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1999年7月、生まれて初めての海外一人旅。当時は都内の某私立大学の政治学科の学生でした。<br /><br />デジカメやSNS、スマホなんてなかった時代ですが、何気に旅行記を自作のHPにアップしていました。1999年に独学でhtml勉強して、個人的に開設したジオシティーズのホームページですが、2019年3月をもってサービス終了で閉鎖になります。現在移転先を検討中ですが、一部をフォートラの写真付旅行記として復刻版として再作成します。誤字脱字等は修正し、表現も一部改めますが、なるべく当時のままの文章でと思っています。写真は、APSフィルムで撮った当時の写真をデジカメで撮影しています。<br /><br />当時は英語も怪しかったし、情報もあまりなかったですが、二週間の国際ボランティアキャンプを含んでの約一ヵ月半、人生で初めての大冒険でした。航空券の買い方もよくわからなくて、授業の合間を縫ってHISに何度も行きました。あと今考えると、この時にマイレージカード作成しておけばよかったかと。<br /><br />今改めて文章を振り返ると、初めての事だらけで新鮮に感じて興奮している状況がわかります。ちなみに当時は、旅行中にノートに旅行記を書いて、帰国後に書き写してWEBにUPするスタイルでした。あと、タイトル結構凝っていたかも。^^<br /><br /><br /><br />はじめに<br /><br />これは、僕が1999年7月18日から8月29日までのおよそ6週間、一人でアメリカへ行ったときの記録です。2週間ほどの国際ヴォランティアキャンプに参加したあと(国際ヴォランティアキャンプについては別のところに書く予定です)アメリカ最北東端のMaine州から西海岸のSan FranciscoまでGreyhound Bus(アメリカのほぼ全土を網羅する長距離バス)を使って旅したときの記録です。初めての海外一人旅でいろいろ大変なことがありましたが、自分なりにいい経験にもなったし、得たものは大きかったと思います。 <br /><br /><br /><br />アメリカ横断日記INDEX <br /><br />第一幕<br /><br /><br />第一章 旅立ちの唄<br />           <br />~Narita,Boston~<br />         <br />第二章 大瀑布を前にただ立ち尽くすのみ<br /><br />~Niagara Falls~<br />          <br />第三章 自由の国、憧れの都<br />       <br />~New York~<br />           <br />第四章 合衆国誕生の地<br />         <br />~Philadelphia~<br />          <br />第五章 桜の枝と白亜の殿堂<br />       <br />~Washington D.C~<br />         <br />第六章 フロリダの太陽とそよ風を浴びて<br /><br />~Miami,Key west~<br />         <br />第七章 異国の街角でふと酔いしれて<br />   <br />~New Orleans~<br />        <br />第八章 月までも続く道<br />        <br />~Houston~<br />               <br />第九章 歴史を変えた一発の銃弾<br />     <br />~Dallas~<br />                <br />第十章 標高1マイルの街角で<br />      <br />~Denver~<br />                 <br />第二幕  <br /><br /><br />第一章 粉雪とオリンピックと教会<br />   <br />   ~Salt Lake City~<br />              <br />第二章 荒野の不夜城<br />         <br />     ~Las Vegas~<br />            <br />第三章 偉大なる大自然の芸術<br />     <br />     ~Ground Canyon~<br />           <br />第四章 映画の都の熱き情熱<br />      <br />     ~Los Angeles,Hollywood~<br />      <br />第五章 麗しき動植物の楽園<br />      <br />     ~Yosemite National Park~<br />       <br />第六章 あの橋の彼方に<br />        <br />     ~San Francisco~<br /><br />

【復刻版】アメリカ横断日記 1 旅立ちの唄~Narita,Boston~

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1999/07/18 - 1999/07/20

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Miyatan

Miyatanさん

1999年7月、生まれて初めての海外一人旅。当時は都内の某私立大学の政治学科の学生でした。

デジカメやSNS、スマホなんてなかった時代ですが、何気に旅行記を自作のHPにアップしていました。1999年に独学でhtml勉強して、個人的に開設したジオシティーズのホームページですが、2019年3月をもってサービス終了で閉鎖になります。現在移転先を検討中ですが、一部をフォートラの写真付旅行記として復刻版として再作成します。誤字脱字等は修正し、表現も一部改めますが、なるべく当時のままの文章でと思っています。写真は、APSフィルムで撮った当時の写真をデジカメで撮影しています。

