2017/12/26 - 2018/01/27
20位(同エリア44件中)
アーサーさん
12月26日に横浜港を出港し 96日間のピースボートの世界一周の旅に出かけた。それから約三分一の行程が終了し、1月23日現在 南アフリカ共和国のポートエリザベスに 寄港中である。現代だからネットの環境は地球上で それなりにあるが、画像の送信には時間がかかる。ポートエリザベスで少しゆっくりできそうなので これを機会にブログに現在進行形のありのままを 備忘録として 載せておこうと思う。
結論めいたものは まだ何もないし 出せれるかどうかも わからない。多分 千人千様の中の ありきたりの一つの表現だろうけれど。
(約1000人の乗客を乗せ、日本人は8割ぐらい。多分平均年齢は約70歳ぐらい。「最高年齢は90歳を超えている」とか。女性の比率が高そう。)
写真はマダカスカル島の海辺で。
残念だが 時間切れ。 出来上がったところまでで アップする。後は日本で。
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序1
「世界一周」は何となく 子供の頃から あこがれだった。大人になって人生の経験をして 夢は段々色あせてきた。多分「世界一周」しても何も無いだろうと。
でも こうして老人になり、出来ることが日々限られて来る。今日が残された日々で一番若いと言われると 下り坂の日常の延長として 遠い昔の「世界一周」の夢・幻も経験しておくのも良いのかなぁと言う気分になってくる。
実際 負担する金額も 他のことを我慢して 諦めれば 不可能では無くなってきている。「世界一周」のコースで一番安い負担金額の ピースボートを 私は選択した。妻を誘ったが 軽く拒絶された。
数年前にも ピースボートの広告に「南回りのコース」があったが 踏ん切りが付かず 私は諦めていた。行くなら 余り経験していないエリアで、また飛行機では搭乗の身体負担が大きい「南回り」のコースかなと思っていた。
写真は 今回の「南回り」コースのルートと寄港地( パンフレットから。) -
序2
2016年秋 第100回ピースボート南回りのコースが発表され 説明会に参加してみた。そして 取りあえず 窓無し4人部屋「フレンドリーエコノミー」(139万円ー早期割引23万円=116万円)に申し込む。(キャンセルも可能のいつもの言い訳をして。まぁゆっくり考えてみようかと。)
その後で 横浜のピースボートセンターでボランティア募集説明会に参加してみる。通勤の手間を考えると 時給換算でどうも割が合わないように思えて 仕事としては ボランティアは諦める。
それから 2017年の春 横浜で船内見学会に参加してみた。どちらかと言えば 期待以下だけれど 金額相応の船内環境だとも言える。それより問題は この環境下での同室者等との人間関係作りだなと思った。
送付されてきたパンフレットには楽しそうに描いているが 総日数96日の内 上陸日が20日しかなく、後の76日は航海日となり バランスから考えて不満。「旅」より集団生活の要素が強く、関心がそちらに引っ張られるだろうと思った。
写真は送られてきた見学会のパンフ -
序3
2017年12月 ピースボートから「お客様7万人突破の大感謝(先着100名様全額キャッシュバックキャンペーン)」の案内が届いた。青島・麗水・佐世保寄港の10日間クルーズで 窓無しの4人部屋で89,000円が実質無料になるらしい。
予定している 3カ月間の地球一周クルーズ船内生活の不安もあり 短期間でも 経験しておくのは無駄にはならないとの判断があり 申し込む。
(妻からは キャンセル防止策にうまく乗せられている。と冷笑されたが。)
そして 2018年のゴールデンウィークに「オーシャン ドリーム号」に乗ってみた。
「ピースボート ゴールデンウィーククルーズ(釜山・麗水・佐世保)乗船記」参照。
(https://4travel.jp/travelogue/11354836)
私の結論として ストレスはそれなりにあるだろうけれど、耐えれない程では無いかなぁと言う感じ。(実際は乗り合わせた人達との「運」次第だろうけれど。)
写真は その時の4人部屋の様子。 -
序4
2018年の1月 第100回ピースボートのオプショナルツアーのパンフレットが送られてくる。(南極オーバーランドツアーは費用が120万円以上で 私にとって 考慮外。)
正直なところ 随分 ぶったくりの「商売」だなと思ったが、船を離脱して 個人で旅するのに 「南米」エリアは向いていない。飛行機の便を調べてみたが 本数も限られていて 遅延の可能性も高く、私自身がその柔軟対応に自信が持てなかった。(別個個人旅行の費用は半分近くで行けそうだが、そのリスクーーー流動的な指定時間・場所で再合流乗船ーーーに耐えられない年齢になっている。)
それで 安全策を選択し 「見聞・交流」も含め 5月に オプショナルツアー8コース約33万円分を申し込んだ。
写真はオプショナルツアーのパンフレット -
序5
2018年夏頃から 船内生活と過ごし方を少し前もって考えておきたかったので、ネットで調べたり、本を読んだりし始めた。ピースボートステーション公式レポートサイト以外に ネットや書籍に 実例が随分と掲載されていた。 南回りのコースを中心に 幾つかの例を挙げると
1)「ひろしさん」の「第86回、地球1周の船旅」
https://blogs.yahoo.co.jp/h726m/folder/1671590.html
2)Shigeさんの[第90回ピースボートの旅]
https://plaza.rakuten.co.jp/shigedoraku/diary/201512170000/
