2005/12/24 - 2005/12/30
576位(同エリア747件中)
スタリモストさん
- スタリモストさんTOP
- 旅行記306冊
- クチコミ10件
- Q&A回答0件
- 294,966アクセス
- フォロワー34人
年明け早々台湾に出かけた2005年は、夏にスリランカにも行き、年末にはタイの北部を回った。
海外旅行のスキルがある程度付いてきて、渡航先では移動の手段も宿も、すべて飛び込みでもなんとかなることを体得していた。
非日常の旅の空のもと、普段はしないことをしたり、異文化と接することが無上の喜びとなった。
この旅では4日目の小旅行が、達成感があったものだから、思い出深い。
■1日目・・・関空→バンコク
■2日目・・・バンコク→チェンマイ→チェンライ
■3日目・・・「アカ族・カレン族、メーサロン、ドイ・トゥン・パレス」ツアー
→■4日目・・・チェンライ→チェーンセン→メーサイ・タチレク→チェンライ
→■5日目・・・チェンライ→チェンマイ
→■6日目・・・チェンマイ→バンコク
→■7日目・・・ワットポー、タイ式マッサージ、ショッピング
→■8日目・・・バンコク→関空
-
■4日目(12/27)
早朝5時すぎに、深い眠りから覚め、気分はすこぶる良い。近くの木立に止まった異国の野鳥が、聞き覚えのないさえずりを部屋に届けくれている
今日は、チェーンセン→ゴールデントライアングル→メーソン・タチレイとまわり、チェンライに戻る予定だ。
身支度をして、小さなショルダーバッグ一つでGHを出た。6時すぎ、まだあたりはほの暗い。昨晩買い求めておいたGH特製のパンをバッグに入れておいた。途中で、コンビニに寄って買ったコーヒーと一緒に、バスターミナルで食べる予定にしていた。
ところが、バスターミナル着いて、係の男に「チェーンセン」と言うと、動き始めているバスを呼び止めてくれた。カップに入ったコーヒーをこぼさないように小走りでバスに乗った。時刻表もチェックせず適当にターミナルに来たのだが、ナイスタイミングだった。
車掌に2人分として100B渡したら、40B戻ってきた。
バスは、通勤通学に利用されているローカルバスだ。真ん中と後のドアは、開いたまま荷造りゴム紐で固定され、風がビュンビュン吹き込んでくる。
老朽化が進み、座席はガムテープで修繕されていたりしていて、決して快適ではないけれど、地元の人たちの様子が見られて、面白い。途中、ソンテウの開口部に4人の子どもがズラリと座っり後方を眺めているのを、長い間追う形になった一時も愉快なシーンだった。
1時間半ほどで、チェンセーンに到着した。
※写真はチェンセーン行きのバスではないが、こんな感じのバスだった。 -
まだ8時前だけれど、市場には人が溢れ、オレンジの袈裟をまとった僧10名ほどがひな壇に座って読経をあげ、その後どこかに移動した。
※チェンセーンの市場の前あたりで -
メコン川まで歩いた。朝霧にかすんだメコン川の流れをずっと眺め続けた。対岸にラオスが見える。
-
「中国版納」と船体に大書された中国船も停泊している。交易の盛んなポイントであることがうかがえた。
-
ボートでラオス領の島に寄り、そこから「ゴールデントランアングル」行くという選択肢もあるので、とりあえず、船賃をチェックしてみたが、2人で600Bだった。
-
ソンテウを当たることにして乗り場に行ってみると、ちょうど運転手がやってきて、黒板に、8:30 11:00・・と、メーサイ行きの発車時刻を書き始めた。
乗り場の横には学校があり、小学生から高校生まで一堂に会してグランドに立っていた。おそらく朝礼なのだろう。背の高い高校生諸君は、必ずしもきちんと並んで静聴しているとは言えず、まことに適当だ。ある男子生徒は棒を振り回して、前の子の尻をたたいている。のどかな朝の光景だ。
