2018/10/07 - 2018/10/07
7位(同エリア217件中)
たびたびさん
- たびたびさんTOP
- 旅行記837冊
- クチコミ40743件
- Q&A回答427件
- 6,700,483アクセス
- フォロワー689人
この旅行記スケジュールを元に
伊達政宗は、関ヶ原の戦いの代理戦のどさくさに紛れ、豊臣秀吉の奥州仕置により失っていた白石城を上杉氏から奪い返すことに成功。白石13千石は、伊達家の重臣、片倉景綱に与えられ、以降、江戸時代を通じて片倉家が治めることとなります。
さて、白石の初代、片倉景綱は通称「小十郎」。この名は代々の当主にも受け継がれることに。そして、二代の小十郎重長は、初代にも増して勇猛果敢な性格で「鬼小十郎」とも呼ばれた人物。大坂夏の陣では、伊達隊の先鋒を務め、真田幸村と激突。戦いは兵力に勝る伊達軍でしたが、勝負はほぼ互角。幸村の老練な戦いぶりもうかがえます。一方で、その後、幸村の遺児、阿梅をもらい受け、後に継室(後妻)としたことには戦国の世にあっても人の心が通うようなロマンを感じます。
白石の歴史を考えると初代、片倉景綱からこの鬼小十郎と阿梅姫。片倉家の物語を基本にして、仙台藩の南境を守るこの白石城が戊辰戦争へとつながる白石会議の舞台となったことも特筆されること。白石城が10万石程の大名が入る城に匹敵する規模であったことも舞台となる条件のひとつだったと思われます。しかし、その後の展開は悲惨。戊辰戦争の敗北で城を追われた片倉家の家臣たちは北海道へ移住。辛酸をなめることに。ただ、札幌市白石区はその歴史をとどめる名前。少しは救われる思いになるような気もします。
文化の面でいえば、うーめんと白石和紙。うどんのようなそうめんのような、のど越しのいい素直な味わい。吉永小百合のロケ現場を偶然発見したのも楽しい思い出。最後に訪ねた寿丸屋敷の白石和紙あかりも秀逸でした。
-
仙台駅から早朝の白石駅に到着。
この駅のホームの途中にレンガの油庫という建物がありまして。
鉄道創設時の説明があって、明治20年12月、白石駅の営業開始とともに作られた灯火類の油を収納するためだったとのこと。規模はそこまでではないし、場所から察するにここから手作業で油を運んだのでしょう。まだまだ素朴な時代が想像されました。
ただ、時々、このような建物を見かけることはなくはない。全国的にはそこまで珍しいものではないかもしれません。 -
白石駅の観光案内所はこれ。観光コースは限られているので、ここで地図をもらえば事前の知識はなくても簡単に散策できます。
-
イチオシ
つまり、白石の観光スポットはだいたい駅から歩ける範囲。時計回りで効率よく回れます。
最初に訪ねた当信寺。見どころは、いくつかあるのですが、まずは白石城東口門の遺構というこの山門。デザインに特徴がありますが、戦いに備える門という感じはしませんね。 -
本堂をチェックして、その先へにあるのが
-
イチオシ
一番の見どころ、阿梅と大八の墓。本堂の裏手にあって、並んで建っています。
なんとこの二人は、あの真田幸村の遺児。大坂夏の陣の際、幸村が片倉小十郎に託したと伝えられます。
阿梅は小十郎の後妻となりましたが、子はなかったよう。墓石は如意輪観音像を象っているそうですが、ちょっと不思議な形です。
講談等では真田幸村が伊達政宗に遺児を託して、政宗が家臣に与えるという筋書きだったはず。幸村の遺児を預かることについて家康に説明をする必要があるのではないか家臣が心配する中、戦国の武士の習いとしてそんな必要はなかろうとカラカラと笑う政宗が面白く描かれていました。真田幸村はひとかどの大名ですから、伊達政宗の家臣では釣り合いが取れない。筋書きではそれを整えたような気もします。ただ、冷静に考えると、たぶん、真実は、乱捕りという戦いのどさくさで捕えたものと想像するのが自然で無理がないのかなとは思います。 -
白石市古典芸能伝承の館碧水園は、白石市街中心部から傑山寺に向かう途中。
-
地方の施設なのでしれているのかと思ったら、それは大間違い。
-
施設の中には立派な能楽堂がしつらえてあって、地元の人がどこかから呼んできた専門の先生に指導を受けている真っ最中でした。施設を囲む周囲の庭園もきちんと整備されています。
-
さらに進んで。
傑山寺は、白石城主片倉家の菩提寺。初代、小十郎景綱が、慶長13年(1608年)に創建しました。 -
美しく両翼を広げた本堂の前には
-
イチオシ
その初代景綱の像がでんとかまえて、今でも睨みを利かせています。
