2017/03/20 - 2017/04/18
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nasunoさん
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4月12日ナムチェを出発し翌日にはエベレスト街道トレッキングの出発地点ルクラに無時到着です。
3月22日にルクラを出発してから23日間のトレッキングが無時終わりました(^_^)!。
苦しい歩きも有りましたが、体調を大きく崩さなかったのが無事ゴール出来た要因かと思います。
行程(その5)
① 4月12日 ナムチェ 7:35発 ~ パクディン Phakding (26,50m) 15:15着
② 4月13日 パクディン 7:45発 ~ ルクラ Lukl (2,850m) 11:35着
③ 4月14日 ルクラ空港 7:15発 ~ カトマンズ空港 8:10着
④ 4月15日 カトマンズ観光
⑤ 4月16日 カトマンズ観光
⑥ 4月17日 カトマンズ空港 20:30発 ~ ソウル・インチョン空港 翌18日5:55着
⑦ 4月18日 ソウル・インチョン空港 10:10発 ~ 成田空港 12時30分着
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- タクシー 徒歩 飛行機
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4月12日 朝食です。7時
時々餅が出て力が出ます。 -
ロッジの食堂です。
ロッジのご主人は写真家で、壁にはヒマラヤの写真が飾ってあります。
何人か気に入ったのを買っていました。 -
ロッジは博物館も兼ねています。
機織り機? -
展示品のパネル。
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パグデインへ向け出発。7時35分
洗濯中の女性。ロッジも洗濯機は無いので我々も手袋をして洗濯でした。
トレッキング中唯一、洗濯機をロブチェで見ました。 -
デイリーさんが入園管理事務所で手続き。
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行く時は蕾だったシャクナゲが満開です。
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馬酔木と細長いマツボックリ。
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行く時に渡った吊り橋に着きました。9時15分
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空いており渡ります。
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渡り終えて。沢山の人が渡って行きます。
もちろん、ヤク、ゾッキョも渡るのでその時は待つしかありません。 -
下は昔の吊り橋です。
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名前?。
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モンジョMonjoにて昼食。11時25分
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食事後、昼寝中の遠藤リーダー。モンジョゲストハウス
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行く時は蕾だった桜も満開です。
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満開の桜。
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上:大きなサクラソウ
下:花が終わった後の? -
猿ぐつわの山羊さんです(-_-)。
どうしてかな?。 -
行く時と同じパグディンのロッジに到着です。15時15分
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4月13日の朝
これからゾッキョに我々のスタッフザック(青色)を積みます。
パグディンを7時45分出発。
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ルクラへ。
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サクラソウとコブシ。
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マニ車、岩の上にヤクの飾りが。
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上:名前?
下:尾長鳥が止まっています。 -
ブルーのリンドウです。
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ルクラのエベレスト街道の出発点に帰ってきました。11時35分
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無事23日間のトレッキングも終了です。長かったようでもあり、あっと言う間に過ぎた日々でした。
皆さん笑顔で記念撮影です(^_^)。残念ながら1名早く帰国しましたが。 -
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ルクラのホテルへ。
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ルクラの飛行場
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ホテルへ到着後、もちろんビールで乾杯です。12時10分
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ルクラのホテル。
久しぶりのトイレ、シャワー付(シャワーは出が悪く温度が低いので使用せず。)
夕食は今回のトレッキングでお世話になった皆さんとお別れパーティで飲んでダンスを(^^~♪)。
デイリー、サントス、パッサン、ラメス、ミラン、スニール、ビゼイ皆さんお世話になりました。ハイキング途中での暖かいドリンクサービス、毎朝のモーニンングコーヒー等ありがたかったです。 -
4月14日 ルクラ空港 6時
照明も少なく薄暗い。航空会社のカウンターが数社あり、いずれも混み合っています。 -
待合室。
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世界一危険と言われるルクラ空港(テンジン・ヒラリーエアポート)。
*ウィキペディアより
1953年5月29日にエベレストの初登頂に成功し、この空港建設に尽力したテンジン・ノルゲイと、エドモンド・ヒラリーに由来する。ヒマラヤ山脈の谷間に位置し、標高が高いために大気密度が低く、非常に変わりやすい天候の上、滑走路全長は460mしかなく、その短く傾斜した滑走路は世界で最も高度な操縦技術が要求される空港の1つである。ヒストリーチャンネルで放送された「最も過激な空港ランキング」で1位にランクされた。 -
狭い機内、操縦席。7時15分
アテンダントが乗っており、唯一飴のサービスが。 -
無事カトマンズ空港に到着。8時12分
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タメルのレストランにて昼食。
ビールで乾杯、何を食べたかな?。 -
4月15日
ホテルの朝食 8時20分 -
左:エビネランの仲間?
