2018/02/20 - 2018/03/08
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akiさん
この旅行記のスケジュール
2018/02/25
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ブレダ駅
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ブリュッセルに3泊し、ゲントとブルージュを日帰り旅行した翌日は、オランダに向かいます。
世界遺産キンデルダイクやアムステルダムも興味はありましたが、僕はあえてそこには行かず、ブレダとハーグ、そしてデルフトへ行きました。
オランダの中心は今も昔もこの地域だからです。そのため、この旅行で唯一世界遺産を見ない日となりました。
2/20-2/22 フランス
2/23 ルクセンブルク
2/24 ベルギー
2/25 オランダ←ここ
2/26-3/1 イタリア、ヴァチカン
3/2-3/8 ドイツ、オーストリア
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ブルージュとゲント、フランドル伯領の中心都市を巡って南ネーデルラントの繁栄の歴史を辿った翌日は、北ネーデルラントに移ります。
まずはブリュッセル中央駅からICに乗ろうとしましたが、ここでベルギー国鉄の洗礼を受けます。
なんと国際高速鉄道たるICがキャンセルになり、中央駅から北の駅が始発になっていたのです。しかも、在来線で間に合う時間ではありません。
ヨーロッパの十字路という異名を持つベルギーは、国際路線の鉄道が多く、他国で発生した遅延をもろに食らいます。そうでなくても遅延ばっかです。やられました。
なので、他のICに乗ってアントウェルペンに向かい、そこから乗り換えて本来のICに接続することにしました。 -
アントウェルペン、英語でアントワープは、ベルギー第二の都市。
その駅は、世界で最も美しい駅として知られます。 -
日曜の朝なので人気がありません。
さて、ここで友人といったん分かれることになりました。お互い行きたいところが違うためです。
ライデンや、このアントウェルペンのベギン会修道院を見たがった友人は、自分で切符を買い直してまで別行動を選択。
僕はユーレイルパスを持って、ここからずっと行きたかったブレダへ向かいます。まぁ、ユーレイルパス含め大半の手配を僕がやったんで当然です笑 -
オランダの都市、ブレダに到着します。
ここはガイドブックに目立つような場所ではなく、これといった名所もありません。
せいぜい、ここからバスに乗り換えてバールレ=ナッサウに行くくらいでしょう。
ここに来たかった理由、それは、この町がオランダの歴史で最も重要な都市の1つだからです。日本でいえば、関ヶ原みたいなポジションでしょうか。 -
欧州史ガチ勢の僕は、オランダ史が1番面白いと思っています。1に金、2に金、3を飛ばして4に金、とにかく経済至上主義の超リアリズム守銭奴国家、それがオランダです。
じゃなきゃ、敵国に武器を売りつけてその金で敵国をぶっ叩くようなことしません。 -
特に名所ではないブレダですが、だからこそ豊かなこの国の一般的な生活風景が見られます。静かで落ち着いた雰囲気の街並みは、莫大な富で過剰装飾したベルギーとはまったく違います。
稼いだ金を使いまくったベルギーと異なり、稼いだ金を投資してさらに稼いだからです。だからこそオランダは、世界最初の近代資本主義国家の1つとなりました。 -
インスタ映えというか、画像素材のような景色。
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ブレダの象徴、聖母教会です。初期プロテスタントにしてカルヴァン派らしく、聖母マリアを尊ぶのが特徴です。イエスよりマリアを称えるのは、シリアやレバノンのキリスト教にも通じます。
この聖母教会は、16世紀からこの国が経験した激動の時代を見つめ続けて来ました。 -
もう一つの象徴、スペイン門。
このスペイン門からも分かりますが、ブレダの歴史的な意義は、オランダがスペインから独立を果たす際に重要な戦場となったことにあります。
かつてオランダがベルギーやルクセンブルクとともにネーデルラントと呼ばれていた頃、この地域はブルゴーニュ公のもとに統一されました。最後の君主、ブルゴーニュ公マリーはハプスブルク家のマクシミリアン1世と結婚し、ネーデルラントはハプスブルク家の領地となります。
二人の子供フィリップはスペイン王女フアナと結婚し、後にスペイン王国を継承する布石となりました。フィリップとフアナの子供カルロスは、ベルギーのゲントに生まれ、ポルトガル王女イザベルと結婚します。 -
日曜なので人がいません。
カルロスはまずブルゴーニュ公としてネーデルラントを継承し、次に母フアナからスペインを継承します。父フィリップからはハプスブルク家の家督を継いで、ここに神聖ローマ帝国とスペイン王国、そしてスペイン領だった南北アメリカ大陸やフィリピン、モロッコなどをたった1人で領有することになりました。
神聖ローマ帝国皇帝としてカール5世を名乗り、スペイン王としてカルロス1世を名乗ったこの人物は、治世中に宗教改革を経験することになります。 -
快晴の青空に突き出す聖母教会。
ルターが始めた宗教改革は欧州全土を巻き込み大混乱を引き起こします。カール5世はその対応に苦慮し、1555年、アウクスブルクの和議によってルター派を承認すると引退します。
広大な領土は、弟フェルディナンドに神聖ローマ帝国を、息子フェリペ2世にスペイン王国を分割継承させ、ネーデルラントはスペイン王国領としてフェリペ2世に引き継がれました。 -
オラニエ公ウィレム3世像。独立後にオランダを襲った最大の危機から国土を救った人物です。
