2018/02/20 - 2018/03/08
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akiさん
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フランス、ルクセンブルクと旅した僕は、今回最も長く滞在するブリュッセルのホテルにチェックインしました。
ここから、ブリュッセルを起点にベルギー北部を、翌日にはオランダを日帰りで観光していきます。
2/20-2/22 フランス
2/23 ルクセンブルク
2/24 ベルギー←ここ
2/25 オランダ
2/26-3/1 イタリア、ヴァチカン
3/2-3/8 ドイツ、オーストリア
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ブリュッセルのコングレス地区のホテルから、歩いて10分でブリュッセル中央駅に着きます。
ベルギーは北がオランダ語、南がフランス語と公用語が分かれているので、公共のものはすべて二重表記になります。
ブリュッセル中央駅は、フランス語でBruxelles Central、オランダ語でBrussel Centraalとなります。
そしてベルギーの鉄道はそれはもう遅れます。定刻通りに出発したところに立ち会えませんでした。
今回は国内路線なのでまだマシです。まずはブルージュへ向かいます。この日は土曜なので、マーケットが開かれているためです。このマーケットで、僕はフランスTGVに忘れた手袋の代わりを購入しました。 -
マーケットはブルージュの駅の北、旧市街の西にありました。
そこから歩いて旧市街へ向かいます。さっそくこの町の象徴にして3つの世界遺産の1つ、ブルージュの鐘楼が見えてきました。
ちなみにブルージュ(Bruges)はフランス語で、オランダ語ではブルッヘ(Brugge)と読みます。オランダ語ではgをハ行で発音するためです。なので、ドイツ語の~ブルクは~ブルフと読みます。リンブルフがそれですね。 -
ブルージュは旧市街が世界遺産に登録されており、鐘楼周辺に中世の都市がそのまま広がります。
この広場の北に、僕が世界で1番美味しいと思っているチョコレートのお店があります。デュモンという店で、その職人気質からブルージュにしか店舗がなく、ブリュッセルにすらありません。
チョコレートにうるさすぎて法律でチョコレートの材質が定められたこの国の人が口を揃えて美味しいと言うだけあって、本当に美味しいです。 -
このブルージュの鐘楼は、旧市街とは別の世界遺産を構成しています。ベルギーとフランスの鐘楼群として集団世界遺産になっており、その1つです。
-
世界遺産の町、ブルージュはどこを見ても美しい街並みです。
もう1つの世界遺産は、ベルギーとオランダに跨がるベギン会修道院です。 -
この町はもともと、フランドル伯の北方の要塞として築かれました。
ベルギーは、オランダ、ルクセンブルクのベネルクス3国として、かつてはネーデルラントと呼ばれていました。ネーデルラントにはいくつか伯領があり、ベルギー地域には西部のエノー伯、北部のフランドル伯、ブリュッセル周辺のブラバント伯が存在していました。 -
かつて古代ローマ帝国が崩壊したあと、ゲルマン人の大移動により、フランス、ベネルクス3国、ドイツ、スイス、北イタリアはフランク王国という1つの国家となります。この王国は、カール大帝という偉大な王の死後、3人の息子に分割されます。この長男がバカでした。美味しいとこどりをしようと、豊かなベネルクス、その南に広がるブルゴーニュとアルザス、ロレーヌ、そしてスイスと北イタリアを1つの国家としたのです。これをロタリンギアといいます。
真ん中にアルプスを擁するような国が機能するはずなく、すぐにロタリンギア王国は崩壊します。こういうバカがいるから歴史は面白いんです。 -
荘厳な旧市庁舎。この町の豊かさの象徴です。
ロタリンギア王国崩壊後、次男と三男が支配していた東フランク王国と西フランク王国がロタリンギアを分割します。このうち、北イタリアは別の国となり、スイスの大部分は東フランクに移ります。
ベネルクス、つまりネーデルラントは下ロタリンギアと呼ばれ、ブルゴーニュとアルザス、ロレーヌは上ロタリンギアと呼ばれました。下ロタリンギアのオランダは東フランクへ、ベルギーとルクセンブルクにあたる地域は西フランクへ、そして上ロタリンギアのうち、アルザスとロレーヌは東フランクへ、ブルゴーニュは西フランクへ併合されます。この境界線こそが、これらの地域の文化や景観を永遠に決定づけることとなりました。 -
市庁舎横の路地です。こんな高度な建築は、当時北イタリアやベルギーでしかできませんでした。
西フランクは後にフランスへ、東フランクは後に神聖ローマ帝国へと名前を変えます。
ブルージュを含むフランドル伯はフランス王国の一員としてフランス王に従うことになりますが、この時代の王はとても弱く、豊かなベルギーは基本言うことを聴きません。
フランドル伯は独立志向が強く、国防のためにブルージュを建設しましたが、12世紀の大津波で壊滅。しかし、その際にできた川を整備して運河をつくり、海運でボロ儲けする商業都市に変身させました。 -
一大貿易都市となったブルージュは、北イタリアの二大海上国家であるジェノヴァやヴェネツィアとの交易をして、莫大な利益をもたらすバルト海交易を支配するハンザ同盟とも結びます。
とりわけジェノヴァは、当時絶大な影響力を持っていました。現代にも名残があります。ジェノヴァを古典フランス語でジーンと呼びます。ジーン産の綿織物のことを、セルジュ・ド・ジーン、またニーム産のものをセルジュ・ド・ニームと呼びました。それぞれ、現代のジーンズとデニムを指し、両者の違いは中世における産地の違いなんですね。なので、現代アパレルでは両者に違いはありません。
こうして、中世欧州の三大経済圏である、北イタリア、バルト海、ブルゴーニュのいずれとも交易をすることで、フランドル伯領は四大経済圏として仲間入りしたのでした。
この鐘楼は、そうして豊かになった市民が自ら築き上げたものです。通常、教会や国家が支配の象徴として築く鐘楼を市民自ら建てたことは、ブルージュの自立心を示します。これが、資本主義の母なる姿と呼ばれる所以でもあります。 -
さて、ブルージュの鐘楼の美しいカリヨンを聴いてから、電車で南に移動します。
