2018/08/30 - 2018/08/30
1575位(同エリア4008件中)
Bachさん
世界遺産「二条城」で7月から9月までスペシャルな朝食を食べれるというので、行ってきました。
二条城は1603年徳川家康が創建し、家康の征夷大将軍就任の賀儀と、徳川最後の将軍・慶喜の大政奉還が行われ、江戸幕府の始まりと終わりの歴史的な場所で、2017年に終焉を遂げてから150年にあたることもあって、今年はさらに注目を浴びており、そんな貴重な史跡の中で朝食をいただけるのは歴史好きにとってはかなりのぜいたくです。
朝食の提供は昨年もやって好評だったので、今年は30食を40食にし、期間も7、8の2ヶ月間から9月までの3ヶ月間にしたそうですが、通常は非公開の庭園「清流園」にある茶室「香雲亭」(こううんてい)で庭園を眺めながらの「京ゆば粥御膳」の朝食で、時間は午前8:30~9:30で3,000円(別途入城料600円)。献立は、冷製あんをかけた「京ゆば」や、京野菜の山科なすなどを使った「炊き合わせ」、とうもろこしや穴子の入った「冷茶碗蒸し」など涼味たっぷりの6品に温かい京都のくみ上げゆばを使った「ゆば粥」に期間限定で変わる季節の一品、今回は「鮎の煎り出汁」が加わります。
「香雲亭」は二条城にある3つの庭園の内の「清流園」(他は二の丸庭園と本丸庭園)と共に、江戸時代の豪商・角倉了以(すみのくらりょうい)の屋敷から城内に移築した建造物で、通常でもお茶会や結婚式などのイベントで公開されていますが、観光客がまだ少ない朝のひと時にのんびりと庭園を見ながら朝食をいただくとういうのは、この上ない至福の時間。食事後には観光客も増えて来た中で、久しぶりの二条城散策をして帰宅しました。
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行程は、東大手門から右手に直進し、北大手門側の「清流園」内「香雲亭」
食事後、鳴子門を通って、本丸櫓門から本丸に入り、本丸庭園から天守閣跡。戻って白書院、黒書院を経て二の丸庭園を廻り、二の丸御殿内を一回りし、唐門から再び東大手門へ。 -
東大手門:二条城は明治になって宮内省の所管となって「二条離宮」と改称され、昭和14年に京都市に移管された時に「元離宮二条城」という名称になった。
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只今8時過ぎ。通常の開城は8:45~17:00であるが、7~9月は8:00~19:00に延長しているので、まだ観光客はマバラ。
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明治維新150年で先日行った萩や西郷ドンの薩摩でも活況を呈しているよう。
二条城の入城者数は、大阪城、首里城に次いで3番目で165万人(以下名古屋城、熊本城) -
築地塀沿いに直進。
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二条城担当の庭師が造ったという朝顔のトンネル
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清流園入口:この庭園は河原町二条にあった旧角倉了以の屋敷から庭石,庭木等を無償で譲りうけ、昭和40年(1965)に 完成。庭園は東半分が芝生を敷き詰めた洋風庭園で、西半分は二棟の建物を含めた池泉回遊式山園(水和風庭園)からなる和洋折衷庭園。
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朝食が提供される「香雲亭」への案内(トイレはないので済ませて下さい)
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東半分の芝生を敷き詰めた洋風庭園は、昭和25年(1950)進駐軍の意向によりテニスコートに転用されたが、昭和40年(1965)に清流園が造営された。
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ライオンに見えないこともない庭石が。
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ライオン岩と呼ばれている巨岩。
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これより先は朝食予約の方のみ。
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既に多くの人が集まっていたが、幸運にも庭園側の席に案内された。
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清流園庭園は、前方に見える和楽亭を含めた池泉回遊式庭園。
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中根金作氏らが中心になって作ったといわれる。
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普段は向こうからしか見えないので、正面から見る庭園は格別。
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献立は、冷製あんをかけた「京ゆば」や、京野菜の山科なすなどを使った「炊き合わせ」、とうもろこしや穴子の入った「冷茶碗蒸し」など涼味たっぷりの6品に温かい京都のくみ上げゆばを使った「ゆば粥」に期間限定で変わる季節の一品、今回は「鮎の煎り出汁」が加わる。
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季節限定の一品の5種類。
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料理は昨年は京料理の名店「ゆば泉」の担当だったが、今年は円山公園や高台寺、五条坂にも店舗を持つ京料理「いそべ」が担当。
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清流園が整備された当時の高山義三京都市長の揮毫による「香雲亭」の扁額。
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食事後はまったりした時間が流れる。
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2006年米国の日本庭園専門誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデン』では、清流園が6位、二の丸庭園が8位にランキングされた。
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ミッキーの形らしい。
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ハートの形。
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そろそろ観光客が入ってきている。
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醍醐の桜:豊臣秀吉が「醍醐の花見」をしたことで有名な醍醐寺の桜の子孫で樹齢160年といわれる「太閤しだれ桜」をクローン増殖したもの。
