2018/12/27 - 2019/01/03
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ozackさん
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この旅行記スケジュールを元に
いよいよ観光開始。まずはテルアビブの隣のヤッファに行きます。
- 旅行の満足度
- 3.5
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テルアビブのホテルの自室からの眺望。小雨が降ってます。実は今回の旅行はあんまり天気がよくない予報が続いてたんですよね。散歩に行こうかと思いましたが、やめました。
信夫さんによると、イスラエルの雨期は12月~3月。4月~10月はまったく雨が降らないそうで、この時期の雨はまさに恵みの雨になります。 -
ホテルの朝食。イスラエルは朝食に限らずビュッフェ形式が多いです。
では、ここでユダヤ教の食事規定「コーシェル」について書いておきましょう。聖書のルールに従ってホテルの食事も出されています。
聖書レビ記11章にはこういう記述があります。
「あなたがたが食べてよい生き物は次のとおりである。反芻するもので、ひづめが割れ、完全に分かれている動物はすべて食べることができる」
具体的に言うと、牛、羊、山羊、鹿などはOKです。ラクダ、野ウサギは反芻するけれどもひづめが割れていないのでダメ。豚は反芻しないので食べられません。
魚介類については「海や川にいても、ひれやうろこのないものは、あなたがたにはすべて忌むべきものである」
つまり、イカ・タコ・エビはダメ。貝類もダメ。ウナギもアウトです。
チキンはOKですが、猛禽類はダメです。
さらに「子山羊をその母の乳で煮てはならない」(申命記14章)という記述もあります。これが厄介で、朝食にはチーズやヨーグルト、卵料理はありますが、肉類は一切ありません。乳製品と肉は一緒に食べられないのです。
夕食には肉が出てきますが、乳製品は一切出てきません。ヨーグルト好きな人はつらかったようです(^_^;)
その他、血のしたたるようなステーキもダメです。何度かビーフを食べましたが、全部きれいに血抜きされ、いまいちうまみがありませんでした。
興味ある方はこちらのリンクをどうぞ。旅行記でも何回か触れます。
http://myrtos.co.jp/info/judaism04.php#Q1 -
暖かい料理は卵か温野菜ばかりです。
朝はベーコンかソーセージが食べたいですけど、イスラエルではダメでした。 -
私の大好きな魚の酢漬けがあったので大量にとりました(´~`)モグモグ
卵料理もまあまあうまい。イスラエルはうまいものがないような先入観をもってましたが、これなら安心・・・とこの時点では思っていたのですが、後から振り返るとここはかなり美味しい方に入ってましたね。 -
ホテルの玄関。ここは一泊だけです。
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では出発。ボーケル・トーブ(^_^)/
この「ボーケル・トーブ」がヘブライ語の「おはようございます」です。ボーケルが良い、トーブが朝で、グッド・モーニングというわけですね。
信夫さんの説明でこれまで書ききれなかったことをまとめて書いておきます。
イスラエルの面積は日本の四国ぐらいで、ここに900万人が住んでいます。
観光は近年絶好調で、イスラエルを訪れた外国人観光客は2017年は360万人、18年は400万人突破が確実。紛争が続いているイメージですが、国内の治安は良好だと信夫さんは強調してました。
帰国後、正式な数字が発表され、18年の観光客は412万人で過去最高を記録しました。興味ある方は下のリンクを。
https://jp.reuters.com/article/israel-economy-tourism-idJPKCN1P105F
何と、19年にはイスラエル南部のエイラートに国際空港ができるんですね。死海方面はますます混雑しそうです。いいときに訪問したのかもしれません。 -
オレンジ色のベスパを発見。イスラエルは圧倒的にスクーターが多かったですね。ビッグスクーターも多数。ギア付きが少ないのは国民性でしょうか。
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地中海はかなり荒れてて鉛色です。天気が良ければ結構リゾートっぽいのかもしれません。