3)「みんなのそら」の「第86回ピースボート地球一周クルーズ」
https://sky-over-the-head.link/?cat=18
4)「ゆかりさん」のピースボートで世界一周
https://decorate-my-trip.com/peaceboat/
5)増戸さんの 「ピースボート第78回クルーズ」
http://tabiarm.com/?cat=18
6) 古市憲寿さん著の
希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)
7)「旅ガールさん」のピースボート93回・世界一周104日間の体験記
http://hunenotabi.information.jp/ピースボート世界一周104日間の体験記/#7277
その他にも 幾つかの参考になる貴重な事例を学ばさせて貰った。
(この場を借りて 勝手ですが 各位にお礼を述べておきたい。)
写真は 後日の説明会で映写された 「船会社」「旅行会社」「ピースボート」の関係図。(私には やはり その三者の関係が良くわからなかった。)
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序6
9月になり、渡航手続き必要書類や健康質問書などの提出を行う。また 10月には「乗船者説明会」が横浜で開催され それに参加する。いよいよ行かねばならぬ日が近づいてきた気分。
それから 乗船の際の持ち物リストを作成し始める。その際参考にしたのが「ゆかり」さんの「ピースボート持ち物講座」(https://decorate-my-trip.com/peaceboat-bring-comment/)
私も持ち物リストに従って ネットのセールス情報や100円ショップで ゆっくり手配を始める。
また 旅行保険について 10月末結論を出す。私はクレジットカード(ゴールドクラス)2.5枚を保有している。その付帯保険について各保険会社に確認し、それで対応可能と判断した。90日を越える部分についてのみ保険に加入した。一つの博打だが それが私の結論。
その代わりと言っては可笑しいが 歯医者、インフルエンザの予防接種、かかりつけの医に旅行の相談(英文の健康診断書作成)などをした。そして何よりも 体を動かし体力作りを心がけた。
写真は 私の作成した「持ち物リスト」
結果的に 日本茶は船内に有ったので不要だった。 -
序7
11月に入り、家の年末大掃除の前倒し実施、不在中の雑用の処理など 慌ただしく過ごす。(ネットのクルーズレポート99回を「公式サイト」から眺めながら。)
11月末頃 「出航前最終のお知らせ」が郵送され、乗船手続き票などが届く。
12月の10日頃 一応の荷造りをしてみる。春の事前乗船の経験から ベッド下の収納スペースの高さ制限から 小型のスーツケース2個とスーツケース付のバッグとリュック プラスアルファで何とかなりそう。(写真の通り。) -
序8
12月15日になり、旅行社のジャパングレイスから 南極船クルーズの誘いのパンフレットがさらに届く。
心が動き ネットで南極船クルーズの旅行記も読んでみたが 体力に自信が持てないし、いかんせん出発間際の追加変更は私好みではない。何よりも約140万円の価値を見出せなかった。未練は残ったが諦める。
写真は そのオーバーランドツアーのパンフレット。 -
(1)12月26日(水)
1)12月26日(水)
1)
朝 長旅の不安・緊張を感じながら 家を出る。妻に横浜大桟橋まで同行して貰う。10時半からの乗船手続きはスムーズ。
割り当てられた部屋は7階。前より少し広い感じ。助かる。
私の出港式で投げた テープはほぼ真下に落ちる。これが私の実力。
間延びしただるい出港式だった。
写真は見送りの方々。ありがとう。 -
2)
船はゆっくりと横浜大さん橋を離れる。正月寒波が襲来してきて寒い。 -
3)
早速、避難訓練があり、引き続き ピースボートの説明会があり、参加する。
なんか参加者の国別が凄いらしい。実際 もう日本人だけのピースボートとは言えなくなっているのを 後日実感する。
写真は説明会のスライド。
船は太平洋に出て 揺れが大きくなっているみたい。
初めて夜 夕食後早く眠る。 -
(2)12月27日(木)
1)
午前中に「ICANとピースボートの歩み」川崎哲氏の話を聞く。ピースボートの創設期の方の100回記念航海講演らしい話。
船は昼過ぎ神戸港に着。客は神戸に上陸できず、港の公衆ネットもなし。落胆。
神戸で部屋の4人がそろう。I氏(静岡県)、H氏(島根県)、O氏、(千葉県)。私が同年配の中で 一番年寄りみたい。みなさんピースボートの乗船経験者で落ち着きがある。
外は寒い。予定時間が来ても出港しなかったみたい。今晩も早く眠る。
写真は神戸港から 神戸の街並み。 -
(3)
12月28日(金)
1)
日向灘 波高し。船内のネットに接続。一安心。Sさん(春同室だった方に)に出会う。皆さんマイペースの感じ。昨日朝からラジオ体操が開始され、本日は太極拳が開始される。夕食は船長主催の歓迎パーティー」で豪華。
図書室で「新宿ナイチンゲール「小原周子を借り出し、読む。救いがない。夜 鹿児島の沖を通過中だが 寒い。
写真は太平洋の日の出。 -
(4)
12月29日(土)
沖縄に近づいているはずだのに寒くて 波が荒れている。今朝は太極拳もラジオ体操もなし。WIHIも曇りで繋がらず。中国語講座と英語講座にでる。それからリピーターパーティーに誘われて参加。10回以上参加者が4人ほどいた。その四人は全員女性。
夜 初の時間調整日。一時間時計を戻す。得した気分?