8時半になると、運転手が手招きして、ソンテウ(15B)に乗るように促してくれた。客は私たちの他に地元の女性1人と、鞄を小脇に抱えたビジネスマンだった。彼はインド系のフランス人で、バンコクでフランスものの小物を扱っている店をやっているという。今日は「ビザ」の更新と休暇を楽しむためにミャンマー領に入るらしい。とても陽気な男で、日本についての知識も深く、ゴールデントライアングルまでの車中は国際交流の楽しいひとときとなった。 -
ソンテウが停まった所は、金ぴかの大仏像が鎮座している所だった。
-
青い空に黄金色が映える。
-
ゴールデントライアングルの看板がそこかしこに立っていた。
ここは、タイとミャンマーとラオスが接する場所で、かってはアヘンの栽培がさかんで、治安も安定しなかった所だが、今は観光開発が進み、リッチなリゾートホテルも立ち、国境の緊迫感は感じられなかった。 -
僧が一人佇んでメコンの流れに目を向けている。
中国人観光客が記念写真を撮っている。
中州にいく船や観光船が行き交きかう。あたりの雰囲気はとてものどかだ。日差しが強くなってきたが、川面を渡ってきた風が吹き上がり心地よかった。
ゆったりした時間が流れる。来て良かった、とつくづく思った。 -
ここまで来たからには「Hall of Opium(阿片博物館)」にも立ち寄ろうと、歩き始めた。
しかし、なかなかそれらしきものが見えてこない。何人かに道は聞いていたので方向はあっていそうなのだが、2つのホテルをやり過ごしても見えてこない。
2㎞近く歩いただろうか。もううんざりと思いかけた時、「Hall of Opium」の馬鹿でかい建物が右手に現れた。
ゲートから本館まで続く長いアプローチを歩いて、やっと到着した。
入場料は1人300B。(宿1泊分のプライス!!。最近の旅行記を読んでみると1人200Bと記載している方もいる。200Bに値下げされたのか、それとも100B上乗せで徴収されてしまったのか・・?)
案内の女性に「ドライバーはどこ?、車はどこ?」と聞かれたが、「いやソンテウで来た、そして歩いてここまで来たんだ。」と言うと、一瞬「へぇ」というような表情を見せた。よもや観光客がここまで歩いてこようなって思わなかったのだろう。 -
超近代的で立派な博物館だった。
ジオラマ、音響や光などを効果的に使用し、最高の仕掛けと技術で、アヘンにまつわる歴史と大国の思惑、そして吸引の害を体系的に示していた。 -
出口は別棟の建物側にあった。「ドライバーがいるのか」と入口で聞かれた理由がそれでわかった。「車は別の建物の方に回せ。」と言いたかったのだ。
-
時間は10:50。ここからメーサイに抜ける予定だったが、そこまでの足はどうするか全く見通しがなかった。
そして、閃くものがあった!!。
朝のことに思い至ったのだ。チェンセーンでソンテウのドライバーが、「11時」と黒板に書いていたのを思い出した。だとすればここには11時半頃に来るのではないか・・・。
博物館の守衛に「ソンテウは来るのか」聞くと、頷いてくれた。時間が近づいてくると、道路際まで行って、車が現れるのを確認してくれた。ほぼ、読み通りの30分頃、ソンテウが来た。停留所がここにある訳ではないが、手をあげると停車した。「メーサイ」と言うと、女性のドライバーが「乗れ」と言う。うん、まずは一安心だ。
ソンテウ(35B)の後部に座った。
爽やかな風が吹き込み、のどかな田園風景が流れて去っていく。ウトウトしてくる。学校の前で突然止まった。ドライバーが降りて、女の子に合図を送っている。娘なのだろうか?、助手席に座らせて発車した。大きな荷物を積んだ客が降りる時には、家の敷地内にも車を入れていた。小回りもきくし、融通もきく、ソンテウは便利な乗り物だ。
途中警察検問があったが、我々はノーチェック。他の4人の客は証明書を見せていた。メーサイに着いた。メインストリートはとても広く、向こうにイミグレーションの建物が見えた。 -
ここから、ミャンマーに入る。タイのイミグレでは、パスポートに挟んでいた出入国カードに、出国のスタンプが押され、次にミャンマー側の入国手続きに向かった。