-
本堂の裏手には
-
景綱の墓と言われる一本杉。まさかの時に敵に墓を暴かれないように墓石を建てなかったというもの。戦国時代の激しい気風を受け継いだ人物だったように思います。
-
当信寺で触れましたが、白石城主片倉家に託された真田幸村の遺児、阿梅姫の関係で、白石は真田家にゆかりの深い地となりました。この清林寺は、真田家遺臣で三井豊後なる人物が創建したもの。
-
なので、寺紋は真田家の紋所「六文連銭」です。境内は広くありませんが、いかめしい門の先にはしっかりと建つ本堂。
-
真田家に対する果てない思いが伝わるように感じました。
-
イチオシ
常林寺は、創建が正中2年(1325年)と伝わる古刹。現在のちに移ったのは、片倉家初代、景綱の時代。時宗の寺で入口の赤い楼門が印象的ですが、ここには旧白石城二の丸にあった時の太鼓が保管されていたことで知られます。
-
たぶん、今では本堂の中なんでしょうが、案内板を確認しただけで済ませました。本堂の方は前にシュロの木がひょろっと生えています。
-
さて、ここから白石城の方に向かいます。
益岡公園は、白石城の周辺を整備した公園。二ノ丸辺りだけを考えると限られた範囲ですが、野球場の方や西くるわ跡の方まで含めるとけっこう広い。日当たりのいい斜面には桜の並木なども整備されていて、見応えがある一角となっています。 -
さて、これが白石城。伊達家の重臣、片倉氏の居城です。
江戸幕府は、一国一城制を敷いていましたが、その対象外とされた少ない事例だということです。 -
先に神明社の方に回りましょう。本丸の方に上がって行く少し手前です。
-
坂上田村麻呂の創建と伝えられる古い歴史を持つようですが、ここに移されたのは、片倉家が伊達政宗から白石城を与えられてから。今では白石城の鎮守であり、白石の総鎮守。境内には、鬼小十郎の旗があちこち立っています。
-
現在ある天守閣のような建物は、平成になってから復元された三階櫓。
-
周囲は堅牢な塀と石垣が巡っていて、往時の堅牢な構えがそこそこ残っているように思います。
-
なお、ここは戊辰戦争で奥羽越列藩同盟締結の舞台となった歴史の場所なのですが、それはあまりアピールなし。
-
イチオシ
東北では戊辰戦争は今でもちょっと微妙な扱いなのかなと思います。
ちなみに、白石城で開かれた白石会議は、新政府から追討令を受けた会津藩を救済しようと、奥羽14藩が集結したもの。 -
しかし、仙台藩、米沢藩を中心とした会津藩・庄内藩の朝敵赦免嘆願は却下。さらには仙台藩士らによる奥羽鎮撫総督府下参謀であった世良修蔵の暗殺で、
-
新政府軍との対決は決定的に。ここに及べば軍事同盟である奥羽越列藩同盟が結成され、戦端が開かれるのは避けられない流れです。
もともとは新政府に敵対する積極的な意図はなかったのでしょうが、執拗に追いつめられ朝敵とされていった列藩同盟には、徳川幕府を支えてきたというプライドもあったはず。それを踏みにじられたら、我慢も限界になったことは想像に難くない。江戸城は無血開城されているし、徳川幕府は既に崩壊している状態だったにせよ、正義は自らにあるという思いも強かったのではないかと思います。 -
この写真は鬼小十郎まつりにおける真田対片倉の戦いの再現。鬼小十郎は、白石のヒーロー、二代目、片倉小十郎。大坂夏の陣では伊達の先鋒として、真田軍と戦いました。
その戦いは、激戦で知られる道明寺の戦い。小十郎は馬上4騎を切り伏せたとされ勇猛果敢でしたが、戦いはほぼ互角。3千の真田軍に対し伊達軍は1万。兵力には圧倒的な差があったのですが、戦上手の真田軍に決定的な損害を与えることはできませんでした。 -
白石城の係の方に聞くと、今年は。見物客も多め。片倉勢と真田勢に扮するそれぞれ30人の参加者もすぐに申し込みがいっぱいになっていたのだそう。事前に4回の練習もあるのですが、遠くからの参加者も自費でちゃんとこれを経て本番に向かうので、地元だけでなく、思いを持った人がそれなりにいるということ。地元以外にもファンを持つお祭りのようです。
-
白石の特産品に白石和紙という伝統工芸品があって、
-
城内にはその作品も少し展示されていました。
-
天守閣からの眺めです。
-
ここから同じ敷地内にある白石城歴史探訪ミュージアムへ。
-
こちらは、食堂やお土産物コーナーが併設された施設ですが、見どころは3Dの立体ビデオ。大坂夏の陣秘話「鬼小十郎帰るに及ばず」と題したビデオを拝見しましたが、小十郎の荒武者ぶりに真田幸村の遺児、阿国姫の逸話を交えたもの。血気にはやるあまり自らが前線に出て馬上4騎を切り捨てるなど大将の器ではないと父に一括され、しょぼんとなる小十郎。小十郎の愛されキャラまでよく分かる内容で、ちょっと心が和みました。
