2018/09/10 - 2018/09/10
8位(同エリア17件中)
かつどんさん
日頃、「好きな作曲家は?」と尋ねられたら、生年順にバッハ、ハイドン、モーツァルト、ブルックナー、ブラームスと答えています。
今回の旅は家人と共にウィーンに6連泊し、その中でも2人の作曲家、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンとアントン・ブルック―ゆかりの地を日帰りで訪れることが主な目的。加えてウィーンの音楽家ゆかりの場所にも多数訪れました。
【旅程】
9/08(土) 浜松~成田~ウィーン
9/09(日) ウィーン滞在
9/10(月) アンゼンシュタット
9/11(火) ショプロン、フェルトゥード
9/12(水) アンスフェルデン、ザンクト・フローリアン、リンツ
9/13(木) ウィーン滞在
9/14(金) ウィーン~
9/15(土) ~成田~浜松
この旅行記は、2日目 https://4travel.jp/travelogue/11407077 に続き3日目。
ハイドンが宮廷楽長として長らく仕えたエスターハージー家の本拠地、アイゼンシュタットへ日帰りエクスカーションした様子と、ウィーン国立歌劇場でのオペラ鑑賞について記しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- オーストリア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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9月10日(月)晴れ
今日もいい天気!
今日はウィーンの南に位置するブルゲンラント州の州都、アイゼンシュタットに向かう。
この町はハンガリー出身の大貴族エスターハージー家の本拠地で、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732年3月31日 - 1809年5月31日)は、1761年からエスターハージー家の宮廷副楽長、そして1766年からは楽長として仕え、交響曲、弦楽四重奏曲、バリトン三重奏曲、オペラなど数多くの作品を作曲、楽団を指導し演奏してきた。
今日はそのアイゼンシュタットへ赴き、ハイドンゆかりの場所を訪れるという趣向。
ウィーン中央駅に隣接したバスターミナル。 -
N2乗り場。
終点アイゼンシュタット・ドームプラッツ行き200番のバスに乗車。 -
運賃11.60ユーロはドライバーに直接払い、チケットをプリントアウトしてもらう。
9:08 出発。 -
10:28 1時間20分の乗車でアイゼンシュタット・ドームプラッツ停留場に到着。
西方向に徒歩でエスターハージー宮殿に向かう。 -
アイゼンシュタットの目抜き通り、ハウプトシュトラーセ。
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ハウプトシュトラーセの西端に見えてきたのがエスターハージー宮殿。
ハイドン好きは必ず訪れましょう by かつどんさんエスターハージー宮殿 城・宮殿
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ハイドンがお出迎え。
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エスターハージー宮殿を正面から。
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宮殿中庭。
今回、宮殿を見学するにあたって、エスターハージー財団のWEBサイトを見たら、通常のガイドツアーとは別に日本人スタッフによる個別ツアーがあることが分かった。追加料金は発生するが折角なので日本語ツアーを申し込んだ。財団スタッフのよしみさんに丁寧にメールで対応していただいた。よしみさんには帰国後もエスターハージー家に関する質問に答えていただくなど、とてもお世話になっている。感謝。
よしみさんはこの期間ちょうど日本に帰省中ということで、ガイドはりささんという別のスタッフが対応してくれるとのこと。
宮殿前に到着し、外観の写真などを撮っていたら、日本のご婦人に声をかけられた。アイゼンシュタット在住の娘さんのお子さん(つまりお孫さん)のベビーシッターとして日本からやってきたのだという。そして、その娘さんは宮殿で働いているという。「もしかして、娘さんのお名前はりささんですか?」と尋ねると・・・Bingo!我々がこれからりささんにお世話になる旨を伝えるとニコニコされていた。思わぬ偶然に記念撮影をお願いしてしまった。
そして、宮殿の受付に到着し、スタッフにりささんを訪ねた旨を伝えると、「○○さんですね」と私のことを承知してくれていて、すぐにりささんを呼んでくれた。
りささんと対面してすぐに「先程、お母様にお会いしました」と伝えると、「やだぁー、日本人の方を見かけるとすぐに声掛けちゃうんだから・・・。恥ずかしい!」と絶叫。なかなか明るい方で楽しいガイドツアーになりそうな予感。 -
りささんに案内され、まず見学したのは「ハイドン展」。
ハイドンの業績や彼を雇ったエスターハージー家代々の当主について分かりやすく展示されている。
こちらは1761年にハイドンを宮廷副楽長に雇ったパウル2世侯爵。彼自身もヴァイオリンやフルートなどを演奏し、音楽のよき理解者だった。ハイドンを雇うだけでなく楽団の拡充も行った。 -
パウル2世の弟で後を継いだニコラウス1世侯爵。彼こそハイドン最大のパトロン。
1766年、ハイドンは楽長に昇格する。
