2018/10/21 - 2018/10/21
40位(同エリア356件中)
ベームさん
その1の続き。
深川江戸資料館周辺から仙台堀川にかけては明暦の大火以降江戸市中から移ってきた寺が集中し、江戸時代の文人に縁の深いお寺も沢山あります。
写真は霊厳寺にある江戸六地蔵の第5番、銅造地蔵菩薩坐像。
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本日の全行程。地図上森下町駅から地図下門前仲町駅まで。
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その2の足どり。
清澄公園横から仙台堀川を渡り陽岳寺迄。 -
清澄公園の横を清洲橋通りの方へ回りました。
清澄公園は清澄庭園の西に隣接しており、一帯は明治に岩崎弥太郎の所有地でした。 -
途中に出合った風景。
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清洲橋通りと清澄庭園の間の路地です。
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いかにも下町といった風景。
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なんとなく雑然と置かれているのがいいです。
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この辺りです。
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清洲橋通りに出ました。
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東に歩くと臨川寺です。芭蕉ゆかりの寺として知られます。
1653年鹿島根本寺の冷山和尚が草庵を結び、弟子の仏頂禅師が1713年に創建。
近くに住む芭蕉は禅師に心服し、たびたび参禅したという。 -
門を入るとすぐ右に四つの碑が建っています。
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墨直しの碑:芭蕉の門人各務支考(かがみしこう)が芭蕉の死後京都の双林寺に建てた石碑の字、墨跡を後に俳人神谷玄武坊が写して建てた。毎年3月に碑を洗い清めて彫字に墨を入れ直したことから「墨直しの碑」と呼ばれる。
梅花仏碑:蕉門十哲の一人各務支考の碑。梅花仏は各務支考の号。各務/かがみ=鏡=丸い=円型の碑。 -
芭蕉由緒の碑:「墨直しの碑」と「梅花仏碑」が臨川寺に建てられた由来を記してある。
玄武佛碑:「墨直しの碑」を建立した神谷玄武坊を記念する碑。1800年代前半のもので、上の三つが関東大震災で損壊、再建されたのに対しこれのみ当初のものです。 -
臨川寺の横の路地。
清澄庭園に突き当たります。 -
日の光が木々の影を落とし、しっとりした気持ちのよい路です。
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突き当りの右角に本誓寺の門。
開山は1501年小田原で、たびたびの火災などで転々とし1683年この地に落ち着いた。 -
本誓寺墓地の入り口。
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呂一官(ろいっかん)の墓があります。中国・明の人。
薬草学に詳しく、1584(天正12)年日本に帰化し徳川家康の侍医として抱えられる。その後家康の江戸入府に従い江戸に住む。
1615年日本橋で香油、化粧紅、白粉の製造販売店「紅屋」開業。これが柳家ポマードで有名な「柳家本店」に繋がっています。同社では1615年を創業の年としています。 -
説明板。
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村田春海の墓。1746~1811年。国学者、歌人。
賀茂真淵の門下で、加藤千蔭と共に江戸派歌人の双璧と云われた。 -
清澄庭園入り口です。
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今日は庭園見物が目的では無いのでパンフレットを貰うだけで素通りします。
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パンフレットを貰った義理からちょっとだけ引用します。
一説には豪商紀伊国屋文左衛門の屋敷跡と伝えられている。江戸中期に関宿藩主久世大和守の下屋敷となり、庭園のもとが形造られた。明治11年、三菱財閥の創業者岩崎弥太郎が取得し造園を進め、明治の庭園を代表する「回遊式林泉庭園」とした。
大正13年東京市に寄付され昭和7年清澄庭園として開園。 -
都内の大きな庭園、ここと旧岩崎邸庭園、六義園は岩崎家のものでした。財力に任して取得したのでしょう。この点は気に入りませんが、東京都に寄付することにより開発されマンションが建つこともなく庭園として残ったことには感謝するべきでしょう。
夏目漱石は政商、金持ちが嫌いで、特に岩崎が気に入らなかったようです。小説、随筆などでチクチク岩崎をやり玉に挙げています。 -