-
展示品の中では、宮城野・信夫姉妹の仇討ちも気になった一つ。
-
二代小十郎の頃の史実です。
片倉家中でも嫌われ者だった武士、志賀団七の無礼討ちに会い、父親を失った姉妹。江戸で由井正雪の元で修業を積み、帰郷。見事に仇討を果たすという物語。
志賀団七をいつかは処罰せねばならないと思っていた小十郎が本来は認められない仇討の許しを与えるという心憎い配慮や仇討を果たしたとはいえ小十郎の家臣を殺めたことで自害しようとする姉妹の心根。処刑されたとはいえ恩人の由井正雪をねんごろに弔う姉妹のまごころなどお涙ちょうだいの要素もふんだんで、 -
これも鬼小十郎に関係していて、泣ける話。勇猛の一方で人情にも厚い。これも鬼小十郎の愛されキャラにも一役買っている話かと思います。
-
白石城を後にして、ここから武家屋敷の方に向かいます。
-
武家屋敷の旧小関家は、有料の施設。白石城の入場券とかとの共通券があります。
入口である切妻造の棟門の手前に流れる川は、三の丸外堀にあたる沢端川。 -
それを渡って敷地内に入ります。
-
間取りはシンプルだし、
-
十分な大きさがあるので、
-
想像以上にゆったりとしていて
-
豊かな暮らしをしていたような雰囲気。
-
上級武士の家柄ではなかったかと思います。
-
ここから少し離れますが、片倉家の廟所へも足を延ばします。
片倉家の菩提寺はさきほどの傑山寺で、その裏山にも片倉家の廟所はあるのですが、こちらの廟所は片倉家三代景長が傑山寺からこちらに改葬したという廟所です。 -
イチオシ
山を登って行くと杉木立の中の涼しげな一角。
-
囲いの中に石畳を敷いて、その上に10体の石仏を墓石とした墓が並んでいました。
墓石が仏像になっているのは特徴的です。 -
廟所から市街中心部に戻ります。
白石川緑地は、その途中。白石市街の外れの白石川の河川敷を整備した広大な公園です。白石の周辺は自然が豊かだし、こんな公園を整備する必要がどれだけあるのかはちょっと疑問に思わないこともないのですが、それにしても立派。遠くの山々を見渡せるロケーションも合わせて、想像以上の見応えがありました。 -
そして、白石で最後に忘れてはならないのは、温麺ですよね。
-
白石市街には温麺のお店が何軒もありまして、うーめん番所は自家製の麺を出すお店の一つ。まずは、ここで温麺を味わいましょう。
-
まだ時間も早いし、広い店内で悠々。
-
熱々の温麺をいただきます。
この素直な味わい。うどんよりソーメンに近いんですが、まあ大きく言えば、どっちにしても似たようなものでしょう。 -
で、何気なく店内を見回すと、ここは吉永小百合のポスターが撮影されたお店なのだとか。
-
その撮影現場は離れ座敷。お願いすると快く案内してくれました。
-
イチオシ
なるほど。確かにここですね。よくこんなところを見つけたものだという感じでしたが、撮影時は映画のロケみたいに監督がいるし、本格的なものだったんだそうです。いいもの、いいお話を聞かせてもらいました。
-
やまぶき亭も白石温麺のお店なんですが、白石市商家資料館というのが併設されていて、それを拝見しました。
-
展示は粉を引く水車の石臼。まあそれだけなんですが、伝統の機械なんでしょう。大事に保存されています。一方で、チラリと店内の方も見ましたが、座敷の方とかいい感じ。食事処としての格調を感じました。
-
続いては、白石人形の蔵へ。
-
こちらは、個人のコレクターが集めたものを展示しているのですが、
-
想像以上におびただしい数。
-
最初はちょっと雑多な印象もありましたが、
-
目が慣れてくると違和感もなくなってきて、むしろご主人の熱い思いが伝わってくるよう。
-
戦時中の国威発揚を狙った人形や玩具などは
-
ちょっと心が痛むものですが、
-
しかし、歴史の一ページとしてこうして記憶にとどめることは
-
イチオシ
意味のないことではないでしょう。
-
その時代をそのままに写し取ったようなコレクションは後で変な脚色をすべきものでもないと思います。
つまり、戦争とはというと大げさですが、放っておくと起きてしまう。常に戦争を意識し、抑制していくことでなければ平和は保てないんです。この展示は、そんなこともさりげなく示唆してくれているような気がします。 -
凧の絵も
-
イチオシ