時間制限の入国をするので、5ドルを払いパスポートを預けた。預かり証をもらってそれを次のチェックで見せたら、もうタチレクだ。
ミャンマー入国はこれで2回目だ。2001年に、バガン・マンダレー・ヤンゴンをまわったのだが、今回は数時間の滞在だ。でも、よもや再び訪れることになるとは思わなかったので、感慨もひとしお。あの「タナカ」にも再会出来るだろう。 -
入国してすぐ右階段下一帯には土産物屋が林立していた。肩からぶら下げた箱に、「煙草」「裏ビデオ」「宝石」など様々なものを入れた売り子たちが、界隈を周遊している。何回も「いらない」「ノースモーキング」「ノーサンキュー」を繰り返すこととなるが、しかしこの混沌・・この喧噪は決して嫌いではない。
-
僧たちもお買い物・・・。
-
「ロティ」の屋台に目が止まった。中近東系の顔立ちの男が焼いているのだが、その髭といい、帽子といい様になっている。鉄板からの照り返しが顔に当たり輪郭を際だたせている。オーダーして焼き上がる間に、しっかり一枚撮らせていただいた。
-
昼もまわっているので、食堂を探したが、まったく見つからない。鼻をピクピクさせて漂う匂いを感知しようと努力したがダメだった。一度ボーダーゲートがある上の道路までもどり、市内に向けて歩き、交差点突き当たりを右50mほど行った所でやっと食堂を見つけた。
突然「こんにちは」の日本語が・・・。小さな子ども3人をつれた若い日本人夫婦が挨拶してくれた。なんともガッツな人達だ。旦那は数年前に1年余タイをまわったことがあるというから相当のバックパッカーなんだろう。それにしても子連れ旅行ご苦労様!!。彼らが勧めたミャンマー風焼きそばや、野菜炒めを食べながら、ミャンマービールで乾杯。ビンに氷が入っていて、これにビールを注ぐ。氷をいれなくても良いようにガンガンに冷やしてほしいものだ。
料理はいずれも辛く、発酵食品の研究家の小泉文夫氏がミャンマーを「世界の一の最辛国」と言うだけのことはある。
それにしても、このレストランで給仕している子どもの多いこと。5、6人の女の子がよってたかって注文をとりにくる。学校はどうなっているのだろうか。 -
ふたたび土産物屋のバザールにもどった。
一枚のラーマヤーマ物語のレリーフ(横20㎝たて60㎝、厚さ3㎝)が目にとまった。おそらく数年間、壁の定位置にあったと思われ、埃にまみれ哀れな状態だったが、構成もイイし顔立ちも気に入った。
初めは1200B(4000円)と言われたが、他の類似店でチェックして再度値段交渉し、800B(2700円)で買った。帰国してウエスで丁寧に磨くと美しい木目が際だち、大変気に入っている。 -
タイへに再入国し、チェンライにもどる。
しかし、チェンライへのバスがどこから出ているか全くわからなかった。警察官に聞いたら、今まさに走り始めているソンテウを呼び止めてくれた。またすごいタイミングだ。
駆け込んで最後尾に座り、硬貨を手に乗せて車掌にとってもらったが2人で16B・・なにこれ、チェンライまで一人8B?それはないよ、何かの間違いだろう。でもこれがタイなのかも知れない。・・と早合点。10分ほど走るともうストップ。着いたのはバスターミナルであった(^^;)。
20分後の16時に出発した急行バス(50B)も快適だった。途中検問がありパスポートを見せたが問題なし。1時間でチェンライに戻った。一日の余韻にひたりながら、ふたたびナイトバザールのフードコートで、鍋料理を食べた。本当にいい小旅行ができた。良質の木彫も買えたし大満足だ。
※バスターミナルにて・・シャツを着せられた大型犬に見入る -
■5日目(12/28)
今日はチェンマイに移動する。昨日メーサイから帰った時にバスターミナルで、8時発のVIPバス(245B)を予約しておいた。バスはシートが豪華で、席の間が広く空けられていてまさにVIPバスだ。来たときよりも30分速く3時間でチェンマイに着いた。
