像前では薩摩川内おどり太鼓のみなさんの応援です。
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着ぐるみたちも応援してくれました。
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県立図書館前ではHPK鹿児島チアリーディングジュニアクラブのみなさんが応援してくれました。
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前半戦の山場、鹿児島本線陸橋が見えてきました。ランナーが空に昇っている様です。この後、磯庭園までの登りが待っています。
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磯庭園まできました。市街地コースはこの辺で終わりで、錦江湾沿いのアップダウンが始まります。
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桜島が真横に見えます。残念ながら曇りなので、景色は今一ですが、逆に晴れていたら暑くて大変なことになっていました。
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中間地点を過ぎて、もう少しで折り返し地点です。加治木の標識がでてきました。
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折り返し地点の市街地コースから、また錦江湾沿いに戻ってきました。この時点ではまだ足があがっていました。
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錦江湾沿いのコースはやはりアップダウンがきつく、足にこたえます。それと路面のバンクがきつく、下へ下へと落されていきます。
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25kmまで5キロ30分ちょっとで走っていますが、それ以降は40分もかかっています。5キロで10分のタイムロスは痛い。
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手は挙げていますが、足はあがっていません。
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それでも何とか磯庭園まで戻ってきました。後4キロ。
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手も足もあがらなくなりました。
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やっとゴール!
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完走メダルは小さい子供からもらいました。大人だと恥ずかしくしょうがないのですが、子供だとなんかうれしくなります。
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冷たい鹿児島茶も美味しかったです。
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目標タイムにはほど遠く、しかも5時間を超えてしまうという非常に残念な結果でした。50歳台でも真ん中、総合順位でも真ん中でした。
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目的の観光・マラソンも終わり、後はお土産です。お土産候補1位はかるかん。有名なのは明石屋と薩摩蒸気屋ですが、ホテルのすぐそばに本店があるし、控えめな甘さにひかれて明石屋にしました。
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かるかんは、原材料に山芋を使った羊羹のかたちをした和菓子です。そのまま食べて美味しいのですが、ちょっと焼くと、香ばしくて一層美味しくなります。
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残るはしろくまです。天文館のむじゃきへ。
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しろくま普通サイズにしました。店員さんに、上から見ると顔に見えますよと言われましたが、横から撮った方がサイズ感がよくわかります。
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是非呑みたいと思っていた小松帯刀があったので、迷わず注文してしまいました。
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しろくま君の席もありました。
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雨が降っているし、歩くのも辛いので、早めに空港へ。天文館発のリムジンバスはがらがらでした。ところが鹿児島中央駅では大勢の人が乗ってきて満席に。
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ラウンジで食べようと思って、空港でさつまあげを買いました。
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鹿児島限定焼酎の薩摩維新を買いました。島津家の方がネーミングが良かったのですが、試飲してこちらに決めました。
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出発までラウンジへ。お馴染みのビール・ソフトドリンク。
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そして当然、焼酎。寝過ごしてはいけないので、目覚ましをかけてから焼酎タイム。
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19:35鹿児島空港発ANA630便で羽田空港へ。国内線には珍しくスクリーンが。機内は行き同様満席でした。
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マラソンの戦利品です。ヤクルトとジュースは走った後飲んでしまいました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- TOKOMASさん 2019/03/15 14:11:08
- 鹿児島マラソン
- TOKOMASと申します。
鹿児島出身です。
マラソンをよくはしりましたね!
鹿児島の歴史やグルメもいろいろと紹介していただきました。
高校時代的、東郷平八郎や大山巌の碑の前を毎朝通りました。確か、校庭の片隅に人切り半次郎の粗末な木製の碑がありました。妙善寺参りとして40kmを年一回あるかされました。これは関ヶ原の戦いで島津義久公が家康の陣を中央突破して帰ってきたのを記念にした行事です。
グルメでは鰹のハラガワは試されたでしょうか?
これからもよろしくお願いします。
- ぱっちゃんさん からの返信 2019/03/16 08:01:14
- RE: 鹿児島マラソン
- コメントありがとうございます。
旅行記でもふれていますが、父が加治木町出身なので、私にも鹿児島の血が半分入っていると思うと、鹿児島の人が親戚の様な気がして、ホーム感一杯でした。鰹のハラガワは食べなかったので、次回食べたいと思います。今後も、よろしくお願いします。
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