当時は英語も怪しかったし、情報もあまりなかったですが、二週間の国際ボランティアキャンプを含んでの約一ヵ月半、人生で初めての大冒険でした。航空券の買い方もよくわからなくて、授業の合間を縫ってHISに何度も行きました。あと今考えると、この時にマイレージカード作成しておけばよかったかと。

今改めて文章を振り返ると、初めての事だらけで新鮮に感じて興奮している状況がわかります。ちなみに当時は、旅行中にノートに旅行記を書いて、帰国後に書き写してWEBにUPするスタイルでした。あと、タイトル結構凝っていたかも。^^



はじめに

これは、僕が1999年7月18日から8月29日までのおよそ6週間、一人でアメリカへ行ったときの記録です。2週間ほどの国際ヴォランティアキャンプに参加したあと(国際ヴォランティアキャンプについては別のところに書く予定です)アメリカ最北東端のMaine州から西海岸のSan FranciscoまでGreyhound Bus(アメリカのほぼ全土を網羅する長距離バス)を使って旅したときの記録です。初めての海外一人旅でいろいろ大変なことがありましたが、自分なりにいい経験にもなったし、得たものは大きかったと思います。 



アメリカ横断日記INDEX

第一幕


第一章 旅立ちの唄
          
~Narita,Boston~
        
第二章 大瀑布を前にただ立ち尽くすのみ

~Niagara Falls~
         
第三章 自由の国、憧れの都
      
~New York~
          
第四章 合衆国誕生の地
        
~Philadelphia~
         
第五章 桜の枝と白亜の殿堂
      
~Washington D.C~
        
第六章 フロリダの太陽とそよ風を浴びて

~Miami,Key west~
        
第七章 異国の街角でふと酔いしれて
  
~New Orleans~
       
第八章 月までも続く道
       
~Houston~
              
第九章 歴史を変えた一発の銃弾
    
~Dallas~
               
第十章 標高1マイルの街角で
     
~Denver~
               
第二幕 


第一章 粉雪とオリンピックと教会
  
   ~Salt Lake City~
             
第二章 荒野の不夜城
        
     ~Las Vegas~
           
第三章 偉大なる大自然の芸術
    
     ~Ground Canyon~
          
第四章 映画の都の熱き情熱
     
     ~Los Angeles,Hollywood~
     
第五章 麗しき動植物の楽園
     
     ~Yosemite National Park~
      
第六章 あの橋の彼方に
       
     ~San Francisco~

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  • 1999年<br />7月18日(日)<br /><br />2日前にゼミの打ち上げ、3日前に高校のときの友達主催の送別会を済ませ、挙句の果てに2日連続4時間睡眠という不健康な生活を続けて、前日の夜まで荷物の整理でドタバタしつつも出発の時を迎えた。7:07の大船発の大船発の成田エクスプレス7号に乗り込む。途中の停車駅が横浜と東京と空港第2ビルしかない割にはあまり早くない。普通列車より20分早い程度である。やはり特に横須賀線の退避駅が大船と東京の間にないからだろうか。などと思いつつも成田空港駅に到着。HIS用のカウンターで航空券を引き換える。ここではじめて気づいたことだが、HISの航空券は団体扱いだったのだ。搭乗の際に、航空券の必要事項の記入漏れがあって、最後列に戻される羽目になってしまった。<br />

    1999年
    7月18日(日)

    2日前にゼミの打ち上げ、3日前に高校のときの友達主催の送別会を済ませ、挙句の果てに2日連続4時間睡眠という不健康な生活を続けて、前日の夜まで荷物の整理でドタバタしつつも出発の時を迎えた。7:07の大船発の大船発の成田エクスプレス7号に乗り込む。途中の停車駅が横浜と東京と空港第2ビルしかない割にはあまり早くない。普通列車より20分早い程度である。やはり特に横須賀線の退避駅が大船と東京の間にないからだろうか。などと思いつつも成田空港駅に到着。HIS用のカウンターで航空券を引き換える。ここではじめて気づいたことだが、HISの航空券は団体扱いだったのだ。搭乗の際に、航空券の必要事項の記入漏れがあって、最後列に戻される羽目になってしまった。