部屋の暗黙のルールが徐々に出来上がっていく。まぁ「大人」の常識。
写真は今回の部屋の様子 皆さん収納に工夫をされ、流石の感じ。 -
(5)
12月30日(日)
4日経った。早いと言ったら早い。体操をして朝飯を食い、ネットはスマフォが今日もダメ。パソコンはつながる。それから適当に水先案内人の講演など聞く。今日は 朝「米朝会談と沖縄」軍事評論家の前田氏と鹿児島大の木村氏の話を聞く 午後 80歳のルポライター鎌田氏の話を聞く、それから寄港地情報(アモイ)を聞く。有益な話、無駄な話と各種あるが 時間はそれなりに経っていく。夕食の際の婦人連 随分積極的。
明日は初の寄港地観光。
写真は毎夕 配られる船内新聞。それを見て翌日の予定を決めていく。結構盛沢山。 -
(6)
12月31日(月)
1)
朝8時過ぎ船を降り 9時過ぎツアーのバスで港のターミナルから出発。
アモイは随分大きな町。福建省は海と結びついた独特の街(開明的)の雰囲気。 -
2)
途中で昼食後 「福建土楼」に着く。 -
3)
実際の「福建土楼」は 想像の範囲だった。 -
4)
帰り道 高速サービスエリアで日本の家族と暫し無料ネットLINEで連絡。中国も情報の現代化が進んでいる。
サービスエリアのトイレも日本に近づいている。昔を知る者には信じられないぐらい。 -
5)
夜 船からアモイの街を写す。
説明をしてくれたガイドさんの話からも最近の中国人の余裕を感じる。但し 近郊では夕方になり明かりのつかない高層住宅の問題はありそう。(無駄な過大投資の現状。)
ツアーの最中他のバスのグループの人から 道を失った迷い子の老人と間違えられる。親切心だろうけれどと しつこく言われると怒りを感じる。初体験。
大晦日で おそばを頂き 年寄りは 今日も早く眠る。 -
(7)
1月1日(火)
1)
朝起きたら すでに6時過ぎ。 甲板に行ったら 天候不順でた曇り空。初日の出には遭遇できず。本日はお正月。船内はそれなりの装飾。
朝ネットが繋がり、家族に正月のあいさつ実施。朝食時 同席した乗船7回目の京都のおばあさん話では ここがすみかの感じ。 -
2)
晩飯おせちに「雑煮」。家でも経験できない程 豪華。今年も平穏なお正月だった。 -
3)
昼飯はラーメンを食べる。さすがにここまで南下すれば 甲板で食っても寒くない。写真の通り 海はまだ荒れているけれど。
香港沖をすぎて 明日は海南島沖。船長からの連絡放送によれば明日からは波が静かになるとか。
「空中ブランコ」奥田英朗作を図書室で借りてくる。 -
(8)
1月2日(水)
1)
太極拳、ラジオ体操、ヨガ(60分)合計2時間の朝体操。それから朝飯。が私の朝の基本スタイル。午前中にネット接続。本日は持参したパソコンの説明書を読む。甲板で散歩。南に来たせいか 曇りだけれど暑いぐらい。 -
2)
朝飯の例。納豆の出る日もあり、満足
他にパン食のメニューもあり。 -
3)
昼飯の例。(朝食と同じビュッフェ方式)
今日の昼飯は台湾の人と同席。
他に甲板で麺類のメニューのコースもあり。 -
4)
夕飯 丼物の例(軽食用)。
本日は 軽食用を選択し 夕食はリドで丼。ちょっとお腹がすく。
体重計に乗ると微妙。今日からジャグジーオープン。 -
5)
午後5時から 自主企画 「お遍路さん経験者集まれの会」に参加。思いがけず多くの参加者。若い方の先導で久方ぶりに般若心経を唱える。ピースボートの旅と遍路の旅がどこかで結びついているのだろうか?
写真は般若心経のスライド。 -
(9)
1月3日(木)
1)
今朝も体操3部門をこなし、朝飯をたっぷり食べて、甲板で煙草を吸えば 360度水平線。フーン、これを見に来たのか。妙に納得。昨夕のお遍路さんも「空海」ゆかり、確かに見渡せば「空」と「海」しかない。
夜「腰巻おせん」の映写をみる。 映画の見学者が上映の途中から どんどん少なくなっている。若い時に見たのは 新鮮な驚きがあったが 何が言いたいのか私も分からない。 -
(10)
1月4日(金)
1)
朝 ネットは繋がり易くなった。今朝 家族とラインで電話。便利。
室内から外の甲板で体操開始。夜明けの空には金星が光っていた。ヨガも大分きつくなってきた。
朝飯、煙草、ネット、中国語会話。美術教室、グローバル英会話。ポールウォーキングとこなす。
写真は「グローバル英会話」の資料。確かに 英語は米英人だけのものではない。世界でコミュニケーションのツールとして使われている。もっと自信をもって使いこなそうと思う。私流で。
マラッカ海峡が近づいてきた。船影も多し。 -
(11)
1月5日(土)
1)
朝 寄港日のため 体操なし。11時15分船を降り、バスで出発。本日はシンガポールのフードバンクの体験コースを選択。シンガポールは約40年前と異なり 目覚ましく変わっていた。集中して成功すればシンガポールのような国は小さくても発展可能ということか?グローバル世界の一つの成功例。これもひとつの結果。
ただあまり建物的には好きになれない。 -
2)
奇をてらいすぎる。 -
3)
フードバアンクでの作業、よく分からない。ただ私も頑固になった。ほぼ作業的には無能。年寄りは出しゃばってはならないと自戒。 -
4)
マーライオンのところの坂道で 中学生ぐらいの子供に後方から自転車で腕を引っかけられる。危ない。明日からゆっくりしよう。 -
(12)
1月6日(日)
1)
寄港日の翌日で 体操がないので 7時まで寝た。それから甲板に出て散歩。見渡すと遠くに20隻ぐらいの船影。さすがマラッカ海峡。朝 タバコを吸って メールを見て、本を読んだり、朝鮮の人の音楽を聴く。海の上で聞く三線の音も乙なもの。
船は突如 クアラルンプールに寄り 急病人搬送。他人ごとではない。まぁ近くに病院施設があってよかった。 -