今日の宿は、ターベ門近くの「D.N guesthouse」にするつもりだ。このホテルは、昨日まで泊まっていた「tourist inn G.H」に置いてあった旅人のノートをチェックしていて、見つけたホテルだ。「綺麗で手頃な値段のGH」と記されていた。あわせて、オールドシティーの東にあるターベ門は、どこかに移動する際もわかりやすい目印になる。
バスターミナルからソンテウ(30B)で向かったが、下車した近くにはターベ門が見えない。地図を広げて確認すると、ここはピン川にかかるナワラット橋の近くだった。ターベ門までまだ500m程ある。降りがけに、同乗の客が進行方向を指さして「ターベ」と言っていたのを思い出した。ソンテウはオールドシティに行かないルートを走る車だったようだ。乗るとき「ターベ」を強調したものだがらターベ通りと思われたのかも知れないなあ。「オールドシティ」と言えば良かった。
ターベ門は、スリランカのゴールのような巨大な門を想像していたが、意外とこぢんまりした煉瓦造りのものだった。 -
「Montri Hotel」裏の路地を入り「Vip G.H」の前に「D.N House」はあった。2階の角部屋でベランダの横の部屋に案内された。キングサイズのダブルベットにテレビ、冷蔵庫、エアコン、そしてホットシャワーとトイレが付いて300Bだった。
チェンラーイにいた時と比べ日差しが強く、風もある。早速、洗濯して、ベランダにロープを張って干した。 -
ハーフパンツに履き替え、上はTシャツ一枚になって、外に出た。Montri Hotel近くの食堂でランチ。クイッティオナーム(米麺スープ)の他にマンゴーライスを食べた。ご飯の上にマンゴーが載っていて、砂糖をかけて食べたるのだけど、これが意外と美味しかった。
-
「ワット・チェンマン」に行くことにした。地図で位置を確認しているので方向はあっているようだが、なかなか着かない。日差しは強いし気温も上昇してきた。6人ほどの人に道を尋ねて、やっと「ワットチェンマンはこちら」の看板を発見した時はほっとした。
-
「ワット・チェンマン」はラーナータイ王国を建国したメンライ王が、1296年に建立したチェンマイ最古の由緒ある寺だ。靴をぬぎお堂に入ったが、シーンと静まりかえった涼しいお堂にいたのは私たち2人だけ。仏を手を合わせた後、足を伸ばしてくつろいでいると、昼ごはんの後ということもあり、ウトウトしてきた。
-
本堂の裏にあった仏塔は、15頭の象が基壇を構成しているユニークなもので、見応えがあった。
-
数年後に行くことになった、インド・エローラのカイラ・サナータ寺院と様式と通じる。
-
メーリム地域にある「スネークファーム」と「オーキッドファーム」に行くことにした。
ワット・チェンマン寺院の境内にとまっていたソンテウに値段交渉すると、初めは400Bと言っていたが、提携している土産屋に2軒立ち寄ることを条件に300Bにしてくれた。
30分程走ってメーリムエリアに入ると、路肩に車を止めてドライバーがオレンジを10個ほど買ってくれた。このオレンジ、カルフォルニアオレンジの比ではない甘さだった。2軒の土産屋は何れも絨毯屋でトルコ系の男が対応した。ドライバーは「5分でいい、買わなくていい、立ち寄った証のスタンプが欲しいだけだから・・・」と言っていたし、こちらとしてもタイでトルコ絨毯を買う気はさらさらなかった。
それぞれ5分づつ滞在して、いざスネークファーム(200B)へ。
タイミングよく、15分後の15:30ショーが始まる。到着時間が遅れていたら、ショーを見ないで、ただヘビを見るだけに終わったので、実にラッキーだった。ラッキーがやたら続く!! -
ショーが始まった。音楽もロック調だし口上もノリがいい。3人の男たちが入れ替わり立ち替わりヘビとデンジャラスな駆け引きを繰り広げる。毒蛇を挑発し、咬もうとして向かってくる鎌首を闘牛士のように瞬時にさける。
-
キングコブラなど大小取り混ぜて三種類ほどのヘビが登場したが、「この箱には優に5mほどジャンプするヘビがいるので皆さん注意を」と大げさに言い、やおら引っ張り出して客席に投げるが、実は紐だったりして・・・・。