    大船駅

  • 何とか搭乗手続きを済ませて、ユナイテッドの884便に乗り込む。11時間のフライトを終えてシカゴへ到着する。シカゴ到着は朝の9時だったが、そのとき東京は夜の11時である。14時間もの時差がある。これを考えると国際線のパイロットは重労働だなと思えた。<br /><br />ここで入国手続きを済ます際に少々厄介なことが起こった。まず入国手続きのカウンターに並び済まそうとしたが、税関手続きの書類が未記入だったため戻された。もう2度手続きをしようと並んだ際に「Miyatanさん、Miyatanさん、7番カウンターまできてください。」というアナウンスが流れた。しかしこちらは入国手続きすら終えていなかったのでどうしようもなかった。二度目の手続きのときに、なぜか入国官にパスポートを取り上げられてしまった。ユナイテッド航空のアメリカ人の人が流暢な日本語で置き去りにされていた荷物を渡してくれた。彼にそのことを話すと、一緒に入国官のところに行ってくれた。どうやら滞在先の住所を中途半端に書いていたことが原因だったようだ。当てもなく旅をする人とは一体どうするのだろうか、沢木耕太郎の苦労が身にしみてわかる気がした。でもどうして入国審査官はこうもそっけない人が多いのだろうか。ユナイテッド航空の人に御礼を言って、次の搭乗ゲートへと向かう。ここシカゴオヘア空港は国内線の3つのターミナルと国際線の1つの合計4つのターミナルからなり、各ターミナル間はピープルムーバーという無人のシャトルモノレールが結んでいる。それに乗り、ボストン行きターミナルに乗り換える。そのターミナルには日本でもおなじみのスターバックスコーヒーとマクドナルドがあったので、スターバックスコーヒーでお菓子とコーヒーを注文した。記念すべきアメリカでの初ショッピングだった。ボストン行きに乗り込む。シカゴ行きは半分くらいが日本人だったが、さすがに5分の1くらいまで減り、日本語の放送もなかった。とにかくこの空港はでかい。「世界で一番忙しい空港」といわれるだけのことはあった。とにかく空港内を大型飛行機と小型飛行機と車や荷物を運ぶ車などがひっきりなしに動き回る。離陸するとシカゴの町並みが眼下に広がる。かなり整然とした感じで、絵になる町といったら言い過ぎだろうかと思えた。しばらくすると五大湖が見えてくる。隣に住むおばさんが何かあるごとに話し掛けてきてくれて、いろいろと親切にしてくれた。<br /><br />ボストン空港の案内所で聞くと、バンゴアまではバスで4時間程度、10時に出て14時に着く事がわかったので、この町に2日間滞在することを決めた。とにかく宿泊地を決めないといけないので、ボストンのユースに電話してみる。泊まれるかどうかきいてみると、「OK!Thank you!」とだけ言われて電話を切ってきた。少々嫌な予感がしないわけでもなかったが、なんかあっけなかった。<br /><br />地下鉄のブルーラインからグリーンラインへと乗り換える。グリーンラインは相当古い地下鉄らしく、とにかく穴掘ってそこに路面電車を走らせているような感じだった。迷いつつも何とかユースにたどり着く。<br /><br />だがユースに到着して、1時間前に電話した旨を伝えると名前やクレジットカードの番号を聞かれる。<br /><br />電話した際に名前もナンバーも聞かれなかったこと疎必死に伝えると、部屋の空きはあった様で何とか宿泊できることになった。夜になると食事に出かける。1826年創業で、ボストン最古のレストランである「ユニオンオイスターハウス」へ行った。20分ほど待たされた後、テーブルに向かいメニューを見る。とにかく単語がわからない。必死に単語を調べていると、「あと1分以内に決めるのよ!」などと店員にせかされる。とにかく「ソテードシーフードメドレー」というのを注文する。量が半端になく多かった。<br /><br />でもなかなか雰囲気もよく、なかなかいいレストランだった。<br /><br />一日を終えて気づいたことは、とにかく必死にコミュニケーションを取ろうとすれば相手は理解してくれる。しかし向こうの言葉は、なんとなくしかまだわからなかった。後はとにかく笑顔を大切にすることだと思った。<br />

