2018/02/17 - 2018/02/17
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zenkyou01さん
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京田辺市寺社巡り 2018年2月17日
JR京田辺駅→(徒歩10分)棚倉孫神社(7分)→(徒歩13分)一休寺(1時間4分)→(徒歩35分)酒屋神社(15分)→(徒歩27分)大御堂観音寺(16分)→(徒歩23分)筒城宮伝承地(10分)→(徒歩30分)寿宝寺(21分)→(徒歩12分)JR三山木駅
(1) 酬恩庵(一休寺)
臨済宗大徳寺派の一寺。 山号は霊瑞山。創建は13世紀末期。開山は大応国師。本尊は釈迦如来
文化財は国重文 本堂、庫裏、方丈、鐘楼、浴室、東司、一休和尚坐像、国名勝庭園、京都府指定文化財総門、中門、一休禅師関係資料等多くを有する。13世紀末、大応国師が開いた妙勝寺を、衰退後1456年一休禅師が庵を結び中興する。総門を潜り、参道の曲がり角に浴室と三本杉(一休禅師等お手植え)、右塀の中に宗純王廟(一休禅師は後小松天皇の皇子であるため、陵墓として立ち入り禁止)と虎丘庵がある。中門を入ると左に東司、正面に庫裏。庫裏から中に入り、方丈があり、方丈前には枯山水の蓬莱庭園(南庭)がある。座ってじっくり見ていると、心が静まる見事な庭園です。内陣中央には一休禅師の木像、襖には狩野探幽によるショウショウ八景、林和晴(複製)が描かれている。東には東庭、北にも北庭が配置されている。これら3つの庭は石川丈山(京都詩仙堂を造営した)等3人の合作といわれている。中門を出て左に鐘楼、右へ行き本堂がある。本堂も国重文で、火等窓、弓欄間、屋根下の木組等趣向を凝らした技法が使用されている。本堂内には、ご本尊釈迦如来像、勢至・普賢菩薩が安置されている。開山堂(妙勝寺を開いた大応国師像を安置)、少年一休像、宝物殿がある。宝物館には狩野探幽の襖絵、一休禅師の遺偈、頂相等が展示されている。境内も広く、国重文の文化財も多く所有し、また丈山作の枯山水庭園も含め、歴史ファンには見逃せない寺院です
(2) 酒屋神社
創建年代は不明であるが、西暦859年には酒造神として崇敬を得てきている。祭神は津速魂神と応神天皇。神功皇后が遠征の際、酒壺を背後神社に安置し、帰国後霊験に感謝し、社殿を創立した。また、河内国の酒造りを業とする中臣酒屋連の一族が來住して酒造りを伝授し、祖神を祭ったのが始まりともいう。鳥居、割り拝殿、本殿、末社のこじんまりした神社です。本殿は明治9年の再建ですが、屋根の形状が見事で、眼を見張りました。正面は千鳥破風、向拝(階段上の張り出した部分)の前面は唐破風(緩やかに波打つ破風)を備えていて、余りお目にかかったことの無い印象に残る造形の屋根でした。秋の紅葉の時期に合わせると、趣が倍加するでしょう
(3) 大御堂観音寺
法相、三論、華厳の三宗を兼ねた寺院。 山号は普賢山。創建は7世紀初期、天武天皇勅願寺で、開基は義淵僧正。本尊は十一面観世音菩薩。文化財は国宝 木芯乾漆十一面観世音菩薩。以前は筒城の大寺と呼ばれる大寺院であったが、1437年の大火事で消失した。現在は山門の無い、再建された本堂、鐘楼、庭園のこじんまりした伽藍になっています。本寺のハイライトは本堂内に国宝木芯乾漆十一面観世音菩薩です。平安時代の仏様は寄木、一木造りが多いのですが、本寺の仏様は乾漆像です(木芯に布や紙を漆で張り重ねたり、木屑と漆を練り合わせたものを盛り上げて作る彫像方法)。始めて見る彫像方法の仏様かなと思いましたが、帰宅してから調べたら東大寺や唐招提寺で見たことがあるのが分りました。仏様は男性ですが、女性らしさを感じさせる柔和で神々しいお顔に見とれてしまいます。見る場所を変えると表情が変わって見えます。鐘楼そばには、「二月堂竹送り復活の地」という石碑がたっています。本寺第一世の実忠和尚が東大寺お水取り行事を始めた関係で行事に使用する竹をここから送っています。参道には桜が植えられていたので、季節に合わせて参拝すると楽しみが倍加します
(4) 筒城宮伝承地
第25代継体天皇が511年都を筒城宮に移したところで、筒城宮伝承地は諸説6箇所といわれ、その1つがここ「都谷」です。日本書紀や興福寺の文書の地名や寺院名称からひもどき、ここが有力候補の1つとなりました。同志社大学構内の小高いところに、筒城宮跡の石碑と継体天皇皇居故跡の碑が建っています。遺構、遺跡、出土品等が無いので具体的な都の姿が全く想像できず、記憶に残る史跡ではありませんでした
(5) 寿宝寺
