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早春の一日、上野公園へ行きました。まず初めに「国立科学博物館」で開催中の「日本を変えた千の技術博(特別展)」を見て、次に「東京都美術館」で開催中の「奇想の系譜」を見てきました。行くまでは混雑を心配していましたが「千の技術博」は(午前中だったためか)自由に歩き回れるるほどの混み具合、「奇想の系譜展」は(お昼過ぎだったためか)隙間なく一列に並ぶくらいでしたが、見たい所で見られる程度の混み具合でした。どちらも充実感を感じられる展示内容でした。<br /><br />旅行記作成に際しては、各展示会のパンフレット、会場の説明、関連するネット記事などを参考にしました。

早春の上野公園へ行きました_2019_(1)千の技術から江戸のミラクルへ

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2019/02/21 - 2019/02/21

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minaMicaze

minaMicazeさん

早春の一日、上野公園へ行きました。まず初めに「国立科学博物館」で開催中の「日本を変えた千の技術博(特別展)」を見て、次に「東京都美術館」で開催中の「奇想の系譜」を見てきました。行くまでは混雑を心配していましたが「千の技術博」は(午前中だったためか)自由に歩き回れるるほどの混み具合、「奇想の系譜展」は(お昼過ぎだったためか)隙間なく一列に並ぶくらいでしたが、見たい所で見られる程度の混み具合でした。どちらも充実感を感じられる展示内容でした。

旅行記作成に際しては、各展示会のパンフレット、会場の説明、関連するネット記事などを参考にしました。

旅行の満足度
4.5
観光
5.0
同行者
一人旅
交通手段
私鉄 徒歩

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  • 上野公園にやってきました。

    上野公園にやってきました。

  • 階段を上がって公園に入り、有名な西郷さん像の前を通ります。

    階段を上がって公園に入り、有名な西郷さん像の前を通ります。

  • 寛永寺・清水観音堂を横に見ながら、北へ歩きます。

    寛永寺・清水観音堂を横に見ながら、北へ歩きます。

  • 上野公園の真ん中に野球場(土のグランド)があります。「正岡子規記念球場」という看板が掲げられています。近くの説明板によると、正岡子規は、日本に入ってきたばかりの野球を好み、上野公園内で楽しんでいたとか。野球の普及に貢献し、野球用語の日本語訳語を作った等の功績で野球殿堂入りしました。上野公園開園130年を記念して、この野球場に正岡子規の名前が付けられたのだそうです。

    上野公園の真ん中に野球場(土のグランド)があります。「正岡子規記念球場」という看板が掲げられています。近くの説明板によると、正岡子規は、日本に入ってきたばかりの野球を好み、上野公園内で楽しんでいたとか。野球の普及に貢献し、野球用語の日本語訳語を作った等の功績で野球殿堂入りしました。上野公園開園130年を記念して、この野球場に正岡子規の名前が付けられたのだそうです。

  • さらに北へ歩くと「千の技術博」の看板が(やっと)ありました。

    さらに北へ歩くと「千の技術博」の看板が(やっと)ありました。

  • 会場の「国立科学博物館」に着きました。

    会場の「国立科学博物館」に着きました。

  • 「千の技術博」は特別展なので、D51の横から入ります。

    「千の技術博」は特別展なので、D51の横から入ります。

  • 奥に券売所があります。

    奥に券売所があります。

  • その奥に、特別展の入口があります。

    その奥に、特別展の入口があります。

  • 入ると「鬼龍子」の像が迎えてくれます。会場内の説明板の片隅のところどころに現れて(吹き出しで)説明してくれています。<br />帰宅後ネットで調べたら、湯島聖堂の屋根に置かれていた霊獣だそうです。

    入ると「鬼龍子」の像が迎えてくれます。会場内の説明板の片隅のところどころに現れて(吹き出しで)説明してくれています。
    帰宅後ネットで調べたら、湯島聖堂の屋根に置かれていた霊獣だそうです。

  • 昔の人体模型です。<br />会場内は撮影可ですが、三脚、一脚、フラッシュやストロボの使用は禁止です。それと、映像等の一部に撮影禁止のものがあります。

    昔の人体模型です。
    会場内は撮影可ですが、三脚、一脚、フラッシュやストロボの使用は禁止です。それと、映像等の一部に撮影禁止のものがあります。

  • 原器の容器です。<br />メートル条約に基づいて日本に配布されたキログラム原器とメートル原器を、日本へ運ぶときに使われたものです。船が沈没しても回収できるように、高い気密性と耐圧性を備えています。

