2018/02/09 - 2018/02/19
4位(同エリア9件中)
風神さん
この旅行記スケジュールを元に
【2022.5現在、新型コロナワクチン接種を実施していない国は、北朝鮮とエリトリアだけです。】
エリトリアは西はスーダン、南はエチオピア、南東はジブチと国境を接し、北は紅海を挟んでサウジアラビア・イエメンと向き合うアフリカの小国です。1350km以上にも及ぶ紅海に面した長い海岸線を持ち、領海域には、およそ350の島があります。
国土面積は、約12.4万平方キロメートルで、北海道と九州を合わせたくらい、その内、領海域が5.5万平方キロメートルを占めます。
人口は約500万人で、主に若者の国外脱出のため毎年約5000人減少しています。
沿岸に続く低地では、暑期気温が45度に達することもありますが、首都アスマラを含む標高2000m以上の高地では、比較的過ごしやすい気候です。
全体に乾いた土地で、多くは砂漠です。農業国ですが食糧自給率は3割前後、日本をはじめ多くの国の援助によって成り立っているという面もあります。
エリトリアは「アフリカの北朝鮮」と言われることもある専制独裁国家で、イサイアス・アフォルキ大統領の37年間に及ぶ独裁が現在も続いています。憲法上議会や選挙の規定はありますが、ずっと有名無実です。秘密警察の目が行き届いており、政府批判に対しては拘束・拷問・強制収容所送致が行われています。
義務教育である高校の最後の1年間、国内の全員が南部の決まったキャンプに集められ、最初の半年間は学習と最後に一斉テスト、後の半年間は軍事訓練がお行われ、その後に一斉テストの結果が発表されます。
問題はその一斉テストの結果で、その成績によって大学進学の可否と、進学可の場合の進学先大学と専攻、否の場合の就労職種がすべて強制的に決定されます。つまり学ぶ自由と職業選択の自由が全くないのです。
一方で、インターネットは遮断されていないので、若者たちは「外の自由な世界」をよく知っていて憧れます。
命を懸けて国外脱出を図り、その場で銃殺される者も少なくないようです。
毎年人口が約5000人減少している主な理由はその点のようです。
(今回、元政府官僚から直接話を聞いています。)
今回旅行の日程概要です。
成田からイスタンブール経由で、午前1時にエリトリアの首都アスマラに到着。
現地1日目:アスマラの聖マリア教会見学、イタリア占領時代に建設されたエリトリア鉄道体験乗車、その後アンセバ地方の中心地ケレンに移動。
2日目:ケレンの家畜市・野菜市見学。その後、標高2400mのアディケイへ移動。
3日目:エチオピア国境近くの村サナフェへ。A.C1~4に栄えたアクスム時代のメテラ遺跡などを見学。その後、紅海沿岸の港町マッサワへ移動。
4日目:ボートで紅海のダラク諸島へ。アファール族が暮らすデッシー島、
白砂と海鳥が楽しめる無人島マドーテ島に上陸。午後マッサワへ戻り、エリトリアで最も古い歴史を持つ旧市街散策。
5日目:4輪駆動車でブリ半島の先端に位置するインガルに移動。海岸の砂漠でキャンプ。
6日目:広大な家畜の水場、海岸崖下の温泉、オスマントルコ時代の井戸などを見学しながらマッサワへ戻る。
7日目:首都アスマラへ戻り、イタリア植民地時代のアールデコ調の建物などを見学。深夜イスタンブール経由帰国の途に。
その3はマッサワ旧市街の紹介です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
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マッサワは、本土と、もとは島だった地域とから成り立っています。
両者は、現在橋と埋め立て地でつながっています。
もとは島だった地域が、旧市街です。
実は本当の旧市街は本土側にあったのですが、
そこは戦争や開発のために跡形もなく壊され、
「旧市街」的雰囲気を残しているのは、
もと島だった地区だけになってしまいました。
この写真は本土側です、
壮大な廃墟です。 -
実はこの建物、エチオピア最後の皇帝、ハイレ・セラシエ1世が毎年夏季に滞在していた公邸です。
エリトリアは、エチオピアの属国であった期間が長いのです。 -