2)
朝日。 -
2)
入道雲 南国らしい。 -
3)
夕日
朝日や夕日を写真にとる人もいた。私はそれ程真面目ではなかったが、たしかに自然の表情は日々に異なり 飽きることはなかった。 -
4)
夕刻 水先案内人中華系バーシー・イップトン氏のインド洋の孤島モーリシャスの「文化論」を聞く。
確かに島には独特のものはある。 -
(14)
1月8日(火)
1)
よく眠った。西に向かっているので 毎日1時間時間が遅れている感じ。一日25時間。体は楽。ヨガの時 無理をして体を一瞬痛めた。以後自戒して無理はやめる。昼ラオスでの若い人の報告を聞く。昼ヨガ 人数が多すぎ。以降参加せず。
夕方「地球が50人だったら。」の催しに参加。多分顔を知っていたら 無機質な戦争にはならないだろう、と思う。
上甲板で寝転がる。風がさわやか。大気は27℃ぐらい。
みわたす限り大海原。風呂を上がって夕日を見に行く。
船内「家族」の催しには参加せず。
写真は最上甲板から船首を写す。 -
(15)
1月9日(水)
1)
少し眠れず。朝 体操はいつもの通り。朝日が綺麗。朝飯。メール。中国語講座。赤道通過は朝5時ごろ。アニメで英語取得の話を聞くに行く。なるほど。スペイン語レッスン初参加。黄色組の応援 途中で引き上げる。「水彩画教室(加茂幹彦)」に参加。初歩的。朝飯マレーシアの人と臨席。
「インド洋のブルース」バーシー・イップトン氏の話を聞く。アフリカの音楽。
多忙すぎて夜の「芸達者祭」に参加せず。(面白かったらしいが。)
晩飯の時 隣になった婦人83歳で13回のピースボート参加とか。それも何となく寂しい話。少なくとも私は望まない。
写真はインド洋の朝焼け。 -
2)
薄明かりの中で 太極拳。ゆったりしていて 老人の私は気に入った。 -
2)
そして 日の出。 -
3)
すっかり明るくなって ラジオ体操。
それから 室内に戻り 1時間のヨガ。この定番コースを最後まで私は守った。 -
4)
スペイン語レッスン初参加。
但し スペイン語は残念ながら 続かなかった。 -
(16)
1月10日(木)
1)
黄色組の練習。それなりに疲れる。
午後県人会の初集まり。香川県に参加。(四国4県で6人、7人集まる。)(徳島の御夫婦船酔いが続いているらしい。)それからGET中級講座に参加。ちょっと私は参加態度が不真面目。(反省)「航海の雑学」にも参加。ライターを借りようとして偏コツぶり自覚。軽い自己嫌悪。図書室で「JAPAN 1946IMAGES FROM THE TRAUNK」の写真集を見る。意外。
夕食時 婦人の中国人旅行者と話す。(日本語で)いづれ日本人が中国主催の船に載せてもらう時代がくるかなと思った。台湾から100人、本土から50人。マレーシア、シンガポールから30人の中国系乗船者とか。(ほんとかな?)
今日の夜も時間調整実施。
写真は最上甲板。ここまで人があまり来なくて静かな環境。一人になりたい時 運動がてらここまで来た。 -
(17)
1月11日(金)
1)
体操朝3分遅刻。ちょっとヨガで無理をしすぎ。ペーススダウンタウンしよう。中文講習参加それから・寄港地ポートルイス案内を聞く。昼はパン飯。スペイン語講座。世界の音楽。北朝鮮イラン、ベネズエラ、エチオピアと色々ある。テーマ「海はハイウエイ」の講演会(先住民族問題。)に参加。それから運動会の前夜祭。時間つぶしにしては参加しすぎ。でも囲碁やマージャンより良いと思うか。夕飯の時 台湾人婦人と噺が続かない。風邪気味の老婦人がチラホラ。南半球にはいり暑くなるはずが まだ気温30度、日本の真夏より過ごしやすい。変な話。
写真はマオリ族とアイヌ族との交流の発表会の講演会。考えさせられること多し。 -
2)
今日も夕日がきれいだった。
(途中でタイムアウトになり、ここまでで 投稿してしまう。以降は日本に帰り追加。) -
(18)
1月12日(土)
1)朝9時に運動会に参加。午前中 ネット接続の後 暫し眠る。疲れているのかよく眠れた。昼から「運動会」に再参加。黄色優勝。台湾(中国)人たちも参加。
結構 若い人に交じり、楽しめられた。
(乗客の20%ぐらいの人が運動会に「我関与せず、」か。タバコの喫煙グループはあまり参加していない。)
写真は運動会の始まりの時、狭いスペースでよく考えられていた。 -
2)海を眺めていると 錯覚で その先は断崖絶壁のような気分になる。
「船旅に飽きた。」と妻にメールしたら 返事に「これからだ。」と言われた。
写真は午後3時からの「アフタヌーンティー」。気分転換によく利用させてもらった。 -
(19)
1月13日(日)
1)今日も1時間遅れの調整、合計5時間づれた。軽く甲板で体操まがいをする。その時 海に虹が見えた。(写真参照)虹はそれからもよく現れた。
それから ネットの接続後、洗濯物を出し、タオル体操参加。レユニオン島の寄港地情報案内を聞く。よく分からないが 説明は無駄ではない。「大海の孤島」文化的には融合して面白いのだろう。
昼食 (インドネシア料理)隣席の香港女性と話す。香港はやはり中国本土と違うのだろう。世界に目が開かれていると思った。 -
2)
最上甲板でジャグジーを初体験。
温泉気分。熱い湯。独り占め。気分良い。
引き上げるとき 次のお客が来たので 写真を写させてもらう。 -
3)
写真は中国講座の一コマ。日本語との関連で面白く 最終下船まで聴講してしまった。それから 「写真の撮り方」の講座を聞く。
今晩は社交ダンスタイムで船内はウキウキ雰囲気。私は無縁だが。
それから 夕日が沈むときグリーンフラッシュが見えたとか。
夜 上階の甲板に出て 久しぶりに星空を見る。
夜空には星が広がる。多くの人が眺めていた。(後日 南十字星などの説明会があった) -