入園しないで塀の隙間からちょっと覗く、せこいですね。
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清澄通りを渡った向かいにあさりの佃煮やがあります。
深川といえばあさりめし、あとで食べるつもりです。 -
清澄通りの裏に雄松院(おうしょういん)があります。
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度會氏(わたらいし)園女(そのじょ)之墓。眼科医、俳人。1664~1726年。伊勢生まれ。
江戸初期から中期の代表的女流俳人。夫と共に大阪で眼科を開業するかたわら俳句を作り芭蕉の門人となる。夫の死後江戸に出て深川に住み、眼科医を開くと同時に榎本其角ら江戸の俳人と交流。 -
俳人渡会園女(わたらいそのじょ)/斯波園女(しばそのじょ)の墓。斯波は夫の姓。
芭蕉が大阪で死の発病をしたのは、園女宅で出された御馳走を食べすぎたのが原因と云われます。胃腸を壊し激しい下痢が収まらず衰弱して亡くなりました。 -
附近地図。
緑は清澄庭園、上小名木川、下仙台堀川。赤の現在地の右に霊厳寺、深川江戸資料館。 -
霊厳寺に来ました。
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山門。
増上寺、伝通院らと共に浄土宗関東18壇林(僧侶の養成機関、学問所)の一つ。 -
寛政の改革を行った楽翁こと陸奥白河藩主松平定信の墓があります。ここの地名白河の由来です。
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寛政元年(1624年)、霊厳上人が隅田川河口に島を造営し霊厳島となずけ霊厳寺を創建(今の中央区新川)。明暦の大火(1657年)で焼失、今の深川の地に移る。家康、秀忠、家光と徳川3代の将軍の帰依あつく、大寺になった。
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本堂。
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昭和56年の再建です。
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ここには江戸六地蔵の第5番があります。江戸の主要出入り口に建てらた銅造地蔵菩薩です。現存するのは五つ。
造立順に第1番品川寺(南品川)、第2番東禅寺(東浅草)、第3番太宗寺(新宿)、第4番真性寺(巣鴨)、第5番霊厳寺(白河)。第6番は富岡の永代寺にあったが明治に廃仏毀釈で廃寺となり取り壊された。 -
銅造地蔵菩薩坐像。
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1717年造立。273㎝。
六地蔵はすべて270㎝前後です。 -
説明板。
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松平定信墓所。1759~1829年。
御三卿の一つ田安宗武の子、徳川8代将軍吉宗の孫。養子先の陸奥白河藩第3代藩主。老中田沼意次の失脚後老中首座につき幕政の立て直し、寛政の改革を行う。
白河藩主時代、天明の大飢饉にも藩では一人の餓死者も出さず名君と云われた。 -
営農重視、封建的社会政策、朱子学のみ正学とする思想統制(寛政異学の禁)、緊縮財政、風俗矯正(贅沢禁止)など田沼意次時代と打って変わった厳しい締め付けは庶民はおろか足元の幕閣にも不満の声が上がり、ついに定信は改革半ばにして老中を辞することとなる。
重商主義、賄賂の横行、放漫財政で景気を好くした田沼意次の政策と、農本主義、緊縮財政、思想統制で庶民の活力を削いだ松平定信の政策とどちらが良かったのか分かりませんが、評判の悪い田沼意次も見直されつつあるようです。 -
庶民は狂歌、落首などで松平定信の改革を風刺した。
「白河の 清きに魚もすみかねて 元のにごりの田沼こいしき」
「万代(よろづよ)も かかる厳しき御代(みよ)ならば 長生きしても 楽しみはなし」 -
ここで深川江戸資料館に入りましたが、それは芭蕉記念館とともに別に一編を起します。
霊厳寺の門前に出世稲荷神社がありました。 -
昼に深川めしを食べようと門前の食堂に行くと有名な店なのか行列が出来ている。何処でもちょっと情報誌に取りあげられるとどっと行列が出来る。昔は食べ物屋に並ぶのは恥としたものです。何よりも並ぶのが嫌いなベームは、深川だから歩けば幾らでもめし屋はあるさ、と歩きだす。
ところが結局は2時過ぎになってようやく深川めしにありつけることになってしまいました。 -
空いた腹を抱えて次に向かったのは成等院(じょうとういん)。
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江戸時代の豪商、紀伊国屋文左衛門の墓があるお寺です。紀文、紀文大尽とも言われたお大尽でした。1669頃~1734年。紀州湯浅の生まれ。
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閂が架かっていて入れません。正面に紀伊国屋文左衛門之碑。