信夫さんは「地中海の雲が陸に来るので、これを見ていれば天気は読める」と言ってました。これを見ると・・・しばらく雨が続きそうですね(^_^;) -
この写真に納まっているか自信はないのですが、この辺が在イスラエル米国大使館だった建物です。大使館はトランプ大統領の指示で18年5月にエルサレムに移りました。イスラエルの建国70周年記念に合わせたものです。
信夫さんは「イスラエルの首都はエルサレムだと認めているのに、日本はじめ各国はアラブ側に配慮してテルアビブに大使館を置いている。私に言わせれば『アラブ甘やかせ政策』だ」と主張してます。
安倍首相がエルサレムを訪問(18年5月)した際にも日本大使館のエルサレム移転を進言したようです(^_^;)ゴリゴリの親イスラエル派ですね。実際には安倍首相がパレスチナ自治政府のアッバス議長に「移転しない」と約束して帰ってきたわけですが。 -
バスは海岸沿いをしばらく走ってヤッファに入りました。
実はテルアビブ・ヤッファ市で行政区としては一体です。 -
ヤッファ旧市街の小高い丘に来ました。
ヤッファはヨッパとかジャッパの名前で呼ばれることもあり、3400年前からある古い港町です。聖書に出てくるノアの3男ヤペテが作った街という意味や「美しい港」の意味もあるようです。 -
旧市街の中心部ケドゥミーム広場です。
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イチオシ
どうも。ナポレオンです(^O^)
なぜここにナポレオンの像があるかというと、ナポレオンのエジプト遠征のとき、シリア方面にも攻め入っていたんですね。ロゼッタストーンを見つけたのがフランス軍だったのを知っている人も多いでしょう。
信夫さんは「フランス軍は来たけど、ナポレオン自身はヤッファに来てないんだよね」と言いつつ脇を通り過ぎていきました(=写真)
絵画に詳しい人は「ヤッファのペスト患者を見舞うナポレオン」という絵があるのをご存知でしょうが、あれもプロパガンダで書かせたらしいです。伝染病になった兵士を見捨てていないというアピールですね。
ヤッファで他に目玉になる人物がいないので、このナポ君がご当地キャラになっているんでしょうか。看板を持っているナポ君が何か所かに立ってました。 -
この狭い道を通って「皮なめしシモンの家」を見に行きます。この家は、キリスト教が世界的に広まるきっかけになる出来事があった、とされる場所です。
なぜ「皮なめしシモン」と職業名を入れるのかというと、ペテロも本名がシモンだからだと思います。多分。
皮なめしには真水が必要です。海のこんな近くですが、20メートルほど井戸を掘ると、真水が出てくるらしいです。 -
これが皮なめしシモンの家の玄関です。現在はアルメニア人のクリスチャンが住んでいます。200年くらい前から。内部は公開してません。「ザカリア家」という表札?が出ていました。
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では「皮なめしシモンの家」の説明を。新約聖書の使徒言行録の9~10章に書いてある話を、信夫さんの話も参考に、私なりに要約してみました。
①ペテロがヤッファで幻を見る
ペテロはイエス亡き後、イスラエル各地を回って教えを広めていましたが、あるときヤッファの皮なめしシモンの家に滞在しました。ある日、ペテロが腹減ったなあと思っていたら、天から大きな布で四隅を吊るされた入れ物が降りてきました。中に入っていたのは、コーシェルで禁じられた食べてはいけない動物です。天から「ペテロや、屠って食べなさい」という声が聞こえましたが、ペテロは「主よ、とんでもないことです。清くないものは食べられません」と拒否しました。天の声は「神が清めたものを、清くないなどと言ってはならない」と言いました。入れ物は天に上げられました。ところがまた天から入れ物が降りてきて、同じようなやり取りでペテロは拒否します。3度目また入れ物が降りてきて、ペテロは3度目も同様に拒否します。
②コルネリウスがカイザリアで幻を見る
ヤッファの北のカイサリアに駐留していたローマの百人隊長コルネリウスが、ある日、神に祈っていました(コルネリウスはローマ人ながらユダヤ教を信じていたみたいです)。すると天使が降りてきて「あなたの祈りは神に届いた。ヤッファに使いを出して、ペテロという人を招きなさい。その人は海岸近くの皮なめし職人シモンの家の客になっている」と言いました。コルネリウスは召使2人と部下の兵士1人をヤッファに使いに出しました。