-
とにかく客を楽しませるサービス精神が旺盛で、ラストは大蛇を首に巻いて写真を撮らせてくれた。妻も挑戦したが、わざとドンと肩に乗せられたものだがらびっくり仰天していた。
-
すぐ近くのオーキッドファーム(20B)の蘭も実に見事で、ため息が漏れた。
-
-
-
帰りはターベ門で降りて、Montri Hotelのテラスでチェンマイコーヒーを飲んだ。
斜め前で欧米の老齢の紳士が、虫眼鏡を片手に熱心に新聞に目を通していた。・・避寒でここに来て、昼寝をしたり、読書したり、あるいは何もしないということを楽しむような、そんな旅行、滞在があってもよいなあ・・と思った。 -
ナイトバザールに出かけた。15分ほど歩くとチェンクラン通りのナイトバザールに着いた。ここの土産物屋の多さは、半端じゃなかった。狭い歩道に人が溢れ前になかなか進めない。チェンライの何倍の規模だろうか・・・。
-
最も印象に残ったのが、バザールビル内の木彫の店に展示されていた木彫だ。作品のの完成度・精緻さは見事で、言葉を失うほどだった。
ノーフォトの張り紙を無視し、監視員の目を避けて1枚だけ撮った(けれど、ぶれてしまった)。 -
シーフードの一軒の店に入り、魚の揚げ物など数品をオーダーした。ひっきりなしに客が入ってくる。シンハビールが口になじんできた。
帰りトゥクトゥクでターベ門に戻った。(40Bを20Bにさせた。値切り交渉にも慣れてきた。) -
■6日目(12/29)
今日はバンコクに移動する日。5時すぎに起きた。朝食は機内サービスですますことにして何も食べないで外に出た。ターベ門前でトゥクトゥク(80B)を拾い空港に向かった。
タイ航空のチェックインカウンターに並んだのが6:50だった。私たちのチケットはTG922/8:25発だったが、対応してくれた係が、「7時発に変更出来ますが、いかがですか?。」と勧めてくれた。願ってもない提案で、待ち時間なしで搭乗することになった。
そして、1時間後の8時にドンムアン空港に降り立った。国内線から外に出ると、エアポートバスの乗り場がそこにあったので、チケット(100B)を買い、ほどなく来たカオサン行きのバスA2に乗りこんだ。バスの中はすべて欧米の若者だった。 -
宿は目星をつけておいたプラ・アーチット通りのG.Hをあたることにした。
カオサンロード沿いよりも、ワット・チャナソンクラム(ワッチャナ)近くのこちらの通りの方が、静かで良質のG.Hがあるとの情報を得ていたものだから。安眠を妨げる騒音は避けられるものなら避けたい。2つのG.Hをチェックし、3つ目に入った「Four Sons Place G.H」が700Bの部屋を20%ディスカウントし540Bと申し出てくれた。鍵を預かって指定された3階の部屋をチェックしたら、広い部屋で、テレビもベランダも付いているので、ここにした。
カオサン通りを歩いた。なんという無国籍なエリアだろう。リゾートビーチ近くの繁華街にいるような感じだ。欧米の若者たちがオープンエアーのレストランのベンチに腰掛けて、ハイネケンやシンハをラッパ飲みしている。CD屋から大音響のラップが流れてくる。日本の女の子がすだれのように垂れ下がる三つ編みをしてもらっている。Tシャツ屋や土産屋が軒を連ねている。
日本人が経営している旅行社もあり、ここからタイ国内はもちろんのこと世界のどこにでも行ける。英語が出来なくてもなんとかなる。旅行者の利便性を追及するとこういう街ができあがるのだろう。 -
カオサンロードと並行した横の通りの屋台でランチ。
-
筍炒めのぶっかけをメインに、エビや卵も乗せてもらった。具を指さすだけで良いからオーダーも簡単至極だ。私は、量が多くて食べ残したが、妻は見事に米粒一つ残さず完食した。この人の胃袋の強さにはいつも敬服する。
-
「シリラート病院ミュジアム」に行くことにした。
