2018/10/21 - 2018/10/21
72位(同エリア397件中)
ベームさん
芭蕉記念館と深川江戸資料館で一編とします。
両方とも見ごたえのある展示で、特に芭蕉記念館はもっと時間をかけて観たかった。
写真は芭蕉と河合曾良。おくのほそ道の旅姿。芭蕉記念館。
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地図、左上に芭蕉記念館、清澄庭園の右に深川江戸資料館。
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パンフレットです。
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左:深川江戸資料館入館券。
右:芭蕉記念館。 -
まず芭蕉記念館です。
深川神明宮の前を西に行くと突き当りにあります。昭和56年開館。
蕉風と呼ばれる芸術性高い句風を確立、唯一俳聖と呼ばれた松尾芭蕉の資料を蒐集・展示しています。 -
芭蕉記念館の位置。赤い現在地です。
上から(東から)流れる小名木川が萬年橋を潜り隅田川に合流する辺りが芭蕉庵のあった深川三股です。 -
企画展、ちょうど今日まででした。
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入口。
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小さいながら石や木を配し庭園になっています。
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草の戸も 住み替る代ぞ ひなの家
芭蕉、おくのほそ道に出立すべく住まいを人手に渡して杉山杉風の別荘に移った。
ある日もとの住まいを覗いてみると可愛らしい女の子のいる家族が住んでいた。その時の気持ちを詠ったもの。むさくるしい男住まいの家から可愛い女の子のいる明るい家に変っているのでした。 -
建物の裏は隅田川です。
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築山。
芭蕉の句に詠まれた草木が植えられています。 -
同。
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狭い石段の先に、
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小さなほこらが建っています。
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芭蕉庵を模したものです。
芭蕉は深川の芭蕉庵に移ったころの生活をこう書いています。
「深川三(みつ)またの辺(ほと)りに艸庵を侘(わ)びて、遠くは士峰の雪をのぞみ、ちかくは万里の船をうかぶるあさぼらけ、・・・・、月に坐しては空しき樽をかこち、枕によりては薄きふすまを愁(うれ)ふ」
士峰:富士山。
優秀な門人を持ち杉山杉風のような支援者を得た芭蕉であるが、まだまだ蕉風の確立、将来に不安を持つ心境が哀れです。 -
中を覗くと、
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中には小さな芭蕉さんがいました。
晩年毎年のように長途の旅にでる芭蕉でしたが、いつも帰ってくるのはこの芭蕉庵でした。 -
庭園の端は隅田川の堤防に接しています。
新大橋が見えます。 -
下流方面。清洲橋が見えます。
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対岸の日本橋浜町辺りと首都高小松川線。
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館内に入ります。
写真を撮っても良いそうです。 -
芭蕉句碑案内。
深川は芭蕉のホームグラウンドだけあってあちこちにあります。 -
展示室。
芭蕉記念館の資料を基に芭蕉の生涯を略記します。
寛永21(1644)年:伊賀上野の土豪の家に生まれる。5人兄弟。
寛文2(1662)年:19歳。藤堂家の家臣に仕え、俳諧に親しむ。宗房を名乗る。
寛文12(1672)年:江戸に下る。29歳。
延宝3(1675)年:俳号桃青を名乗る。32歳。
延宝5(1677)年:この頃から関口で神田上水関係の仕事に携わる。34歳。 -
延宝6(1678)年:この頃俳句宗匠として立つ。35歳。
延宝8(1680)年:杉風、其角、嵐雪らの優秀な門弟を擁し江戸俳壇に一勢力を築く。杉山杉風(すぎやまさんぷう)の深川の草庵(第一次芭蕉庵)に住む。37歳。
延宝9(1681)年:門人から芭蕉の株を贈られ庭に植える。のち俳号芭蕉、芭蕉庵の由来となる。38歳。
天和2(1682)年:俳号芭蕉を名乗る。八百屋お七の大火で芭蕉庵焼失。39歳。 -
天和3(1683)年:門人らの寄付で芭蕉庵再建、第二次芭蕉庵。40歳。
貞亨元年(1684)年:「野ざらし紀行」の旅に出る。41歳。
貞亨3(1686)年:古池や蛙飛び込む水の音吟。43歳。
貞亨4(1687)年:「鹿島紀行」の旅。「笈の小文」の旅。44歳。
貞亨5(1688)年:「更級紀行」の旅。45歳。 -
元禄2(1689)年:芭蕉庵を手放し杉山杉風の別荘(採荼庵さいとあん)に移る。「おくのほそ道」の旅。