(20)
1月14日(月)
1)
今日は成人の日みたい。背広姿の若い人を見かける。船内でも何か催しがあったらしい。私は若い人との交流は余り積極的にはしなかった。(残念だが。多分生活時間帯も異なったのだろう。)
写真は 昼食時よく利用した甲板の麺メニュー。この頃から体重コントロールによく利用した。
尚 この頃から 夕食時のレストランでの 服装が規制・指導される。(半ズボン、スリッパの禁止など。)気温が高くなって ラフな服装が横行し、ちょっと歯止めがつかない状況だった。面倒だが やむを得ない。品位を保つことも必要なこと。 -
2)写真は英語中級講座の一コマ。
実践的で私は面白かった。
相方となった人には迷惑だったかもしれないが、
本日のGET中級はうまくいった。 -
3)午後水彩画教室で船内の写生。数年ぶりの写生で上手くはないが 面白かった。
夕食時 ベジタリアンの女性と同席。色んな人がいる。
明日はモーリシャス。10日振りの久しぶりの上陸。楽しもうか。 -
(21)
1月15日(火)
1)朝 ポートルイス港に着く。歓迎の踊り。
ツアーに申し込んでいたので バスで目的地に向かう。
ポートルイスは地方の港町の様相。ハワイの40年前を思い出す。緑が豊かそう。 -
2)
ツアーはバスで1時間ほど行って ボートで島へ。プライベートビーチ。サンゴは白化。無残。アフリカに近いから 暑いと思っていたが涼しい。
海の美しさは沖縄の感じ。 -
3)
プライベートビーチは欧米の感じ。
ボートで沖合に出て 久しぶりのスノーケリングで海水を飲みそうになる。ライフジャケットを着けておいて正解。何とか皆さんに付いていけた。
ネット接続が島で出来た。家族に海の写真を送る。 -
4)
昼飯はバーベキューでイセ海老もどきをたっぷりと食べる。うまい。ラム酒も少しだけ飲んだが旨かった。 -
5)
帰りの道で 広いサトウキビ畑を写す。ラム酒の原料らしい。 -
6)
道沿いに モダンな建築中の建物を見かける。よく見たら中国企業の建設会社の看板。(漢字)こんな小さな島に 中国の進出。「一帯一路」の構想の現実を知る。でも現地には不似合い。 -
(22)
1月16日(水)
1)朝 船はフランス領レユニオン島に着く。緑が目に付く。岸壁から町までは遠い。港の施設内はシャトルバスで移動し、ゲートから マップス・ミーを頼りに 町まで歩く。途中プロムナード風の海岸通り。それから緑のトンネルと続く。 -
2)
なんか南欧風の小じゃれた 観光地の街並み。 -
3)
時間が早く 各店はまだ開いていない。 -
4)10時過ぎに 小さいフランスレストランに行き着き、店は開店前だったが 隣のおばさんにエスプレッソと水を出してもらう。それからWIHI も教えてもらう。11時過ぎに 店の女主人が来て 挨拶。昼飯を頼む。魚料理。(19ユーロー)。新鮮で美味しい。ネットに集中。但し電送スピードが遅いので写真の電送は時間がかかる。
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5)
午後1時過ぎ店を出て 帰りはバスターミナルまで歩き、そこから疲れていたので バスで帰る。バス停にガイド女らしき人がいて 無料で乗る方法を茶目っ気で教えてくれる。途中でスーパーマーケットに寄ることも考えられたが 無賃で乗っていたので 船まで直接帰る。
夕食隣席はマレーシアの女性。向かいの席に北京からの男性。北京の男性に隣の日本人女性が日本語で質問し、それを私がつたなく英訳して マレーシア女性が中国語で北京男性に伝える。何とか意思疎通。面白い経験。
5時の出港予定が 7時ごろ出港。乗り遅れた人がいたみたい。(うわさ。) -
(23)
1月17日(木)
1)
昨日歩きすぎ(約2万歩) 左膝が少し痛い。心配。。午前中 船の避難訓練。ちょっといい加減。実際に起きたら 冷静な避難は難しそう。乗客の老人達のの意固地が目立つ。それから「ドキドキ動物マダカスカル編」を聞く。 午後は「マンデラ生誕100周年」津山直子氏の話を聞く。それから「わくわく寄港地」エホアラ編を聞く。教養主義で 実際的でないが やむを得ないか。そのかわり夜の船内テレビ「グルなび放送」で若干 補完はしていたが。
明日はマダカスカル。無理せずに行こう。 -
(24)
1月18日(金)
1)
朝 起きたら エホアラ港に接岸していた。
船から眺める浜の風景は江戸時代開港前の横浜がこんな感じだったかと勝手に想像できる。岸壁が限られていて 延々と続く天然の砂浜の防波堤に感激。人工物がない。久しぶりに見た。(今回の旅の港で 後背地にこんなに何もない港はここだけだった。) -
2)
テント宿泊旅行や飛行機でバオバブ街道に行く同室者と異なり オプショナルツアーで 私は半日コースのゆっくり近隣散策コースを選択。
(一日独り部屋を占有できている気分。想像以上にリラックスできる。やはりそれなりに 気を使っているのだろう。)
迎えのバスでゆっくり出発。美しい海岸の景色が続く。 -
3)
実際はバスで街中へ進むと 戦後の進駐軍の時代を思い出す光景に出くわす。「ギブ・ミー・チョコレート」の感じの 現地の人だかり なんかどう対応してよいのか私にはわからない。学業中の時間帯のはずだが子供達の姿を多く見かける。 -
4)
バスを降りて 露店を見て歩く。 -
5)
マーケットでは すごい人だかりで バスを降りることはできなかった。店頭には中国製らしき雑貨が並べられていた。食堂らしきものも見えたが ちょっと私には入る気にならなかった。このエリアはマダカスカルでも 遅れたエリアみたい。道路の舗装状態が最悪のガタガタ道。
現地ガイドさんは教養のある 綺麗な日本語を話すのに 仕事がないのだろうか?