伝説ではあるが、若い頃の話、紀州で蜜柑の大豊作があり値段が暴落した。紀文は安値で大量の蜜柑を買い付け船で江戸に送り高値で売りさばいた。大儲けした紀文は江戸に住み木場で材木商を始める。喧嘩と火事は江戸の華で材木の需要は多かった。
「沖の暗いのに白帆が見ゆる あれは紀ノ國ミカン船」
幕府の重鎮柳沢吉保に取り入った紀文は幕府御用達の材木商となり、上野寛永寺造営の際に材木の納入を一手に引き受け巨万の富を築く。吉原を借り切って3度まで大門を閉めさせたといい、もう一人の豪商奈良屋茂左衛門(奈良茂)と吉原で大尽遊びを競ったという。 -
火事で儲けた紀文であるが、逆に火事に逢い深川の木場が燃えてしまった。これが落ち目の始まりとなる。材木商を止め銭の鋳造などを手掛けたがうまく行かず、晩年は富岡八幡宮近くに隠棲し宝井其角ら俳人仲間と交わり余生を送ったという。
一代で富を築き一代で使い果たした、豪放な人生でした。
写真は紀伊国屋文左衛門之碑で墓ではありません。墓石は小さいものだそうです。 -
清澄庭園に添って清澄通りを南に歩きます。
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道路の清澄庭園側には何と表現して良いか、建物と建物の間に隙間がなく、ちょっと特色のある風景が続いています。
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建物が棟続きになっているように見えます。
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表具店。
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清澄通り、三好一丁目の交差点。
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清澄通りの左側、仙台堀川に架かる手前の平野児童館の敷地に滝沢馬琴生誕の説明板が建っています。
石碑は「南総里見八犬伝」108冊を積み上げた形をしています。 -
滝沢馬琴/曲亭馬琴。読本作家、戯作者。1767~1848年。
旗本松本氏の用人の子としてこの地、松本家の邸内で生まれる。24歳の時山東京伝の門をたたく。それ以降本格的に文筆活動を開始。
代表作に「椿説弓張月」、「南総里見八犬伝」。
晩年失明し、嫁の路女に口述筆記させ執筆を続けた。 -
仙台堀川に架かる海辺橋に来ました。
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海辺橋(うみべばし、うんべばし)。
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橋の上から仙台堀川。
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同。
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海辺橋から下流の清澄橋にかけての仙台堀川の南岸沿いに芭蕉俳句の散歩道があり、芭蕉がおくのほそ道で作った句の碑が並んでいます。
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海辺橋南西の橋詰めに採荼庵(さいとあん、さいだあん)跡があり旅姿の芭蕉が縁側に座っています。
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芭蕉の門人杉山杉風(すぎやまさんぷう)の別荘があった所で、2回目の芭蕉庵からここに移り住んでいた芭蕉が元禄2年(1689年)3月、曾良を連れておくのほそ道の旅に出立した所です。船で隅田川を上り、千住から陸路奥州へ旅立ったのでした。
草の戸も 住替る代ぞ ひなの家
(以前住んでいた草庵の前を通りかかると、その家には小さな女の子がいる家族がいる。主人が変わると寂しかった家も華やかに替わるものよ)
行春や 鳥鳴き魚の 目は泪 -
芭蕉庵もここも杉山杉風が提供したもので、杉風は芭蕉の門人でありパトロンでした。
日本橋で幕府御用達の魚問屋を営む傍ら俳句に親しみ、芭蕉十哲の一人。 -
説明板。
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海辺橋を渡ると町名も深川です。
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海辺橋から少し行くと跨道橋があります。
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小津安二郎が生まれた所です。明治36年~昭和38年。
青年時代にかけ三重の松坂で暮らし20歳の時上京、松竹蒲田撮影所に入ったのが映画人のスタートでした。戦前の作品はは安サラリーマンの庶民生活、戦後はどちらかというと中流以上の家庭の生活を描いています。
私は小津安二郎映画の大フアンで、テレビ放映を録画したりDVDを買ったりで小津映画の殆どを持っているのではないかと思っています。。 -
また小津映画を彩る俳優も大好きです。
