2018/10/21 - 2018/10/21
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morino296さん
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秋晴れの下、2年振りに川越まつり(2日目)に出掛けました。
川越まつりは、慶安元年(1648)、当時の川越藩主松平信綱が氷川神社に獅子頭や神輿などの祭礼道具を寄進したことに始まり370年の伝統があります。
新河岸川の舟運によって江戸との交流があった小江戸川越は、江戸天下祭の影響を強く受け、絢爛豪華な山車が曳きまわされるようになりました。
江戸の祭りは、明治以降、近代化に伴い山車が曳かれなくなり神輿主体に変わりましたが、川越では、今なお江戸天下祭の様式や風潮を伝えています。川越氷川神社の山車行事として、平成17年に国の重要無形民俗文化財に指定され、平成28年12月「ユネスコ無形文化遺産」に登録されました。
今年は、川越氷川神社の例大祭が10月14日、神幸祭が10月20日に行われ、山車行事は20日と21日に行われました。
川越には29台の山車がありますが、今年は19台の山車が祭りに参加していて、その内17台を見ることが出来ました。
今回、スマホのアプリ「川越まつりナビ」を使いましたが、山車の現在位置が分かり、とても便利でした。
(山車の解説は、パンフレットと川越まつり公式サイトを参照しています。)
- 旅行の満足度
- 4.0
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東武東上線川越駅 11:30過ぎに到着
川越駅の近くにある脇田町の「家康の山車」が出発するところでした。
祭り2日目のハイライトは、13:30~15:00に市役所前の山車巡行です。
各町の山車が昼の休憩を済ませた後、市役所前を目指します。 -
通町「鍾馗の山車」
山車を移動させるため、人形は下げられています。
(鍾馗の人形は、この後の写真で紹介します。)
川越の山車は、二層の鉾と人形からなる江戸型で、
上層に出る部分と人形は迫り上げ式エレベーター構造です。
これは江戸城の門を潜るための工夫で、伸び縮みする仕掛けとなっています。 -
通町「鍾馗の山車」
豪華な装飾の山車。
車輪は案外、小さいですね。 -
通町 手古舞の皆さん
露払いの手古舞は、かつて女子は祭礼への参加に制約があったため、娘衆が男装をして祭礼に参加したのが始まりとされます。
吉原つなぎの着物に、黄八丈のたっつけ袴をはき、名入りの提灯と金棒を持ち、祭りの華とされます。 -
松江町二丁目「浦島の山車」(県指定有形民俗文化財)
旧上松江町の山車で、二重鉾、四つ車、囃子台は唐破風付き、廻り舞台。
大正4年に復活。
上段幕には波と鶴と亀、下段幕には岩と珊瑚の刺繍が施され、海にちなんだ伊勢海老やタコなどの彫刻がされています。 -
松江町二丁目「浦島の山車」
後ろの電線がないと良いのですが。
浦島太郎の人形は、文久2年(1862)に仲秀英(元請)と古川長延の作。
右手に釣竿を持ち、左手には玉手箱を抱えています。
明治26年の大火を逃れたもの。 -
大手町の山車「鈿女の山車」
旧江戸町の山車で、二重鉾、三つ車、囃子台は欄間仕立て。
明治5年仲秀英の作と伝えられ、山車を牛に曳かせていたため全体にやや前傾しているとのこと。
車隠しの幕は江戸期の名残があるとされます。
人形は、明治5年に仲秀英の作。
天岩屋戸に隠れた天照大神を招き出すため榊を持ち神楽を舞う天鈿女命(あめのうずめのみこと)。 -
大手町「鈿女の山車」
囃子台(舞台)ではお囃子の音に乗りお多福の舞が披露されています。 -
川越市役所前 山車巡行を見るために集まる人 13:15頃
市役所前にはホスト役の川越市の猩々の山車が停められています。
川越市の「猩々の山車」は、二重鉾、四つ車、唐破風付きの囃子台。
川越市の丸広百貨店が平成2年(1990)に製作したもので、
平成14年(2002)、市制80周年を記念して川越市に寄贈されました。
人形は能楽に取材。中国の想像上の生き物「猩々(しょうじょう)」。