    原器の容器です。
    メートル条約に基づいて日本に配布されたキログラム原器とメートル原器を、日本へ運ぶときに使われたものです。船が沈没しても回収できるように、高い気密性と耐圧性を備えています。

  • 電気治療器だそうですが、何をどのように治療するのか、説明があったとすれば見落としました。木箱の蓋の裏の文字は「カンデンデンキ」と読めるのですが、「感電電気」でしょうか?

    電気治療器だそうですが、何をどのように治療するのか、説明があったとすれば見落としました。木箱の蓋の裏の文字は「カンデンデンキ」と読めるのですが、「感電電気」でしょうか?

  • 平野富二が作った国産の活版印刷機で、現存する最古の機械です。<br />平野富二は、後に石川島造船所(現IHI)を創立しました。

    平野富二が作った国産の活版印刷機で、現存する最古の機械です。
    平野富二は、後に石川島造船所(現IHI)を創立しました。

  • 明治時代の中期に国産されたダルマ型自転車です。前輪に直結したペダルで漕ぎながら、その前輪を短いハンドルバーで転舵する、という、乗り難く転びやすいものだったそうです。ペダルが車輪に直結しているため、車輪を大きくしないとスピードがでないんです。車輪が大きいと、足が短い人は乗れませんよね。

    明治時代の中期に国産されたダルマ型自転車です。前輪に直結したペダルで漕ぎながら、その前輪を短いハンドルバーで転舵する、という、乗り難く転びやすいものだったそうです。ペダルが車輪に直結しているため、車輪を大きくしないとスピードがでないんです。車輪が大きいと、足が短い人は乗れませんよね。

  • 「旭焼 釉下彩獅子舞形置物」と名付けられた陶器です。化学遺産です。旭焼は、色絵具で細密に描画してから透明釉を上掛けする陶器で、明治18年(1885)に、ワグネル氏が考案しました。

    「旭焼 釉下彩獅子舞形置物」と名付けられた陶器です。化学遺産です。旭焼は、色絵具で細密に描画してから透明釉を上掛けする陶器で、明治18年(1885)に、ワグネル氏が考案しました。

  • 国産最初期のモールス電信機「電信機第百十壹号」です。

    国産最初期のモールス電信機「電信機第百十壹号」です。

  • グラハム・ベルが、電気で声を伝える装置を考案し、明治9年(1876)に会話に成功した時の装置です。が、その模型です。<br />ベルの装置を見学した伊沢修二(のちの東京音楽学校長)、金子堅太郎(のちの農商務大臣)、小村寿太郎(のちの外務大臣)は、日本語でも通話できることに感動したそうです。

    グラハム・ベルが、電気で声を伝える装置を考案し、明治9年(1876)に会話に成功した時の装置です。が、その模型です。
    ベルの装置を見学した伊沢修二(のちの東京音楽学校長)、金子堅太郎(のちの農商務大臣)、小村寿太郎(のちの外務大臣)は、日本語でも通話できることに感動したそうです。

  • 「デルビル型磁石式電話機 卓上甲号新型」です。明治29年(1896)から昭和38年(1963)頃まで使われたそうです。全体の形状や持ち手の彫刻など、良いデザインだと思います。

    イチオシ

    「デルビル型磁石式電話機 卓上甲号新型」です。明治29年(1896)から昭和38年(1963)頃まで使われたそうです。全体の形状や持ち手の彫刻など、良いデザインだと思います。

  • 日本で初めて録音再生した錫箔蓄音機「蘇言機(そごんき)」です。重要文化財です。ユーイング(英)がエジンバラの工場で作ったものを日本に持ってきて、明治11年(1878)に、東大理学部の実験室で、日本初の録音再生実験を行いました。

    日本で初めて録音再生した錫箔蓄音機「蘇言機(そごんき)」です。重要文化財です。ユーイング(英)がエジンバラの工場で作ったものを日本に持ってきて、明治11年(1878)に、東大理学部の実験室で、日本初の録音再生実験を行いました。

