
2018/08/13 - 2018/08/17
1063位(同エリア1861件中)
YAZさん
ルアンバパーンまで行ってきた。メコン川沿いにあるルアンバパーンは街ごとが世界遺産になっている。欧米人の観光客が多い街。行く前に知っていたのはその程度。
それでもラオスがどこにあるかも知らない人が多いのだから少しだけ詳しい部類に入っていたのかもしれない。
ルバンパパーンには何があるのだろうか。まるで村上春樹の紀行文のように。やれやれ。
一人旅なので下調べを十分しなくても誰にも迷惑を掛けるわけではない。おもうままに街歩きをするのはいいものだ。もちろん後でガイドブックを読み返すと見損なったものがあまりにも多いのに落ち込まなければの話だが。
飛行機の手配を済ませて旅に出た。今はネットで航空券や宿が予約できて簡単に行けてしまう。ルアンバパーンはハノイ経由かバンコク経由が一般的だ。自分はバンコクを経由して行った。ついでにバンコクにも滞在して世界遺産のアユタヤにも行ってみた。
2つの世界遺産を巡ることで分かったことがある。どちらも仏教を中心に据えて栄えたのは共通。さらにどちらも大きな川に沿って栄えた。ルアンバパーンは大河メコン。アユタヤは大河(メナム)チャオプラヤだ。たくさんの発見のある面白い旅となった。感謝。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- JAL バンコクエアウェイズ タイ・エアアジア X
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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バンコクからルアンバパーンまではバンコクエアウェイズで行った。プロペラ機だったので飛行時間がジェット機よりかかった。
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飛行機は予定通りに到着。飛行機を降りて歩いて建物に向かう。いかにもローカル空港だ。
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泊まったのはルアンバパーン市内にあるメコン川沿いのゲストハウス。フロントに掲げてある一番右側の時計が東京の時間を指していた。
ちょっと嬉しかった。 -
ルパンバパーンはメコン川沿いにある。そのメコン川は茶色の濁流で何でも飲み込んでしまう怖さがあった。流れはとても速い。流木はすーと流れていった。
台風などで増水した多摩川を何度も見たことがあるがメコンではそれが毎日の姿だ。
深さも10m以上もあるというから日本人の川の概念を大きく打ち壊す。 -
ルアンバパーンの街並みはフランス統治時代の面影を残している。2階建ての建物が連なる。
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まるまる一個のマンゴを使ってマンゴシェークを作ってもらった。
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マンゴは食べてもおいしいがこのようにジュースにしても美味しかった。
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夜はナイトマーケットに行ってみた。テントの店ではTシャツや織物など様々な物が売られていた。
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白人の観光客が多いこともありレストランが思いの外充実しているのには驚いた。ルアンバパーンまで来ておいしい料理に出会うとは思わなかった。レストランの質がとても高い。このピザ屋もそうだ。
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レストランで注文したのがマルゲリータピザ。薪を使ったピザ窯でピザを焼きあげていた。このマルゲリータは表参道に出店しても十分いける味だった。70000キット。
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すらっとした屋根が特徴のワットシェントーン。ホテルから歩いてすぐの場所にあった。暑くてさっと見てしまったがルパンバパーンの見どころの一つ。
ワット シェントーン 建造物
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翌日、托鉢を見るために早起きをして薄暗い中を街に出て。そして托鉢が始まる頃に雨が降り始めた。
村上春樹はルパンバパーンの紀行文の中でオレンジの袈裟をまとった托鉢の人の傘は黒でない方がいいと書いてあった。このグループは服に合った薄オレンジ色の傘をさしていた。これを見たら村上春樹が引っかかっていたことが解消したはずだ。
しかし不思議なものだ。托鉢僧と供物を差し出す人達を見ていると胸が熱くなってくる。日本人のDNAに刻まれた感情があるのだろうか。 -
托鉢を見た後はその足で朝市に行ってみた。メコン川ではどのような魚が取れるのか興味があったのだ。怪魚はいなかったが日本ではお目にかかれないナマズが売られていた。
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こちらの店にも魚。日本ではさんまをみると美味しそうに思う。ところがここではあまりにもグロテスクで食欲には結びつかない。
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泥色の濁流の中にさっきの魚がいたのだ。昔も今もメコンは流れ続けラオスの人々の生活に欠かせない物流や食料を供してくれている。
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ネコがゆっくりと歩いていた。ここルアンバパーンでは人もゆっくりと歩いていた。小さな街なので急ぐ必要がないのだろう。
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頂上から街並みの景色を見るためにプーシーの丘に登った。誰が数えたのか階段は328段。段数の表示もないままに登って行く。途中料金所があった。