次の目的地はゲントです。ゲントは英語やドイツ語の発音で、フランス語ではガン(Gant)、オランダ語ではヘント(Gent)と読みます。 -
ブルージュの鐘楼は、数百段もの階段を上らねばならないため諦めましたが、同じくベルギーとフランスの鐘楼群を構成するゲントの鐘楼は、エレベーターがついています。そういう潔さ大事です。
ゲントはベルギー第三の都市にして学術都市、そして花の都市と呼ばれる園芸産業の中心地でもあります。 -
この街はいわゆる1000年の都です。ブルージュを築いたフランドル伯領の首都であり、フランドル伯が居城を1000年に渡って置いていました。
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この街も運河による水運で栄えましたが、近代からは急速に衰えていきます。
というか、ベルギー自体、その繁栄は16世紀までのことでした。 -
ゲント駅からトラムで旧市街へ移動してからは、徒歩であちこち行けます。鐘楼を見たあとは、運河に向かって歩きます。
振り返れば、尖塔が立ち並ぶこの街らしい景色が見られました。 -
ゲント中心部の運河。
中世後半、フランドル伯領は対岸のイングランドから羊毛を仕入れて、それを領内で毛織物として加工し、欧州に売り捌いていました。
その中心都市であるゲントは、当時パリに匹敵する欧州随一の大都市でした。 -
運河の川べりに降りると、橋の欄干の細かさに驚きます。
フランドル伯領はそのあまりの豊かさから、フランス王の嫉妬を買います。また、当時フランス王がイングランドとめちゃくちゃ不仲だったので、イングランドと仲が良いフランドル伯から自治権を奪おうとしました。
そこからフランドル伯とイングランド、そしてフランス王との間の険悪さが増していき、他の諸問題も合わさって、ついに英仏100年戦争にもつれ込みました。 -
川べりでは大学生たちが楽しげに喋っていました。寒くないんでしょうか。
百年戦争が勃発すると、フランドル伯は自治権を奪われたり取り返したりをするものの、戦場にはなりませんでした。一方、南のブルゴーニュ公国はイングランドとフランスの間で味方になったり敵になったりを繰り返しつつ、じわじわと婚姻によってネーデルラントの伯爵たちを一族に吸収していきました。 -
ギルド建築。ベルギーにはこうした商人のギルド建築がたくさん見られます。
劣勢のフランス王は、ついにオルレアンでイングランドに囲まれますが、そこに颯爽と現れたのがジャンヌ・ダルクです。彼女により巻き返すフランスに対して、ブルゴーニュ公は彼女を捕らえてイングランドに渡し、火刑に処してしまいます。しかしそれでもフランスの勢いが止まらないので、しれっとブルゴーニュ公はフランスに寝返り、「戦勝」を飾りました。そんなことをしたブルゴーニュ公を善良公というあだ名で呼ぶのは皮肉めいています。 -
ゲントに来たらクルーズに参加するのも楽しそうです。今回は時間がなくてできませんでした。
ブルゴーニュ公はその後も婚姻を続け、ルクセンブルク伯、ブラバント伯、エノー伯、そしてフランドル伯も併合します。オランダのゼーラント伯やホラント伯なども合併したことで、ここにブルゴーニュ公国としてネーデルラントとブルゴーニュ公が1つになりました。欧州最大の金持ち国家の誕生です。 -
ベルギーといえばやっぱこれです。ワッフルワッフル。
でも食べ物はルクセンブルクやドイツの方が美味しかったです。 -
フランドル伯城。昔、ドラゴンハートという映画があって、それがとても好きだったんですが、その記憶を呼び覚まします。格好いい。
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フランドル伯領へは、鐘楼からトラムで来てもいいかもしれません。
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中には本物の中世グッズが並びます。
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やだ…めちゃくちゃ格好いい…と思いながら見てしまうのは致し方ないことです。
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それにしても重そうですね。
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城の屋上にはフランドル伯の国旗がたなびいています。欧州で最も栄えた伯領の旗です。
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街には塔がいくつも並びます。
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鐘楼や時計塔、運河も一望できます。
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まさに要塞といった感じですが、実際にここまで外敵が侵入したことはありません。
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ロードオブザリングとかもこんな雰囲気ですよね。
さて、ブルゴーニュ公のもとに統一されたネーデルラントですが、その力の大きさと裏切りの数々に、フランス王はブルゴーニュ公の切り崩しにかかります。ちょうどそのとき、ブルゴーニュ公は最後の公にして女公マリーが統治していました。
フランス王はブルゴーニュ公国本土を占領し王室直轄領としてしまい、マリーはブルゴーニュ公という名前だけ持ってネーデルラントを統治することになります。マリーもまた、このゲントに暮らしました。 -
ブルゴーニュ公マリーは跡継ぎを残すべく、結婚相手を探します。
欧州最大の名家だったブルゴーニュ家と婚姻することができたのは、第二の名家だった、オーストリアのハプスブルク家、マクシミリアン1世でした。
こうしてトップの名家が結婚したことで、ハプスブルク家は欧州最大の名家に躍り出ます。そのため、ネーデルラントは神聖ローマ帝国とフランス両方に従う状態となり、それが次の大戦争で問題となっていきます。
そんな歴史の舞台を旅して、明日はオランダへ行きます。
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