  • エジソンが明治天皇に献上した蝋管蓄音機です。エジソンン最初の商用蓄音機の一つです。

    エジソンが明治天皇に献上した蝋管蓄音機です。エジソンン最初の商用蓄音機の一つです。

  • 「馬蹄形KS磁石鋼」です。かなり磁力が強いそうです。手前の赤い線より向こうに、時計を近づけてはいけません。

    「馬蹄形KS磁石鋼」です。かなり磁力が強いそうです。手前の赤い線より向こうに、時計を近づけてはいけません。

  • 水力発電用の水車です。日立製作所が昭和2年(1927)に製作した「横軸フランシス水車」です。

    水力発電用の水車です。日立製作所が昭和2年(1927)に製作した「横軸フランシス水車」です。

  • 東京芝浦電気が、昭和22年(1947)に製作した電気掃除機です。終戦から2年目、今から72年前に、今風のスティックタイプの掃除機が作られていたんですね。さすがに充電式ではなさそうですけど。

    東京芝浦電気が、昭和22年(1947)に製作した電気掃除機です。終戦から2年目、今から72年前に、今風のスティックタイプの掃除機が作られていたんですね。さすがに充電式ではなさそうですけど。

  • パーソンズ(英)が、1884年に発明した、発電機駆動用の軸流反動蒸気タービン(世界最古級の蒸気タービン)です。左側の螺旋状に見えるところがタービンブレードです。

    パーソンズ(英)が、1884年に発明した、発電機駆動用の軸流反動蒸気タービン(世界最古級の蒸気タービン)です。左側の螺旋状に見えるところがタービンブレードです。

  • ヘイワードタイラー社が、1880年代に製作した「スターリングエンジン」です。外から温めたり冷やしたりすることで動力を発生する「外燃機関」です。内燃機関と違って燃料や熱源の制約が少ないため、太陽エネルギーやバイオマスなどの利用の可能性もあって、再び研究が盛んになっているそうです。

    ヘイワードタイラー社が、1880年代に製作した「スターリングエンジン」です。外から温めたり冷やしたりすることで動力を発生する「外燃機関」です。内燃機関と違って燃料や熱源の制約が少ないため、太陽エネルギーやバイオマスなどの利用の可能性もあって、再び研究が盛んになっているそうです。

  • ミルバーンワゴン社が製作した電気自動車です。大正時代のもので、この車は熊本県球磨村の博物館にあったものをレストアしたそうです。<br />帰宅後ネットで調べたら、熊本県球磨村「エジソンミュージアム森林館」のホームページに似た車の写真が載っていました。このミュージアムは、2012年の豪雨で被災し休館中とのことです。

    ミルバーンワゴン社が製作した電気自動車です。大正時代のもので、この車は熊本県球磨村の博物館にあったものをレストアしたそうです。
    帰宅後ネットで調べたら、熊本県球磨村「エジソンミュージアム森林館」のホームページに似た車の写真が載っていました。このミュージアムは、2012年の豪雨で被災し休館中とのことです。

  • 東洋工業が昭和42年(1967)に製造した「コスモスポーツ」です。世界で初めて、実用性のあるロータリーエンジンを搭載した車です。昭和39年(1964)に、ドイツのNSUが、シングルローターのロータリーエンジンを搭載したヴァンケルスパイダーを発売しましたが、低い耐久性や過大なオイル消費等の問題がありました。

    イチオシ

    東洋工業が昭和42年(1967)に製造した「コスモスポーツ」です。世界で初めて、実用性のあるロータリーエンジンを搭載した車です。昭和39年(1964)に、ドイツのNSUが、シングルローターのロータリーエンジンを搭載したヴァンケルスパイダーを発売しましたが、低い耐久性や過大なオイル消費等の問題がありました。

  • これは、科学博物館・地球館に常設展示されている、日本初の量販乗用車「オートモ号(の復原車)」です。白楊社製作所が、大正13年(1924)から4年間で約300台販売しました。<br />(特別展を観覧すると、同日に限り常設展(地球館・日本館)も見られます。)

    これは、科学博物館・地球館に常設展示されている、日本初の量販乗用車「オートモ号(の復原車)」です。白楊社製作所が、大正13年(1924)から4年間で約300台販売しました。
    (特別展を観覧すると、同日に限り常設展(地球館・日本館)も見られます。)