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日没は登る人が多いのでそれを避けて昼過ぎに登った。
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プーシーの丘の頂上からの景色。木々の緑と建物のオレンジの屋根がコントラストをなしている。
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目をメコン川に転じると泥色の大河が街をなめて流れているように見えた。川は日本では洪水警報がでてもおかしくはないほどの水量だった。雨季のメコンはこれが普通なのだろうか。
ここでは自分の物差しが全く役に立たない。海外では自分の持っている概念に合わないことがよくある。この驚きが感動につながっていくのだろうか。 -
ルアンバパーンの仏陀。どれほどの時間ここにに鎮座しているのだろうか。
たくさんの仏像の中から気に入ったものを探してみる。 -
ルアンパバーンからバンコクに戻った。バンコクのスワンヌプーム空港に到着するとほっとする。独特の甘い香りと「ファーファー」との機械音が迎えてくれる。
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歩く歩道の降り口から流れる「ファーファー」との音を聞くとスワンヌプーム空港にいることを実感する。
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バンコクの渋滞。さっきまでラオスにいたのが嘘のように忙しい都会の渦に巻き込まれていく。でもバンコクの渦は嫌いではない。
喧騒とネオンが混ざった渦は非日常的で意外にも心地が良いものだ。 -
泊まったのはスクンビットのプルマン。ルアンバパーンのホテルと比べても意味がないが期待通りのサービスだ。ラオスのメコン川とは違いここでは車のテールランプがいつまでも流れ続けている。
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多彩なビュッフェ形式の朝食。日本では普段朝食を取らないのだが旅行先では別。恥ずかしながら取り過ぎてしまう。
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BTSで終点まで行き、そこからタクシーに乗り最近できたミニバスセンターに向かう。そこからミニバスに乗ってアユタヤまで行った。運賃は片道60バーツ(約200円)ととても安い。
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アユタヤと言えばこの画像が一番に出てくる超有名スポット。ガジュマルの根に絡まる仏像の頭部。家に帰って家族に写真を見せたら怖いと言っていた。そうとも言える。
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正面の大仏の横にある仏像はどれも頭部がない。ビルマ軍やその後の略奪のせいなのだろうか。いずれにせよ物悲しい。復元することはしなかったようだ。
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昔々に山田長政をはじめ日本人がアユタヤに住んでいたというから感慨深い。この地にどうやって、どのような意思を持ってやって来たのだろう。そしてどのような生活を送っていたのだろうか。
江戸時代に鎖国をしていなければ東南アジアの各地に日本人街が作られただろう。 -
3時間程度アユタヤを散策してバンコクに戻った。バンコク行きのミニバスは満員となりバンコク向けて出発した。
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この日はスクンビットにあるラディソン・ブルーに宿泊した。立地、部屋、雰囲気、朝食、スタッフをどれをとっても水準が高く自分の中では総合点の高いホテルだ。
隣の建物は工事中だったのでガードマンに聞いたところリッツカールトンができるらしい。敷居が高そうだ。ラディソン ブルー プラザ バンコク ホテル
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以前に比べ日本語表記が少なくなったのは残念だが、ここでは朝食の料理の前のプレートには英語だけではなく日本語でも表記されているものがある。そのうち中国語表記になるのだろうか。
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取り過ぎでてしまい普段は食べないのに食べ過ぎた。でもここは美味しかった。是非次回も泊まりたいホテルだ。
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ついでに日本表記では緑ガラス仏塔と書かれるワットパクナムに行ってみた。今は日本人のブームになっているようだ。このように日本語の道案内もされていた。実に多くの日本人が来ていた。
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この建物は遠くからも見えた。駅からこの建物を目印にタクシーで行った。
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イチオシ
最近できたインスタ栄えのここワットパクナム。
アユタヤは14世紀から18世紀に栄えた昔の町。バンコクは今を代表する安定の旅先。ルアンバパーンはフランスの香りを残した世界遺産。時代や場所は変われど仏教が今も人々を支えている。そしてどこも大河のそばにある。
ルアンバパーン、アユタヤ、バンコクそれぞれが魅力的で面白かった。感謝。
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この旅行で行ったホテル
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ラディソン ブルー プラザ バンコク
3.53
この旅行で行ったスポット
ルアンプラバン(ラオス) の旅行記
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