高野山真言宗の一寺、 山号は開運山、創建は伝704年、本尊は十一面千手千眼観世音菩薩。文化財は国重文の十一面千手千眼観音菩薩、その他聖徳太子立像、弘法大師像、隆三世明王、金剛夜叉明王、大日如来等を有する。古くは山本の大寺と呼ばれ大寺院であったが、度重なる木津川の氾濫で流失する。江戸時代中期に移築され、1997年の大造営で本堂、客殿、庫裏等が建設された。本寺のハイライトは観音堂内に国重文十一面千手千眼観世音菩薩です。平安時代後期の作で、像高180cm、一木造りで千本の手(各手に眼が描かれている)を持っています(実際に千本ある仏像は藤井寺と唐招提寺と本寺です)。この仏様は明るいところと暗いところで見せる表情は全く異なります。昼の太陽の光で見る表情は「眼は半眼、唇の朱色が鮮やかに見え、厳しいお顔をしている」、入り口の戸を閉め薄暗いところで見る表情は「眼を閉じ、唇の朱は目立たず、ふっくらとやさしいお顔をしている」という素晴らしい出会いでした。写真撮影禁止のため文章でしか表現できないのは残念です。観世音菩薩の左手に隆三世明王、右手に金剛夜叉明王が安置されていました。参拝客数に差があるのでしょうが、京都市内有名寺院に比べ、滋賀県やここ京田辺市の寺院の方の説明が懇切丁寧で理解しやすいのが解かりました。寺の傍には山本駅旧跡の碑が立っています。これは平城京と北陸、山陰、河内国等をつなぐ官道に置かれた駅で駅舎、宿舎、厩舎、休憩室等の建物がありました
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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棚倉孫神社 七世紀創建といわれている古い神社
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一休寺総門 臨済宗大徳寺派の一寺。 山号は霊瑞山。創建は13世紀末期。開山は大応国師。本尊は釈迦如来。文化財は国重文 本堂、庫裏、方丈、鐘楼、浴室、東司、一休和尚坐像、国名勝庭園、京都府指定文化財総門、中門、一休禅師関係資料等多くを有する。13世紀末、大応国師が開いた妙勝寺を、衰退後1456年一休禅師が庵を結び中興する
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一休お手植え杉 総門を潜り、参道の曲がり角に三本杉(一休禅師等お手植え)があります
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一休宗純王廟の門 天皇のお子ということで門に菊の御紋がついている
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一休宗純王廟 枯山水庭園の中にある一休禅師のみたまや
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一休寺中門 京都府指定有形文化財
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一休寺庫裡 国重文
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一休寺方丈南園 国指定名勝、枯山水庭園の枯滝落水の様子を表している
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一休寺方丈 国重文、狩野探幽筆の襖絵がある
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一休寺方丈東庭 国指定名勝、枯山水庭園の十六羅漢の様子を表している
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一休寺方丈北庭 国指定名勝、枯山水庭園の白砂の大海を表している
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一休寺唐門 四脚門の一つで、唐破風を持つ門(中央が凸状に曲線になり、両端部で反転して凹状の曲線になる破風になる
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一休寺本堂の火等窓 国重文で、火等窓、弓欄間、屋根下の木組等趣向を凝らした技法が使用されている
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一休寺宝物殿 宝物館には狩野探幽の襖絵、一休禅師の遺偈、頂相等が展示されている
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一休寺開山堂 妙勝寺を開いた大応国師像を安置している
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一休寺の一休禅師(幼少のころ)の石像
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一休寺の観世流三代の墓
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酒屋神社の鳥居 創建年代は不明であるが、西暦859年には酒造神として崇敬を得てきている。祭神は津速魂神と応神天皇。神功皇后が遠征の際、酒壺を背後神社に安置し、帰国後霊験に感謝し、社殿を創立した。また、河内国の酒造りを業とする中臣酒屋連の一族が來住して酒造りを伝授し、祖神を祭ったのが始まりともいう