酒を好み、祝い事に良く用いられます。 -
川越市役所前の山車巡行
岸町二丁目「木花咲耶姫の山車」が川越市「猩々の山車」の前に差し掛かりました。 -
川越市役所前のの山車巡行
岸町二丁目「木花咲耶姫の山車」
山車は二重鉾、四つ車、唐破風付き囃子台で廻り舞台。
原型は昭和27年の牛車に屋台を乗せた小さなものだったそうですが、
昭和33年以降、改修を重ね、平成27年に現在の形に完成。
人形は平成6年(1994)岩槻の福田東久の作。
古事記に安産、子育ての神として登場する神武天皇の曾祖母 木花咲耶姫(このはなのさくやひめ)。
山車の彫刻や見送り幕、四方幕の図柄にも木花咲耶姫に関連する物語が表されています。 -
川越市役所前の山車巡行
新富町二丁目「鏡獅子の山車」
山車は二重鉾、四つ車、唐破風付き囃子台で廻り舞台。
平成9年に白木造りで完成。
平成21年に2年6ヶ月かけて四つ車、心棒前後、ハンドルなど修理交換が完了。
四神の鳳凰、亀、龍、虎の他に江戸彫りの彫刻を施し、中勾欄には川越市の花である山吹が彫られています。 -
川越市役所前の山車巡行
新富町二丁目「鏡獅子の山車」
人形の鏡獅子は、平成12年(2000)に岩槻市の川崎人形が制作。 -
川越市役所前の山車巡行
新富町二丁目「鏡獅子の山車」と岸町二丁目「木花咲耶姫の山車」がすれ違います。 -
川越市役所前の山車巡行
新富町二丁目「鏡獅子の山車」が本部席に挨拶します。
山車は、方向転換せずに、回転台で回すことが出来ます。
山車の大きさはそれぞれ違いますが、平均的な大きさは、
人形約1.9m、山車が約6.3mの総丈8.2mほど、
奥行き(長さ)約4.6m、幅約3.1m、重量約3~4トン。 -
川越市役所前の山車巡行
連雀町「道灌の山車」が本部席前に入場してきました。 -
川越市役所前の山車巡行
連雀町「道灌の山車」
山車は二重鉾、四つ車、唐破風付きの囃子台で廻り舞台。
六軒町の山車を造った宮大工の印藤吉五郎の息子印藤順造が昭和27年に製作。
他の山車と比べ全体的に大きいのが特徴。 -
川越市役所前の山車巡行
連雀町「道灌の山車」
人形は、昭和27年、西田光次の作。
川越城や江戸城を築いた太田道灌が腰に太刀、手には弓を持ち、矢を背負っている姿。 -
川越市役所前の山車巡行
本部席前でお囃子と舞の披露する連雀町「道灌の山車」
神猿が舞うのは三番叟でしょうか。 -
川越市役所前の山車巡行
通町「鍾馗の山車」が本部前に入場。 -
川越市役所前の山車巡行
通町「鍾馗の山車」が本部席に挨拶します。
山車は二重鉾、四つ車、唐破風付きの囃子台で廻り舞台。
昭和2年、東京都世田谷区で造られたもので、昭和46年、通町と川島町角泉囃子連が共有することで譲り受けたもの。
昭和53年に川島町角泉在住の棟梁、猪鼻重一により大改装され一回り大きくなったそうです。 -
川越市役所前の山車巡行
通町「鍾馗の山車」
人形は端午の節句でおなじみの道教魔よけの神 鍾馗(しょうき)。
町内の子供たちを疫病から守ろうという願いが込められている。 -
川越市役所前の山車巡行
川越市「猩々の山車」と通町「鍾馗の山車」 -
川越市役所前の山車巡行
六軒町「三番叟の山車」 -
川越市役所前の山車巡行
六軒町「三番叟の山車」
二重鉾、三つ車、廻り舞台、唐破風付きの囃子台。旧十ヶ町以外で最初に作られた山車。明治21年(1888) 大工棟梁の印藤吉五郎作。彫刻は明治34年山田弥三郎の作。昭和36年廻り舞台に改造されたが、三つ車のまま廻り舞台にした唯一の山車。 -
川越市役所前の山車巡行
六軒町「三番叟の山車」
人形は明治21年(1888)仲秀英作。面は能楽の一つ、式三番の黒式尉(こくしきじょう)と呼ばれる三番叟(さんばそう)。 -
川越市役所前の山車巡行
川越市「猩々の山車」に挨拶する六軒町「三番叟の山車」 -
川越市役所の山車巡行
三久保町「頼光の山車」と六軒町「三番叟の山車」がすれ違います。 -
川越市役所前の山車巡行
三久保町「頼光の山車」 -
川越市役所前の山車巡行
三久保町「頼光の山車」
山車は二重鉾、四つ車、唐破風付きの囃子台で廻り舞台。
明治30年頃、川越市石田地区で製作されたもの。
昭和57年に川越市制60周年を記念して廻り舞台に改造した。
