2018/10/19 - 2018/10/29
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orangeさん
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この旅行記のスケジュール
2018/10/21
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バスでの移動
ナフプリオン港からミケーネ遺跡へ
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ミケーネ遺跡観光
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バスでの移動
遺跡から港へ帰り乗船
この旅行記スケジュールを元に
8:00 ナフプリオンに入港しました。
バスで25kmかけて向かうのは Mycenae!
Peloponnesos半島のミケーネを中心に栄えた青銅器文明のミケーネ古代遺跡を見学します。
シュリーマンによって 1867年から発掘が進みその存在が明らかになり
世界遺産に認定されました。
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩
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早起きして朝日が静かに昇る様子を眺めていると幸せな気持ちになります。
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軽く食事を済ませた後で 小型ボートで対岸へ。
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さてと…………
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ボートはサッサと帰って行きました。
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私達はバスに乗りこみます。
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あいにく空は薄曇り
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世界遺産 ミケーネ遺跡の丘にたどりつきました。
世界遺産・ミケーネ文明遺跡は政治・経済・文化・軍事の最大センターであり
・ミケーネ宮殿Mycenae Palace でもありました。
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「アウトレスの宝庫」と呼ばれる石造墳墓の奇妙な横穴に入ってみます。
墳墓入口の高さは5.5m弱、幅は上部で2.4m~下部で2.7mほどの大きな空間。ミケーネ時代にはおそらく入口には大型ドアーのようなものが設備され、常時ガードマンに警備されていたのかもしれません。 -
円錐形の高い天井の内部は真っ暗ですね
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最大幅5m,高さ約10 m
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盗掘にあって宝庫と言われた財宝はすっかり持っていかれました。
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ミケーネにおける人の居住は、新石器時代、前3000年頃にまで遡るといわれま
前2000年頃、アカイア人がアルゴス平野に定住した時からミケーネの発展が始まったらしいのです。
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ペルーの石組みとは違いますが古代の石工の技術に感嘆します。
何を確保するための穴かしら?
ミケーネ文明の全盛期は B.C.1600頃~B.C.1200年頃とされます。
資料によれば 紀元前1450年頃、アルゴリス地方で興り、ミノア文明と同じく地中海交易によって発展しました。 -
円形墳墓A(Grave)
城壁の内と外に大きな円形の墳墓AとBがあります。
有力な貴族層が形成されたのは16世紀から15世紀初めのことで、円形墓Bと円形墓A(円形墓Bの方が先に使用が始まったが、前1600年頃からは両方同時に使われ続ける)はこの時代に属します。ここから手つかずで国立博物館に収まる黄金の仮面や数多の装飾品が見つかったのです。 -
ミノア文明との貿易を通じて芸術などを流入し、ついにはクレタ島に侵攻、征服したと考えられます。このころ、ミケーネはトローアスのイリオスを滅ぼし(トロイア戦争)、後にこれをホメーロスが叙事詩『イーリアス』の題材としましたが、イリオスで大規模な破壊があったことは認められるものの、これが事実かどうかは未だ不明なのです。
のちのポリス社会と異なり、王が君臨し統治下の村々から農作物、家畜などを貢納させていました。貢納を受ける役人が存在していたのですが、エジプトやメソポタミアほど統治機構の整備は進まなかったようです。 -
あちらの門の上の方にライオンの形のレリーフがあります。
周囲は細工のしやすい砂岩で出来ているのに対してここの部分は
別の素材が使用されているようです。 -
近づくと首の欠けたライオンが2頭向かい合って立っています。
「獅子の門」と呼ばれています。裏側は彫りがありません。
好戦的だったと言われるミケーネのシンボルらしいですね。 -
しかしその勢いも北から押し寄せた新しい文明に打ち負かされ消えていきました。
紀元前1150年頃、突如勃興した海の民によって、ミケーネ、ティリンスが破壊され、ミケーネ文明は崩壊したと言われています。これは後にスパルタを成するドーリア人の手によるものとされます。 -
大きな地震があったらしいのですが ギリシャ文明以前に優れた石造りの文化があったのは驚きです。
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坂道を登って行くと
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小さな石門も見えます。頑丈そうです。
ミノア文明の建築が開放的であったのに対し、ミケーネ文明の建築は模倣的で巨石を用い、円頂墓を作る等、堅牢な城壁で囲まれ閉鎖的なものとなっているのてすが、これはミノア文明とは異なり外敵の脅威にさらされれ、動線の基軸として機能していなくて中庭に代わる動線の基軸はメガロンと呼ばれる室内空間で、記念性を持った特権的な空間を構成し中庭はその付属物である。 建物は対称性が重視されている。 -
上の方は崩れてきそうな…
トロイア戦争は前13世紀の末の出来事だと考えられていますが、その後ミケーネは衰退し始めた模様。王宮は火災で焼失、前12世紀の末頃までには、重要な都市としての機能を失ったようです。 -
砦の石垣があり、王城として、砦として作られたものと推定されています。
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ミケーネが地中海全域に勢力を伸ばし始めたのは前1450年ごろから。前1350
頃には市壁が造られ、前1330年頃には王宮を中心にした城砦都市が形成される。前13世紀には市壁が拡大され、ライオン門やアトレウスの宝庫が造られたのもこの時期。 -
ふと足元の可憐な花に目をやります。
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ここから眺めると石灰岩の侵食した様子がわかります
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トロイア戦争は前13世紀の末の出来事だと考えさせられていますが、その後ミケーネは衰退し始めたらしいのです。。
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王宮は火災で焼失、前12世紀の末頃までには、重要な都市としての機能を失ったようです。
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ミケーネの市街をバックに
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案内の銘文が設置されています。
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複雑な稜線に沿って縫うように道を辿ります。
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古代繰り返された攻防を偲びます。左手の階段を行くと
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城壁です。
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城壁の内と外の配置が示されていて拡大していった様子が見えます
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ゴロゴロと石が転がっています
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崖からおっこちないように十分気をつけて歩かねば…
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城郭が姿を現してきました。宮殿ですね。
鉄器が出現する前なのであの穴は銃丸ではない。 -
3000年前はどんなだったでしょう?
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それにしても、かなり広いエリアです。
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ツアーコンダクターの古木さん。明るくて博識の頼もしいリーダーです。
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発見されるまでの長い年月を思います。
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1時間ほどいたでしょうか、そろそろ下山します。
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来た道を引き返しボートに迎えられて
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シーボーンオデッセイ号に帰り着きました。
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ちょっと休憩してからディナーのためレストランに向かいます。
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赤唐辛子の入った色あざやかなトマトスープに始まり
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ポテトサラダ、カニコロッケのようなフライ
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ビーフと海鮮取り合わせ
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新鮮なフルーツ、ブラックベリーが珍しく
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いつもながらアイスクリームは二人前の大きさ
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窓の外は早、くれてゆきます。
船はゆっくりと港を出ます。 -
燃え尽きた太陽の紅色。
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「おいしかったね」「そだね」
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エレベーターホールがきれいです
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ベッドメーキングされた部屋には花びらとチョコレート
船内新聞が置いてありました。
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