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18年5月終わりの土曜日、市内の公園のいくつかを回った話の続き。エマンシペーション・パーク(Emancipation Park)からオックスフォード・ロード(Oxford Road)を西に向かい、約2㎞。キングストン市街の東の端、ロング・マウンテン(Long Mountain)の麓にインディペンデンス・パーク(Independence Park)がある。ここは総合運動公園。66年の第8回ブリティッシュ・エンパイア・アンド・コモンウェルスゲームズ(British Empire and Commonwealth Games)のために整備された。この大会は、イギリス連邦に属する国や地域が参加して4年ごとに開催される総合競技大会であり、78年にコモンウェルスゲームズに改称された。<br /><br />様々なスポーツ施設がまとまっているが、一番のメインは国立競技場(National Stadium)。62年に開催された中央アメリカ・カリブ海競技大会(Central American and Caribbean Games)のために建てられた。主にはジャマイカ代表チームのホームスタジアムとしてサッカーに使用されているが、陸上競技の大会や選考会、またオープンイベントの会場としても使われている。陸上トラックの外には500mの競輪コースもある。収容人数35,000人。<br /><br />スタジアムの外にはウサイン・ボルト(Usain Bolt)の銅像が昨年(17年)に設置されたが、他にもアーサー・ウィント(Arthur Stanley Wint:48年ロンドンオリンピック男子400m金メダリスト)、ハーバート・マッキンリー(Herbert Henry &quot;Herb&quot; McKenley:52年ヘルシンキオリンピック男子4x400mリレー金メダリスト)、ドン・クォーリー(Donald &quot;Don&quot; O&#39;Riley Quarrie:76年モントリオールオリンピック男子200m金メダリスト)、マリーン・オッティ(Merlene Ottey:93年シュトゥットガルト&amp;95年イェーテボリ世界陸上女子200m金メダリストでオリンピックでは銀メダル3個、銅メダル6個)の銅像がある。今後ベロニカ・キャンベル=ブラウン(Veronica Campbell-Brown:04年アテネ&amp;08年北京オリンピック女子200m、04年アテネ女子4x400mリレー金メダリスト)、シェリー=アン・フレーザー=プライス(Shelly-Ann Fraser-Pryce:08年北京&amp;12年ロンドンオリンピック女子100m金メダリスト)、アサファ・パウエル(Asafa Powell:16年リオオリンピック男子4x400mリレー金メダリスト)の銅像も建てられる予定。<br /><br />公園内にはこのほか、以下の施設がある。<br />屋内プール;62年築。収容人数8,500人。競泳及び飛込競技に使われる。<br />体育館:63年築。収容人数3,000人。ウェイトリフティング、レスリング、ネットボール、卓球など競技の他、フラワーショー、展覧会、音楽祭などのイベントや国家レベルの葬儀場として使用される。<br />屋内競技場:02年築。収容人数6,000人。ネットボールなどを実施。<br />レイラ・ロビンソンコート(野外):14年改装。ネットボールコート。<br />スタジアムコート(野外):バスケットボールコート。<br />第2陸上競技場:第2種公認。<br />スポーツ協会(The Institute of Sports):78年に国レベルでスポーツの発展を促進するために設立された。<br /><br />そして、この運動公園の入口に建っているのが、なぜかあのボブ・マーリー(Bob Marley)の銅像。サッカーは好きだったそうだが、スポーツには特に関係ない彼。しかし、彼はこの国立競技場で歴史に残ることをやってのけた。78年4月、この競技場で開催されたワンラブ・ピース・コンサート(One Love Peace Concert)で、当時抗争を繰り返していた2大政党の党首2人、人民国家党(PNP)のマイケル・マンリー(Michael Norman Manley)とジャマイカ労働党(JLP)のエドワード・シアガ(Edward Philip George Seaga)をステージ上に招き、満員の観客の前で和解の握手をさせたのだった。日本ではイメージできないが、龍馬が西郷隆盛と桂小五郎を和解させ薩長同盟を結ばせたようなものか? 実態は山口組と一和会に例える方が正しいらしいが。で、残念ながらこの抗争はもっとエスカレートしていった。なお、マーリーはそれから3年後に癌で亡くなり、この競技場で国葬が執り行われた。その間、79年の4月には東京と大阪でコンサートを行っている。興味がなかったので、全く記憶にない。<br /><br />マーリーの銅像の北側にはWall of Honourと呼ばれる壁があり、排水路沿いに50m近く、ジャマイカスポーツ界のヒーローたちの肖像が描かれている。全然知らない人ばかりだった。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2090596861010327.1073743728.100001801017376&amp;type=1&amp;l=0670d34959<br /><br />またついでにPNPとJLPについて。PNPの創設者ノーマン・マンリー(Norman Washington Manley)は元々は弁護士だったが、38年にPNPを結党する。マンリーの従弟であるアレクサンダー・バスタマンテ(Sir William Alexander Clarke Bustamante)は43年にJLPを立ち上げる。イギリス政府がこの設立に絡んでたという話もあり、安直な表現だと、PNPが社会主義的、JLPは資本主義的。以後、PNP派とJLP派の抗争が激化し、組織的暴力が政争のツールになる。選挙のたびに、労働組合やギャングがそれぞれの党に付き、一般人を巻き込み、ありとあらゆる暴力手法も含め選挙戦が行われて来た。<br /><br />44年の第1回総選挙ではJLPが与党となるが、55年からはPNP政権となり、62年独立前に行われた選挙でJLPが勝ち、バスタマンテが独立時の初代首相となる。10年後の72年にPNPが独立後初めて勝利し70年代はPNP政権となる。この時代にボブ・マーリーが絡んでおり、彼は首相のマイケル・マンリーと元々仲が良く、PNPサポーターだったと云うことで、76年にたぶんJLP派のギャングが犯人と云われているが、自宅で銃撃され瀕死の重傷を負っている。80年代は逆にJLPの時代。この80年選挙の時には、78年にマーリーが和解の握手をさせたにも拘らず889人の死者が出ている。<br /><br />89年にPNPが政権奪回。このPNP政権は長く続いたが、07年に18年振りにJLPが勝利。12年にPNPに負けるが、16年に巻き返し、現在はJLP政権となっている。今年(18年)で44年の第1回選挙から74年になるが、ちょうど半分の37年ずつ政権を担当しており、ジャマイカの政治は右往左往しながら進んできたようだ。最近の選挙は80年ほど酷い状況にはなってないが、それでも期間中の治安は悪化するとのことで、当面選挙が予定されてなくてよかった。次回選挙は予定通りに行われれば、21年2月末から6月初旬までの間に行われる。<br /><br />以上