元禄5(1692)年:第三次芭蕉庵新築。49歳。
元禄7(1694)年:京都、奈良、大阪へ旅するが、9月10日大阪で発病。
10月8日「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」吟。10月12日、大阪御堂前の花屋仁左衛門宅で没。14日大津の義仲寺に埋葬。51歳。 -
芭蕉が愛用していたと伝えられる石の蛙。
芭蕉庵は没後武家屋敷となりその痕跡を示すものは無くなってしまった。大正6年台風の高潮が襲い引いた後に石の蛙が出てきた。その場所に芭蕉稲荷神社が建てられ、東京都はそこを芭蕉庵旧跡と指定した。 -
体長21センチの小松石。
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芭蕉坐像。
天保6年(1835年)瀬戸村(愛知県)加藤宗清これを造る、と刻まれています。 -
展示室。
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同。
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芭蕉は生涯5度の大きな旅をしています。それぞれ俳諧紀行文が書かれています。
それぞれの時期、行く先、代表(親しまれている)句を略記します。
1、野ざらし紀行:1684年8月~1685年4月。41歳。
江戸~伊勢~伊賀上野~大和・京都~大垣~名古屋~江戸。
野ざらしを 心に風の しむ身かな
山路来て 何やらゆかし すみれ草
道のべの 木槿(むくげ)は馬に 食はれけり
辛崎の 松は花より おぼろにて -
2、鹿島紀行:1687年8月。44歳。
江戸~鹿島神宮・鹿島根本寺~江戸。鹿島詣で。
寺に寝て まこと顔なる 月見哉
刈りかけて 田面(たづら)の鶴や 里の秋 -
「奥の細道行脚之図」芭蕉と曾良。門人森川許六画。
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芭蕉旅の衣裳。
3、笈の小文(おいのこぶみ):1687年10月~1688年4月。44~45歳。江戸~名古屋~伊賀上野・吉野~和歌山・奈良・須磨~京都。
旅人と 我名(わがな)よばれん 初しぐれ
いざ行(ゆか)む 雪見にころぶ 所まで
さまざまの 事思ひ出す 桜哉 -
4、更級紀行:1688年8月。45歳。
岐阜~木曽路~更級・姥捨て山~善光寺~高崎~江戸。
送られつ 別れつ果ては 木曾の秋
俤(おもかげ)や 姥(うば)ひとり泣く 月の友 -
5、おくのほそ道:1689年3月~9月。46歳。
江戸~日光~白河~東北(松島、仙台、平泉、鳴子、出羽三山、酒田、象潟)~越後・北陸(新潟、直江津、永平寺、敦賀)~大垣。
2400キロ、150日間の旅でした。 -
「月日は百代の過客にして行きかふ年も又旅人也」で始まる最も優れた紀行文です。
おくのほそ道には有名な句が一杯ありますのでこれをご覧ください。発句は全部で63句です。
右から旅の順です。 -
これ以外にも、
荒海や 佐渡に横たふ 天河(あまのかわ)
一家(ひとつや)に 遊女も寝たり 萩と月(遊女に伊勢参道の道連れを頼まれて)
塚も動け 我泣声(わがなくこえ)は 秋の風(門人の死を悼んで)
むざんやな 甲の下の きりぎりす(斎藤実盛の兜を見て)
曾良の句に:
卯の花に 兼房みゆる 白毛かな
松島や 鶴に身をかれ ほととぎす -
芭蕉翁絵詞(えことば)伝。複製。1792年。
芭蕉百回忌に義仲寺に奉納するために作られた絵巻。
おくのほそ道の道中、芭蕉と曾良が古歌の歌枕として知られていた「壺の碑(つぼのいしぶみ)」を訪ねている所。宮城県の多賀城址にあります。
絵詞の原本は義仲寺にあり、そこには芭蕉や木曽義仲の墓があります。 -
芭蕉翁絵詞伝。
深川の芭蕉庵が火災に遭い燃えている所です。 -
これで見るとかなり大きな屋敷に見えますが、もっと小さな茅屋だったのではないでしょうか。
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江戸名所図会「芭蕉庵圖」。1836年、長谷川雪旦画。
文中に、「芭蕉庵の旧址」について、「同じ橋(萬年橋)の北詰、松平遠州侯の庭中にありて、古池の形いまなお存せりといふ」と記されています。
芭蕉の死後140年以上経っているころです。 -
江戸名所図会「新大橋三派(みつまた、三股)」。1836年、長谷川雪旦画。
今の新大橋の少し下流で、月見の名所でした。芭蕉庵史跡展望庭園、芭蕉稲荷神社のある辺りです。
手前新大橋、奥に永代橋。 -
絵本江戸土産「萬年橋柾木稲荷」。1850~1867年。歌川広重画。
全251図からなるカラーの江戸の名所絵本です。
芭蕉庵のあった辺りで、中央の大きな木が柾木/正木稲荷神社の柾木です。 -
芭蕉翁絵詞伝。1792年。
元禄7年(1694年)10月、旅中の芭蕉は大阪の御堂前の花屋仁左衛門の屋敷で病に倒れる。病中吟「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」を詠んで10月12日51歳で没。遺体は大津の義仲寺に葬られました。芭蕉の遺言によるものです。
義仲寺は旅の途中何度か泊まった縁のある寺で、悲劇の主人公として滅んでいった源義経や木曽義仲、奥州藤原氏などに芭蕉は哀惜の情を持っていたのです。 -
展示室。
「木曽殿と 背中合わせの 寒さかな」。芭蕉の弟子の句です。