    何とか搭乗手続きを済ませて、ユナイテッドの884便に乗り込む。11時間のフライトを終えてシカゴへ到着する。シカゴ到着は朝の9時だったが、そのとき東京は夜の11時である。14時間もの時差がある。これを考えると国際線のパイロットは重労働だなと思えた。

    ここで入国手続きを済ます際に少々厄介なことが起こった。まず入国手続きのカウンターに並び済まそうとしたが、税関手続きの書類が未記入だったため戻された。もう2度手続きをしようと並んだ際に「Miyatanさん、Miyatanさん、7番カウンターまできてください。」というアナウンスが流れた。しかしこちらは入国手続きすら終えていなかったのでどうしようもなかった。二度目の手続きのときに、なぜか入国官にパスポートを取り上げられてしまった。ユナイテッド航空のアメリカ人の人が流暢な日本語で置き去りにされていた荷物を渡してくれた。彼にそのことを話すと、一緒に入国官のところに行ってくれた。どうやら滞在先の住所を中途半端に書いていたことが原因だったようだ。当てもなく旅をする人とは一体どうするのだろうか、沢木耕太郎の苦労が身にしみてわかる気がした。でもどうして入国審査官はこうもそっけない人が多いのだろうか。ユナイテッド航空の人に御礼を言って、次の搭乗ゲートへと向かう。ここシカゴオヘア空港は国内線の3つのターミナルと国際線の1つの合計4つのターミナルからなり、各ターミナル間はピープルムーバーという無人のシャトルモノレールが結んでいる。それに乗り、ボストン行きターミナルに乗り換える。そのターミナルには日本でもおなじみのスターバックスコーヒーとマクドナルドがあったので、スターバックスコーヒーでお菓子とコーヒーを注文した。記念すべきアメリカでの初ショッピングだった。ボストン行きに乗り込む。シカゴ行きは半分くらいが日本人だったが、さすがに5分の1くらいまで減り、日本語の放送もなかった。とにかくこの空港はでかい。「世界で一番忙しい空港」といわれるだけのことはあった。とにかく空港内を大型飛行機と小型飛行機と車や荷物を運ぶ車などがひっきりなしに動き回る。離陸するとシカゴの町並みが眼下に広がる。かなり整然とした感じで、絵になる町といったら言い過ぎだろうかと思えた。しばらくすると五大湖が見えてくる。隣に住むおばさんが何かあるごとに話し掛けてきてくれて、いろいろと親切にしてくれた。

    ボストン空港の案内所で聞くと、バンゴアまではバスで4時間程度、10時に出て14時に着く事がわかったので、この町に2日間滞在することを決めた。とにかく宿泊地を決めないといけないので、ボストンのユースに電話してみる。泊まれるかどうかきいてみると、「OK!Thank you!」とだけ言われて電話を切ってきた。少々嫌な予感がしないわけでもなかったが、なんかあっけなかった。

    地下鉄のブルーラインからグリーンラインへと乗り換える。グリーンラインは相当古い地下鉄らしく、とにかく穴掘ってそこに路面電車を走らせているような感じだった。迷いつつも何とかユースにたどり着く。

    だがユースに到着して、1時間前に電話した旨を伝えると名前やクレジットカードの番号を聞かれる。

    電話した際に名前もナンバーも聞かれなかったこと疎必死に伝えると、部屋の空きはあった様で何とか宿泊できることになった。夜になると食事に出かける。1826年創業で、ボストン最古のレストランである「ユニオンオイスターハウス」へ行った。20分ほど待たされた後、テーブルに向かいメニューを見る。とにかく単語がわからない。必死に単語を調べていると、「あと1分以内に決めるのよ!」などと店員にせかされる。とにかく「ソテードシーフードメドレー」というのを注文する。量が半端になく多かった。