昭和29年から1年おきに川越まつりに参加している。 -
川越市役所前の山車巡行
三久保町「頼光の山車」
人形は昭和24年に磯貝勝之による作の源?・光。
それ以前は猿田彦尊であったが、平安中期に藤原道長に仕え、大江山に住む怪物酒呑童子退治伝説の主人公としても有名な源?・光に変わったもの。 -
川越市役所前の山車巡行
菅原町「菅原道真の山車」
人形が出されていません。 -
川越市役所前の山車巡行
菅原町「菅原道真の山車」
山車は白木造り、二重鉾、四つ車、唐破風付きの囃子台で廻り舞台、平成12年に新調された。
人形は菅原道眞。平成20年、岩槻川崎人形の川崎勝久の作。
上段四方幕に菅原町のシンボル梅鉢の刺繍があり、下部の台座には彫師北澤一京作による道眞に纏わる彫刻が施されている。 -
川越市役所前の山車巡行
中原町「重頼の山車」
山車は二重鉾、四つ車、廻り舞台。昭和23年町内の棟梁関根平蔵によって造られた時には、上層部に京都風の月鉾を立てた山車であったが、昭和57年町内の棟梁久佐保治により二重鉾へ改造、また飯能の二瓶藤八によって漆塗り、金箔、金具の大改修を行った。
人形は同57年、山車の改修に合わせて川崎人形に依頼。河越館を本拠として武蔵国留守所総検校役となり活躍した鎌倉前期の武将河越太郎重頼の立ち姿を現している。 -
川越市役所前の山車巡行
旭町三丁目の皆さん -
川越市役所前の山車巡行
旭町三丁目「信綱の山車」
山車は白木造り、二重鉾、四つ車、唐破風付きの囃子台で廻り舞台。昭和49年(1974)、川島町角泉で造られた鉾型の山車を譲り受け、以後29年に渡って改造を重ね平成14年(2002)に完成。 -
川越市役所前の山車巡行
旭町三丁目「信綱の山車」
人形は平成14年、岩槻川崎人形川崎勝久作の松平信綱。
川越市制80年を祝い、初めて川越まつりに参加しました。 -
川越市役所前の山車巡行
西小仙波町「素戔嗚尊の山車」
人形は氷川神社の主神 素戔鳴尊。
当初の人形はけやきをくり抜いたものであったが、平成4年に岩槻市青木人形の青木成公により軽量のものに造り変えられた。
素戔鳴尊は海の神様であり、西小仙波町の「波」にちなんでいるそうです。 -
川越市役所前の山車巡行
西小仙波町「素戔嗚尊の山車」 -
川越市役所前の山車巡行
仙波町「仙波二郎の山車」
山車は白木造り、せり出し構造の二重鉾、四つ車、唐破風付き囃子台で廻り舞台。慶応3年(1867)に地元棟梁岡本常次郎が造った底抜けの屋台を昭和から平成に掛けて改修し、現在の山車の形に完成させた。せいご台には江戸期の彫刻、回転台には近年の彫刻が施されている。見送り幕は型絵染師の松江まち作。 -
川越市役所前の山車巡行
仙波町「仙波二郎の山車」
人形は鎌倉時代に仙波を治め、源頼朝の御家人として多くの軍功のあった武蔵武士の仙波二郎安家。
山車の改修に伴い造形作家友永詔三により製作された。
往古から仙波にいわれのある龍を正面に配し、仙波二郎安家が刀を振り上げ苦難の波をなぎ払う姿をかたどっている。 -
川越市役所前の山車巡行
仙波町「仙波二郎の山車」と西小仙波町「素戔嗚尊の山車」 -
川越市役所前の山車巡行
西小仙波町「素戔嗚尊の山車」
二重鉾、四つ車、唐破風付き欄間仕立の囃子台で廻り舞台、総けやき造り。昭和32年11月、棟梁の吉川為五郎により製 作。けやきは秩父神社の御神木を用いている。平成20年に改修を行う。 -
川越市役所前の山車巡行
脇田町「家康の山車」
川越の仙波東照宮に因んだ徳川家康の山車は、昭和57年(1982年)市制60周年にけやきの白木で建造されました。
その後、回転座に「四神」、三味線胴に「干支」、唐破風の屋根に「麒麟」、せいご台に「唐獅子」など神獣の彫刻を施し、更に漆塗りや金箔・彩色を施し完成。
また見送り帯を平成17年(2005年)に、四方幕を平成19年(2007年)に新調し、比類のない絢爛豪華さを誇っています。
尚、平成19年には、江戸天下祭りに参加し、日比谷公園から丸の内仲通り、皇居前へと順行し、大好評を博しました。 -
川越市役所前の山車巡行
脇田町「家康の山車」
人形は昭和57年(1982)の作。 -
蔵造の町並みを進む脇田町「家康の山車」