ニコラウス1世自身はバリトンという今では珍しい弦楽器を演奏し、ハイドンは彼のために126曲のバリトン三重奏曲を作曲した。その全曲はエスターハージー・アンサンブルの演奏で録音、CDリリースされてているが、レコーディングが行われたのはエスターハージー宮殿のホール(ハイドン・ザール)だ。
ハイドンを重用し、ハイドンが名曲の数々を作曲するきっかけを作ったニコラウス1世侯に我々ハイドン・ファンは足を向けて寝られないが、彼はアイゼンシュタットの宮殿とは別にフェルトゥードに夏の離宮を造営するなどして、結果的にエスターハージー家の財政悪化を招いたと言われる。芸術と政治はなかなか両立しないのだろうか? -
1790年、ニコラウス1世が亡くなった後、家督を継いだのは息子のアントン侯爵。彼は先代とは異なり音楽に全く興味がなく宮廷楽団を解散、ハイドンを年金暮らしにし、楽長は名ばかりのものとなった。
一見「アントン候、何をしてくれた!」と叫びたくなる出来事だが、ハイドンはこれによりエスターハージー家に縛られることなく、自由に活動できるようになったのも事実。それまでエスターハージー家一筋で、外界と接する機会が少なかった彼にとって新しい音楽を知る契機になり、ウィーン、そしてロンドンで活躍するきっかけにもなった。 -
アンタル候は数年で亡くなり、後を継いだのは息子のニコラウス2世侯爵。1796年、彼はハイドンを呼び寄せ、ハイドンは楽長の仕事に復帰する。
ニコラウス2世はハイドンに6曲のミサ曲を発注しているが、同じようにベートーヴェンにもミサ曲を発注した(ハ長調 作品86)。初演の際、ニコラウス2世はこの作品を酷評したため、ベートーヴェンは激怒し、以降エスターハージー家との関わりを断つことになる。 -
作曲するハイドン。作者不詳の作品。オリジナル!ハイドンの落ち着きと知性が感じられる素晴らしい作品。
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ニコラウス1世が愛好した弦楽器、バリトン(候が使用していたものではない)。
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弦楽四重奏曲の印刷譜。
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1804年、ハイドンの推薦で宮廷楽団のコンサートマスターに就任し、ハイドン引退後は楽長に昇格、1811年までその地位にあったのが、ヨハン・ネポムク・フンメル(1778 - 1838)。
これは彼が作曲した「ピアノのためのファンタジー」の楽譜。
フンメルは8歳から2年間、モーツァルトの家に住み込み、ピアノを習った。また、ベートーヴェンとも親交があった。
今は大作曲家の陰に隠れあまり知られていない存在だが、彼のピアノ協奏曲は音楽史的にはベートーヴェンとショパンをつなぐ性格のもので、なかなか味わいのある作品だ。 -
ハイドンの作品が演奏されるコンサートのポスター。
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エスターハージー家の紋章。
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ハイドン展見学後、宮殿のガイドツアーへ。
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ハイドン・ザールと呼ばれるコンサート・ホール。
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アダム・フィッシャー/オーストリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団のハイドン交響曲全集、先程触れたバリトン・トリオ全集、そしてアイゼンシュタット・ハイドン・トリオによるピアノ・トリオ全集やスコットランド&ウェールズ歌曲全集などがここでレコーディングされている。
オーストリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団は、現在ハイドン・フィルハーモニーと名称変更し、気鋭のチェリスト兼指揮者のニコラ・アルシュタットに率いられ、このホールを本拠地に活動している。
今年6月に来日し、私もサントリー・ホールの演奏会を聴きに行ったが、今のところ今年のベスト・コンサートはこれだ。
ハイドン・ザールでの彼らのレコーディングに期待したいところだ。 -
ホールの天井画。
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ハイドン・ザールの壁。
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置時計。
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室内楽が演奏できるサロン。
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中国の間。
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寄るとこんな風。
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宮殿ガイド・ツアーで見学できるのは主に侯爵夫人たちが使用していた部屋。
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赤の間。
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フランツ・ヨーゼフ帝と、
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エリザベート妃の肖像画が飾られていた。
