2018/11/21 - 2018/11/30
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歴史の教科書を開くと真っ先に出てくる「四大文明」。
その中でも、巨大なピラミッドやスフィンクスにツタンカーメン王などの
黄金マスクやミイラ・・・・長年の念願であり「いつか一度はエジプトに」を実現すべくタイミングを図っていました。
初めてのエジプト、初めてのアフリカ大陸です。
1997年のルクソールテロ事件(日本人10名死亡)や中東を取り巻く
治安の悪さのため勤務先から実質ストップがかかっていましたが、
やっと今回実現しました。
ガイドさんたちからも「ガイドなしでスーク(市場)を歩いてはいけない」と治安の悪さを指摘されておりましたが、実際に歩いてみて不安は感じず、
ごく一般市民の方たちの間では、(物売りのしつこさはどこに行ってもありますが)怖いことなど、ほとんどないことが
わかり、なぜもっと早く来なかったのだろうと後悔したぐらいです。
なるべくガイドブックに載っていない事柄をご紹介しながら、後から
来られる方の参考にしていただければと思いながら、感想を記載します。
<旅程>2018.11.21-30 7泊10日
①11.21(水) 成田21:25発-イスタンブール経由
②11.22(木) カイロ-ルクソール(飛行機移動) ルクソール2泊
③11.23(金) ルクソール(王家の谷、カルナック神殿など)
④11.24(土) ホルス神殿など、ルクソール→アスワンへ(車移動)アスワン1泊
⑤11.25(日) アスワン→アブシンベル(車移動) アブシンベル1泊
⑥11.26(月) アブシンベル、イシス神殿 アスワン→カイロ(飛行機) カイロ3泊
⑦11.27(火) 午前:ピラミッド 午後 フリー
⑧11.28(水) カイロ市内観光(モスク、市場、博物館)
⑨11.29(木) ショッピングセンター 21:25発 カイロから帰国へ
⑩11.30(金) 成田着
_____________________________
*比較的、自由度の高い個人向けツアーのF社に旅程を組んでいただきました
(ピラミッドの市内観光以外は、我々二人にガイドが1名付きました) _______________________________
表紙の写真はラムセス2世(王位:BC.1290-1224)のパスポート。
60年以上、王様(ファラオ)として君臨し、最大の領土を保持し、
180名もの子供を作った、最強の支配者です。
彼のミイラの修理のため、フランスへ出国した際の身分証明書。
フランスに着いたときは軍隊最高の敬礼「捧げ銃(つつ)」で
迎えられたとか・・・・。
_______________________________
(通貨)エジプトポンド 1ポンド=約6円
(気温)2018年11月後半 カイロ 最高気温25度、最低13度
ルクソール 29度 11度
雨はこの時期全く降らず。
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エジプト全図です。見ればわかる通り、ナイル川に沿って町があります。
現在の首都、カイロは三角洲の扇(デルタ地帯)の根元にあたる部分にあります
古王国時代の首都メンフィスはカイロの南30㎞
新王国の首都テーベ(現在はルクソール)は中ほど
ここに有名な「王家の墓」「カルナック、ルクソール神殿」があります
ナセル大統領が作ったアスワンハイダムによりできた「ナセル湖」の南端、
スーダンとの国境近くに有名なアブシンベル宮殿があります
エジプトというと「サハラ砂漠」というイメージがありますが
砂漠ばかりではありませんでした。
ナツメヤシの実、デーツもたくさん食べられていましたし
コメやサトウキビも栽培されていました -
1日目(われわれは今日一日でルクソール全部をめぐります)
まずホテルからナイル川西岸(西は日の沈む死者の町、
仏教でも西方浄土といいますよね。逆に東側は太陽が昇り、
生きている人の町)へ移動。
王家の谷を訪れます。
車を止めて、こんな乗り物に乗り換えます -
王家の谷のチケット。
王家の谷とは、わかりやすく言うと、山の斜面に掘られた
王様のお墓群がある「墓の山」です。
日本式に言うと「大きな古墳山」といってもいいかもしれません。
現在60か所が確認されていて、公開はまだ10数個所らしい。
紀元前3000-2000年ごろの古王国時代は都がカイロだったため
お墓(と考えられている)はピラミッドでした。
紀元前1500-1300年ごろの新王国時代は
ここルクソールに都がありましたので
こんな埋葬方法で統一されているようです。 -