キングストン インディペンデンス・パーク (Independence Park, Kingston)

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2018/05/26 - 2018/05/26

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旅行記グループ キングストン パーク

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ちふゆ

ちふゆさん

18年5月終わりの土曜日、市内の公園のいくつかを回った話の続き。エマンシペーション・パーク(Emancipation Park)からオックスフォード・ロード(Oxford Road)を西に向かい、約2㎞。キングストン市街の東の端、ロング・マウンテン(Long Mountain)の麓にインディペンデンス・パーク(Independence Park)がある。ここは総合運動公園。66年の第8回ブリティッシュ・エンパイア・アンド・コモンウェルスゲームズ(British Empire and Commonwealth Games)のために整備された。この大会は、イギリス連邦に属する国や地域が参加して4年ごとに開催される総合競技大会であり、78年にコモンウェルスゲームズに改称された。

様々なスポーツ施設がまとまっているが、一番のメインは国立競技場(National Stadium)。62年に開催された中央アメリカ・カリブ海競技大会(Central American and Caribbean Games)のために建てられた。主にはジャマイカ代表チームのホームスタジアムとしてサッカーに使用されているが、陸上競技の大会や選考会、またオープンイベントの会場としても使われている。陸上トラックの外には500mの競輪コースもある。収容人数35,000人。

スタジアムの外にはウサイン・ボルト(Usain Bolt)の銅像が昨年(17年)に設置されたが、他にもアーサー・ウィント(Arthur Stanley Wint:48年ロンドンオリンピック男子400m金メダリスト)、ハーバート・マッキンリー(Herbert Henry "Herb" McKenley:52年ヘルシンキオリンピック男子4x400mリレー金メダリスト)、ドン・クォーリー(Donald "Don" O'Riley Quarrie:76年モントリオールオリンピック男子200m金メダリスト)、マリーン・オッティ(Merlene Ottey:93年シュトゥットガルト&95年イェーテボリ世界陸上女子200m金メダリストでオリンピックでは銀メダル3個、銅メダル6個)の銅像がある。今後ベロニカ・キャンベル=ブラウン(Veronica Campbell-Brown:04年アテネ&08年北京オリンピック女子200m、04年アテネ女子4x400mリレー金メダリスト)、シェリー=アン・フレーザー=プライス(Shelly-Ann Fraser-Pryce:08年北京&12年ロンドンオリンピック女子100m金メダリスト)、アサファ・パウエル(Asafa Powell:16年リオオリンピック男子4x400mリレー金メダリスト)の銅像も建てられる予定。