男優では斎藤達雄、阪本武、笠智衆、佐分利信、山村聡、中村伸郎、宮口精二、佐野周二、佐田啓二など。
女優はいっぱいあり過ぎて困ります。
原節子、杉村春子、桂木洋子、有馬稲子、久我美子、三宅邦子、司葉子、岡田茉利子、岩下志麻、淡島千景、岸恵子、若尾文子等々。今は大人の色香を持つ女優はいませんね。 -
その跨道橋から。北方向。
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南方向。
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少し先左手に心行寺(しんぎょうじ)。
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本堂。
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六角堂。深川七福神の福禄寿神を祀っています。
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宝筐印咒塔(ほうきょういんじゅとう)。
文化文政期の江戸の名妓川口直(かわぐちなお)が夫の供養のため建てたもの。
直は三味線の名手だった。のち日本橋で豆腐の田楽茶屋を開き繁盛した。 -
説明板。
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可愛らしい地蔵菩薩立像。
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縁結びの地蔵尊として江戸時代から人気があったそうです。
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五重石塔。
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元亨四年(1324年)の銘があり、江東区で一番古い石塔だそうです。
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個人の墓でしょうか、凄いものがあります。
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その隣に法乗院。
本堂。 -
深川えんま堂として知られています。
寛永6年(1629年)創設。 -
えんま堂。
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閻魔/閻魔大王。
平成元年のものです。新しいですね。高さ3.5m、幅4.5m。
地獄の王で、死者の生前の罪を裁きます。日本では地蔵菩薩の化身とされています。 -
子供の頃、嘘ついたら閻魔さまに舌を抜かれると云われたものです。
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これ賽銭箱です。家内安全、交通安全、夫婦円満、合格祈願など願い事別に賽銭の投入口が造られています。願い事する投入口に賽銭を投げ込むと音声で仏の説法が流れるそうです。ハイテク閻魔です。試してみればよかった。私はこういうのを見るとなんでも馬鹿らしい、と片付けてしまいます。
普通、賽銭箱は一つで、10円玉か大奮発して100円玉を投げ込むとすべての御利益が得られますが、ここでは願い事一つごとにおあしが必要です。お寺さんうまいこと考えましたね。 -
怨敵退散、うそ封じ、ぼけ封じなんてのも有ります。願い事のデパートみたいです。ついでに戦争退散、核兵器退散、自国第一主義退散、トランプ退散も作ってください。成就するなら私の小さな財布をはたいてもよろしい。
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その先葛西橋通りとの角に陽岳寺があります。
寛永14(1637)年の創建。 -
門を入るとすぐ右に三つの石碑が並んでいる。
奥から伏見義民の墓、観嵩月墓、英信勝墓。 -
伏見義民の墓。
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天明の大飢饉(1783~1787年)のころ、山城国伏見の住民は代官小堀政方
の圧政に苦しんでいた。住民のうち3人が立ち上がり幕府に直訴せんものと江戸に向かう。うち一人は代官の追っ手に殺されるが残り二人は直訴に成功、代官は罷免される。しかし二人も投獄され獄死する。
3人の遺体はこの陽岳寺に引き取られ葬られた。 -
観嵩月(かんすうげつ)墓。
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江戸中期の英派の画家。1755~1830年。
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英(はなぶさ)信勝墓。
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英一蝶の子/2代目英一蝶。画家。
3基いずれも東京都旧跡です。
ここまでその2として次は門前仲町界隈です。
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