2018/08/23 - 2018/08/23
629位(同エリア828件中)
サバーイさん
ハイデルベルグ城からの街並みを堪能。
PR
-
マルクト広場からハウプト通りを進むと見えてくるのが、コルンマルクト(英語にすると corn market=穀物広場)。 その名のとおり、かつては農作物の取引が行われていた場所。
-
背景にハイデルベルグ城が控え、素晴らしい景観。
広場の中央には、イエズス会の建立によるマドンナの像。プロテスタントの町民へむけたカトリックからのメッセージとして建てられた。 -
(プロテスタントの象徴である)蛇を退治して、天使が槍を持っている姿は、カトリックの再興を表している。
-
ケーブルカー乗り場を横目に、山腹へ続く階段を上る。これがなかなかの急坂。
-
315段の階段を上ると、いよいよ古城の入り口へ。
この城のことを知るには、歴史的背景を知らねばならない。とくに二つの戦争(30年戦争とプファルツ継承戦争)はこの城を語る上で不可欠な知識らしい。そこで、現地のガイドやサイトを調べてみた。
ハイデルベルク城は10~11世紀頃に築かれたとされるが、明確な史料は現存しない。当初、この地方の司教の持ち城であったのを、1225年にプファルツ伯ルートヴィヒ1世が買い上げ、居城とした。 -
以来、この城はこの地を治めるプファルツ選帝侯(「プファルツ選帝侯」とは、ローマ皇帝に仕える大臣のような役職で、皇帝を選出する権利をもっていた。他のプファルツが没落するなか、ライン河領域のこの地のプファルツだけが存続した)の居城となった。
ボヘミア(現在のチェコ)で神聖ローマ皇帝対新教徒の対立を端に始まった30年戦争(1618~48)はドイツを戦場に巻き込み、このハイデルベルグも例外ではなかった。当時の選帝侯フリードリッヒ5世はプロテスタント信徒で、城は簡単にカトリック連合軍に包囲され、攻撃を受ける。
その後、選帝侯ルートヴィヒはフランスと組み、自国の地位を高めようと娘エリザベート・シャルロッテをルイ14世の弟オルレアン公に嫁がせた。その後、選帝侯の息子カール2世が世継ぎを残さないで死ぬと、かねてライン地方を狙っていたルイ14世が弟の姻戚関係から相続権を主張し、大軍を発してプファルツ選帝侯国を攻めた。これが1689年~97年まで続いたプファルツ継承戦争である。 -
フランスは1689年と1693年の2度ハイデルベルクを攻撃。特に2度目の攻撃はすさまじく、ハイデルベルクは灰燼に帰したらしい。
次の選帝侯フィリップが城を半ば修復したところで、1764年落雷により炎上。ついに完全修復を諦めてライン河畔にあったマインツに宮廷を移してしまった。
その後、城は荒れるにまかされたが、19世紀になってフランスのグライムベルク伯が、古城の修復に尽くした。 -
城内に入って、まず目に入るのが大きな門柱。
「エリザベス門」といわれ、フリードリッヒ5世が、妃の英国生まれのエリザベス・スチュワートのために造ったもの。19歳の誕生日に間に合わせるため、一夜にして建てさせたという。誕生日の朝、いつものように散歩していて、昨日までなかった門を見つけて、大変驚いたという。彼女は、この「砲庭」を、気に入って毎朝散歩していたらしい。 -
門の奥には、彼女のために増築した「イギリス館」が見える。フリードリッヒ5世はプロテスタント派の主導者としてボヘミアに赴くが、翌年フェルディナンド皇帝率いる大軍に敗れる。(前述の30年戦争)一冬のみのボヘミア王であったことから、「冬の王」といわれる。最後は、選帝侯の地位を失い、オランダに落ち延びたという悲劇的な運命をたどった人であった。
-
現在のイギリス館はこのような廃墟となっている。
-
右手にチケット売り場。
もともとは「橋の館」と呼ばれた建物の中に入っている。
チケット売り場の正面が、城壁門に続く橋。 -
橋を渡らずにまっすぐ空濠に沿って進むと崩落した建物が。
1693年のプファルツ継承戦争の時にフランス軍によって爆破された火薬塔。
建物が真ん中から割れ、破壊された壁が崩れ落ちかけ、内部がはっきり見えている。 -
かつてフリードリッヒ5世がエリザベスのために造った庭園 Hortus Palatinus (=Garden of Palatinate プファルツ選定侯の庭園)があった場所。
いまでは綺麗な芝生の公園になっている。 -
噴水のネプチューン像がエリザベスの父、英国王James I世をモデルにしているとも。
-
いまでは閉鎖されているグロット(碧穴)。
30年戦争時にこの庭園は破壊されてしまった。 -
庭園から高台のテラスへ。
-
眼下にハイデルベルグの街が眺められる絶景ポイント。
-
-
聖霊教会とハウプト通り。
-
-
-
中世の街並みがそのまま残るハイデルベルグのため息が出るような美しさ。
-
高台から眺める城壁。
左の塔が薬局塔。右が鐘塔。
その間がオットハインリッヒの館。 -
薬局塔 とよばれる塔。「倉庫」という程度の意味であって、薬局がこの塔にあったことは一度もなかったとか。
-
現在はこの塔と隣接するオットハインリヒ館にドイツ薬業博物館がある。
-
いよいよ城内へ。