レトロ感いっぱい。
-
昭和の匂いのするポスターに
-
武者幟。
-
イチオシ
市松人形やりかちゃん人形とかのコーナーも見応えがありました。
-
お昼はここでもう一軒。
温麺の街、白石にあって、そばの名店として人気の高いむらかみです。少し中心部から離れているのですが、なるほどお客さんが次々やってきます。 -
豚バラのせいろを注文して、ちょっと濃いめの出汁にザブザブそばを入れていただきます。ただ、これだとそばの香りとかはほとんど関係なし。上手にまとまった味わいですが、これでどうだったのかなあ。最後のそば湯でやっとそばらしい香りを感じれたのが救いかなと思います。
-
白石の延命寺は、真言宗智山派のお寺。新西國霊場刈田札所第三十三番だそうですが、そこはあまりアピールはしていないかな。
-
山門が長屋門みたいで変わっていますが、白石城の厩口門を移築したものです。
-
境内はいい感じでひなびていて、四国八十八ヵ所と同じような雰囲気も感じました。
-
不澄ヶ池には弁慶の伝説もあるようです。
-
ここから市街の商店街へ。
ここから例によって、ちょっとスイーツチェック。 -
白泉堂は、白石の駅前商店街の端っこ。店の名前も何も書いて無くて、これがお菓子屋さんだというのは、表に書いてある「あぶらまんじゅう」「らくがん」といったお菓子の名前に気が付かないと全く分からないでしょう。
-
おばあちゃんが一人でやっていて、店内もお菓子を量り売りする道具があったり、かなりのレトロさ。
-
麦粉を使ったらくがんをいただきましたが、優しいというか温かな甘さがけっこう沁みる。沁みますねえ。
作っているのはおばあちゃんですが、自己主張のある、はっきりとした味わいです。 -
今度は柳屋菓子店。若いご主人がやってます。
ショーケースには黄色い鮮やかなパッケージのシュークリームがずらり並んでいて、元気いっぱい。 -
柔らかいシューとカスタードクリームの昔ながらのタイプ。ただ、カスタードクリームのこの多さは大きな特徴でしょう。
-
村田家製菓は、白石駅前商店街の中ほど。
-
「白石 奥州 小十郎」と銘打った洋風菓子をいただきました。白石は何でも片倉小十郎。これも何か工夫があるんでしょうねと思ったら、見た目はマドレーヌに対して、味噌の仕掛けが意表を突いて。うまくアクセントになっています。
-
高甚は、白石駅前商店街に入ってすぐ。店内に並んだお菓子はとても種類が多しい、何でもかんでもうちにお任せといった感じ。白石では一番メジャーなお菓子屋さんだと思います。
-
いただいたのは、「白石城」という餡子をパイで包んだ洋菓子。ほかでもなくはない味わいですが、地元のお菓子というのを前面に出していて、潔いかなとは思います。
-
蔵王酒造展示館は、老舗の酒蔵、蔵王酒造が運営する販売所を兼ねた展示館。係の人はお客さん一人一人にとても丁寧に対応していて、試飲をさせてくれたり、酒のあれこれについてうんちくをちらり披露したり。
-
展示はコンパクトですが、酒造りの作業のパネル展示とか無駄がない。
-
全体として、お酒に浸れる施設だと思います。
-
白石の名物、温麺は、温麺の製造販売だけをやっているところもありますが、温麺を食べさせてくれるお店でも、よそから仕入れた温麺を使っているところもあれば自家製の温麺を販売もしているところがあって、このきちみ製麺もその兼業店。製造販売とともに光庵という食堂をやっています。
-
販売所の方は余裕のある敷地に建つきれいな建物。光庵の方が昼過ぎで閉まっていたので、こちらでお土産を買いました。
-
そして、最後は白石駅近くの寿丸屋敷。
-
ここは、明治中期から大正期にかけて作られた商家の屋敷跡を活用した観光施設です。
-
いろんなイベントも行われる場所なのですが、
-
この日は、着物や
-
白石和紙のあかり展。
-
白石は片倉家にまつわる物語が豊富でモチーフには事欠かない。
-
それをやさしい光で包み込んだ作品は、
-
なかなか味わい深いものがありました。
最後にほっこりいい感じです。 -
白石市小十郎プラザは、白石駅のロータリー脇にある小さな観光案内所。幟が立っていて、そんな雰囲気があるので、すぐに分かります。
-
限られたスペースには小十郎グッズがあれこれ。やっぱりここでも小十郎の愛されキャラがよく分かります。
さて、明日の最終日は那須岳。ここから今夜の宿の黒石に向かいます。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
105