    でもなかなか雰囲気もよく、なかなかいいレストランだった。

    一日を終えて気づいたことは、とにかく必死にコミュニケーションを取ろうとすれば相手は理解してくれる。しかし向こうの言葉は、なんとなくしかまだわからなかった。後はとにかく笑顔を大切にすることだと思った。

    シカゴ オヘア国際空港 (ORD) 空港

  • 7月19日(月)<br /><br />明日バンゴアへ向かえばいいので、丸一日ボストンの観光に当てることにした。マクドナルドで朝食を済ます。ソフトドリンクはセルフサービスなので、日本のように殆ど氷のコーラが出ることはまずない。<br /><br />ボストン美術館へと向かった。まずは南米の装飾品のコーナーへ向かう。説明によれば、マヤ文明では雨を降らすために人間の地を生贄として神に捧げるそうである。やはり装飾品は宗教的な意味合いが強いが、同時に自分の身分を示すステータスシンボルである。またスペインが攻め込んだ際、スペイン人は金塊を好んだので、殆どの装飾品を金塊に変えてしまったそうである。アフリカ美術やオセアニア美術やアメリカ美術など、とにかく広かった。丸一日あっても足りないくらいに広い。さすがに世界の4大美術館と呼ばれるだけあって、とにかく展示品の量が半端でないし、途中で迷子になってしまうほどだった。おそらく回り損ねたエリアもあるだろう。日本の仏像や屏風までも展示されていた。世界の殆どのエリアの美術品が集められているようだった。個人的には、やはりフランス印象派のモネの絵画が大好きである。<br /><br />世界の各地の美術ははじめは実用のために使われ、次第に装飾が進んでいったようである。それが次第にステータスシンボル的役割と宗教的役割が重視されるようになり、そして自己表現としての美術へと発展してきたようである。<br />

    7月19日(月)

    明日バンゴアへ向かえばいいので、丸一日ボストンの観光に当てることにした。マクドナルドで朝食を済ます。ソフトドリンクはセルフサービスなので、日本のように殆ど氷のコーラが出ることはまずない。

    ボストン美術館へと向かった。まずは南米の装飾品のコーナーへ向かう。説明によれば、マヤ文明では雨を降らすために人間の地を生贄として神に捧げるそうである。やはり装飾品は宗教的な意味合いが強いが、同時に自分の身分を示すステータスシンボルである。またスペインが攻め込んだ際、スペイン人は金塊を好んだので、殆どの装飾品を金塊に変えてしまったそうである。アフリカ美術やオセアニア美術やアメリカ美術など、とにかく広かった。丸一日あっても足りないくらいに広い。さすがに世界の4大美術館と呼ばれるだけあって、とにかく展示品の量が半端でないし、途中で迷子になってしまうほどだった。おそらく回り損ねたエリアもあるだろう。日本の仏像や屏風までも展示されていた。世界の殆どのエリアの美術品が集められているようだった。個人的には、やはりフランス印象派のモネの絵画が大好きである。

    世界の各地の美術ははじめは実用のために使われ、次第に装飾が進んでいったようである。それが次第にステータスシンボル的役割と宗教的役割が重視されるようになり、そして自己表現としての美術へと発展してきたようである。

    ボストン美術館 博物館・美術館・ギャラリー

  • 明日の出発地にあたるサウスステーションを下見してから。ケンブリッジへと向かう。ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学といった全米のトップ校が集まるエリアである。ハーバードスクウェアの駅に降り立つと、さすがに学生街といった独特の雰囲気が漂う。雨が激しかったので大学見学をあきらめ、近くの大学生協を見てみる。やはり売っているものは日本とそう変わらないようである。そして近くにあるHMVを見てみる。するとビデオのコーナーにポケモンのビデオがあった。日本では主人公は「サトシ」だが、アメリカ版では「Ash」になっているのが印象的だった。<br /><br />