城門塔へは今は石橋が架かっているが、もとは木造の跳ね橋がかかっていた。 -
度重なる戦争にも耐えて唯一残った塔で、 5層造り。
時計がとりつけられているところが4階にあたる。 -
庭と城との間には、深い空濠。
非常時には水を満たすことができ、山側からの敵の侵入への防御機能となった。 -
恋多き文豪ゲーテは8度ハイデルベルグを訪れているという。(晩年の恋人はこの街で知り合ったマリアンネ・フォン・ヴィレマー)
ゲーテが城壁門の橋から描いたという、崩壊した火薬島のスケッチが残っている。 -
城壁門の正面。
2人の巨人とその内側にプファルツの象徴であるライオンがいて、プファルツの盾を持っていたはずであったが、プファルツ継承戦争のとき、フランス軍に持ち去られていまだ、どこにあるかわからないという。 -
まず正面に飛び込んでくる華麗な建物が、フリードリッヒ館。1607年にフリードリッヒ4世により建てられて以来、代々の選帝侯の居住館であったところ。
-
ファッサードは砂岩でできており、歴代の力のあった選帝侯の16の像が飾られている。オリジナルは風化を防ぐために館内に。
日時計のついた細長い建物とその右側の部分は、鏡の館といわれる。 -
ファサードの選定像。
いちばん右下にこの館を建てたフリードリッヒ4世の像。 -
最上館にあった広間の壁が、ベネチア産の鏡で覆われていたことからという。
この建物は、右手のオットー・ハインリヒ館との連結部分となっている。 -
オットー・ハインリッヒ館。
ハインリッヒは教養の深く、芸術家のパトロンでもあり、この地にプロテスタントを導入した人でもあった。
見事な建築だが、正面ファッサードしか残っていないのが残年。 -
窓と窓との間に像を置くためのニッシェがあり、それぞれの像にハインリッヒは自分の信条を託している。
1階には、旧約聖書の英雄、ヨシュア、サムソン、ヘラクレス、デイビッドの5人の像、2階には、5つの徳(権力、聖書、愛情、希望)を象徴する像が立っている。3階には、農業神である土星、軍神である火星、愛と美の女神の金星、技能神である水星、月の女神の像、そして最上階には、太陽神と神々の王といわれる木星を表す像が立っている。
建物の正面入り口は、凱旋門のようで、彼の紋章額と、オットー・ハインリッヒの頭像が、円形のメダリオンに彫られて飾られている。 -
兵士棟に直結した井戸棟はルートヴィヒ5世によって建設された。
半ば埋もれたつるべ井戸は約16mの深さがある。 -
大樽棟の入り口。
-
王の広間(宴会場)と隣接した場所に巨大なワイン樽が貯蔵されている。
-
中でも目立つのが、階段を下りた地下にある樽。
現在の樽は4代目で、1751年カール・テオドールが造ったもの。直径7m、長さ8,5mあり、219,000リットルほどの容積で、木製の樽としては世界一のものである。樽の上の方に、CとTのカール・テオドールのイニシャルである紋章が飾られており、130本の樫の木からできている。 -
樽の反対側、壁側にコンパスとカンナが飾られているが、樽を製作したとき使われたものである。その下に、小さめの人の像があるが、これは、「ペルケオ」といって、カール・フィリップやカール・テオドールに仕えたイタリア出身の道化師である。一日18本ものワインを飲む大酒のみで、人をからかうことが好きだった、という。
-
ペルケオの像の横に時計の形をした箱があり、リングを引くと...
-
それは実は、きつねのしっぽが出てくるびっくり箱。
-
ペルケオは、貴婦人を驚かせて、失神した貴婦人を介抱するのを、楽しみにしていたとか。
-
伝説によれば、選帝侯が大樽の酒を飲み干すことができるかどうか尋ねた時、"Perché no?"(イタリア語で「なぜ、できないの?」)と答えたことからペルケオ(Perkeo)と呼ばれるようになったとされる愉快な人物。
彼は、あるとき人にワインの代わりに水を勧められ、飲んでみたところあまりのまずさに驚いて、それが原因で次の日に亡くなったという。 -
フリードリッヒ館の裏手に広がるAltan(アルタン)と呼ばれるテラスへ。(アラビア語で「赤い朝、夕」)
選定侯がハイデルベルグの絶景を眺めたに違いないテラス。 -
こんな見晴らし台があり、ここからの景色は絶景。
-
-
-
-
城門塔 (Torturm) を反対側から見たところ。
城門塔は1531年から1541年に選帝侯ルートヴィヒ5世によって建設された防衛施設の一つである。現在もこの塔は城の主要な入り口となっている。下層部は陽が当たらない空間で、しばしば城内牢獄と呼ばれた。 -
城門塔と、その左にルプレヒトの館。城の最古の住居館である。
-
城跡を歩き、中世にタイムスリップしながら、
「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」
そんな句が思い起こされた愉しい一時でした。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ハイデルベルク(ドイツ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
53