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反対側から「香雲亭」。
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鳴子門
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鳴子門から入る。
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本丸櫓門から本丸へ。
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創建当時の本丸御殿は二の丸御殿にほぼ匹敵する規模をもっており五層の天守閣がそびえていたが、寛延3年(1750年)落雷のため焼失し、さらに天明8年(1788年)には市中の大火のため殿舎をも焼失してしまった。
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現在の本丸御殿は、御所にあった旧桂宮邸(1847年建築)を1894年(明治27年)に移築したもので、徳川家の二条城とは本来無関係の建物。
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本丸庭園:本丸御殿が移築された後、1896年(明治29年)に明治天皇の命で作庭された。
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それ以前にあったものは枯山水だったが、芝庭風の築山式の庭園にされた。曲線的な道が印象的で、丸く刈り込まれた植え込みや芝生の広がる景色は当時洋風の庭園が多かったのでヨーロッパの庭を意識したもの。
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過去には春と秋に期間限定で公開されていたが、耐震性の不足が判明したため2007年(平成19年)春を最後に公開を中止して以降、内部は公開されていない。
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天守閣跡:伏見城から移された五重五層(5階建て)の天守閣があり、二の丸御殿からも庭園越しに眺めることが出来たが、1750年に雷で焼失してしまい、その後再建されず石垣だけが残された。
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本丸御殿と本丸庭園を一望することができるが、天守閣があったころは二条城全体、京都の街の景色も展望出来た。
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天守台から本丸御殿を望む。
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比叡山も見える。
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丸く刈り込まれた植え込みや芝生の広がる景色はヨーロッパの庭を意識している。
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本丸御殿の玄関
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ちょうど植木の手入れをしていた。
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明治29年(1896)明治天皇の指示により作られた。天皇は本丸御殿の最上階から植栽に及ぶまで事細かに指示されたと書かれている。
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二の丸庭園:小堀遠州作の池泉回遊式の名庭。池の周囲を巡って鑑賞する日本庭園の古形式を代表する書院造庭園(武家邸宅の庭園)。
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池の中央に2つの島、4つの橋を設置し、庭石や草木を四季折々に楽しめる中庭的な庭園として設計されている。
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池には中央の蓬莱島と左右の鶴島・亀島の3つの島が配され、どの角度から見ても「鶴」「亀」の形に見えるように石が組み合わされており、二の丸御殿・大広間(将軍の座)からはもちろん、黒書院(将軍の座)や行幸御殿(天皇の座)からでも鑑賞できる。
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和風に隠されたカラーコーン。
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池の南側は1626年後水尾天皇が行幸された際に専用の御殿が建てられた場所。
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この鐘は二条城と京都所司代との連絡用に使われた。
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二の丸御殿の入口、車寄(くるまよせ)
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二の丸御殿は江戸時代の武家風書院造りの代表的なもので、車寄(くるまよせ)に続いて遠侍(とおざむらい)、式台(しきだい)、大広間(おおひろま)、蘇鉄の間(そてつのま)、黒書院(くろしょいん)、白書院(しろしょいん)の6棟が東南から北西にかけて雁行に立ち並び、部屋数33、800畳あまり。
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欄間彫刻は表と裏のデザインを変えており、表側には五羽の鸞鳥(らんちょう)・松・牡丹(ぼたん)、上部には雲、下部には笹を見ることができる。屋根は桧皮葺(ひわだぶき)。菊の御紋も随所にある。
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唐門は、豪華な装飾が施されている。2013年に修復され往時の輝きを取り戻した。
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切妻造の四脚門で、正面と背面に唐破風をつけ、複雑精妙な彫刻と華麗な金工細工を施している。牡丹に蝶、鶴亀に松、龍と虎、亀に乗った仙人と鳳凰とモチーフはどれも縁起物。
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屋根の独特のカーブは「唐破風(からはふ)」と呼ばれ、この唐破風を持つ門を唐門(からもん)と呼ぶ。(中国とは関係なく日本独特のもの)
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柱の飾金具についている菊御紋の下には葵御紋があるという。(徳川家の建物から皇族の建物に変わったことを示す)
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上部の鬼瓦にも菊御紋。
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