バスから市場の雑踏を写す。 -
6)
それから アフリカの感覚いっぱいの「サイディ植物園」に行く。 -
7)
最初私はカメレオン見つけられなかった。(写真の中央)
帰りのバスに戻って乗っていたら 突如 棒の先にカメレオンを載せた少女が差し出してきた。驚く。 -
8)アフリカの花は豪華。でも見る人は少ない。
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9)植物園の近くに ピースボートが支援している村があった。生活する小屋は家畜小屋の類。貧しさが身に染みて伝わってくる。
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10)
バスから 「マダカスカル島に木を植える。」グループの人が地元の人と活動をしている姿を見かける。やらないより やったほうがずーと良いだろうと思った。 -
(25)
1月19日(土)
1)
朝 ゆっくりして10時過ぎ 近くの自然ビーチへ出かける。
現地の子供たちとピースボートの若い男性乗客が浜辺で遊んでいた。嬉しかった。
でも 渚に座っていた日本人の中年女性に手荷物を預かってもらうとして頼んだら断られた。仕方がない。手荷物をもって腰まで海につかる。我ながら変な姿。
浜辺の向こうに ピースボートの船が見える。 -
2)
海岸の広場で臨時のお土産売り場が形成されていて それに寄る。
昨日10ドルを現地通貨3300アリアリに 船内で両替していた。でも お金は使わず。使えない。 -
3)写真は仕方なく購入したお土産品。
サルとカメレオンの木造のおもちゃが1000アリアリ約300円。ネックレスとアンモナイトの加工品で2300アリアリ約700円。持ち帰り 孫が木造のおもちゃを喜んでくれたが。 -
4)現地の招待客が船内訪問していた。客人は思い切り着飾っていた。彼らの一つの良い記憶になれば良いが。(各寄港地で 現地訪問客を受け入れていた。良い交流方法。)
テント宿泊に行っていた人が帰ってくる。満足はしていたが 道路を含め 周辺環境は大変だったみたい。(両名とも お腹の具合を壊していた。)
写真は船内見学の一行。 -
(26)
1月20日(日)
1)
船が少し揺れている。寄港日の翌日は定例の催し物が少なくなり、午前中に 8階の「スターライト」の空きスペースを使い 、スケッチの続きをする。時間つぶしに向いている。(私はこの「スターライト」の図書ブースのような空間を一人になりたいとき よく利用した。)
昼飯はヌードル スパゲッティ。
午後 南アフリカのアパルトヘイトについてジョリアン・トーマスさんの話を機く。そんなに古い話ではない。と思った。
夜アングラ芝居の「田園に死す。」寺山修司 録画を見るが 何か 一方的で録画では雰囲気になじまず。途中で出る。
船酔い、風邪と下痢の体調不良者が増えているみたい。(「船内診療所」へ行った人の話。)
-
(27)
1月21日(月)
波が高く 朝の体操取りやめ。中国語講座の佐野先生も体調不良でお休み。
午前中「勇敢な地~ナミビア」黒人現地女性ロサ・ナミセスの講演を聞く。実体験者の貴重な話。
昼から 英語中級参加。そしてわくわく寄港地講座「ポートエリザベス編」を聞く。(船内テレビでも放送あり。ポートエリザベス港は中心部に近そう。「地球の歩き方」のコピー資料をマップス・ミーの地図データ上に取り込み。現地個人探索の準備をする。(徒歩観光するために 行きたい場所とかを スマフォの地図上で表示。原則として私はこの準備を常にした。)
本日も時間調整。
タバコの席で昨日の水先案内人ジョリアン・トーマスさんと話す。良さそうな人。(水先案内人の方と船内で会話出来るのは 有意義。)
Iさん 4人部屋から二人部屋に変わったみたい。+50万円の費用追加だとか。室内で「紛失」の疑いがあったりすると。でもそれもいいか。
結構 船内で同室者との不仲の話が聞こえてくる。私は基本的にうわさの類には耳をふさぐが。 -
(28)
1月22日(火)
①また1時間調整。久しぶりに 朝の体育時間あり。
遠山直子氏「だから私はアフリカがが好き。」を聴講。先日よりいい話。一つの生き方として共感。
それから 「どきどき動物」とジュリアン・トーマス氏のワークショップ「非暴力コミュニケーションを学ぼう。」に参加。そして 続いて「アルトヘイト後の南アフリカ」を聞く。
講演会の後ろ席の男性が写真機のシャッター音を鳴らし 耳障りになり 注意する。お詫びも無くて それでもシャッター音は続いた。
明日は三日間滞在のポートエリザベス。サファリは一度経験していたので、オプショナルツアーには参加せず 街歩きを中心にするつもり。 -
(29)
1月23日(水)
1)
南ア、ポートエリザベスに着いた。朝飯の時 隣の男性客に言われた「こうして 日本人に囲まれ、日本食を食べていれば、外国に来たという感じがしない。偶に 船を降りて外国の風に当たるだけ。」それもそうかもしれない。
甲板に出て、煙草を吸えば むしろ曇り空で風もあり 寒い。南アのイメージも随分異なる。
この旅はそれを実感しているだけかもしれない。
写真は接岸したオーシャンドリーム号。 -
②街歩きは10時から 前回ショートクルーズで一緒だったS氏と本日は回るることにする。これも縁かな。
街並みは西欧の植民地時代の建物が残り雰囲気を醸し出す。 -
③
観光の目玉 高台の灯台跡に行き付近を散策。付帯する観光案内所の人も親切。
灯台の天辺の回廊までは 狭い階段が怖くて 私は諦める。諦めできるだけ 私も成長したかな、と満足。(実際 旅行中は安全第一を心掛け、臆病なほど危険を回避した。) -
③