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美しい照明スタンド。
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屋根裏の使用人の部屋。
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宮殿内のチャペル。
ハイドンのミサ曲はここで演奏されたのだろう。 -
祭壇画。
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パイプオルガン。
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1時間20分ほどでツアーが終わり、ミュージアム・ショップへ。
りささん、楽しくわかりやすいガイドをありがとうございました。 -
13:15 プファルガッセ22番地の「ハイドンブロイ」でランチ。
別にハイドンと所縁があるわけではないだろうが、折角なので・・・。町のビアレストラン by かつどんさんハイドンブロイ 地元の料理
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日替わり定食のスープはカボチャかな・・・。
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メインはシュニッツェル。これにサラダバーがついて8.40ユーロ。コスパ最高!明らかにウィーンと較べて食の物価は安い。
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ハウプトシュトラーセのペスト塔。
アイゼンシュタットの目抜き通り by かつどんさんハウプト通り (アイゼンシュタット) 散歩・街歩き
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ヨーゼフ・ハイドン・ガッセに入ると、ハイドン・ハウスの横断幕が見えてきた。
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ハイドンが住んでいた家がハイドン・ハウスとして博物館になっている。
入館料大人一人5.00ユーロ。エスターハージー宮殿、ベルク教会とここでアイゼンシュタットのハイドン三大聖地 by かつどんさんハイドンハウス 博物館・美術館・ギャラリー
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1766年から78年までここに住んでいた、とある。
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ここにもパウル2世の肖像画。
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そしてニコラウス1世の肖像画も。
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ハイドンの胸像。
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台所。
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ヨハン・バジル・グルントマンによる史上最古のハイドン肖像画(コピー)。オリジナルは1945年に消失。
フェシュティテーチ四重奏団による「弦楽四重奏曲集曲集 作品9」のCDジャケットに使われていた。 -
ピアノ・フォルテ。
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ハイドンの肖像画としてはこれが一番有名かな?クリスティアン・ルートヴィヒ・ゼーハス画(1783年)。オリジナルは北ドイツのシュヴェーリン絵画美術館が所蔵しているらしい。2年前にシュべーリンに行ったが、その事実は知らなかった・・・。
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これも有名な肖像画。ルートヴィッヒ・グッターブルン作(1770年頃)。これはオリジナル!
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弦楽四重奏曲集 作品33、通称「ロシア四重奏曲集」の楽譜。
1781年に作曲されたこの6曲は、弦楽四重奏という楽曲形式(ソナタ形式)、作曲手法(主題労作)を完成したと言ってもよい記念碑的作品群。
クラシック・ファンならご存知の通り、モーツァルトはこの作品に刺激を受け、研究し、弦楽四重奏曲第14番から19番までの6曲、いわゆる「ハイドン・セット」を彼にしては相当慎重に、そして苦労を伴い作曲。音楽史上稀に見る作曲家同士の友情、尊敬の念を強く感じる有名な献辞とともにこの6曲はハイドンに献呈された。 -
「ロシア四重奏曲集」よりもおよそ10年前、1772年に作曲された作品20の通称は「太陽四重奏曲集」。表紙の上に太陽が描かれているためにそう呼ばれた。ハイドン疾風怒濤期の作品で、フーガの楽章を持つ曲が6曲中3曲あるのが特徴。
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作品17の弦楽四重奏曲集(1771年)の楽譜。
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作品50、通称「プロシア四重奏曲集」(1778年)の楽譜。
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ハイドン、ベートーヴェンの2ショット。
