1970/08/02 - 1970/08/02
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いっちゃんさん
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新聞やテレビで兼高かおるさんの訃報を聞いて、思い出したのが、49年前の1970年にギリシャ・イタリヤ・スイス・フランスの国々の観光とメンヒ・マッターホルン・モンブランを登る、ヨーロッパの旅をした際に、登山するために本体と別れローマからチュウリッヒに飛び、チュウリッヒから列車でグリンデルワルドに向かう計画で・・・チュウリッヒで1泊しました。
私は、どこへ行っても早朝ウォーキングは欠かさないので、チューリッヒでも、早朝ウォーキングに出て、30分ほど歩くと
ライン川の畔で、16ミリ(テレビカメラ)で撮影しているチームに出会いました。
被写体は女性でしたが、最初誰だかわかりませんでしたが、しばらくして、兼高かおるであることがわかり、撮影が終わると機材をかたずけている間に、兼高かおるさんから話しかけてきてくれました。
何時、日本を出発したのですか・・?
ホテルは日程通り取れていますか・・?でした。
兼高さんは、飛行機はパンナムが番組の後援だから取れるが、ホテルが取りにくくて、困っていると話していました。
気取らず・やさしく話しかけてくれたのに好感を持ちました。
半月後、帰国してすぐの「兼高かおる世界の旅」を見て、ちょこっと私が写っているのを見ましたが、ビデオには撮っていませんでした・・残念
そんな経緯も有り、追悼の旅記を作って見たいと古い資料を引き出しました。
- 旅行の満足度
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新聞やテレビで兼高かおるさんの訃報を聞いて、思い出したのが、49年前の1970年にギリシャ・イタリヤ・スイス・フランスの国々の観光とメンヒ・マッターホルン・モンブランを登る、ヨーロッパの旅をした際に、登山するために本体と別れローマからチュウリッヒに飛び、チュウリッヒから列車でグリンデルワルドに向かう計画で・・・チュウリッヒで1泊しました。
私は、どこへ行っても早朝ウォーキングは欠かさないので、チューリッヒでも、早朝ウォーキングに出て、30分ほど歩くとライン川の畔で、16ミリ(テレビカメラ)で撮影しているチームに出会いました。
被写体は女性でしたが、最初誰だかわかりませんでしたが、しばらくして、兼高かおるであることがわかり、撮影が終わると機材をかたずけている間に、兼高かおるさんから話しかけてきてくれました。
何時、日本を出発したのですか・・? ホテルは日程通り取れていますか・・?でした。
兼高さんは、飛行機はパンナムが番組の後援だから取れるが、ホテルが取りにくくて、困っていると話していました。
気取らず・やさしく話しかけてくれたのに好感を持ちました。
写真のネガの管理が悪く、記念に撮った兼高かおるさんとの写真は、全部腐食してしまいましたので、その時の旅で会った人たちにいただいた寄せ書きで・・ -
マッターホルン登頂の翌日、フランスのモンブランに登るため、シャモニーに出発する前にグリンデルワルドのホテルの屋上で撮った写真です・・
この写真だけ、昔、延ばしていたので・・私の部屋に何時も飾っていたので残っていましたので使いました。
私は、どこえ行っても早朝ウォーキングは欠かさないので、チューリッヒでも、早朝ウォーキングに出て、30分ほど歩くとライン川の畔で、16ミリ(テレビカメラ)で撮影しているチームに出会いました。
被写体は女性でしたが、最初誰だかわかりませんでしたが、しばらくして、兼高かおるであることがわかり、撮影が終わると機材をかたずけている間に、兼高かおるさんから話しかけてきてくれました。
何時、日本を出発したのですか・・? ホテルは日程通り取れていますか・・?でした。 -
スイス航空の305便のクルーが作ってくれた寄せ書き-2
兼高さんは、飛行機はパンナムが番組の後援だから取れるが、ホテルが取りにくくて、困っていると話していました。
気取らず・やさしく話しかけてくれたのに好感を持ちました。
半月後、帰国してすぐの「兼高かおる世界の旅」を見て、ちょこっと私が写っているのを見ましたが、ビデオには撮っていませんでした・・残念
そんな経緯も有り、追悼の旅記を作って見たいと古い資料を引き出しました。
旅記の写真は総て、ネガが腐食してしまい管理の悪さに閉口しましたが兼高かおるさんの訃報を聞いて、当時、49年前を思い出し、当時を振り返って見ました。
「兼高かおる世界の旅」
兼高さん、何時までも旅を楽しんでください・・・
永遠に・・・ -
DC-8スイス航空302便のクルーが作ってくれた寄せ書きです。
このころのDC-8機は一番安定してる飛行機と言われていました。
確か羽田ーギリシャのアテネまで23時間ぐらい、かかったような記憶があります。
今では考えられないですね。
この色紙も、こちらから頼んだのではなく、スチワーデスが私が機内に持ち込んだピッケルを見て、どこに登られたのですかと聞かれて、マッターホルン・モンブラン・他と答えたら、素晴らしい、この機に搭乗いただいて嬉しいです、記念にと云って飛び立つ前に、クルー全員のものとスイス航空の絵ハガキを張り付けて作ってくれて、登頂おめでとう・・当機に登場いただきありがとうございました。と、座席に持ってきてくれたものです。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ホーミンさん 2019/01/11 18:05:29
- 素晴らしい思い出
- いっちゃん
こんばんは。(o^v^o)
わ~~~、(◎o◎)
すごい貴重な旅行記ですね!!
1970年と言えば、大阪万博の年。
私は小学生でした。
海外旅行なんて気軽にできる時代じゃなかったのに、いっちゃんはスイスで登山をしてらしたんですね。
それだけでもすごいのに、な、な、なんと!
あの兼高かおるさんとお話しされたとは!(◎o◎)
しかも向こうからお声を?
そしてあの有名な番組に、いっちゃんが映っていたのですね?
何ともブリリアントな経験♪
拝読してて、興奮いたしました!
ところで・・・
大変申し訳ないのですが、好青年お二人の、どちらがいっちゃんですか?f(^^;
- いっちゃんさん からの返信 2019/01/11 22:01:39
- Re: 素晴らしい思い出
- ホーミンさん こんばんは
何時も訪問、いいね、そして書き込みをありがとうございます。
確かに、海外に出ることは、私の身分では不可能と周囲は見ていました。
その為、周囲では大阪万博へ行こうと、こぞって行っていたようですが、我家の家族もそうでしたが、私は、それ以前からヨーロッパの山に登ることを諦めず行く夢を実現するために、あらゆることをして資金を作りました。
周囲からは変人扱いでした。しかし、山仲間は、私が資金が不足で旅行保険はかけられないと告げると、我々が餞別を集めるから、その資金で保険をかけて行けと応援してくれました。
会社の仲間も、みんな協力してくれて、アルバイトで定時制の高校にも努めて資金作りをしてトライ出来たのです。
ヨーロッパに行けない理由を一つ一つつぶして、最後に実現にこぎつけました。
兼高かおるさんの番組は海外に出るための知識を得るのに、最高の情報源でもありました。チュウリッヒで会えたのも・・・ご褒美だと自画自賛しています。
最後にお尋ねの・・・ハ、ハ、ハ、私は登山靴をはいています。グリンデルワルドのホテルの屋上です。
いっちゃん
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