プラチャーン船着場にむけて歩き始めた。この船着場から対岸のワンラン船着き場に渡って病院に行く方法が一番安上がりだし、もっとも早くたどり着く方法であることも事前に調べておいた。しかし地図の上では近そうな船着場であっても、土地感がないものだから、チァオプラヤー川にさえなかなか行き着かない。
強い日差しが体を焼き、汗が吹き出してきたので、通りかかったトゥクトゥクに乗りこんだ。トゥクトゥクは方向転換をし、歩いてきた道を戻り始めた。おそらく迂回し橋を渡って直接病院に連れて行こうとしたのだろう。こうなれば、乗り続けようと思ったが、ドライバーが車を路肩に止めて・・以下のような会話をかわすことになった。「旦那、いくら払ってくれるんだい?」「20Bではどう?」「おい何言っているんだ。ここから病院まではかなり遠いぜ。20Bで行ける訳がないではないか。地図持っているかい。」「うん持ってる」「見せてみな。この病院に行くにはこの船着きに行くのが一番良いんだ。早いしベリーチープだぜ。」「それは知っているが、で、そこまでじゃいくらなんだい。」「一人50B、2人で100Bだ」「安くしろよ」「だめだ・・・」・・ここで降りてしまえばよかったのだけど、もうめんどくさくなってOKした。体力を温存していればこんなことにならなかったなあ・・。
※2008年にも、息子たちととも再訪したのだけど、この時はカオサンから、何ら問題もなく船着き場まで、歩いて行けた。
プラチャーン船着場(3B)からワンラン船着場にわたった。 -
シリラート病院はワンラン船着場のすぐ横にある巨大病院だ。この病院内の博物館(40B)は、医学の進歩に資するための諸研究の成果が展示されているものの、それだけにとどまらない凄さがある。いわば死体博物館となっている。
入り口付近から超ド級の死体写真が並んでいた。列車に飛び込み自殺をして首と胴が離れた男の凄惨な姿。銃で顔半分が吹き飛んだ見るも無惨な子どもの姿、交通事故でタイヤ痕が鮮やかに皮膚に残る死体等々・・。なんともスゴイ写真がぼかしなしで展示されていて、私たちを歓迎してくれたが、これはあくまでプロローグであった。
複数の子どもを殺した殺人鬼が死刑に処せられた後、腐敗防止をされミイラとなって未来永劫ガラスケースに立たされるはめになっていたり、奇形の幼児もホルマリン漬けで展示されていた。なんともおぞましい光景で、「こうしたものを衆目にさらして良いのか」という疑念も生まれる。
「ギャー」、突然館内に鋭い悲鳴が響いた。欧米の若い女性が発したものだ。彼女は目を手でふさぎながら、同伴者と共に、退散していった。
津波を特集しているコーナーもあったが、等身大で精緻に作られていたのは、水死体となって膨張腐爛した女性の死体と、それを検死し記録にとどめるドクター2人の姿だった。死体を実際に石膏取りをしたような見事な再現で、湧いた蛆虫も添えている。なんでかくもここまでリアルに再現するのだろうか。
津波の凄さ、救済の困難さ、死体の身元特定の困難さなどを訪問者に伝える目的があるのだろうか・・しかし、また、どうしてここまでする必要があるのか、と「?」が点滅した。
地元タイの高校生たちが来ていたが、騒ぐこともなく冷静に見つめていた。別室では津波の被害・救済のビデオが放映されたので鑑賞したが、このビデオにも累々と横たわる水死体が修正なし映し出された。
「バンコク週報」という日本語新聞を滞在中見る機会があったが、3面の殺人事件の記事では、ぼかしが入っているもののその殺人現場の写真が掲載されていた。タイでは死体を衆目にさらすことを忌避する習慣がないのかも知れないなあ。
※この時、展示品を撮影することはフリーだったので、何枚か撮ったけれど、掲載は避けた。なお、現在は、撮影禁止となっているようだ。
※写真・・シリラート病院・・Wikipediaより -
「ジョールイス人形劇場」で「フアラコーンレック(伝統的人形劇)」を観たいと思っていたので、最寄りの地下鉄「ルンピニー公園」駅に向かうことにした。