  • 中島飛行機が昭和18年(1943)に製作した「二式一一五〇馬力発動機」です。海軍では「栄32」、陸軍では「ハ115Ⅱ発動機」と呼ばれ、隼や零戦などに搭載されました。<br />上に見える飛行機の模型は、国産旅客機YS-11の風洞実験用モデルです。

    イチオシ

    中島飛行機が昭和18年(1943)に製作した「二式一一五〇馬力発動機」です。海軍では「栄32」、陸軍では「ハ115Ⅱ発動機」と呼ばれ、隼や零戦などに搭載されました。
    上に見える飛行機の模型は、国産旅客機YS-11の風洞実験用モデルです。

  • これは、科学博物館・地球館に常設展示されている「零戦二一型」の栄12型エンジンです。

    イチオシ

    これは、科学博物館・地球館に常設展示されている「零戦二一型」の栄12型エンジンです。

  • 地球館に常設展示されている「零戦二一型」は偵察用に改造された複座型です。昭和47年(1972)に海中で見つかり、引き上げられて復元され寄贈されました。

    地球館に常設展示されている「零戦二一型」は偵察用に改造された複座型です。昭和47年(1972)に海中で見つかり、引き上げられて復元され寄贈されました。

  • これは、現代の「はやぶさ」に搭載された「マイクロ波放電式イオンエンジンμ10」です。

    これは、現代の「はやぶさ」に搭載された「マイクロ波放電式イオンエンジンμ10」です。

  • 栖原豊太郎が、昭和5年(1930)頃に開発した「高速度カメラⅡ型」です。中央上部の円形部分から入った光を、内部の大きなホイールに巻かれたフィルムに焼き付けます。写真の裏側の軸に電動機などをつないでホイールを高速で回転させ、毎秒4万5千コマの撮影を可能にしました。大きなホイールが高速で回転して危険なので、頑丈で重いボディに覆われています。

    栖原豊太郎が、昭和5年(1930)頃に開発した「高速度カメラⅡ型」です。中央上部の円形部分から入った光を、内部の大きなホイールに巻かれたフィルムに焼き付けます。写真の裏側の軸に電動機などをつないでホイールを高速で回転させ、毎秒4万5千コマの撮影を可能にしました。大きなホイールが高速で回転して危険なので、頑丈で重いボディに覆われています。

  • 館内の混み具合は、このくらいでした。比較的ゆっくりと見たり撮ったりできました。

    館内の混み具合は、このくらいでした。比較的ゆっくりと見たり撮ったりできました。

  • セルロイドで作られた彫像品「肥車」です。セルロイドは、植物繊維(セルロース)を化学処理して作られる、世界初の熱可塑性合成樹脂で、1868年(明治維新の頃ですね)にアメリカで発明されました。昭和12年(1937)には、日本のセルロイド生産量が世界一になり、主要な輸出品の一つになりました。また、写真のような彫像品が、外国人向けの土産物として作られたそうです。それにしても、何故、肥車?

    セルロイドで作られた彫像品「肥車」です。セルロイドは、植物繊維(セルロース)を化学処理して作られる、世界初の熱可塑性合成樹脂で、1868年(明治維新の頃ですね)にアメリカで発明されました。昭和12年(1937)には、日本のセルロイド生産量が世界一になり、主要な輸出品の一つになりました。また、写真のような彫像品が、外国人向けの土産物として作られたそうです。それにしても、何故、肥車?

  • 「光る繭」です。この繭から作られた絹糸、絹織物も、紫外線を当てると光ります。

    「光る繭」です。この繭から作られた絹糸、絹織物も、紫外線を当てると光ります。

  • 小松製作所が、昭和18年(1943)に製作した国産初のブルドーザー「G40(小松1型均土機)」です。戦時中に南方での飛行場建設のために作られました。国からの緊急要請により、既存のトラクターにブレードを装着しました。<br />この個体は、終戦後フィリピンで米軍に接収されて、海中に投棄されたものです。投棄されたものの、航行に邪魔なので引き揚げられ、稼働可能だったのでオーストラリアの農場で使われていました。それをコマツの社員が見つけ、昭和54年(1979)に日本に戻ってきました。現在は、コマツテクノセンター(静岡県伊豆市)に展示されているそうです。