芭蕉は木曽義仲を悲劇の武将と捉え、哀惜の念を持っていました。義仲の墓のある膳所の義仲寺にも泊まっています。
芭蕉の墓はその遺志により義仲寺、木曽義仲の墓の隣にあります。 -
展示室。
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一つ目小僧もしくはからかさ小僧。
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蕪村の句。
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一つ目の付いた傘が一本足で飛び跳ねる姿を描いたものが一般的です。
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江戸で活躍した俳諧師たちです。
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夫々の絵の位置に対応しています。
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深川江戸資料館です。
江戸時代に関する資料等を蒐集、保存、展示しています。昭和61年開館。 -
深川江戸資料館。パンフレット。
江戸時代末期、天保年間の佐賀町の家並を再現しています。 -
木彫りの江戸飾り獅子。
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入ると横綱大鵬が迎えてくれました。横綱大鵬顕彰コーナー。
江東区に住み。江東区名誉区民第1号。昭和15~平成25年。 -
深川ゆかりの人たち。
山東京伝。 -
伊能忠敬。
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佐久間象山。
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鶴屋南北。
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七代目市川団十郎。
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階上からは江戸時代末期の佐賀町の町並みを実物大で再現したものが俯瞰できます。
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手前の建物は棟割長屋。
ここでは三つに仕切って3世帯が住んでいます。 -
米屋「上総屋」の土蔵。
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共同スペース。
井戸、便所、ごみ溜め、稲荷があります。
棟割長屋ではこういった設備は共同でした。当時排泄物は貴重な肥料となりました。近郊の農家が金を払って引き取りに来て、長屋の大家の貴重な収入源でした。長屋の住民の捻出物の対価を大家が独り占めにするのは不公平ではありませんか。 -
共同井戸。
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八百屋「八百新」。
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八百屋の店頭。
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店の中。
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温室栽培なんて無かったので並ぶのは正真正銘季節の野菜でしょう。。
大根。 -
ほうれん草と牛蒡みたいです。
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かぼちゃ、茄子、人参、椎茸に唐辛子です。
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蓮根。
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店の奥には長火鉢。
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かまど。
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肥料問屋の大店(おおだな)「多田屋」。
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干鰯、肥料、魚油類を扱っています。
深川の大店といえば木場の材木商、米穀商に肥料商人が主でした。 -
多田屋の蔵。
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長火鉢。
家具調度も立派です。 -
米穀商「春米屋」。
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米屋の店先。
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蔵には米俵が積んであります。
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唐臼という精米機。