③ペテロがコルネリウスの使者と会う
ペトロが3度の幻を見て考え込んでいるときに、コルネリウスの使者がシモンの家を訪ねてきました。するとまた天の声が「3人の者があなたを探しに来ている。一緒に出発しなさい。私があの者たちを呼んだのです」と言いました。ペテロは使者の話を聞き、偶然の一致でないと分かり、カイサリアに行きました。ペテロはコルネリウスにイエスの教えを伝え、洗礼を与えたのです。
これがユダヤ人以外にキリスト教を伝えた最初の例です。ペテロは批判を受けましたが、3度見た幻とコルネリウスの見た幻の話をして「接してはならない人に接して教えを広げろという神の啓示を受けた。逆らうことはできない」などと意義を強調したようです。この後、キリスト教は弾圧を受けながらも広がり、300年後にはローマも公認、さらにはローマの国教にもなるわけです。
これがキリスト教が世界宗教となる始まりです。信夫さんは「この出来事がなければ、キリスト教はユダヤ教の一派として埋もれていたかもしれない」と解説してくれました。 -
広場にあるこの教会が聖ペテロ教会です。後で入ります。
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旧市街の丘の上に行く途中、12星座のモザイク画がありました。あんまり歴史があるものに見えません(^_^;)
次に行く橋と少し関係あるかもしれません。 -
「願いの橋」に来ました。
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皆さんでぞろぞろわたります。少し雨が降ってますが、晴れ間は見えてます。
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このように橋の欄干に12星座を象徴するサインがあります。この星座に触って願い事をすると叶う、というよくあるやつです(^_^;)
信夫さんは「私も来るたびやってるけど、叶ったことはない」と苦笑い。一行のまじめな方々は結構祈ってました。 -
これが牡羊座。私の生まれ星座なので一応ぺたぺた触っておきました(^O^)
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振り返って無人の橋。
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旧市街の一番の高台に来ました。アブラシャ公園と書いてありますね。
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イチオシ
このようにテルアビブの中心部が一望です。
地中海はご覧のように荒れ模様。 -
信夫さんが先回りしてテルアビブの説明をしてくれました。
テルアビブは20世紀初めまでヤッファの北にある砂丘でした。移民してきたユダヤ人280人が、ヤッファのこの丘から降り、オスマントルコから土地を買って街をつくり始めたのです。
その最初の場所が「低いヤナギのあるところ」だと信夫さんが教えてくれましたが、この写真に写っているかどうか不明です(^_^;)
後にテルアビブ初代市長となるメイア・ディーゼンゴフ氏は1910年の鍬入れ式で「280人でスタートしたこの町は、将来2万5千人になる」と演説しました。
その後の発展は予想以上で、1948年のイスラエル建国時のテルアビブの人口は10万人(当時は国全体で60万人)。現在のテルアビブ=ヤッフォ市は90万人弱。エルサレムは90万人強です。実は首都のエルサレムを人口一番にするため、テルアビブの人口は抑え、人口が増えた周辺は別の都市にしているそうです。
テルアビブを中心とした「大テルアビブ都市圏」は約300万人にもなります。 -
イチオシ
丘の頂上にある「信仰の門」です。これも歴史のあるものには見えません(^_^;)
左の柱、右の柱、上の部分にそれぞれ意味があります。 -
説明版がありました。
左の柱→イサクの犠牲。アブラハムがイサクを捧げようとしている?下には羊もいますね。
右の柱→ヤコブの夢。ヤコブが寝ていて、天使が上下に動いている?
上の部分→エリコの陥落。角笛を持ったヨシュアたちが進軍している?よく見ると2頭身です(^O^) -
ラムセス2世の遺跡です。エジプト支配の時代に建てられた戦勝記念の遺跡らしいです。門らしきものがある?