これが王家の墓を正面から撮った写真。
富士山のようにてっぺんにきれいな輪郭の山がそびえます。 -
世界各国からの観光客とガイドさんが集っています
(ガイドは各墓の入り口まで。中には一緒に
入れない) -
ここは図の通り、新王国を中心に、この歩けるエリアだけでも
約60の王の墓が集中しており
予想していたより徒歩で各王の墓をめぐることができました
ということは、盗掘する側にとっても狙いが定まりやすいことになります。
(実際に墓を作っていた工夫に高いわいろを渡して、お墓の作りの
情報を聞けばいいのですから)
気温は11月で北回帰線上の都市ですから、比較的過ごしやすかったですが
日差しは強くて参りました。 -
任意に選んだ墓3つに入れます。
(ツタンカーメンは別料金)
まずはラムセス9世の墓へ。 -
エジプト全体にそうでしたが、ともかく、どこの墓に入っても
「写真代」を取られます。携帯のカメラであっても。
(しかもその写真チケットを確認されます)
高くはないですが、毎回毎回積み重なると意外にばかにならない費用が。
ハヤブサの神 -
有名なレリーフ
-
壁画も見事でした。
-
次に入ったのは「メレントス」のお墓
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ラー神(天地創造の神様、太陽神)と息子である王様
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レリーフ
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色がまだ残っています
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いったん墓を見学して出てきたところ。
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いよいよ、有名なツタンカーメン(王位:BC1333-1324)です。
未盗掘の財宝群はすべてカイロの博物館にありますが、
ミイラだけはここにあります。
ただ、撮影禁止で記録に残せず。 -
日本に帰って、たまたまやっていたテレビ番組から拝借。
髪の毛も残っており、見方によっては「寝ているよう」です。 -
当時の平均身長155センチ、若くして(18歳)亡くなった王という
点を割り引いても、きゃしゃで小柄な方でした。 -
ツタンカーメンの墓の発掘時の写真。
「3-3」カイロ編で出土した副葬品に驚きます。
未盗掘の王の墓がもっと出てくると面白いですね。 -
棺桶ですが、立派の一言。
-
紀元前1500年ごろ、勢力を誇った「トトメス2世」の娘で
初の女王となったハトシェプストの葬祭殿。
美しい壁画が残っていました。 -
この日の午後はルクソール(テーベ)のナイル川東岸へ
ルクソールの2つの神殿の入場券
印象としてはカルナック神殿の巨大な柱群が強い! -
カルナック神殿
-
カルナック神殿入り口のスフィンクス
-
ともかく柱が大きく高く、見事としか言いようがない。
3500年前、まだ日本は縄文時代にこれだけのものを作るとは・・ -
柱もですが、レリーフも見事
-
オベリスクといわれる四角錘(すい)の記念碑。
ローマ帝国などによってだいぶエジプトから
持ち去られてといわれている。 -
柱の形もだいぶ違う
-
人との大きさを比較してみてください
ピラミッドもそうですが、どうやってこの重い
石を積み上げたのか?現在でも難しいと思う。 -
圧倒される、カルナック神殿の大きさ、高さ
-
夕方、ルクソール神殿にやってきました。
これは、ライトアップされたルクソール宮殿。
入り口のオベリスクの2本のうちの片方は
フランス、パリのコンコルド広場にある。 -
夫婦
-
フランス軍が馬車をつなぐために作った穴。
エジプト中、そこかしこにありました。
残念な遺跡の破壊。 -
ルクソール神殿からカルナック神殿に抜ける
道路の両側にはスフィンクス
手前はカイロ大卒の日本語ガイドさん。
お世話になりました。 -
ホテルの窓から見た夕方のルクソール神殿
-
ルクソールを去る朝に飛んでいた気球。
ルクソール神殿すれすれに飛行しています
気球ツアーもお勧めですが、トルコ、メキシコなど時々
事故が起きているので、「自己責任」ですね。 -
ナイル川をはさんで30-40個の気球が飛んでいました
ちょうど対岸の奥の山は「王家の谷」です。
これでルクソールは終了。カルナック神殿、死者の谷と
予想以上に印象が深いエリアでした。
お勧めです。
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