2016/04/29 - 2016/05/09
13位(同エリア104件中)
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この旅行記のスケジュール
2016/04/29
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飛行機での移動
羽田空港→シャルルドゴール空港→ベオグラード空港
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電車での移動
ベオグラード→ノヴィサド 観光 →ベオグラード
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バスでの移動
ベオグラード→ ニシュ 観光
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バスでの移動
ニシュ→ ザイチャイル 観光 → ニシュ
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バスでの移動
ニシュ → クラリュヴォ 観光 → ニシュ
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車での移動
クラリュヴォ → ノヴィパザル (ソボチャニ、スタリラス)→ クラリュヴォ
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車での移動
クラリュヴォ→ ストゥデニツァ修道院 マグニッチ要塞 → クラリュヴォ
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バスでの移動
クラリュヴォ → ベオグラード → (飛行機)パリ → (飛行機)羽田
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この旅行記スケジュールを元に
まだ4トラベルの会員になっていない2016年5月にセルビアへ旅行する機会がありました。素朴な遺跡が残るセルビアの厳粛な教会・ソボチャニを見て、今まで知らなかった未知の世界を見たような身の締まる感じを受け、訪問できた醍醐味を味わいました。ユーゴスラビアとの生々しい戦いの跡も残されているベオグラード。訪れる人がほとんどいない3世紀の宮殿ロムリアーナ。王の町クラリュヴォで出会ってガイドをしてくれた素朴な青年との一日。北のノヴィ・サドと全く文化の異なるノヴィ・パザル。最終バスを待てずにタクシーをチャーターして1時間で帰ってきた町。写真を撮ろうとしたら「ダメ」と言われ、コソボに近いことがわかったニシュからの移動。ナチスの収容所があるとは思いもよらなかったニシュ。ローマ皇帝コンスタンティヌス一世の生誕地でした。
「撮りたい」と思って撮った写真を並べただけの脈絡のない旅行記ですが、画像に残したいとという思いが詰まっています。最近は取材がメインになっているような気がします。年を重ねるにつれて感動する場面が少なくなってきたのかもしれません。まだまだ、世界には知らない世界がたくさんあるはずですが。
お訪ねくださった方に感謝申し上げます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 2.5
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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出発は羽田空港。
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5月だったので兜が飾られていました。
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エールフランスでパリ乗り換え、ベオグラードまで行きます。パリからはセルビア航空。夜出発便なのでビジネスクラスです。
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セルビアの空です。
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これがベオグラードの中央駅だったと思います。
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ちょっとおしゃれな感じの駅です。
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この日は電車でノヴィザトへ向かいました。ドナウ川です。
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これはノビサドの駅。
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完全にヨーロッパの文化圏です。
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1694年に街は築かれました。ハンガリー王国の重要な戦略拠点だったとのこと。「セルビア人のアテネ」の愛称があります。モザイクのような素敵な教会が町の中央にありました。
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確かに行きました。証拠写真。
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市庁舎。ヨーロッパの香りがします。
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街の中を通り抜けて、
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ドナウ川が、バチュカ地方とスレム地方に町を二つに分けています。
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橋を渡ります。
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ノヴィサドの歴史は古く石器時代の住居跡がペトロヴァラディンに残されています。ペトロヴァラディン要塞はローマ帝国がケルト人の部族・スコルディスキを征服したあと、この地に築かれました。ハンガリー王国の時代も重要な戦略拠点でした。
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要塞へ歩いて上るのでしたら上がれる道はドナウ川沿いにはありません。
ドナウ川を渡ったところの十字路を直進し、右に入る道を進むと緩やかな坂が続いて、やがて要塞の上に出ます。 -
着きました。さっき渡った橋が眼下に見えます。
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要塞の上にはレストランがあります。ドナウ川を眺めながら食事をすることが出来ました。少し離れた所にノヴィサドの旧市街が広がっているのが見えました。
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ここでピザというのは?