皇帝は毎朝この桟橋から海に入り、ひと泳ぎしたと伝えられています。
-
早朝、陽が昇ってきました。
本土側から旧市街を見ています。 -
登校の時間です。
この橋が、
本土と、旧市街を結んでいます。
写真奥が旧市街です。 -
橋のたもとの看板。
タイトルは「マッサワの歴史的建築」
観光名所のようなものが3か国語で列挙されています。 -
ここからは、マッサワの旧市街です。
橋と埋め立てで本土とつながる前は、
海岸近くの島でした。 -
美しい建物です。
まさに文化財的価値があります。 -
道に囲まれた鋭角的な敷地に合わせた美しい曲線です。
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しかし今は廃墟です。
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素晴らしい雰囲気の
路地や建物がたくさん残されているのですが、
エリトリア政府の無策から、
あるいはむしろ「反観光」的な施策から、
朽ちていくだけになっています。 -
この出窓、ぼろぼろです。
-
エリトリア政府は、、突然レストランや宿泊施設、劇場や映画館を営業停止にする、閉鎖命令を出す、ということをしています。その目的は公表されていませんが、一説には闇物資を締め出すためと言われています。
我々もマッサワで夕食をとる予定だった魚料理屋に、その日突然に閉鎖命令が出るということが起こりました。
店はその日の朝、新鮮な魚を仕入れ我々の食事の準備をしていたのですが、突然下級役人が店を訪れ閉鎖を命じたのです。
その役人は、旧市街で数時間我々を尾行していた人物です。
首都のアスマラをはじめ全国で同様のことが起こっています。
外国人観光客が減るのは必然です。 -
ここも総てのドアが閉じられています。
-
この辺りは、住民が住んでいます。
-
好奇心に駆られた少女が顔を出しました。
-
たまに人が通ります。
-
はだしの子ども。
我々に興味津々です。 -
モスク、これはさすがに立派です。
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イスラム色濃厚な女性は、
複数で街を歩く傾向があるようです。 -
エリトリアはまだ、自転車中心です。
バイクはまだ一般的ではありません。
その点に限れば、かつての中国やベトナムレベルです。 -
旧市街の裏通り。
この人は高齢の女性です。
我々を、露骨に胡散臭そうな表情で見ています。 -
往時の豪邸も、崩壊寸前です。
戦争の爆撃や自然な傷みに因るのでしょうか。 -
やがてこうなる運命です。
もったいないことです。
自国の歴史を知る教材であり、
素晴らしい観光資源なのですが。 -
こちらはナショナルバンク跡。
多数の弾痕が見えます。 -
エリトリアでは、
戦争はつい最近のことなのです。 -
日没間近です。
-
マッサワでは、
太陽は旧市街から昇り、
本土側に沈みます。 -
マッサワで2泊したホテルの紹介です。
GRAND HOTEL DAHLAK
マッサワのナンバーワンホテルで、
国連関係者も宿泊していました。 -
その屋上からの眺望。
紅海に続く、気持ちの良い眺望です。
プールの向こうの白い建物も、
このホテルの客室なのですが、
今は使われていません。
客がどんどん減っているのです。
政府観光省の役人だった人の話では、
公用ビザで入国するユニセフなど国連関係の人は除いて、
一年間に観光ビザで入国する人の人数は、日本人以外も含めて、
20人から30人と言う事でした。
その極端に少ない数は、にわかには信じられませんが、
実際外国人旅行者には一人も出会いませんでした。
その元政府官僚に、在日エリトリア大使館のHPは、外国人観光客の受け入れに積極的だと話したら、言下に「嘘だ!」。
確かにそのHPは何年も更新されておらず「過去のもの」のようです。 -
ホテルの1階レセプション。
クラシックでシックです。 -
私が泊った部屋。
古くメンテナンスは不十分です。 -
バスルーム。
-
逆から。
このあとブリ半島のインガルに向かいます。
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