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オラトリオ「天地創造」の楽譜。ライプツィヒのブライトコプト・ウント・ヘルテル社刊行のもの。B&H社は1719年創業なので、ハイドンが活躍した時代には既に存在していて「天地創造」は1790年に出版された。
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ドーバー海峡を船で渡り、ロンドンに向かうハイドンの姿。
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ハイドン・ハウスの中庭。
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ハイドン・ハウスの見学を終え、宮殿の前を通り過ぎ、ベルク教会へ向かう途中、宮殿前にフランツ・リスト像が・・・。
リストはアイゼンシュタットにほど近いライディングという町で生まれ、父親はエスターハージー家に仕えた音楽家だった。 -
エステルハージーシュトラーセの緩やかな坂道をしばらく行くとベルク教会(ハイドン教会)が見えてきた。
ハイドンが眠る場所。ハイドンが眠る by かつどんさんベルク教会(ハイドン教会) 寺院・教会
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塔に天使が・・・。
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教会内に見学者は誰もいなかった。
入場料4ユーロを支払うと、係のご婦人がすぐに「ハイドンの柩はこっちよ」と、受付横の扉を開けてくれた。
入ると側面の壁にプレートが・・・。 -
そして、正面奥にハイドン廟。
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鉄製の扉の向こうにハイドンの柩。
ハイドンは1809年5月31日ウィーンで亡くなり、6月1日にグムペンドルフ教区教会で葬儀が行わた後、フントシュトルム墓地に埋葬された。
そして、1820年に遺体をアイゼンシュタットに移すことになり、ここベルク教会に安置された。
はずだったが、「安置」とは程遠く、何と柩を開くと遺体には頭部がなかったという。エスターハージー家の元役人が、フントシュトルム墓地に埋葬されたすぐ後に切断して盗み出したのだ。頭部はその後さまざまな人の手に渡り、1954年にやっと胴体と一緒にされた。 -
ハイドンをお参りした後、係のご婦人が祭壇の後ろ側に連れてきてくれて、ここから「キリスト受難の道」と呼ばれる巡礼路があると教えてくれる。
更にそこから上に階段を上っていくと屋外に出て塔の上へと行くことができるようになっている。
塔からの眺め。 -
右上に見えるのがエスターハージー宮殿。
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「ハイドン・カフェ」と書かれた建物も見える。
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もう一度教会内に戻る。
祭壇。 -
パイプオルガン。
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天井フレスコ画。
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教会の裏の広場は「ヨーゼフ・ハイドン・プラッツ」と名付けられていた。
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15:32 ドームプラッツ始発のバスで一路ウィーンへ。
とても充実したアイゼンシュタット滞在だった。 -
ホテルに戻り一休みした後、スーツに着替えウィーン国立歌劇場へ。
リヒャルト・シュトラウスの歌劇「ナクソス島のアリアドネ」を鑑賞する。
チケットは事前に日本で専用サイト「クルトゥラム」で購入し、クレジット決済した。無料会員登録が必要だが、日本語表示もあり手続きは簡単。チケットになるPDFもサイトからダウンロードできるので、それをプリントアウトして当日劇場入口で係員に見せればOK。
したがって、席さえあれば日本のエージェントに手数料を払って購入する必要はない。
入口から続く階段。ウィーンへ来たならばここでオペラ鑑賞を! by かつどんさんウィーン国立歌劇場 劇場・ホール・ショー
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劇場ロビー中央吹き抜け。
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開演まで時間があるので、ロビーをうろつく。
クレメンス・クラウス像。
1929年から34年まで歌劇場総監督を務めた。リヒャルト・シュトラウスと親交があり、彼の作品演奏のスペシャリストだった。
「ウィーン・スタイル」とは彼のためにあるような言葉。 -
1943年から45年、そして戦後1954年から56年まで2度総監督を務めたカール・ベーム。
日本と相思相愛の指揮者だった。彼もリヒャルト・シュトラウスと親交があり、彼の作品を得意とした。
実は戦後の総監督人事において、クレメンス・クラウスはその座に再び就くことを切望したが、結果はベームが就任。クラウスはその結果に失望し直後メキシコへ客演の旅に出て、1954年5月16日、かの地で心臓発作を起こし61歳で没した。
ウィーンの音楽界は昔から(モーツァルトの時代から)権謀術数渦巻くところだ。 -