ヤッファで一番古い遺跡らしいです。
発掘中です。今一つやる気を感じられません(^_^;)が、まさにラムセス2世の時代にモーゼはエジプトを出たわけですから、イスラエルにも関係あると思いますがね。 -
海に向けて据えられた大砲がありました。
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これはオスマントルコ時代の沿岸砲ですね。
ここでイスラエルの歴史を紀元前から大づかみに紹介しておきます。
①旧約聖書の時代。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ。さらにエジプト移住からモーゼの出エジプト。カナーン侵攻(エリコ陥落)
②イスラエル王国成立(BC995年ごろ?)。ダビデ、ソロモンの時代。エルサレム第1神殿
③イスラエルが南北に分裂(北のイスラエル王国と南のユダ王国)。BC721年にイスラエル王国はアッシリアに滅ぼされる。BC586年に新バビロニアがユダ王国を滅ぼす。バビロン捕囚
④新バビロニアを滅ぼしたアケネメス朝ペルシャがバビロンのユダヤ人を開放。BC515年、エルサレムに第2神殿
⑤アレキサンダー大王の支配。BC330年にアケネメス朝ペルシャ滅亡
⑥アレキサンダー大王の死後はセレウコス朝シリアが支配
⑦BC140年にはユダヤ人王朝のハスモン朝が成立するが、まもなくローマの支配下に
⑧ユダヤ属州で反乱が起きるがAD70年にはエルサレム陥落。第2神殿も破壊
⑨ローマ帝国の支配が続く中、コンスタンチン1世とその母ヘレナの時代の4世紀ごろに、キリスト教関連の遺跡の発掘や再建が進んだ
⑩東ローマがイスラムに敗れた636年~1924年のオスマントルコ滅亡まではイスラム支配。ただし十字軍が支配していた時期もある(11世紀末~13世紀末)
⑪第1次世界大戦後は英国の委任統治。第2次世界大戦後は反英闘争の激化で英国は手を引く
⑫1948年にイスラエル独立宣言。4度の中東戦争。パレスチナ問題
細かく書いていくと際限ありませんね。折に触れ説明を加えます -
教会に入りましょう。
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セント・ピーター・チャーチとあります。聖ペテロ教会です。
あ、この旅行記では「ペテロ」や「ペトロ」の表記が混じってますが、特に考えてやっているわけではありません(^_^;)信夫さんは「ペテロ」と言っていることが多かったような。 -
中に入ります。ここでは帽子を取らないといけません。
この後、場所によっては帽子をかぶらないと入れない施設もあります。どういう基準なのか最後まで分かりませんでしたが、入り口で係の人の指示に従っていれば問題ありません。 -
教会内は写真OK。イスラエルは写真NGの方が珍しいため、今回は1週間で千枚以上も撮ってしまいました。
信夫さんも「基本写真はOK。ダメと言われたらカメラをしまえばいい」。いやあイスラエルは非常に合理的ですね。分かりやすくて好きです(^O^) -
教会内ではミサをしていました。何と中国系の方々でした。少し驚きましたが、キリスト教がが世界に広がっているのを象徴する、この教会らしい姿ともいえそうです。
祭壇の絵画に注目。天から白い布の器が下りてきて、ペテロがびっくりしている様子が描かれてます。 -
天井を見上げました。美しいステンドグラスが並んでいます。きれいに撮れた写真だけいくつか紹介しましょう。
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聖母マリアの無原罪のお宿り
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アルカンタラの聖ペトロ
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アビラの聖テレサ
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大ヤコブ
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聖母子像ですね。ちょっとエキゾチックなのは何か理由があるんだと思います。
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イチオシ
聖ペテロ教会を出ました。
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説明板を超訳しておきます。
ここは千年以上もキリスト教徒の拠点でした。16世紀に、巡礼者のために教会と宿屋が建てられましたが、そのとき既に、もっと古い教会の遺跡があったのが分かっています。現在の教会が完成したのは1894年です。普通の教会が東に向いているのと違い、聖ペテロ教会は西に向いてます。地中海の方です。ペテロが初代教皇となったローマに向いているのです。 -
教会近くに「ゾディアック・ファウンテン」がありました。12星座の泉。何か変わったデザインですね。
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説明があったので超訳しときます。
ヤッファで見つかる遺跡は、古いのだと紀元前3000年~2000年ごろの中期青銅器時代に遡ります。昔から人が住んでいて、いろいろな地域と交流のある港街だったんです。このゾディアック・ファウンテンをつくる前の2010年にちょっと発掘してみたら、オスマン帝国のころの建物や水路が出てきました。この泉のちょうど真下では、伝説の「願いの井戸」の跡が見つかりました。伝説によると、願いをかけて井戸にコインを投げると、その願いが叶うというのです。
なるほど、ヘンテコな泉や願いの橋は、そうした伝説から派生して作られていたということですかね。 -
お帰りはこちら~(^O^)
ナポ君とお別れしてテルアビブ中心部に戻ります。
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