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蔵造の町並みを進む宮下町「日本武尊の山車」
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蔵造の町並みを進む宮下町「日本武尊の山車」
川越氷川神社の地元、宮下町の山車。白木造り、二重鉾、四つ車、唐破風付きの囃子台、廻り舞台。山車の原型が昭和27年に造られ、昭和34年町内の棟梁高柳一・尾高日郎らによって改修された。その後昭和55年に廻り舞台に改造、装飾金具を取り付けるなど大改修を重ねる。 -
蔵造の町並みを進む宮下町「日本武尊の山車」
人形は日本書紀などに登場する日本武尊(やまとたけるのみこと)。初代は昭和27年に磯貝勝之により制作され(現在保存中)、現在は京都の井筒雅風作の二代目。 -
蔵造りの町並み 中市本店の「ねこまんま焼きおにぎり」
知りませんでしたが、鰹節やが販売する焼きおにぎりは、
テレビでも紹介されたことがあるそうです。
販売再開まで45分ほどありましたが、もう行列が出来ていました。中市本店 グルメ・レストラン
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蔵造りの町並み 埼玉りそな銀行前の居囃子
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川越アートカフェ エレバート
COEDOビール樽生全6種類が飲めます。
選んだのは「瑠璃」、クリアな琥珀色と泡のコントラスト、爽やかな飲み口が特徴のプレミアムピルスナービールです。アートカフェ エレバート グルメ・レストラン
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川越アートカフェ エレバート 2Fの窓から見る中原町「重頼の山車」
山車の人形が目の前を通過します。 -
川越アートカフェ エレバート 2Fの窓から見る旭町三丁目「信綱の山車」
美味しいビールを飲みながら山車を見物できる最高の場所です。 -
埼玉りそな銀行
ライトアップされた建物が浮かび上がっています。 -
蔵造りの町並み 中市本店の「ねこまんま焼きおにぎり」 17:20頃
お腹が空いたので食べたかったですが、行列の長さを見て諦めました。中市本店 グルメ・レストラン
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ライトアップされる蔵造りの町並み
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川越のシンボル「時の鐘」
写真撮影のスポット。
この前を人形山車が通過する写真を撮りたいカメラマンが集まっています。時の鐘 名所・史跡
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蔵造りの町並みにある金笛 笛木醤油 17:30頃
ねこまんま焼きおにぎりが食べられなかったので、
こちらの玉こんにゃく(300円)を頂きました。
お腹いっぱいになるほどありました。
そろそろ帰ることに。
ライトアップされた山車を見ながら川越駅に向かいます。金笛 笛木醤油 (川越店) 専門店
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川越アートカフェ エレバート
先ほどCOEDOビールを飲みながら2Fの窓から山車を見ていたお店です。アートカフェ エレバート グルメ・レストラン
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連雀町「道灌の山車」 17:50頃
山車の提灯が点り、夜のクライマックスに向けた準備が進みます。 -
連雀町「道灌の山車」
道灌の人形も、出発を今かと待っています。 -
中原町「重頼の山車」
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中原町「重頼の山車」の後ろ姿