    明日の出発地にあたるサウスステーションを下見してから。ケンブリッジへと向かう。ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学といった全米のトップ校が集まるエリアである。ハーバードスクウェアの駅に降り立つと、さすがに学生街といった独特の雰囲気が漂う。雨が激しかったので大学見学をあきらめ、近くの大学生協を見てみる。やはり売っているものは日本とそう変わらないようである。そして近くにあるHMVを見てみる。するとビデオのコーナーにポケモンのビデオがあった。日本では主人公は「サトシ」だが、アメリカ版では「Ash」になっているのが印象的だった。

  • アメリカにきて2日目。少しずつ慣れてきたようだ。特にここボストンは、煉瓦造りの歴史ある建物に混じって近代的なビルが立ち並び、すごく雰囲気がいい。地球の歩き方には、アメリカを回るにはサンフランシスコから回るのがいいとかかれている。西海岸ならおそらくそうであろう。東海岸から回るにはボストンがいいのではないかと思えた。治安も町の雰囲気もよく、見所も多い。ただ迷いやすいという欠点もある。日本人も比較的多い。<br />

    アメリカにきて2日目。少しずつ慣れてきたようだ。特にここボストンは、煉瓦造りの歴史ある建物に混じって近代的なビルが立ち並び、すごく雰囲気がいい。地球の歩き方には、アメリカを回るにはサンフランシスコから回るのがいいとかかれている。西海岸ならおそらくそうであろう。東海岸から回るにはボストンがいいのではないかと思えた。治安も町の雰囲気もよく、見所も多い。ただ迷いやすいという欠点もある。日本人も比較的多い。

  • 日本人と韓国人と中国人は外見上はあまり変わらない、最近特にそう思えた。ケンブリッジに行ったとき黒人男性から「ヘイ、マイフレンド。黒人の子供のキャンプに寄付してくれないかい、1$それとも2$かい」などと誘われたが、気が進まなかったのでひたすら英語が通じないふりをして「GoodBye」と足早に立ち去ろうとした。するとあっさりと「OK!ニイハオ、シェイシェイ」などといってきた。中国人だと思っていたらしい。<br /><br />夜はユースの近くの“Japanese-Korean Cuisine”の店に入る。予想通り店のオーナーは韓国人だった。日本人にはやはり日本料理と韓国料理を一緒にする発想はないだろう。外見はそれほどかわらない韓国人に親しみを感じる自分がそこにいた。<br /><br />7月20日(火)<br /><br />10時のConcord Trailでボストンを出発する。バスターミナルからハイウェイへと入ると、眼下にボストンの町並みが広がる。やはり素敵な街である。この街なら住んでもいいかなという気持ちになれた。<br /><br />ボストンの市街地を通り過ぎ、次第に建物の数が少なくなってくると、日本の市街地のはずれの高速道路のインター付近、あるいは国道のバイパス付近といったような風景が広がる。マクドナルドのドライブスルーやMOTEL、TOYOTAやNISSANの販売所など。どこかで見たことのある風景といっても過言ではない。それを通り抜けると、本当に森の中を突っ切っているようだった。あたり一面に建物が殆どない景色が続いた。<br /><br />ニューハンプシャー州をかすめて、Maine州へと入って行く。途端に車線の数が減る。やはり田舎ということなのだろうか。途中州最大の都市であるポートランドのバス停で止まり、再びハイウェイへとバスは入っていく。2時間ほど森の中を疾走したあとに、バンゴアのダウンタウンのバス停へと止まる。<br /><br />とはいっても、辺りには建物は少ない。降りてみて初めて気づいたが、とにかく寒い。空港までの交通手段を聞くとタクシーしかないといわれ、タクシーへと乗り込む。だが実を言うと、空港は目と鼻の先だった。<br /><br />Bongor International Airportとはいうものの、殆ど東海岸から五大湖にかけてあたりからの国内線ばかりだった。あっけなく国際ヴォランティアキャンプのほかのメンバーたちと合流して、2週間に及ぶ小さな国際交流が始まるのであった。<br /><br />

