あきる野・秋川渓谷旅行記(ブログ) 一覧に戻る
五日市駅前に架かる秋川大橋を河原に下りて、秋川護岸を遡ること凡そ1.5キロ、最初の橋、小和田橋に差し掛かる。この橋の崖の上に阿伎留神社がある。以前この町は五日市町と呼ばれていたが、20年ほど前隣の秋川市と合併し、新たに「あきる野市」と呼ばれるようになった。町村の名前からすれば、秋川市よりは五日市の方が歴史も古く、由緒ある地名であるが、人口の多い秋川市に引っ張られる形で五日市の名称を残すことは出来ず、二つの折衷案としてあきる野市が採用されたものと思う。妥協の産物とは言え、この辺りの平原をあきる野と呼ばれていたことからすれば、まずは無難な命名かとも思う。<br /><br />その名称の元となった阿伎留神社がこの崖上にある。少し寄り道になるが凡そ30m程の高さの崖の上に登り、神社に向かう。今折しも七五三。両親祖父母に慈しまれた五歳児が綺麗な式服に飾られ、お宮参りしている。自分の子供も地元の小金井神社で七五三のお参りとお祝いをしたが、この家族も産土の神阿伎留神にお参りに来ているのだ。親から子へ、更にその孫へと代々引き継がれてきた子供の成長と未来への祈願。微笑ましい光景であり、子供も又今日の主人公を自覚し、華やかに振舞っている。<br /><br />境内、社屋の写真等取って、顕彰碑の寄付者名を見ていると、ここの宮司の名前が「阿留多伎弘」と出ている。実に珍しい苗字だ。と言うか、自分に取っては初めて見た名前だ。社殿によれば創建は不明であるものの、平安時代の延喜式神名帳にも出ている古社で、武蔵多摩郡の筆頭とされている。現在の宮司は70数代目と言うからその連綿とした家系の長さには恐れ入る。平安時代からずっと続いている名家と言ったら旧公家の中でも冷泉家が思い出されるが、この神社の宮司さんは、その冷泉家に匹敵する程の歴史の古さだ。<br /><br />社伝には又「阿伎留」の名の謂れは「畔(あぜ)切」、から来ていて、「あきる」→「阿伎留」になったと記されているが、成程、境内の端の崖上から秋川の河岸を眺めると、今は畑地になっている河岸平野も昔は水田で、ここから眺めれば「畔切」のイメージも湧いて来るが、自分はこの社伝とは異なる想像が生まれた。「阿伎留」は「阿騎野」、「阿留多伎(あるたき)」は「阿弖流為(あてるい)」、皆平安以前の奈良明日香の古い地名、人名だ。<br /><br />社伝では又、ムカデ退治で有名な鎮守府将軍俵藤太藤原秀郷に関係するとも書かれている。崖上から秋川の流れを眺め、そうした古代のロマンを名前から連想した。「阿伎留」にしても「阿留多伎」にしても、何か古い日本語の名残のように思えてきたのだった。この神社に参拝できて良かった。

秋川渓谷「阿伎留~城山~石舟橋」紅葉狩り(2)阿伎留神社。

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2018/11/18 - 2018/11/18

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ちゃお

ちゃおさん

五日市駅前に架かる秋川大橋を河原に下りて、秋川護岸を遡ること凡そ1.5キロ、最初の橋、小和田橋に差し掛かる。この橋の崖の上に阿伎留神社がある。以前この町は五日市町と呼ばれていたが、20年ほど前隣の秋川市と合併し、新たに「あきる野市」と呼ばれるようになった。町村の名前からすれば、秋川市よりは五日市の方が歴史も古く、由緒ある地名であるが、人口の多い秋川市に引っ張られる形で五日市の名称を残すことは出来ず、二つの折衷案としてあきる野市が採用されたものと思う。妥協の産物とは言え、この辺りの平原をあきる野と呼ばれていたことからすれば、まずは無難な命名かとも思う。

その名称の元となった阿伎留神社がこの崖上にある。少し寄り道になるが凡そ30m程の高さの崖の上に登り、神社に向かう。今折しも七五三。両親祖父母に慈しまれた五歳児が綺麗な式服に飾られ、お宮参りしている。自分の子供も地元の小金井神社で七五三のお参りとお祝いをしたが、この家族も産土の神阿伎留神にお参りに来ているのだ。親から子へ、更にその孫へと代々引き継がれてきた子供の成長と未来への祈願。微笑ましい光景であり、子供も又今日の主人公を自覚し、華やかに振舞っている。

境内、社屋の写真等取って、顕彰碑の寄付者名を見ていると、ここの宮司の名前が「阿留多伎弘」と出ている。実に珍しい苗字だ。と言うか、自分に取っては初めて見た名前だ。社殿によれば創建は不明であるものの、平安時代の延喜式神名帳にも出ている古社で、武蔵多摩郡の筆頭とされている。現在の宮司は70数代目と言うからその連綿とした家系の長さには恐れ入る。平安時代からずっと続いている名家と言ったら旧公家の中でも冷泉家が思い出されるが、この神社の宮司さんは、その冷泉家に匹敵する程の歴史の古さだ。

社伝には又「阿伎留」の名の謂れは「畔(あぜ)切」、から来ていて、「あきる」→「阿伎留」になったと記されているが、成程、境内の端の崖上から秋川の河岸を眺めると、今は畑地になっている河岸平野も昔は水田で、ここから眺めれば「畔切」のイメージも湧いて来るが、自分はこの社伝とは異なる想像が生まれた。「阿伎留」は「阿騎野」、「阿留多伎(あるたき)」は「阿弖流為(あてるい)」、皆平安以前の奈良明日香の古い地名、人名だ。

社伝では又、ムカデ退治で有名な鎮守府将軍俵藤太藤原秀郷に関係するとも書かれている。崖上から秋川の流れを眺め、そうした古代のロマンを名前から連想した。「阿伎留」にしても「阿留多伎」にしても、何か古い日本語の名残のように思えてきたのだった。この神社に参拝できて良かった。

旅行の満足度
5.0

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  • 秋川に架かる小和田橋の横の崖を登った上に阿伎留神社がある。

    秋川に架かる小和田橋の横の崖を登った上に阿伎留神社がある。

  • 今は丁度七五三の季節で、地元の家族がお参りをしている。

    今は丁度七五三の季節で、地元の家族がお参りをしている。

  • 社殿の横には神輿倉があり、立派な神輿が飾られていた。

    社殿の横には神輿倉があり、立派な神輿が飾られていた。

  • 七五三の子供もこの神輿の前で記念撮影。今日の主人公だ。

    七五三の子供もこの神輿の前で記念撮影。今日の主人公だ。

  • 奉納品なども飾られている。

    奉納品なども飾られている。

  • 境内の顕彰碑を見ると、ここの宮司は「阿留多伎弘」と書いてある。珍しい名前だ。

    境内の顕彰碑を見ると、ここの宮司は「阿留多伎弘」と書いてある。珍しい名前だ。

  • 境内の端の崖上から秋川の平野を眺める。・・「畔切」→「阿伎留」・・・

    境内の端の崖上から秋川の平野を眺める。・・「畔切」→「阿伎留」・・・

  • いやー、「阿伎留」「阿騎野」、「阿留多伎」「阿弖流為」・・、そんな古語の連想を想像した。

    いやー、「阿伎留」「阿騎野」、「阿留多伎」「阿弖流為」・・、そんな古語の連想を想像した。

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