    イチオシ

    小松製作所が、昭和18年(1943)に製作した国産初のブルドーザー「G40(小松1型均土機)」です。戦時中に南方での飛行場建設のために作られました。国からの緊急要請により、既存のトラクターにブレードを装着しました。
    この個体は、終戦後フィリピンで米軍に接収されて、海中に投棄されたものです。投棄されたものの、航行に邪魔なので引き揚げられ、稼働可能だったのでオーストラリアの農場で使われていました。それをコマツの社員が見つけ、昭和54年(1979)に日本に戻ってきました。現在は、コマツテクノセンター(静岡県伊豆市)に展示されているそうです。

  • 千の技術博にも公式ショップが併設されていて、オリジナルグッズが販売されています。

    千の技術博にも公式ショップが併設されていて、オリジナルグッズが販売されています。

  • 明治維新から150年、千の技術を網羅した特別展なので、若干広く浅くの感じはありますが、先人の貴重な遺産を見ることができました。<br /><br />この後、上野公園を横切って、東京都美術館へ行きます。

    明治維新から150年、千の技術を網羅した特別展なので、若干広く浅くの感じはありますが、先人の貴重な遺産を見ることができました。

    この後、上野公園を横切って、東京都美術館へ行きます。

  • 科学博物館から東京都美術館へ行く途中、池の南側では多くのテントが張られて、何かのイベントの準備の様でした。

    科学博物館から東京都美術館へ行く途中、池の南側では多くのテントが張られて、何かのイベントの準備の様でした。

  • 正面に見える建物は「旧東京音楽学校奏楽堂」、ということを、帰宅後調べて知りました。

    正面に見える建物は「旧東京音楽学校奏楽堂」、ということを、帰宅後調べて知りました。

  • 動物園の方へ歩くと、東京都美術館があります。

    動物園の方へ歩くと、東京都美術館があります。

  • 階段を降りて、地下一階が入口です。

    階段を降りて、地下一階が入口です。

  • ここでは「奇想の系譜展」が開催されています。この先は撮影禁止です。何やら怪しげなタイトルですが、サブタイトルが「江戸絵画ミラクルワールド」、キャッチコピーが「江戸のアバンギャルド一挙集結」などと相まって、怪しげな絵画の展覧会の様に感じるかもしれませんが、極めてまともで素晴らしい絵画が、しかも沢山集められていました。

    ここでは「奇想の系譜展」が開催されています。この先は撮影禁止です。何やら怪しげなタイトルですが、サブタイトルが「江戸絵画ミラクルワールド」、キャッチコピーが「江戸のアバンギャルド一挙集結」などと相まって、怪しげな絵画の展覧会の様に感じるかもしれませんが、極めてまともで素晴らしい絵画が、しかも沢山集められていました。

  • 美術史家・辻惟雄氏の著書「奇想の系譜」が基になっているので、このような表現になったのかもしれませんが、私には、どれも、普通に素晴らしい作品だと感じられました。<br />3月11日の休みを挟んで、前半と後半とで展示替えがありますが、前半では8名の作家の作品、計78点が展示されていました。

    美術史家・辻惟雄氏の著書「奇想の系譜」が基になっているので、このような表現になったのかもしれませんが、私には、どれも、普通に素晴らしい作品だと感じられました。
    3月11日の休みを挟んで、前半と後半とで展示替えがありますが、前半では8名の作家の作品、計78点が展示されていました。

  • 8名の作家とは、伊藤若沖、曽我蕭白、長沢芦雪、岩佐又兵衛、狩野山雪、白隠慧鶴、鈴木其一、歌川国芳、です。大きい作品は屏風や襖絵、小さいものは一寸角の中に描かれた五百羅漢図まで、どれも見応えがありました。<br /><br />この後、東照宮のボタン苑へ、寒ボタンを見に行きます。<br /><br />( つづく )

    8名の作家とは、伊藤若沖、曽我蕭白、長沢芦雪、岩佐又兵衛、狩野山雪、白隠慧鶴、鈴木其一、歌川国芳、です。大きい作品は屏風や襖絵、小さいものは一寸角の中に描かれた五百羅漢図まで、どれも見応えがありました。

    この後、東照宮のボタン苑へ、寒ボタンを見に行きます。

    ( つづく )

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