ベームの後、1956年から64年まで総監督を務めたのは帝王ヘルベルト・フォン・カラヤン。
カラヤンはベルリン・フィルの終身首席指揮者兼芸術総監督でもあったので、この二大ポストを独り占めしたことになる。 -
1982年から1984年まで総監督を務めたロリン・マゼール。彼が辞任して以降、指揮者が総監督を務めたことはない。
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今夜の座席は「BALKON MITTE RECHTS Reihe1 Platz37」。日本風に言えば「3階席中央右寄り最前列37番」。
そこからの眺めはこんな感じ。
料金は130ユーロ。
ランク的には上から3番目といったところ。 -
舞台下手のボックス席。
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この席だとオーケストラ・ボックスもよく見える。
「ナクソス島のアリアドネ」は36人という小編成のオケのために書かれているので、オケ・ボックスは隙隙。
この劇場には1席毎に小型モニターが用意されていて、各国語で歌詞対訳
を見たり、作品やキャストについて知ることができるようなっている。もちろん日本語もある。
19:30開演。
リヒャルト・シュトラウスの歌劇「ナクソス島のアリアドネ」の現在上演、録音、録画される第2版は、1916年10月4日、ウィーン宮廷歌劇場、つまりここで初演されている。
内容は一種の「劇中劇」。18世紀前半のウィーンの資産家の館で、今夜順番に上演されることになっているギリシャ悲劇のオペラと喜劇だったが、急遽「同時に上演せよ」という主の無茶苦茶な命が下される。自分の作品が汚されると絶望する悲劇の若い作曲家、「そんなのへっちゃらよ」と思っている喜劇の主演女優のツェルビネッタ、自分の出番が減らないか気になる悲劇のプリマドンナ、アリアドネ役のソプラノ歌手を中心に開演前のドタバタが描かれる第一幕と、実際に上演されるオペラを描いた第二幕からなる。
作曲家役のメゾ・ソプラノ(ズボン役)、格調とスケール感が求められるアリアドネ役のソプラノ歌手、そして超絶技巧が要求されるコロラトゥーラ・ソプラノが起用されるツェルビネッタ、この3人のコントラストを味わうところがこの作品鑑賞の醍醐味だろう。この3人のバランスは同じくシュトラウスの「薔薇の騎士」にも通ずるものがある。
今回上演のプロダクションは2012年プレミエのスヴェン=エリック・ベヒトフルが演出したもの。2016年の日本引越公演でもマレク・ヤノフスキの指揮で上演された。
本日の配役は、作曲家がフランス出身のゾフィー・コッホ(メゾ・ソプラノ)https://imgartists.com/roster/sophie-koch/ 、
ツェルビネッタがイスラエル出身のヒラ・ファヒマ(ソプラノ)https://www.wiener-staatsoper.at/en/artists/artist-detail/artist/327-fahima-hila/ 、
アリアドネはアメリカ出身のアドリアンヌ・ペジョンカ(ソプラノ)https://www.adriannepieczonka.com/ 。
指揮はドイツ出身でC.アバドのアシスタントをしていたというパトリック・ランゲ https://www.artistsman.com/en/artists/patrick-lange/ 。 -
第一幕が終了。
幕間にロビーを歩いているとマーラーの絵が・・・。 -
マーラーの像も。
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マーラーの弟子で彼の下、この歌劇場の楽長も務めたブル-ノ・ワルター。
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ウィーン的指揮者の一人、ヨーゼフ・クリップス。
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22:00終演。
やはりこのオペラはツェルビネッタ中心に進行し、彼女の長大なアリア「偉大なる女王様」が全編を通じての一番盛り上がりどころなので、今夜に限らずツェルビネッタ役がカーテン・コールで最も大きな拍手を浴びる。
今夜もやはりと言うか、コッホとペジョンカ以上に、ヒラ・ファヒマに盛大な拍手が送られていた。彼女は良い意味でまだ若く、キュートなルックスなのでツェルビネッタは当たり役だろう。
私はオーソドックスな演出のJ.レヴァイン指揮メトロポリタン・オペラの演奏、T.トロヤノスの作曲家、J.ノーマンのアリアドネ、K.バトルのツェルビネッタのDVDで予習を行ったのだが、ベビトルフの演出は時代設定が現代にされており、何と言っても劇中劇の第二幕に、台本には出演することになっていない作曲家をずっと登場させるところが独自のものだろう。セリフも歌ももちろんないのだが、劇の進行が気が気ではない彼の様子や、次第にこの支離滅裂な舞台に馴染んで行き、ツェルビネッタのアリアをピアノで伴奏させる姿などを観客に見せることにより、作曲家の心の動きを視覚的に訴え、エンディングでアリアドネとバッカスが心を一つにするのと同じく、作曲家とツェルビネッタもお互いに認め合う姿を見せることで、このオペラで二組の絆が結ばれることを表現しているところがミソだ。
とても楽しめた上演だった。
今日は夕食は取らずに就寝。
明日は国境を越え、ハンガリーへ。ショプロンを経由してエスターハージー家の夏の離宮があるフェルトゥードまで足を延ばす。
そちらの様子は https://4travel.jp/travelogue/11409909 で。
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