他にも沢山咲いています。 -
買い物、食事へ。
ここで帽子を買いました。やはり値段は交渉で値切ります。 -
日本食が恋しくてレストラン「ふる里」へ。
ビーフステーキよりサバ煮付定食が高い690ルピー。 -
野菜炒め、トンカツ、サバ塩焼き等それぞれ注文。12時45分
胃袋が落ち着きます(^^)。 -
夕食は遠藤リーダー行きつけのレストランヘタクシーで。
タクシー料金も運転手と交渉で決まります。街中は混んでいます。 -
レストランに到着です。(帰りに撮影)
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レストラン入口。
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レストランにて、ピザ等を食べました。
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ここにはエベレスト登頂者のサインがあります。
田部井淳子さん名前がありました。
このレストランはエベレスト登頂者は無料だそうです。遠藤リーダーもカードを持っていました。 -
帰りは歩いてホテルへ。20時30分
王宮博物館? -
翌日、4月16日は世界遺産ボダナートへ。9時20分
自転車の果物売り。 -
ボダナートのチケット売場。一人250ルピー
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ネパール最大のストゥーパが目に入ります。(高さ36m)
ボダナートの「ボダ(ボゥッダ)」は「仏陀の」「仏教の」「知恵の」を意味し、「ナート」は「主人」「神」などを意味する。
ボダナートはチベット仏教徒の主要な巡礼地です。また、ボダナートは自然の「気」に満ちた場所に建てられた聖地と言われています。
巡礼者の真摯な祈りがストゥーパの持つエネルギーに加わり、さらにストゥーパ全体が大きなエネルギーになると。
私にはあまり大きな「気」をもらった気はしないのですが。
信者たちのようにマニ車を持って周囲を108回右回りしていないかせいかな。 -
ストゥーパについて(上から)
・尖塔=空
・円筒の傘=風
・目が描かれた基部と13層の塔=火
・半円球のドーム=水
・台座=地 -
マニ車を廻しながら。
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アジマ寺院?
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アジマ寺院
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アジマ寺院より
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アジマ寺院より
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描かれている絵は何か意味が?。
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スマホ撮り中。
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レストランで休んでいると、ドームの上からバケツでペンキ?を振りまき始めました。丸っぽい模様は上手にバケツを振りまいて作るのでした。
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ボダナートを後に日本食と世界遺産の2つに分かれました。
こちらは西川山岳会のGさん達が行かれたダルバール広場。地震の爪痕が残っています。 -
ダルバール広場。
写真はいずれもGさん撮影 -
我々は世界遺産より食い気で (^^)「ヒマラヤそば処」へ。11時35分
満開のブーゲンビリア。 -
全員天ザルソバを注文。久しぶりのソバは美味しいかった。
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ネパール最後の夕食です。17時50分
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お酒(ロキシー?)はお猪口の上の方から注ぎます。泡がたっています。
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黒いのは何だったかな?。年と共に忘れるのも早くなり。
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手元に残っていたロッジのカード。
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ロッジのカード
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レストランのカード。
ステーキハウスにも行きました。安くてボリュームたっぷりですが、お肉が固めです。 -
カトマンズのホテル「ニルヴァーナ・ガーデンホテル」
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お土産です。
紅茶はタメルのお茶屋さんで、右の蜂蜜はスーパーで。
紅茶はまだ2つ残っています。アルミに包装されていたのでまだ香もあり美味しいです。値段はスーパーの方が安いのもありました。
蜂蜜は2つ買ったのですが空になりました。安いのでもっと買ってくれば良かったのにと家内から言われました。 -
こちらはスーパーで買った岩塩です。
まだ手つかずです。 -
上:アンモナイトとカラパタールの石。
アンモナイトは中学生の孫にと思い買ったのですがいらないと言われて ('-_-')。
カラパタールの石には雲母が含まれているのかキラキラしています。
下:トレッキングで愛用したネパール帽
その他にショールを沢山買いました。帰りのスーツケースがお土産でパンパン状態になりました。 -
空港で買ったお酒(ジン)これが一番安いお酒でした(^^)。まだ半分くらい残っています。
ネパールの地酒は、子供へのプレゼントに渡しました。 -
ヒマラヤトレッキングは朝日連峰竜門小屋で遠藤リーダーに出会った事に始まります。雨のため竜門小屋に泊り、酒を飲みながら色々とお話しをした時に、ヒマラヤの写真を見て是非行きたいと思いました。
丁度65歳の定年退職を迎え長期休暇が可能となり、同期を誘い参加しました。
念願のエベレストの雄姿と日の出、アマダブラム、プモリ、8000m級の神々の山々をこの目で見れた事は最高の思い出となりました。
たぶんもう2度と出来ないトレッキングかと思っています。(秋田から参加のK女さんは60歳で初めてのヒマラヤ以来18年ぶりだそうです。私も2度目は78歳で?。)
この旅行記のアップが終わらない内に悲しい悲しい悲報がありました。
一昨年の12月に遠藤リーダーが急逝されました。帰国後も竜門小屋の管理人をされていた時に、急に体調を崩され帰らぬ人となりました。
また、昨年9月にはヘリの墜落事故でガイドのデイリーさんと続けて帰らぬ人となりました。
悲報を聞いた時は本当に信じられませんでした。ただただ、お二人のご冥福を祈るしかありません。
旅行会社「ニレカアドベンチャー」の園子さんから、デイリーのさんの事故の様子がメール連絡があり、その返信時に4トラにトレッキングの様子を投稿中とお知らせしました。
メールの返信で続きを期待されてるようなので、急いで旅行記の完成をと思いアップしました。
遠藤さん、デイリーさん楽しい思い出ありがとうございました。安らかにお眠り下さい。お二人は私の心の中で生き続けます。
2019年1月吉日 nasuno
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