2018/12/04 - 2018/12/05
177位(同エリア554件中)
河内温泉大学名誉教授さん
- 河内温泉大学名誉教授さんTOP
- 旅行記254冊
- クチコミ897件
- Q&A回答101件
- 341,924アクセス
- フォロワー18人
湖東と北、そして三重への旅に、丁度それぞれの紅葉の時期と重なり美しい眺めと歴史そして美術に触れることが出来ました。今年の紅葉はと言うより近年の紅葉は「高揚」が無いような気がします。だらだらと何時がはじまりか終わりかはっきりとしない。紅葉にきちんとケジメをつけろというのも可笑しいが、近年は区切りが見えてこない紅葉が多いように感じます。朝のテレビ番組泣かせですね、関西なら滋賀からはじまり和歌山あたりで一週間の日程を組んで流していましたが。ここ数年はスポット物が多いような気がします。
柏原城跡徳源院三重の塔
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 自家用車
PR
-
紅葉にぼやいていても仕方がありません。また、ぼやきつつも奈良や南河内の紅葉を随分楽しませていただいた。仕上げは今回のとおり滋賀と三重です。滋賀は今年参加した読書会の課題図書「南北朝」(林屋辰三郎著)の佐々木道誉の項で、彼が一時籠城した「柏原城」という城の名が出てくることで訪れる機会をうかがっていました。源平合戦の勇者佐々木高綱の子孫が信綱の時に分派して一派が京極(初代氏信)となり、後それを率いていたのが道誉(どうよ)であります。足利尊氏が鎌倉に背いても尊氏に従って、京都の喉仏と云える地にあって権勢を誇っていたという。複雑な歴史背景は本に譲り旅と紅葉に戻りましょう、当日先に訪れた「多賀大社」も道誉に縁があったといいます。以前白洲正子のかくれ里にからんで「湖東三十三面観音像巡り」でも書きましたが、古来より琵琶湖を取り巻く地域は地政学的に重要な場所でありました。世が変わり豊臣や徳川の世になっても多賀大社には写真の様に、はそれぞれの寄進が当然といった顔で並べられているのを見ると、その思いが強くなります。ここも紅葉の盛りでありました。
多賀大社参道 -
多賀大社鳥居と太鼓橋
-
お祀りしてあります
-
ご立派な拝殿
-
能狂言の発祥の地とも云われています
-
徳川さんからは大釜
-
豊臣さんからも沢山の供物が
-
紅葉が残り美しい
-
河内の風穴を抜けると柏原城と・・・はいかないもので 地域限定駄洒落でした
-
さて、柏原城は中山道柏原宿の北現在の「徳源院」(天台宗)という寺域を指しているようです。京極初代氏信が地頭「柏原弥三郎」の屋敷を与えられて清滝寺として菩提寺としたと言います。氏信以来歴代の京極家の墓が並び壮観です。また、丸亀城主京極高豊寄進の三重塔も紅葉に染まって見事です。道中の中山道柏原の宿は町並みが整然と整備され、作られたような感じがしない、素晴らしい宿場町を形成しています。手垢がつかないと云う点では同じような宿場「守山」や「醒井」に比べてより落ち着いた感じがします。観桜の時期にでも是非再訪してみたいと思いました。
柏原城標識 -
「徳源院」(天台宗)だが少々荒れたのがもの悲しい
-
京極家との関係か
-
京極家累代の墓配置図
-
同墓
-
丸亀城主京極高豊寄進の三重塔
-
山内
-
柏原宿標識
-
中山道らしい
-
初日はここまで、今宵は定宿となっている木之本「己高庵」で薬草湯につかり疲れをほぐそう。明日は近くの「石道寺(しゃくどうじ)」十一面観音拝顔から旅の続きを始めるとしましょう。
町外れには復元一里塚 -