更に郊外の公園に向かって歩ていると 白人の婦人から 「スマフォを見ながら歩くのはやめなさい。ポケットにしまって。」同じく首にかけていた「カメラもしまいなさい。」と忠告される。先ほどの観光の目玉地から5分も離れていないが どうも危険な地域に入ったみたい。たしかに 道路沿いの店舗も暗い雰囲気。道路で死んだように眠る黒人少年の姿も見られ 狂気と隣り合わせの緊張を感じる。
その一角を過ぎて 住宅地域に入ったが 普通の民家の塀の上に電流線のガードが設けられているのを見て、南アに来たことを知る。 -
④
たまたま 巡り合ったレストラン(Bridge Street Srewery)は居心地が良く、フリーWiFiの設定もしてくれ コーヒ一杯で長居をする。(日本にライン電話できた。)
道路端の 落書きも芸術作品とも言える感じで 南アの意外性を知る。 -
⑤
船に帰る途中立ち寄った食料品店の人もお客も感じが良く 西欧の雰囲気を感じる。
写真はその食料品店。デザインを意識した建物。
実際途中で立ち寄った 家具屋、土産物店、物産店等と 美意識にこだわった店づくり。フーンという感じ。 -
⑥
元の街の中央部に戻り 安心して散策を続ける。 -
⑦
表通りは ピースボートの乗客の姿も見かけ、安心だが 一歩裏道に入ると 人通りが少なく なんか薄汚い雰囲気。 -
⑧
表通りのスーパーに入り 買い物をして、疲れていたので 昼過ぎ 船に帰ることにする。(スーパーは日本の15年前ぐらいの感じ。)
大体 街の雰囲気はわかったので。 -
(30)
1月24日(木)
1)
朝 ゆっくりして 10時過ぎに船を降り、一人でタクシーを利用し 昨日のレストランに行き、ネットに接続し 安心してまったりする。2時間ぐらいして ネットに突然タイムアウトの表示。店の人に質問したら 「明日来てくれ。」お手上げで 歩いてダウンタウンへ戻る。(フリーWiHiに時間制限あるのかと誤解した。)
写真はそのレストラン。 -
2)
それから街をブラブラした。
途中で現地人から話しかけられ、「中国人か?」と聞かれ、日本人と答えると 何か中国人を否定するようなことを言われる。この地にも中国企業が進出しているみたい。
店を覗きながら歩き、昼飯を食べようと 安心できそうなレストランを探すが 見当たらず。仕方なく地元のファーストフードの店に入り、チキンバーガーセットを食べる。(カロリーだけ高そうなバーガー)。20ランド(160円)。注文の仕方と受け取りは世界共通の方法。むしろ店員さんは異国の私に親切。 -
3)
途中で入ったバスセンターのアーケイド。買いたいものは何もなかった。
今日も レストランを探していて尋ねた男性から「スマフォに注意しろ。」と同じことの注意喚起を受けた。よっぽど狙われやすい風らしい。 -
4)
3時ごろ 船に戻り 初めて 船の「世界湯」に入る。湯温が低くてもう一つ。サウナは懐かしかった。
温泉もどきに入ってゆっくりしたので 脈絡もあまりなく 江戸時代に流行ったとか言われる「お伊勢参り」を思い出した。その伝統を民族的に受け継いでいる我我はこの世界一周の旅もそんなものか、と思った 帰ったら一度調べてみる必要があるかもしれない。
写真はその世界湯。 -
(31)
1月25日(金)
1)
朝10時過ぎ、タクシーを拾い、100ラウンドでボードウォークショッピングエリアへ。途中の海岸線 少し寒くて寂しそう。ただし 開発が進み 発展中。ショッピングセンターはコンペンションセンターとカジノとホテル・レストランの複合併設。白人用の施設のイメージ 黒人客の姿を見かけない。
写真はその海岸側の入り口。 -
2)
池を中央に配し、周辺に各種施設を配する。時間が早いせいか 殆どお客はいない。
レストランでフリーWiHiを接続し、4トラに入力するが 写真は電送できない。慌てて店の人、案内所の人に尋ねるが 打つ手なし。 -
3)
諦めて 各エリアを見学する。買うものは昨日と同じで何も無し。
カジノに入るが写真の通り 殆ど無人。
センターで ピースボートの乗客には沢山会ったが 仕方がないので 昼頃タクシーで例のレストランに行くことにする。 -
4)
三日連続してやってきた日本人客を歓迎はしてくれた。
でも パソコン操作をなんかへまばかりで 作業は進まず。結局私のパソコンのEdgeの問題でタイムアウト。
昼飯にお勧めの牛肉のサンドイッチのようなものを食べる。美味しかった。 -
5)
船への帰り タクシーを使い、途中 マンデラ美術館に寄ってもらう。
写真はその入り口。 -
6)美術館の展示物は 大したものでなかったが こじんまりとして アフリカらしい好感の持てるものだった。
船に帰り 未完成のまま やむを得ず トラベル4に掲載手続き。。
それから 船内でナビアの黒人現地女性のロサ・ナミセスさんと少し話す。 -
(32)
1月26日(土)
1)
朝 小雨、寒い。寄港日の翌日で ゆっくり6時半から食堂オープン。私も午前中はまったりする。明日のケープタウンの情報集め。マップス・ミーに地図情報を入力。それでロサ・ナミセスさんの講演を忘れていた。
午後 英語中級講座に途中まで出て、「わくわく寄港地ケープタウン」の案内を聞く。それから津山直子さんの乗船客との対談に出る。3っ日間のポートエリザベスの訪問体験を経ているので 乗船客の質問も真面目。200人足らずの参加者だったが反省するところ 大。それから「南アのポルスモア刑務所の活動」ジョリアン・トーマスさんの話しを居眠りしながら聞く。
夜 トラベル4原稿の整理をするつもり。明日うまくいけばケープタウンでWIHIにアクセスする時間が取れそうなので。
写真は津山直子さんの対談の様子 -
(33)
1月27日(日)
