2019/02/25 - 2019/02/26
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deracineさん
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東京から1泊2日で河津、稲取温泉&下田を観光しました
伊豆下田は黒船とキンメダイの街。キンメダイ漁獲高の8割は下田で水揚げされたもの
何から何まで黒船とキンメダイ尽くしの街の風情は面白くもあり
、また訪れてみると下田が地形的に天然の良港でペリーに日本を代表する港に選定されたことがよく理解できました
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https://4travel.jp/travelogue/11462665 「守りたい日本のよき伝統! 東伊豆・稲取温泉の「雛のつるし飾り」に娘を想う親心を見た」から続きます
各駅停車で伊豆急下田駅に到着、駅の改札口も黒船だった -
駅前にはドーンと大きな黒船の模型が置かれていた
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今夜の宿はここ、「下田伊東園ホテルはな岬 」
下田駅から Google Map の道案内を頼りに歩いたら利用方法が下手なのか20分ほどかかってしまった
ホテルでもらった地図の方が分かりやすく、それに従って歩くと伊豆急下田駅から10分足らず
料金は1泊2食付きで一人7,800円と格安、ただしこの辺りではこの値段が常識らしい
日本はアベノミクスの効果も見られずデフレが進んでいる
私自身は安さよりホテルの立地条件(駅から徒歩圏で街歩きに便利)で選んだ
ホテルエントランスから見た外観、室内設備も古さが感じられるが価格を考えれば妥当下田伊東園ホテルはな岬 宿・ホテル
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私たちは利用しなかったが首都圏から無料送迎バスも利用できる(ただし土曜など一部有料の日もある)
新宿から5時間20分もかかり、疲れそうなので敬遠した -
ホテル全景、塔屋に描かれたホテル名の表示も読取不能だが放置されている
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ただし道の駅及び魚市場に隣接しているので何かと便利
夕食前に散歩したところ美味しそうなキンメダイの店があったがあいにく火曜日は定休日だった地魚食事処 さかなや グルメ・レストラン
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道の駅の前に付近の案内地図があった
地図から分かるように下田港は巾着のような形をしており波も穏やかな天然の良港 -
黒船 サスケハナ
ペリー提督が乗っていた黒船を再現したもので下田港内を約20分で一周する
時間の関係で割愛した伊豆クルーズ 乗り物
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我がホテル「下田伊東園ホテルはな岬 」、後ろに聳える山は寝姿山 標高200m。山頂からは下田港が一望できる
伊豆急下田駅前から下田ロープウェイが運転されているが、あいにく点検整備中(2019年7月31日までの予定) -
ホテルのフロント 「カニ、食べ放題」と大きくPRしているがスリムな脚のカニで食べにくいので敬遠した
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ホテルの夕食&朝食はバイキングスタイル
食べ過ぎないように、、、と思ったらその心配はなかった
トレイが小さく、また刺身の切り身なども非常に小さくトレーいっぱいに載せても完食できたほど
また全体に出汁が効いておらず茶碗蒸し、切り干しなど妻の手料理に慣れた舌には評価が厳しかった・・・・まあ価格を考えれば無理は言えないが、、、
呑兵衛の皆さんにはウレシイ飲み放題。でも下戸の自分には関係ない
少し飲める妻は「ビールが美味しい」と喜んでいた -
デザートの例、たこ焼きではありません、シュークリームでした
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唯一の救いはサラダが美味しかったこと。地元の新鮮な野菜を使っているのだろう
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部屋には一応バス、トイレ完備。ただし洗面ボウルに汚れ(キズ?)あり
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オーシャンビューの部屋だったが懸念した潮騒も聞こえず、静かな環境はグーだった
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イチオシ
なおホテルは入り江に位置するので海から上がる朝日は望めず。部屋から山から上る朝日を撮影した
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朝食バイキングの盛り付け例。美味しかった野菜主体に選択
下田伊東園ホテルはな岬 宿・ホテル
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朝食後下田観光はそこそこにして一路河津に向かい河津桜を見ることにした・・・・以下 https://4travel.jp/travelogue/11462958 「美しい春みいつけた! 桜満開の東伊豆・河津にてピンクの河津桜と黄色い菜の花の競演をめでる」…………に続く
こんな非効率なことをした理由は「河津桜観光は午前中がベター」という某ツアー会社の言葉を信じ、翌日の午後に花見することにしたため -
混雑の少ない午前中に河津桜見物をしたのち河津駅に戻ったところホームに偶然黒船電車に遭遇、これに乗っていざ下田へ!