旅に出る時は、両日(4・5日)とも雨予報でした。元々はその前日から出る予定でしたが、3日も雨予報と云うことで一日ずらせたのだがまたも雨予報とがっかりしていました。しかし、初日は快晴と小雨程度、幸先が良いと思っていたら翌日も朝から快晴で朝露に濡れた宿の紅葉も美しい。己高庵の十部屋ほど在る部屋は我々以外はすべて空き室。斯様な経験は皆さんは余りないだろうが、愚僧は木津温泉のゑびすや、三朝の木屋旅館で何度かある。小心者の私は「しめた」とは思えず、申し訳ないと呟いてしまいます。云ってくだされば相客(?)のある日に変えましたのに・・・とも付け加えて。
しかし、全館貸切は誠に気持ちが良い。風呂は云うまでも無く廊下も庭も何方もいない。庭に出て見上げると石田三成が潜んだという山あいから流れる大谷川沿いでは、薬草園が次の準備をしている。その奥に鶏足寺があるのだろうが木々で見ることは出来ない。暫くしたら宿のレストランから朝食の準備が出来たと声がかかる、軽く腹ごしらえをして出掛けるとしましょう。
部屋から紅葉 -
朝食との声がかかる
-
世代閣・己高閣を見過ごして高時川に出て少し下ると、石道寺(しゃくどうじ)への道が瀬谷川沿いに左から下りている。再び山を登る様に川沿いに向きを変えて壱キロも進むと駐車所へ出ます。車を止めて瀬谷川を渡り石段を登ると石道寺。寺と云っても住職も誰もおられない、村民が交代で堂守をされているそうだ。先に見過ごした世代閣・己高閣でも昨年訪れた時に番人が仰っていたが、宗派は全く違うのだが、仏様を大切にする想いで番をしている・・・と。当たり前なのか知りませんが、信仰は宗派を越えるものと云うより出は同じで形が違うだけなんでしょう。(参考:白洲正子著「十一面観音巡礼」湖北の旅)
石道寺から琵琶湖方面を -
お堂
-
石垣もさすが湖北
-
石道寺の十一面観音像は幼顔です。村の娘を生き写したというお顔はあどけない。堂守に云わせると「写真写りが悪い」というが、中々美しい顔をなさっている。右足の親指が跳ね上がっているのが若々しく特徴とか、やけに色気のある腰のくねりはあまり感じられない。近くの渡岸寺の同仏に比べて、石道寺の方が好感が持てる、好意を持たれる方はいい迷惑今で云うならストーカーだろうか。堂守の薦めで鶏足寺へ散歩に行くという愚妻を見送り私は暫し風景写真撮影です。
お姿は写真禁止です -
石道寺前にて
-
次の目的地が今回の旅のメインイベント、櫟野寺(らくやじ)へは県境を越えなければなりいません。と、云っても大げさなことでは無く櫟野寺が創建された頃は、近江や伊賀・甲賀などは一つの圏域だったようだ。地図を逆さにして琵琶湖から南を眺めてみると、この辺りが一つの纏まりに見えます。比叡山から眺めていた先人の知恵かも知れません。その、叡山と深く関わりがあるのがこの櫟野寺です。
櫟野寺山門前 -
寺伝によりますと、比叡山の開祖伝教大師が根本中堂の用材を求めてこの地を訪れたのがそもそもの縁とか。この解説は白洲正子著「かくれ里」の油日から櫟野へに詳しい。伝教大師が立木から彫ったという十一面観音像は座像です。お座りなって3.1メートルという立派な体格。今年は33年に一度の御開帳と云うことで新聞にも報道されたせいか、平日にも拘わらず檀家の方か「駐車場の人手が足りない」とぼやかれている程の盛況でした。同寺は坂上田村麻呂とも縁があり、その関係で境内に土俵があり10月18日の秋まつりに奉納相撲が行われるという。
-
櫟野寺本堂
-
忍者が解説か
-
土俵、子供達が奉納相撲をするとか
-
立派な観音様の右手中指と紐で結ばれて、色々と願いを伝えたが回線状態は如何であったか楽しみです。この後、白洲さんとは逆になりますが、油日神社へも参拝。私は何度か訪れていますが愚妻は初めてとかで、油の神様だけに食用油の缶が奉納してあると妙な感想が。私は出光興産とか日本石油は知っていましたが、さすが枯れても主婦ですね目の付け所が違います。
油日神社 -
説明板
-
奉納食用油
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
34