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シーフードのサラダ。おいしかったと思います。
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船からよく見えるようにと、長針と短針を反対にしてある時計です。
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コソボ紛争の時は石油産業があったためにかなりの空爆を受けています。ドナウ川にかかる橋は橋げたを残したままそのときにはまだ修復されていませんでした。
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ノヴィサドから戻ってきてカレメグダン公園です。古代ローマ人が砦を築き東ローマ帝国、セルビア王国、オーストリア・ハンガリー帝国、オスマン帝国などが増改築を繰り返してできた要塞です。建物はほとんどなく中は公園になっていました。サバ川とドナウ川の合流する丘の上にあり、戦略上重要な場所にあります。
城の中は軍事博物館になっていました。大砲が露天に展示されていました。 -
ドナウ川とサバ川の合流地点。右がドナウ川で左がサヴァ川です。
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夕方ベオグラードに戻り、ベオグラードの市内です。これはコソボ紛争でNATOに攻撃されたビルです。そのまま修理されずに残っていました。トラムから撮った写真です。
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横から見るとこんな感じです。壁にかかっている広告は「軍隊に入りませんか?」という内容なので、かなりリアリティーがあります。
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市内にあるサヴァ教会。創立したサヴァの像がありました。聖サヴァはセルビア王国の創始者ステファン・ネマニャの息子です。その名が教会になっています。東方正教系の教会としては世界最大の大きさということでかなり大かったです。セルビア正教の中心的な存在の教会です。
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中の天井は工事中でした。ここで鳴らす鐘の音はカレメグダン公園まで聞こえてきます。
カレメグダン公園でお土産を買っている時に聞こえてきました。お店の人が「あの鐘の音はサヴァ教会の音です」と教えてくれました。 -
その日夕方ニシュにむかいました。町中にこんな面白いものがありました。違和感なく仲間になれそうです。翌日はザイチャイルとロムリアーナに行きます。
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場所は変わって。ザイチャイルの国立博物館の中。ロムリアーナにあるモザイクの本物です。
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3世紀のものと考えるとかなり精巧にできています。
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ロムリアーナにはタクシーで行きました。「これが世界遺産?」と思うような入り口。
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誰もいない。雨だから?いえ、そんな理由だけではありません。辺鄙なので来られないのだと思います。
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かなり崩れています。
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3世紀から残っていると思うとすごい!
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パシリカ跡(法廷や商取引の目的があった場所)です。柱と丸い鉢のようなものが残されていました。中央の広場です。周囲の回廊より高く作られ高窓から採光できるように作ってあったそうです。
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これは本物。半分は壊れていますが。ローマ皇帝ガリウスによって建築されています。
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ありました。モザイク。しかし、レプリカです。ビニールシートにような印刷物が砂の上に乗せてありました。本物は国立博物館で見ました。
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ニシュにもどり有名な銅像?
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ニシュはコンスタンチヌス帝の出生地、記念プレートが飾られていました。
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夕食に食べたセルビアの名物料理です。
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翌朝、ここはニシュにあるナチスの強制収容所跡。案内する女性が建物の中を丁寧に案内してくれました。建物の中は家畜に近い扱いをされていたことが分かる施設で、絶句しました。
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藁のベッド、狭い部屋に何人も詰め込まれて暮らしていました。
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ここで処刑されることはなく、一時的な収容所であったそうです。戦争の悲惨さが伝わってきました。花輪が飾られていて亡くなった人もいることがわかります。
口コミでこの記事を書きましたが4トラベルで書いたのは私が初めてでした。訪れた人はいないようです。 -
そして、夕方バスに乗り、向かった先はクラリュヴォ。バスのおなかに荷物を積みます。遠いので長距離バスです。
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翌朝、まずはクラリュヴォの町の八百屋さん。イチゴを買って食べました。とてもおいしそうでしたから。
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クラリュヴォの国立博物館です。ここを見学してセルビアの歴史を見ていると、学芸委員さんらしき人が話してきて、「個人ツアーでソボチャニ修道院を案内します」と言うのです。タクシーチャターを考えていましたので、この方にガイドをお願いすることにしました。
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そして訪ねたソポチャニ修道院は素晴らしいです。1260年建設。行くためには車をチャーターする方法が最良の方法。山の中腹にあります。タクシー、または車を運転して行くしか交通機関はないので、お願いして案内してもらうことにしました。
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壁面のビザンティンフレスコ画には息を呑みます。さすが世界遺産と思います。この神秘的な修道院を訪ねて壁一面に書かれているフレスコ画は衝撃でした。今まで見たことがない世界でした。2018年6月にルーマニアのスチャバにある5つの修道院を訪ねていますが、この壁画をもう一度見てみたいと思ったからです。
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オスマントルコの攻撃にあっていますがフレスコ画は奇跡的に残ったそうです。
「生神女の就寝」作者は不明です。 -
スタリ・ラスとソポチャニ修道院はセットで世界遺産になっています。スタリ・ラスだけを見ると「これが世界遺産?」と思わせる野ざらしの石が並んでいるだけです。ソポチャニ修道院へ行く途中にありました。
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しかし、ここは中世セルビアの国家「ラシュカ」の首都の一つ。13世紀に首都を放棄したために今は野ざらしになってしまいました。
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山羊の群れが我がもの顔で現れました。「ここは、今は我々の首都」というところでしょうか?