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酒屋神社割拝殿 鳥居、割り拝殿、本殿、末社のこじんまりした神社です
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酒屋神社本殿 本殿は明治9年の再建ですが、屋根の形状が見事で、眼を見張りました。正面は千鳥破風、向拝(階段上の張り出した部分)の前面は唐破風(緩やかに波打つ破風)を備えていて、余りお目にかかったことの無い印象に残る造形の屋根でした
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観音寺本堂 法相、三論、華厳の三宗を兼ねた寺院。 山号は普賢山。創建は7世紀初期、天武天皇勅願寺で、開基は義淵僧正。本尊は十一面観世音菩薩。文化財は国宝 木芯乾漆十一面観世音菩薩。以前は筒城の大寺と呼ばれる大寺院であったが、1437年の大火事で消失した。現在は山門の無い、再建された本堂、鐘楼、庭園のこじんまりした伽藍になっています。本寺のハイライトは本堂内に国宝木芯乾漆十一面観世音菩薩です。平安時代の仏様は寄木、一木造りが多いのですが、本寺の仏様は乾漆像です(木芯に布や紙を漆で張り重ねたり、木屑と漆を練り合わせたものを盛り上げて作る彫像方法。仏様は男性ですが、女性らしさを感じさせる柔和で神々しいお顔に見とれてしまいます。見る場所を変えると表情が変わって見えます
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観音寺本堂前庭園 あまり特徴のない庭園です
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観音寺二月堂竹送り復活の地 鐘楼そばには、「二月堂竹送り復活の地」という石碑がたっています。本寺第一世の実忠和尚が東大寺お水取り行事を始めた関係で行事に使用する竹をここから送っています
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観音寺鐘楼
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筒宮城跡伝承の地の説明版 第25代継体天皇が511年都を筒城宮に移したところで、筒城宮伝承地は諸説6箇所といわれ、その1つがここ「都谷」です。日本書紀や興福寺の文書の地名や寺院名称からひもどき、ここが有力候補の1つとなりました
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筒宮城跡石碑 同志社大学構内の小高いところに、筒城宮跡の石碑と継体天皇皇居故跡の碑が建っています
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継体天皇皇居故跡 遺構、遺跡、出土品等が無いので具体的な都の姿が全く想像できず、記憶に残る史跡ではありませんでした
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寿宝寺山門 高野山真言宗の一寺、 山号は開運山、創建は伝704年、本尊は十一面千手千眼観世音菩薩。文化財は国重文の十一面千手千眼観音菩薩、その他聖徳太子立像、弘法大師像、隆三世明王、金剛夜叉明王、大日如来等を有する
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寿宝寺本堂 古くは山本の大寺と呼ばれ大寺院であったが、度重なる木津川の氾濫で流失する。江戸時代中期に移築され、1997年の大造営で本堂、客殿、庫裏等が建設された
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寿宝寺観音堂 本寺のハイライトは観音堂内に国重文十一面千手千眼観世音菩薩です。平安時代後期の作で、像高180cm、一木造りで千本の手(各手に眼が描かれている)を持っています(実際に千本ある仏像は藤井寺と唐招提寺と本寺です)。この仏様は明るいところと暗いところで見せる表情は全く異なります。昼の太陽の光で見る表情は「眼は半眼、唇の朱色が鮮やかに見え、厳しいお顔をしている」、入り口の戸を閉め薄暗いところで見る表情は「眼を閉じ、唇の朱は目立たず、ふっくらとやさしいお顔をしている」という素晴らしい出会いでした。写真撮影禁止のため文章でしか表現できないのは残念です
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寿宝寺門前にある山本駅旧跡石碑 寺の傍には山本駅旧跡の碑が立っています。これは平城京と北陸、山陰、河内国等をつなぐ官道に置かれた駅で駅舎、宿舎、厩舎、休憩室等の建物がありました
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