2018/08/23 - 2018/08/23
508位(同エリア828件中)
サバーイさん
ドイツ滞在中、日帰り旅行を計画。
フランクフルトから1時間。
街歩きには最適なハイデルベルグに行ってみることに。
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フランクフルトから電車で50分。
乗車前に買った朝食を済ませた頃に済ませたはもう到着。 -
駅前からバスやトラムが出ています。
旅行中のドイツ在住の韓国人の旅行者と知り合い、同行することに。
助かった... -
とりあえず Bismarck-Platz という広場で下車し、そこからは徒歩。
二人ともガイドブックも何も持たず、街角の地図が唯一の頼り。 -
Hauptstrasse(中央通り)をとにかく真っ直ぐ歩けばよい、と教えられる。
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歩き始めると新旧の建物が味わい深く、名刹への参道のような趣。
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風格ある古い建物が並ぶ目抜き通り。
約1キロにわたって歩行者天国になっている。 -
ここは学生街。
ハイデルベルグ大学はドイツで最古の総合大学で、街中がキャンパスと言っても過言でない。 -
Anatomiegarten (Anatomy Garden 解剖学)に建つ、化学者ロベルト・ブンセンの像。
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マルクト広場へつづくハウプト通り。
教会の尖塔が目を引きます。 -
通り沿いにはかつての学生酒場が並ぶ。
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正面の丘の上にハイデルベルグ城の姿が。
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Heiliggeist Kirche (Church of Holy Ghost =聖霊教会)
マルクト広場に建つ、町のシンボル。 -
かつては教会の建物が大学の最初の校舎として使われたことも。
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竣工は1544年。代々の選帝侯の墓所となっていた。
高さ82mの塔は、後期ゴシック様式の代表作といわれる美しさ。 -
学生街の教会らしく、大学の祭宴の際にも利用されている。
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Johannes Schreiter作「物理学の窓」。
聖書の引用(IIペテロ3:10、イザヤ54:10)と、広島に原爆投下された日付 (6.8.1945) 、それにE = mc2 の公式が刻まれている。(アインシュタインはドイツの科学者。)赤は愛でなく暴力を表すという。 -
17世紀に起きた2つの戦争の際に被害を受け、教会を建造したルプレヒト3世とその妃エリザベートの墓だけが残る。
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マルクト広場から観た聖霊教会。
中心にはヘラクレスの像が。(ブファルツ継承戦争で仏軍に破壊された町を、18c以降の復興に尽力した市民の力強さを象徴する怪力ヘラクレス、という謂われ) -
広場を挟んで聖霊教会の向かいにはRathaus(市庁舎)。
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広場には椅子やテーブルが並び、観光客で賑わう。
まさにここは町の中心。 -
目を引くルネサンスの建築様式。
市庁舎の出窓のプランターに植えられた赤いゼラニウムが美しい。 -
マルクト広場に通じる路地。
一つ一つの通りに個性があって、街歩きに楽しい。 -
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この路地を進むとネッカー河畔へ。
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路地裏を歩いていると...
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偶然、記念撮影のシーンに通りかかって...
They're just tying the knot! -
河畔から眺めたKarl-Theodor-Brücke(正式には「古い橋」)。
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度重なる氾濫のためカール・テオドールの命により18世紀に木橋(橋脚は石)から架け替えられた。
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橋脚の上流側は水圧を分散するために尖った形状を加えている。洪水を経験した先人達の先見の明と言われる。
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橋を通れるのは歩行者だけ。
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のんびりと川の流れを眺めることができます。
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8月の下旬。
山が少しずつ色づき始めています。 -
川の上流を眺める。
調べてみるとネッカー川の水源はスイス国境近く。そこから全長400キロ近くに及び黒い森(シュバルツバルト)の東側を流れ、ハイデルベルグへ。
豊富な水量をたたえ、これまで幾たびも氾濫を繰り返してきた。 -
やがてこの先すぐ、マンハイム付近でライン川に合流する。
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橋の上から眺めたハイデルベルグ城。
城跡からの眺めも抜群。 -
橋の建造主であるカール・テオドールの像。
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1742年、プファルツ選帝候領を相続したカール・テオドールはハイデルベルグの復興に寄与した。
(ドイツ語のプファルツ= Pfalzgrafとは、ローマ皇帝に仕える大臣のような存在。帝国末期に各地に派遣された Pfalzgrafのほとんどは没落。唯一ライン河領土の Pfalzgrafのみが存続した。また、選帝侯とはローマ帝国王を選挙で選ぶ権利を持った侯のこと。) -
橋のたもとの塔は修復中。
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真っ直ぐ進むと再び市庁舎の横へ。
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教会横の路地から見た、ハイデルベルグに現存する最古の住宅跡、「騎士の家」。
ブファルツ継承戦争でも崩壊しなかった数少ない建物のひとつ。いまはホテルに。 -
スペインの迫害を逃れて、フランドルから移住してきた新教徒の富裕な商人シャルル・ベリエが、商館を兼ねた住宅として1592年に建てた。
正面のファザードにはフランドル風の様々な彫刻がなされていて、実に美しい。 -
切り妻屋根の天辺にはドラゴン退治の伝説の守護聖人、St. Georg(サンクト・ゲオルグ)の騎士像。
ゲオルグ伝説は西欧に広く流布している。悪竜への生け贄の羊(日に2頭ずつ)が足りなくなり、王の娘が生贄に選ばれたときに竜を退治したのがゲオルグ。凶作の原因である悪竜を退治したことから、ドイツでは農村部の多い南部で人気。 -
よく見るとファザードの左下には生け贄の羊がちゃんと2頭!
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市庁舎の背景に城壁が。
ここから城跡を目指します...
(城跡歩きへつづく)
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この旅行記へのコメント (2)
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- salsaladyさん 2018/11/17 09:36:36
- ”赤は愛では無く、暴力!”。。。E=mc2 ?
- ☆少しだけ謎が解けました。何故『聖霊教会』に広島原爆忌が有るのかと~
☆聖書の抜粋とアインシュタインの関係は?まだ疑問。。。
☆大学の街としか予備知識が無かったので、ハイデルベルグ城の歴史も帰国してから調べたり?単なる物見遊山に通過したことに悔いが残ります。~auf vidersehen~
- サバーイさん からの返信 2018/12/23 23:35:43
- RE: ”赤は愛では無く、暴力!”。。。E=mc2 ?
- > ☆少しだけ謎が解けました。何故『聖霊教会』に広島原爆忌が有るのかと?
>
> ☆聖書の抜粋とアインシュタインの関係は?まだ疑問。。。
そうですね。私もいくつか調べてみました。
この教会の窓が第二次大戦中、撤退するドイツ軍がネッカー河に架かる橋を爆破した際の衝撃で破損し、その代わりとしてこのステンドグラスがデザインされたようです。
戦争による爆撃の被害を原爆の被害に例え、原爆開発に寄与した祖国ドイツ出身のアインシュタインの公式を引用したのではないでしょうか。
さらに、聖書のIIペテロ3:10の言葉、「しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。」が引用され、
イザヤ54:10の言葉、「山々が動いて場所を変え、丘が消えてなくなっても、わたしの愛はあなたから離れない。平安を与えるという約束を、どんなことがあっても破らない。」が引用されています。
人間の憎しみや争い、暴力が科学の力をもって地上のものを破壊しても、神の愛はそれを上回る、というメッセージを通し、神への回帰を訴えているように思います。
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