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この店も居間には長火鉢があります。
長火鉢は戦前までは多くの家庭にありました。それが空襲でほとんどが焼けてしまい姿を消してしまった。そして復活することはありませんでした。
長火鉢を使った人によると極めて重宝な家具だったそうです。それに格好が良い。 -
十能に乗せたかんかんに熾った炭を灰の中に埋める。三本足の鉄の輪/五徳を置き鉄瓶や鍋を乗せる。横には湯沸し用の銅壺(どうこ)がある。銅壺の湯でお茶を入れたり、銚子を入れて酒の燗をする。その横の板は猫板といい、布巾を置いたり鉄瓶を置く。暖かいので猫がその上でうずくまる。長火鉢の側面には何段か引き出しがついていて、煙管とか熱で湿気がないので刻み煙草とか海苔を入れておく。
亭主は仕事が終わるとこの前に胡坐をかき、お茶を飲み煙草を吸い灰皿はいらない、銅壺で燗した酒をちびりちびり、干物でもあぶって酒の肴にする。向かいでは神さんが針仕事。
今では考えられないゆったりした生活です。 -
かまど。
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でも夜は暗い生活でした。おそらく灯りは一つの部屋にしかなく、それ以外の部屋は真っ暗、冬は長火鉢の周りに家族が集まり寒さを凌いだことでしょう。暗くなると早々と布団に入り、朝明るくなると起き出す、夜の長い暮らしでしたろう。自然の摂理に則った生活です。
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船宿。
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船宿「升田屋」。
主に吉原など遊郭に船で遊びに行く客を送り迎えしました。 -
船宿の中。
客用の皿、急須、銚子など。 -
神棚、熊手があります。
そういえば神棚も今は信心深い家以外は姿を消しています。昔は信心の有無に関係なく神棚は家の付属物みたいなものだったのでしょう。私の子供のころ、父は無宗教、母はクリスチャンでしたが神棚がありました。 -
やはり長火鉢。
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旅人の傘に蓑。
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船宿の台所。
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運河に浮ぶ猪牙舟(ちょきふね)。
猪牙舟に乗って吉原に行くのが粋とされました。今なら水上タクシーとでも言いましょうか。 -
猪牙舟と運河。
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裏長屋の路地。長屋の住民の生活空間です。
右木挽き職人大吉、左船宿の船頭松次郎の住まい。 -
木場の木挽き職人大吉の家。
壁に商売道具の大鋸が架かっています。 -
天ぷらの屋台。
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二八とあるから多分蕎麦売りです。
寿司もこういう形態で売り歩いています。 -
虫売り屋台。
お品書きにはほたる、松むし、鈴虫、草ひばり、虫品々とあります。 -
水茶屋。
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棒手振政助の家。
棒手振(ぼてふり)とは、天秤棒を担いで魚や青物類を売り歩く行商人のこと。
壁際に置いてあります。政助はあさり、蛤など魚介類を売り歩いています。 -
政助の住まい。
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水屋、箪笥。
今はこう言った家具も姿を消していますね。
子供のころ近所に火事があり、家のタンスの一段ごと引き抜いて持ち出した記憶があります。 -
しがない棒手振の住まいにも長火鉢だけはありました。磨き込まれていてお神さんの心意気が感じられます。家のお宝と毎日きゅっきゅっと拭いていたのでしょう。
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かまど。
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火の見櫓。
一番上には半鐘があります。 -
江戸は木造の家が密集し火事が多かった。一旦火の手が上がると竜吐水(りゅうどすい、手押しの消防ポンプ)などでは間に合わず、町の火消の役目は消火よりも延焼を防ぐため火の向かう方面の建物を打ち壊すことでした。
江戸時代に火除地という空地を設けたのも延焼を食い止めるためでした。 -
梯子。
子供のころは各家庭にありましたね。縁の下に置いてありました。今は脚立。
消防の出初式では木製の梯子を使っているのでしょうか。 -
本所深川繪図。
中央隅田川に注ぐのが小名木川。その下仙台堀川。 -
浮世絵「名所江戸百景」。
大はしあたけの夕立と亀戸天神境内。歌川広重画。
芭蕉記念館と深川江戸資料館を終わります。両方とも充実した見ごたえのある中身でした。
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