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下田駅到着後改札を出てペリーロードに向かう
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ホテルのフロントでもらった下田のガイドマップ
伊豆急下田駅より市街地商店街方面に行くメインストリート、「マイマイ通り」を南方向、海に向かうとペリーロードに着く -
前日ホテルのフロントでもらった地図が分かりやすく、駅前からメインストリートのマイマイ通りを目指して歩いた
観光都市らしく道案内も整備されている -
これがマイマイ通り。マイマイとはカタツムリの別名で、ペリーがアメリカから黒船とともに新種のマイマイを日本に持ち込んだことに因んでマイマイ通りと名付けたのだろう
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視力だけは私より優れた妻が目ざとく「あ!ローソンも黒船よ!」と叫んだ
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少し脇道に入るとシャッター通りが目についた
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マイマイ通りを歩いていると右手に大きな寺と坂本竜馬の銅像が目に入った
・・・宝福寺で、1854年 日米和親交渉にあたり日本全権の本陣となり下田奉行所が置かれた場所
それより以前、滞在中の山内容堂に勝海舟が謁見し坂本龍馬の脱藩の罪の許しを乞い許された寺としても知られている
唐人お吉の菩提寺としても有名でお吉記念館が隣接・・・下田市役所HPより引用宝福寺 寺・神社・教会
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下田市民文化会館。前庭に錨と大砲が展示されていた
愚息は返礼品であるキンメダイに釣られてこの下田市にふるさと納税したことがあるが昨年は返礼率の高い某関西の都市に鞍替えしてしまった -
マイマイ通りの突き当りに了仙寺がある。
1854年、日米和親条約が締結されペリー艦隊が開港された下田に入港すると了仙寺はペリー一行の応接所兼幕府との交渉場所となり和親条約の細かい取り決めである下田条約がここで結ばれた。現在は国指定史跡となっている
また境内には3,000点以上の開国に関する映像資料の原本を所蔵するMoBS黒船ミュージアムが併設されている・・・下田市役所HPより引用
了仙寺 寺・神社・教会
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了仙寺バス駐車場にあった顔だし看板ももちろんテーマは黒船
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イチオシ
これがペリーロード
ペリー艦隊が下田に上陸し300人の部下を引き連れ了仙寺まで行進した約400メートルの道のり
今では石倉やなまこ壁の町並みが残る風情のある川沿いの小径となっているペリーロード 名所・史跡
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ペリー艦隊来航記念碑
1853年 船を率いて日本を開国させ 1854年5月25日 下田「了仙寺」にて「下田条約」を締結させたアメリカ海軍の東インド艦隊司令長官 マシュー・カルブレース・ペリー
下田湾を背景に、ペリー一行の来航を記念して彼の胸像が建てられているペリー上陸記念碑 名所・史跡
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イチオシ
周辺は公園になっており河津桜が満開だった
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ペリーロード終点近くにナマコ壁の美しい家があった
ナマコ壁とは目地の白い漆喰部分の盛り上がりが海にいるなまこ(海鼠)を連想させることから名づけられたもの旧澤村邸 名所・史跡
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カラオケボックスもナマコ壁仕様
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イチオシ
ペリーロードの起点、了仙寺
大きな緋梅?が満開だった了仙寺 寺・神社・教会
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境内からペリーロードにかけて数百株のアメリカンジャスミンが植えられていて「ジャスミンの寺」としても有名
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寺の賽銭箱の上にはペリー一行が境内で楽隊による演奏などを披露した絵がかかっていた
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歩道もナマコ壁模様と徹底している
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駅に戻るとホームに赤い電車が、、、これがキンメダイ電車だ
ウレシイことに特急券なしで乗れる -
車内でもキンメダイが泳いでいた
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海側の座席は海に向いており大きな窓で視界は180度に近い
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座席シート裏にもキンメダイが泳いでいる
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河津駅からは多くの観光客が乗り込んできた
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満開の河津桜も大きな窓からよく見えた
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夕方になって雲が多くなったのは残念!
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晴れていればこのように伊豆七島も見えるのだが、、、
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終点の熱海までキンメダイ電車に乗り、熱海からは特急踊り子号に乗車。
レアなリゾート21の「黒船号」や[キンメ電車」にも乗れて乗り鉄としては充実した旅だった
天然の良港であることが認められていち早く函館と共に日本の玄関口となった下田だが1858年(=安政5年)、日米通商有効条約が結ばれると横浜港など5港の開港とともに下田港は閉鎖
下田が国際交流の街として栄えたのは5年9か月という短い期間だった
「黒船とキンメダイの町」として町興しに懸命な下田、陰ながら応援したい
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