ドンムアン空港でもらってきた地図付きの観光案内を参考に・・「ワンラン船着場」→(チャオプラヤーエキスプレス乗船11B)→「リバーシティー船着場」→(歩いて)→「ホアラポーン駅」→(地下鉄18B)→「ルンピニー公園」・・と経路を描いた。
「リバーシティー船着場」から「ホアラポーン駅」まで30分ほど歩いただろうか。・・チャイナタウンエリヤのオーラが、少しは気を紛らわせてくれたが、通行人に道を尋ね尋ね、ホアラポーン駅に着いた時は疲れ果ててしまった。 ※参考にした観光案内図は、概念図で正確ではないことを理解した。
※船上より眺めた「ワット・アルン」 -
早速人形劇場(300B)に行き、席を予約したあとルンビニ公園で休んだ。豊かな緑、木立、大きな池が心身を慰めてくれる。遊歩道をジョギングしている中高年の人たちがいる、水際で語らっている恋人たちがいる、そして一画ではマッチョの男たちがウェートトレーニングに励んでいた。
靴を脱いでベンチに横になった。妻はすぐに熟睡モードに入ったようで、瞬く間に反応しなくなった。よく食べよく寝る。 -
近くの「ルンビニナントバザール」のrestaurantで、タイの音楽を聴きながら夕食をとった。
-
貝の焼き物は香ばしくて美味しい。貝が苦手な妻には回さず全部一人で平らげた。
-
7時すぎジョールイス人形劇場に入場した。開幕は7:30だったが、30分前には着席するように案内されていた。
-
入り口では人形と操り師が出迎えてくれた。劇場内は実に近代的かつ広々としている。座席も大きい。
場内は暗く、英語字幕がスクリーンに映されるものの理解はおぼつかないし、ゆったりしたシートでリラックスしたものだから・・気がついたら船を漕いでいた。
演目はラーマヤーマ物語をベースにした喜劇だった。3人が一組になって人形を操るのだが、その操作は人形浄瑠璃に近いもので、人形と操り師の動きが常にシンクロしていて、美しい。歌舞伎の見栄を切った時のような凛した一瞬もあった。2部は人形たちが客席に乱入し、帽子や鞄を盗ったりのおふざけが始まる。これがまた楽しく、会場は沸きっぱなしだった。
帰りはタクシー(80B)を拾ったが、このタクシードライバー、凄まじい勢いで車を疾走させる。
一瞬シリラート病院で観たクラッシュ死体が頭をよぎり、血の気がひいたが、冷静に観察しているとドライブテクニックが実に良い。スピードを出す時には出す、減速する時には減速している。割り込みもうまい。カオサンに着いた時には、ドライブゲームをパーフェクトで完走したような達成感も感じてしまった。
夜のカオサンはなかなかのものだった。ホコテンになった路上には様々な露天が出て、人出も半端じゃない。ネオンサインがきらびやかさを添える。「女いるよ・・」と誘いの声もかかる。私たちは、コンビニによってシャワー後の缶ビールを買い求め、大人しく帰路についた。 -
■7日目(12/30)
朝8時前にG.Hを出て、「ワット・ポー」でマッサージをしてもらうことにした。タクシー(29B)を降り、大寝釈迦仏側でない所から、たまたま中に入ったのだれど、朝早いためか、あるいは入場料がいらないエリアなのか、ノーチェックで本堂の本尊に対面した。 -
本堂の中は、読経をささげる僧侶のみで、全く観光客には会わなかった。
-
境内にあるマッサージ屋は、タイ式マッサージを広める学校の付属施設であり、技術の高さは折り紙付き・・と言われている。屋内は通路をはさんで両方に3つずつの寝床が並んでいた。1時間300Bのコースをお願いした。
※木陰でくつろぐマッサージ師 -
妻は巻き用意されていたズボンに履き替え横になった。妻には女性、私には男性のマッサージ師が対応してくれた。
扇風機の微風が体を撫でていき、外の木立からは南国の野鳥たちがさえずりを届けてくれる。足先の棚の上からハーブの香りがユラユラと漂い鼻孔をくすぐる。
足先・足裏から順に頭部まで揉みほぐされていく。じょじょに体が溶解していった至福の時間だった。 -