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これだけを見ていると世界遺産?と疑問を抱かざるを得ません。
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場面は変わって途中で寄った修道院です。
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山の上にありました。
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名前は思い出すことができません。残念!
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本当に山奥深い所にありました。
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次の日はノヴィパザルへ一日観光に出かけました。ノヴィパザルのメインの公園で女の子がおもちゃの動く馬に乗って、楽しく遊んでいたので思わずシャッターを切りました。
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某旅行案内書に載っている塔です。
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「ノヴィパザルに来た」という感じがします。
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なるほど塔の下はこうなっているのですね。
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本当にトルコ色の強い町です。人口の半分はイスラム教徒だそうです。
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翌日マグニッチ要塞に寄りました。要塞上からパチリ。
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よく登りました。
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オスマンが攻めてくるのを防ぐ目的で作られているようです。
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梯子を登って見ることができる景色です。
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要塞の上にはセルビアの国旗が。
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マグニッチ要塞を堪能して、クラリュヴォの南西39kmの山の上にあるストゥデニッア修道院へ行きました。1986年に世界遺産に登録されています。タクシー、または車を運転して行くしか交通機関はありません。博物館で会ったガイドさんの弟さんが車で案内してくれました。
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中世セルビア王国の建国者ステファン・ネマニャによって1190年に設立され、遺体が葬られています。オスマントルコの攻撃にあっていますが、フレスコ画は奇跡的に残ったそうです。とにかく凄い壁画。
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門です。
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反対側。
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ここも要塞を兼ねた修道院でした。セルビア正教です。周りは壁で囲っています。
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この日はクラリュヴォへ戻りました。クラリュヴォとは王の町という意味だそうです。初代セルビア王ミラン1世が戴冠式を行ったので。中心の戦士広場です。セルビア広場もあります。
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これは赤い壁で知られるジチャ修道院。
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入り口の門です。
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確かに赤い壁の修道院でした。
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次の日はベオグラードに戻って来ました。クラリュヴォからの移動は大変でした。
乗る予定の午前11時のバスがキャンセル(予告なく)されて、次の午後1時のバスまで待ちました。そして3時間の旅。高速道路を走るのかと思いましたら、一般道でした。 -
ベオグラードの市内の建物はよく見ると黒い火災の跡がある建物を見かけました。
この町は40回破壊されているそうで、どの戦争の爪痕なのかはわかりませんが、痛々しい感じのする町です。 -
すてきな感じの建物ももちろんあります。
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共和国広場。王子ミハイル・オレノビッチの記念碑ということだそうですが?
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銅像の足下にはバラが咲いていました。
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確かに行っています。証拠写真。
こんなに記念写真を載せようと思うのはペトロヴァラディン要塞の口コミを書いた際に、確かに行っているのかを確認するような問い合わせがきたからです。
まあこんなおばさんがペトロヴァラディン要塞に登ったのかを不思議がる人がいてもおかしくはないのですが・・・。 -
ベオグラードの市内。繁華街です。ヨーロッパの他の都市とあまり変わらない感じでした。
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夕食に食べたオニオンスープ。おいしかったです。スープにこだわっています。
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TD兼ガイド兼MDの息子とレストランで。
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ちょっとすてきな建物なので写真に撮りました。ホテルでした。
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セルビアはベオグラードから入りベオグラードから戻るので観光はここまでです。
パリまではセルビア航空で行くしか方法はありません。セルビア航空はどこかのメンバーに入っていたかしら?しかし、選択の余地はありません。 -
交通機関が十分に整備されていなかったので、移動にバスを使い、時間が読めない旅でしたが、観光地ではないところがたくさんあり未知の世界を見ることができた感じがします。
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セルビアよ、さようなら。馴染みの薄い国でしたが、訪ねてからは親近感が湧きます。安全な国でした。クラリュヴォの町を散策した時に購入した青のショルダーバッグをその後2年間使い、使う度にセルビアの香りを楽しんでいました。
旅行記を書くつもりで写真を撮っていないので脈絡のない写真を並べることになりました。「これを記録したい!」という気持ちで書きました。2年前の記憶を思い出すのに時間がかかりましたが完成して安堵しています。
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