ネーデルラントとしてスペイン王国となったオランダ地域ですが、ここにはプロテスタントのカルヴァン派が広まっていました。カルヴァン派は富の貯蓄を可能としていたからです。
カトリックガチ勢のフェリペ2世はカルヴァン派を弾圧、耐えかねたオラニエ公ウィレム1世は、オランダを金でまとめ上げ、独立戦争を起こしました。オランダ八十年戦争の勃発です。 -
聖母教会と並び昔から残るベギン会修道院。
閑静で気分のいい場所でした。
カトリックのベルギー、ルクセンブルク地域と袂を分かったオランダは、ウィレム1世のもとにスペイン王国と戦います。
折しもそのとき、プラハを震源とする最後にして最大の宗教戦争、三十年戦争が始まろうとしており、南からスペイン軍が迫っていました。
三十年戦争はプロテスタントとカトリックの戦い、という大義名分のもとに、各国が己の利益のために戦った、近代最初の国際紛争です。フランス、スウェーデン、オランダvsオーストリア、スペインという構図を軸に、様々な国が関係する大戦争でした。
そして1624年、スペイン軍は交通の要衝ブレダを包囲します。ブレダ市内には2万のオランダ兵が立てこもり、「テンペの谷」と呼ばれた堅牢な要塞都市にて、ブレダ包囲戦を戦います。 -
結果的にスペインが勝利しブレダは陥落しますが、スペインの将軍スピノラは、オランダ軍を称え人道的配慮をします。その騎士道精神溢れる様を、ベラスケスが描いたのが、有名な「ブレダの開城」です。
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ブレダから電車でデルフトに向かいます。ブレダが関ヶ原なら、デルフトは京都です。
運河が張り巡らされた静かな町です。 -
この日のオランダは最高気温-3度。
運河が凍結していました。 -
オラニエ公ウィレム1世がオランダの独立を果たして以降、デルフトが一時的に首都機能を担います。
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ブレダ包囲戦こそ敗戦したオランダですが、東インド会社を設営してボロ儲けを始めており、さらに三十年戦争でフランスやスウェーデンと結託し、ついに1648年、ウェストファリア会議におけるミュンスター条約で独立を果たしました。
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ウィレム1世やオランダの交易にまつわる展示をしているのが、プリンセンホフ博物館です。
デルフトの運河沿いにあるこの博物館は、かつてウィレム1世が過ごした宮殿であり、暗殺された場所でした。 -
日本との交易を始めることになった貿易船です。
東インド会社を中心に、オランダは海上帝国としての道を歩み始めました。
領土的な支配よりも、交易権と交易ルートの確保、そして占有を優先したオランダ。欧州の敵であったオスマン帝国に対抗するべく、オスマンと争うサファヴィー朝ペルシア帝国と同盟、東に進み、インドネシアの植民地化を徐々に進めます。
そこから台湾の台南にゼーランディア城を築き、長崎の出島に商館を建てました。
イランやインドネシア、マカオ、日本からポルトガルを追い出したオランダは、三十年戦争のときからポルトガルとの間で全面戦争をしていました。 -
ウィレム1世像。
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プリンセンホフ博物館の外観。
ウィレム1世がここで暗殺されたあと、オランダはまとまりを失います。しかし、金のもとにある程度統一された行動をとり続けました。 -
プリンセンホフ博物館から東へ歩いて行くと、デルフトの中心部に着きます。
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デルフト市役所。
この正面に、大きな広場を挟んで新教会があります。新教会といっても、17世紀からありました。 -
新教会。平日なら上って見渡すことができました。
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新教会から南に歩き、Kobus Kuchというカフェに入ります。
アップルタルトはオランダで有名ですが、その中でも有名なカフェです。 -
デルフトから電車に乗って、今度はデン・ハーグを歩きます。
法の都ハーグは、オランダの行政首都です。17世紀から今に至るまで、ハーグが首都であり続けました。
長崎のハウステンボスは、ハーグの王宮の名前から取られています。 -
ハーグといえばマウリッツハイス美術館です。建物自体も素敵でした。
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フェルメール、真珠の耳飾りの少女。
この絵画は、実は一般絵画として初めてラピスラズリ染色の青色を使用しています。ラピスラズリの青はそれまで、聖母マリアが纏う衣服の青にしか使用しないのが暗黙の了解でした。しかし、早々にカルヴァン派によってカトリックから離脱したオランダの画家だったフェルメールは、この絵画によって、一般絵画にもラピスラズリを使いました。 -
マウリッツハイスの隣には、旧王宮があります。現在では国会議事堂として使用されています。
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国会議事堂とハーグのビル群。
17世紀、初めて覇権国家となったオランダですが、イギリスに敗北してからは徐々に没落していき、2つの世界大戦で完全に貧しい国となりました。インドネシア独立戦争とオイルショックによって国際的な地位をドン底に下げたオランダは、国家主導の労使交渉によってワークシェアリングを成功させ、今ではEUの先導的立場にあります。
そんなオランダの今と昔を巡る三都市観光でした。
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