1)
朝3時半ごろ 船は喜望峰の先端を通過。灯台の光が見えたが あたりはどちらかというと暗闇。わざわざ起きて甲板に出た甲斐はなし。そして寒い。
船は6時前に着岸。6時すぎ日の出ということで甲板に上がる。多くの見物客が出ていた。
写真はテーブルマウンテンの夜明け。 -
2)
朝食後8時過ぎ下船、ウオーターフロントを通り シティサイトシーイングのバスの受付へ。受付で本日のテーブルマウンテンのケーブルカーは運休と聞く。天気が良いのに 何故と聞いたら よくわからない回答。仕方がないので都心周辺観光の黄色コースを選択してチケットを購入。乗ってから 時間が早すぎるので そのままレッドコースでケープタウン一周コースに変更する。
写真はウオーターフロントからテーブルマウンテンを見る。 -
3)
中心部のシティサイトシーイングの乗り換えターミナル。トイレや案内所がありここを利用。
シティサイトシーイングのバスは一方向に運行。最初それに気付かなかった。 -
4)
レッドコースでケーブルカーの乗り場まで行ってみたが 確かに運休中。
3年前の南ア旅行の際も 飛行機便の変更でテーブルマウンテンに行けなかった悔しさを思い出したが仕方がない。 -
5)
バスに乗り続け、ビーチロードのグリーン・ポイントなどは信じられない高級住宅地に遭遇。 -
6)
美しい浜辺の連続に圧倒される。先日のポートエリザベスの環境とは大違い。 -
7)
一周して レッドコースのバスから イエローコースに乗り換えるついでに 案内所に行き どうしてケーブルカーが運休しているのか尋ねたら 運行しているとの返答。慌てて レッドコースのバスにまた乗り ケーブルカーの乗り場へ。 -
8)
確かにケーブルカーは動いていた。あまり待たずにケーブルカーに乗れた。 -
9)
一気に山頂駅へ。 -
10)
山頂付近は遊歩道になっていて 暫し散策。
展望台からはウオーターフロント付近も見え オーシャンドリーム号も見えた。 -
11)
それから 更に一周して イエローコースのバスに乗り換え、都心周辺観光の観光を開始する。
車窓からの観光のあと 最初に向かった博物館は 入口を尋ねた人が本日は休刊日と答えられ 誤って入館出来ず。
次に向かったのが 写真の「南アフリカ国立美術館」。 -
12)
国の威信を掛けた 幅広い展示物。 -
13)
絵画はもう一つだったけれど 美術の捉え方が独特だった。
係の人も親切で バス停まで送ってくれた。(それで 博物館が開館していることを知ったが 戻って歩く元気はなかった。) -
14)
車中から南アの歴史ポイント「デストリクト6」のエリアも見て マンデラ大統領の演説像なども見て イエローポイントの終点からタクシーでウオーターフロントに戻る。もう一度レッドコースのバスに乗り 1時間半をかける元気は残っていなかった。(現金を66ランドしか持ってないと主張したら。タクシーに載せてくれた。)日差しが強く さすがアフリカを経験。 -
15)
一旦 船に戻り 荷物を取り換え パソコンを持って 再度ウオーターフロントへ。「ツアインツアフリカ近代美術館」は一時入場中止で入れず。近くのストランに入り写真の魚のグリル料理を食べる。そこで フリーWiHiを繋ぎ トラベル4の原稿を追加。
7時ごろ船に戻り 夕食。途中で出国審査の呼び出しがあり 落ち着かない。でも皆さん ケープタウン見物には満足しておられるよう思えた。
明日からは大西洋。
(長くなってしまったので 一旦ここまでで終了し。翌日からは(2)として あらためて再投稿。)・・・日本に帰り 追加・修正実施(4/9)
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この旅行記へのコメント (2)
-
- ノスタルジアさん 2019/04/15 08:26:45
- 初めまして、ノスタルジアと申します。
- 一番新しいピースボート地球一周の船旅の旅行記を探していたらアーサー様の旅行記にたどり着きました。内容も実に詳しく本当に参考になります。
私も来年4月9日から7月22日まで第104回ピースボート地球一周の船旅に乗船します。旅行記に書かれているようにほとんどが船中生活なので、5月17日にリスボンで途中下船して、スイス、ドイツ他をユーレイルパスで巡りながら6月2日にベルゲンで再乗船します。6月14日にニューヨークで下船して7月8日にシアトルで再乗船します。その間大陸横断鉄道で、24日間もあるので行きたい所は全て行けるのでは、と計画中です。
以前には2006年(平成18年)4月5日(水)~7月15日(土)のピースボートの地球一周の船旅に参加しましたが、当時と比べて船内生活も相当変化していると思い情報を取っている次第です。
余談ですが、
以下は当時の旅行記ですが、一番の思い出はバンクーバーで途中下船してカナダロッキー山脈沿いをグレイハウンドバスでアラスカのスワードまで行った事です。
https://4travel.jp/travelogue/11176992
- アーサーさん からの返信 2019/04/15 21:47:41
- Re: 初めまして、ノスタルジアと申します。
- ノスタルジアさん
良い計画ですね。ヨーロッパや北米は 交通手段も多く 代替えが可能で 個人旅行も可能ですね。羨ましい限りです。お帰りなったら是非 旅行記を読まさせてください。ただ健康にだけは十分なケアをして下さい。海外の一人旅の 不調は 怖く感じました。(幸いなことに病院に行くような事態は まだ経験していませんが。)
アーサー
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