    日本人と韓国人と中国人は外見上はあまり変わらない、最近特にそう思えた。ケンブリッジに行ったとき黒人男性から「ヘイ、マイフレンド。黒人の子供のキャンプに寄付してくれないかい、1$それとも2$かい」などと誘われたが、気が進まなかったのでひたすら英語が通じないふりをして「GoodBye」と足早に立ち去ろうとした。するとあっさりと「OK!ニイハオ、シェイシェイ」などといってきた。中国人だと思っていたらしい。

    夜はユースの近くの“Japanese-Korean Cuisine”の店に入る。予想通り店のオーナーは韓国人だった。日本人にはやはり日本料理と韓国料理を一緒にする発想はないだろう。外見はそれほどかわらない韓国人に親しみを感じる自分がそこにいた。

    7月20日(火)

    10時のConcord Trailでボストンを出発する。バスターミナルからハイウェイへと入ると、眼下にボストンの町並みが広がる。やはり素敵な街である。この街なら住んでもいいかなという気持ちになれた。

    ボストンの市街地を通り過ぎ、次第に建物の数が少なくなってくると、日本の市街地のはずれの高速道路のインター付近、あるいは国道のバイパス付近といったような風景が広がる。マクドナルドのドライブスルーやMOTEL、TOYOTAやNISSANの販売所など。どこかで見たことのある風景といっても過言ではない。それを通り抜けると、本当に森の中を突っ切っているようだった。あたり一面に建物が殆どない景色が続いた。

    ニューハンプシャー州をかすめて、Maine州へと入って行く。途端に車線の数が減る。やはり田舎ということなのだろうか。途中州最大の都市であるポートランドのバス停で止まり、再びハイウェイへとバスは入っていく。2時間ほど森の中を疾走したあとに、バンゴアのダウンタウンのバス停へと止まる。

    とはいっても、辺りには建物は少ない。降りてみて初めて気づいたが、とにかく寒い。空港までの交通手段を聞くとタクシーしかないといわれ、タクシーへと乗り込む。だが実を言うと、空港は目と鼻の先だった。

    Bongor International Airportとはいうものの、殆ど東海岸から五大湖にかけてあたりからの国内線ばかりだった。あっけなく国際ヴォランティアキャンプのほかのメンバーたちと合流して、2週間に及ぶ小さな国際交流が始まるのであった。

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  • らびたんさん 2019/01/14 07:07:41
    1分以内に決めるのよ!
    Miyatanさん、こんにちは(^^)

    >1分以内に決めるのよ!
    これ笑いました…こういう時代?あったなーと。

    アジア人に冷たい、というか、
    我々は英語も読むの遅いし、
    着いたばかりじゃ優柔不断だし、
    最初は海外で生き抜くのは大変だーと思った記憶があります。

    復刻版おもしろいですね。
    Miyatanさんこの時代からネットしてたなんて、
    すごいです。
    私はIT系弱くて、初めて自宅にPC置いたの2009年間ですよ。

    では続きも楽しみにしています。

    らびたん

    Miyatan

    Miyatanさん からの返信 2019/01/14 22:24:30
    RE: 1分以内に決めるのよ!
    らびたんさん、こんばんは(^^)

    1分以内に決めなさい、、、今では中々そういう事言われる事もないですよね。日本だったら、食べログに散々な事書かれそうですし。海外でも、トリップアドバイザー辺りにサービス悪い、なんて書かれそうです。それを考えると、20年という月日を感じてしまいます。

    今読み返すと、入国審査のシーン、あれはダメダメだったなーと思ってしまいます。あれ以来、きちんと入国カードは記入して、質問にもきちんと答えられるようにしています。

    初海外一人旅だったので、戸惑う事だらけで、大変だったと思いつつ、結構ポジティブだったなーと思います。

    復刻版は、アメリカだけで16作、インドと中南米も文章自体は過去に作成済みです。ただ、写真が全部実家にあるので、実家に戻ったときにデジカメで写さなきゃ、という感じです。しかも夜やると部屋の照明が反射するので、日中しかできないという。

    ナイアガラ編とニューヨーク編は、近々UPします。それ以降はいつになるのやら。。。

    気長に待っていてください。

    Miyatan

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