2018/02/09 - 2018/02/19
2位(同エリア9件中)
風神さん
この旅行記のスケジュール
2018/02/15
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インガルの砂丘でキャンプ
2018/02/16
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車での移動
4輪駆動車で、首都アスマラを目指します。 途中、何か所か見学に立ち寄ります。
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家畜の水場⇒山の「スチームバス」・海の温泉⇒アドゥリス遺跡
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⇒ズラの井戸⇒ラシャイダ族キャンプ⇒日本が建設援助をした橋⇒マッサワ
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この旅行記スケジュールを元に
【2022.5現在、新型コロナワクチン接種を実施していない国は、北朝鮮と2このエリトリアだけです。やはり特殊な国!】
エリトリアの旅行記4は、インガルのキャンプサイトを発って、首都アスマラに向かう行程の途中までです。
エリトリアは西はスーダン、南はエチオピア、南東はジブチと国境を接し、北は紅海を挟んでサウジアラビア・イエメンと向き合うアフリカの小国です。1350km以上にも及ぶ紅海に面した長い海岸線を持ち、領海域には、およそ350の島があります。
国土面積は、約12.4万平方キロメートルで、北海道と九州を合わせたくらい、その内、領海域が5.5万平方キロメートルを占めます。
人口は約500万人で、主に若者の国外脱出のため毎年約5000人減少しています。
沿岸に続く低地では、暑期気温が45度に達することもありますが、首都アスマラを含む標高2000m以上の高地では、比較的過ごしやすい気候です。
全体に乾いた土地で、多くは砂漠です。農業国ですが食糧自給率は3割前後、日本をはじめ多くの国の援助によって成り立っているという面もあります。
エリトリアは「アフリカの北朝鮮」と言われることもある専制独裁国家で、イサイアス・アフォルキ大統領の37年間に及ぶ独裁が現在も続いています。憲法上議会や選挙の規定はありますが、ずっと有名無実です。秘密警察の目が行き届いており、政府批判に対しては拘束・拷問・強制収容所送致が行われています。
義務教育である高校の最後の1年間、国内の全員が南部の決まったキャンプに集められ、最初の半年間は学習と最後に一斉テスト、後の半年間は軍事訓練がお行われ、その後に一斉テストの結果が発表されます。
問題はその一斉テストの結果で、その成績によって大学進学の可否と、進学可の場合の進学先大学と専攻、否の場合の就労職種がすべて強制的に決定されます。つまり学ぶ自由と職業選択の自由が全くないのです。
一方で、インターネットは遮断されていないので、若者たちは「外の自由な世界」をよく知っていて憧れます。
命を懸けて国外脱出を図り、その場で銃殺される者も少なくないようです。
毎年人口が約5000人減少している主な理由はその点ようです。
(今回、元政府の官僚から直接話を聞いています。)
今回旅行の日程概要です。
成田からイスタンブール経由で、午前1時にエリトリアの首都アスマラに到着。
現地1日目:アスマラの聖マリア教会見学、イタリア占領時代に建設されたエリトリア鉄道体験乗車、その後アンセバ地方の中心地ケレンに移動。
2日目:ケレンの家畜市・野菜市見学。その後、標高2400mのアディケイへ移動。
3日目:エチオピア国境近くの村サナフェへ。A.C1~4に栄えたアクスム時代のメテラ遺跡などを見学。その後、紅海沿岸の港町マッサワへ移動。
4日目:ボートで紅海のダラク諸島へ。アファール族が暮らすデッシー島・
白砂と海鳥が楽しめる無人島マドーテ島に上陸。午後マッサワへ戻り、エリトリアで最も古い歴史を持つ旧市街散策。
5日目:4輪駆動車でブリ半島の先端に位置するインガルに移動。海岸の砂漠でキャンプ。
6日目:広大な家畜水場、海岸崖下の温泉、オスマントルコ時代の井戸などを見学しながらマッサワへ戻る。
7日目:首都アスマラへ戻り、イタリア植民地時代のアールデコ調の建物などを見学。深夜イスタンブール経由帰国の途に。
- 旅行の満足度
- 4.5
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インガルのキャンプサイトには、
薄暗くなって到着。 -
こんな感じに設営。
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翌日、紅海の日の出。
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対岸ではなく、
一昨日行ったマドーテ島などのダラク諸島が近くに見えています。 -
紅海の反対側は美しい入り江です。
水鳥もいます。
キャンプサイトは、
幅100mくらいの細い砂丘あるいは砂嘴(砂州)のようなところです。
天橋立を思い浮かべてください。 -
二人の少年が網で魚を獲りました。
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撤収です。
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砂ぼこりの砂漠を、首都アスマラを目指します。
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河原に何千頭という家畜!
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道の両方向から、次から次へと押し寄せてきます。
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牛・・・
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ヤギも。
そのほかにラクダも。 -
河原に降りると、
落ちないように小さな穴に蓋がしてあります。 -
正体はこれ、
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人力で掘った穴。
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底には水。
ここの河原は、掘ると水が出る場所のようです。 -
ずいぶん深いです。
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くみ上げて家畜に。
水が貴重、重労働の対価、と言うことが良く分かります。 -
ついでに情報交換?
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別の場所、山の斜面に穴。
ここから暖かい湯気と熱気が上がってくるのです。
この穴の上に座り、布でポンチョのように体を覆って、
「スチームバス」にするのです。 -
野宿で長期湯治の家族。
山地に住んでいる人が、
簡単な日よけだけで、長期に留まるそうです。 -
ここはその崖下、海です。
触れないぐらい熱い湯が沸き出ています。 -
また砂漠の移動。
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アドゥリス遺跡。
数千年前から人が住んでいたと思われる場所ですが、
1世紀から4世紀にかけて最盛期を迎えたエチオピアのアクスム王国時代に、
アクスム王国の港湾都市として栄えた都市遺跡。
写真は神殿跡に、キリスト教時代になってキリスト教会を建てた時の基礎です。 -
大きな住宅の跡。
この時、手持ち温度計の表示は42度!! -
だいぶ走ってズラの井戸に到着。
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オスマントルコ時代に掘られたもので、
この石組みも当時のままです。 -
一帯の人・家畜の生命線です。
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井戸の内側に無数の縦溝が付いています。
硬い自然石ですが、何百年にもわたって、
ロープで擦れた跡です。
人の営みとはこういうものか、と感じました。 -
女の子もお手伝い。
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まただいぶ走って、遠くにテント。
遊牧民のラシャイダ族です。 -
子どもがたくさん・・・
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子どもは他にもいます。
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母親は違います。
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夫人が複数・・・
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これが主。
妻は4人いたが、
ひとりは歳をとったので追い出した、と言っています。
自慢げでした。 -
この男性も一族のひとり。
手に持っている物を売りに来たのですが、
値段はゼロが一つか二つ、多いのでは? -
日本の援助で新たに建設された橋。
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左側の橋です。
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古い橋。
一部が脱落して、鉄筋がむき出しになっています。 -
アカシアの花。
奇麗ですが、爪楊枝のような硬い棘は危険です。
キリンもゾウも、動物はこの木の葉を食べます。 -
途中でヒヒの群れに出会いました。
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こんな景色を見ながら、峠越え。
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6日前、首都アスマラで乗車した、
エリトリア鉄道の線路が見えてきました。 -
小さなおもちゃのような鉄道です。
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人通りが多くなってきました。
アスマラはもうすぐです。
次の旅行記はアスマラの紹介です。
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