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新富町一丁目「家光の山車」
山車は二重鉾、四つ車、唐破風付きの囃子台で廻り舞台。
平成13年に山車の原型を譲り受け、川越市制80周年の平成14年に完成途中のまま川越まつりに初参加。
その後、中勾欄、上勾欄等を製作し現在の形となる。
山車の腰回りには後面に川越城本丸御殿と富士見櫓、側面に家光公鷹狩り行列の彫刻が施されている。
人形は川越にゆかりのある徳川三代将軍徳川家光で黒地に三葉葵の紋が浮かぶ立位束帯姿。 -
通町「鍾馗の山車」
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岸町二丁目「木花咲耶姫の山車」と通町「鍾馗の山車」
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岸町二丁目「木花咲耶姫の山車」と通町「鍾馗の山車」の曳っかわせ
夜のクライマックスである曳っかわせは、
山車どうしがお囃子の競い合いを行うもの。
特に、勝ち負けなどはありませんが、お囃子が入り乱れ、曳き方衆の提灯が乱舞する光景が迫力あります。 -
西小仙波町「素戔嗚尊の山車」
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西小仙波町「素戔嗚尊の山車」と通町「鍾馗の山車」の曳っかわせ
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西小仙波町「素戔嗚尊の山車」
曳っかわせを終えて進みます。 -
川越市「猩々の山車」 18:25頃
川越市の山車、日中は、市役所前で他の山車を出迎えていましたが、
夜には提灯を灯し曳かれます。
山車の曳っかわせ、もっと見ていたかったのですが、
帰りの時間を考えて、このあたりで川越駅へ急ぎます。
秋晴の下、山車祭りを楽しませてもらいました。
2日間お天気に恵まれて良かったですね。
お祭り関係者の皆さんお疲れ様でした。
(おしまい) -
今年の川越まつりに出た山車19台の一覧(パンフレットより)
この日は、末広町(高砂)の山車と元町一丁目(牛若丸)の山車に会えませんでした。
また、今年の祭に出なかった山車は以下の10台。
幸町 翁の山車、幸町 小鍛冶(小狐丸)の山車、仲町 羅陵王の山車、
喜多町 秀郷の山車、元町二丁目 山王の山車、志多町 弁慶の山車、
今成 鈿女の山車、松江町一丁目 龍神の山車、野田五町 八幡太郎の山車、
南通町 納曾利の山車
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この旅行記へのコメント (2)
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- 川岸 町子さん 2018/10/26 15:38:01
- 昼と夜
- 296さん、こんにちは(^-^)
昼と夜とでほ、お祭りの表情が違って見えますね。
古い町並みに壮麗な山車が行き交い、活気や熱気に溢れる二日間。
地元の方々は、この日のために練習し、どれ程心待にしておられることか。
山車の重さが3,4トン。それを大勢の人が力を合わせてひく姿も見ごたえ有りますね。
解説を読ませて頂き、改めて川越まつりの大きな存在を知りました。
川越のビールは、お土産にも人気高いそうですね。
ありがとうございました!
町子
- morino296さん からの返信 2018/10/26 18:14:54
- RE: 昼と夜
- 町子さん
こんにちは。
今年の川越まつりは、2日間ともお天気が良く、
関係者の皆さんにも、見物の皆さんにも良かったですね。
お蔭様で、コエドビールも美味しく頂けました(笑)。
地元の皆さんは、豪華絢爛な山車を維持管理するのも、
お祭りを斎行するのもご苦労があると思いますね。
ユネスコの無形文化遺産に登録されたのは嬉しいことでしょうが、
その分、次の世代に引き継いでいく責任もあって大変でしょうね。
また応援に行きたいと思っています。
morino296
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