タイに来たからにはタイ最高の格式を誇る「ワットプラケオ」と「王宮」は見ておかなくてはなるまいと、歩き始めた。
サナーム・チャイ通りには大型バスが何台も連なって停車している。入口付近から大変な人出で、世界各国の言葉が飛び交っていた。
私はハーフパンツだったので、検問に引っかかるかな・・と思ったが案の定、「ストップ」の声がかかった。スリランカ・マンダレーの仏歯寺の二の舞だ。あの時は近くの生地屋でサロンを買ったが、ここは隣の事務所で100Bのデポジットを納めズボンを貸してくれた。 -
しかしなんたる人の多さ、さすがバンコク第1の観光スポットだけのことはある。チケットを買うにも列が出来ている。日本語ガイドが、「中はずいぶんの人出なのでしっかりついてきて下さいよ。迷子になったらここに来て下さいね。」などと言っているのが聞こえてきた。・・だんだん、中に入る気が失せてしまった。せっかくズボンも借りて穿いていたが、中で人混みに揉まれることが億劫になってきた。妻に・・「せっかくここまで来たけど、中に入るのやめない?」「うん、いいよ。伊勢丹の方に船で行こうか。」と同意してくれた。
※記念写真を撮る中国人観光客 -
伊勢丹へは、ワットのすぐ近くにあるターティアン船着場(11B)より、サートーン船着場まで船で行き、接続しているサバーンタークシン駅からBTR線(25B)でラーチャダムリ駅まで出るコースで、出かけた。
船着場周辺も大変な混雑だった。客引きの数も多いし、チャーターボートがひっきりなしに接岸していく。
※乗船券は、巻紙状になっていて、竹筒状のケースから切り分けられて後、ケース開口部を使って四隅に切り込みが入る。 -
チャオプラヤーエキスプレスは大入りで、オレンジの袈裟を着た僧や欧米の観光客でごったかえしていた。30分程の船旅だったが、川面を走る風は爽やかで、チャオプラヤークルーズはなかなか捨てた物ではない。
-
ラーチャダムリ駅を降りてラーチャダムリ通りを10分程歩くとプルンチット通りと交差する。
-
この交差点に、願いごとがよくかなうと言われる「エラワン祠」がある。願かけ、成就感謝のために舞踊が奉納されるところで、今日も大変な賑わいだった。
※「エラワン祠」の近くで、2015年8月17日夜に爆破事件が発生し、20人が死亡、125人が負傷した。 -
ランチは、ワールドトレードセンター地下のフードコートでとった。
-
100Bでチケットを購入。食後のスィート分も含めてこれで足りた。
-
帰りはタクシー(60B)を拾った。カオサンまで車を走らせている間、ドライバーは、ビニール袋に入ったご飯、それに別の袋に入ったおかずにかぶりついていた。
GHで休憩するためにもどる道すがら、エアポートバスの看板を見つけたので、早速、明日の朝6時を予約しておいた。
夜はカオサンロードに面したオープンエアーのレストランで。テーブルは欧米観光客に埋め尽くされていたが、頼んだ料理はどちらかというとはずれ。洋風に懐柔されたタイ料理で、量は多いものの味にインパクトがない。ラストナイトを飾るにしては物足りなかったが、楽しかったタイ旅行を反芻しつつ飲んだハイネケンは美味しかったので、許すとしよう。
■8日目(12/31)
エアポートバス(ミニバン・80B)は、定刻6時スタートし、何軒かのGHによって客をピックアップし、7時前には空港に着いた。
チェックインの後、セキュリティーチェックに向かったが、呼び止められた。500Bの空港使用チケットを買えという。 使用料は航空券に含まれているではないかと思っていたので、軽食用のバーツ程度しか所持していなかった。早速念入りに計算して必要な「円」をはじき出しバーツに両替した。
JL728便は9:05にフライトし、関空16:10に着いた。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
チェンライ(タイ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
64