公園内にはこのほか、以下の施設がある。
屋内プール;62年築。収容人数8,500人。競泳及び飛込競技に使われる。
体育館:63年築。収容人数3,000人。ウェイトリフティング、レスリング、ネットボール、卓球など競技の他、フラワーショー、展覧会、音楽祭などのイベントや国家レベルの葬儀場として使用される。
屋内競技場:02年築。収容人数6,000人。ネットボールなどを実施。
レイラ・ロビンソンコート(野外):14年改装。ネットボールコート。
スタジアムコート(野外):バスケットボールコート。
第2陸上競技場:第2種公認。
スポーツ協会(The Institute of Sports):78年に国レベルでスポーツの発展を促進するために設立された。

そして、この運動公園の入口に建っているのが、なぜかあのボブ・マーリー(Bob Marley)の銅像。サッカーは好きだったそうだが、スポーツには特に関係ない彼。しかし、彼はこの国立競技場で歴史に残ることをやってのけた。78年4月、この競技場で開催されたワンラブ・ピース・コンサート(One Love Peace Concert)で、当時抗争を繰り返していた2大政党の党首2人、人民国家党(PNP)のマイケル・マンリー(Michael Norman Manley)とジャマイカ労働党(JLP)のエドワード・シアガ(Edward Philip George Seaga)をステージ上に招き、満員の観客の前で和解の握手をさせたのだった。日本ではイメージできないが、龍馬が西郷隆盛と桂小五郎を和解させ薩長同盟を結ばせたようなものか? 実態は山口組と一和会に例える方が正しいらしいが。で、残念ながらこの抗争はもっとエスカレートしていった。なお、マーリーはそれから3年後に癌で亡くなり、この競技場で国葬が執り行われた。その間、79年の4月には東京と大阪でコンサートを行っている。興味がなかったので、全く記憶にない。

マーリーの銅像の北側にはWall of Honourと呼ばれる壁があり、排水路沿いに50m近く、ジャマイカスポーツ界のヒーローたちの肖像が描かれている。全然知らない人ばかりだった。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2090596861010327.1073743728.100001801017376&type=1&l=0670d34959

またついでにPNPとJLPについて。PNPの創設者ノーマン・マンリー(Norman Washington Manley)は元々は弁護士だったが、38年にPNPを結党する。マンリーの従弟であるアレクサンダー・バスタマンテ(Sir William Alexander Clarke Bustamante)は43年にJLPを立ち上げる。イギリス政府がこの設立に絡んでたという話もあり、安直な表現だと、PNPが社会主義的、JLPは資本主義的。以後、PNP派とJLP派の抗争が激化し、組織的暴力が政争のツールになる。選挙のたびに、労働組合やギャングがそれぞれの党に付き、一般人を巻き込み、ありとあらゆる暴力手法も含め選挙戦が行われて来た。

44年の第1回総選挙ではJLPが与党となるが、55年からはPNP政権となり、62年独立前に行われた選挙でJLPが勝ち、バスタマンテが独立時の初代首相となる。10年後の72年にPNPが独立後初めて勝利し70年代はPNP政権となる。この時代にボブ・マーリーが絡んでおり、彼は首相のマイケル・マンリーと元々仲が良く、PNPサポーターだったと云うことで、76年にたぶんJLP派のギャングが犯人と云われているが、自宅で銃撃され瀕死の重傷を負っている。80年代は逆にJLPの時代。この80年選挙の時には、78年にマーリーが和解の握手をさせたにも拘らず889人の死者が出ている。

89年にPNPが政権奪回。このPNP政権は長く続いたが、07年に18年振りにJLPが勝利。12年にPNPに負けるが、16年に巻き返し、現在はJLP政権となっている。今年(18年)で44年の第1回選挙から74年になるが、ちょうど半分の37年ずつ政権を担当しており、ジャマイカの政治は右往左往しながら進んできたようだ。最近の選挙は80年ほど酷い状況にはなってないが、それでも期間中の治安は悪化するとのことで、当面選挙が予定されてなくてよかった。次回選挙は予定通りに行われれば、21年2月末から6月初旬までの間に行われる。

以上

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