2018/04/24 - 2018/05/03
31位(同エリア99件中)
アーサーさん
世界一周の旅をしたかった。費用の点から 安いピースボートを申し込んでいた。でも 約90日のクルーズ生活に自信が持てなかった。それでお試しクルーズの意味で 今回の10日間ショートクルーズに乗ってみた。
70歳の老人のピースボート体験記。
当初の計画では
(1)4/24 横浜出航
(2)4/25 クルージング
(3)4/26 クルージング
(4)4/27 クルージング
(5)4/28 青島(中国)
(6)4/29 クルージング
(7)4/30 麗水(韓国)
(8)5/1 佐世保
(9)5/2 クルージング
(10)5/3 横浜帰港 であった。
クルーズの乗船結果として 「色々あるだろうが まぁなんとか行けるかなぁ。」 の結論だった。
写真は「関門海峡」を通過した オーシャンドリーム号
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 船
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-
(1)4月24日(火)
①
昨年の12月 ピースボートから「お客様7万人突破の大感謝(先着100名様全額キャッシュバックキャンペーン)」の案内が届いた。青島・麗水・佐世保寄港の10日間クルーズで 窓無しの4人部屋で89,000円が実質無料になるらしい。電話で問い合わせして 応対にも一安心して 申し込む。
予定している 3カ月間の地球一周クルーズ船内生活の不安もあり 短期間でも 経験しておくのは無駄にはならないとの判断があった。
妻も誘ったが 軽く断られる。
日本籍のクルーズで 横浜発着と言うこともあり 余り旅行の準備もせずに出発当日を迎える。
写真は 横浜大桟橋に係留される オーシャン ドリーム号。 -
②
乗船手続きは午後1時過ぎから始まり、日本語なので 待たされたりするが、流れに委ねて 概ねスムーズ。老人の姿の多さに驚きはした。(私自身が老人だが。)
持参した荷物を室内のロッカーに収納して 甲板に出れば 横浜の街が広がる。 -
③
私が4人部屋の一番乗り。次に乗船した方(広島から参加)が 右側の下段に陣取る。3番目に乗船した方(神奈川から参加)に 「足が悪いので 下段にさせて欲しい。」とお願いしたが 「全員が揃ってから 決めましょう。」と断られる。4番目に乗船した方(福井から参加)は「良いですよ。」と了承して戴く。神奈川から参加の方の発案でベッド位置はジャンケンで「決めよう。」になったが、広島から参加の方が強く主張して下さり、私には左側の下段になり、右側下段を半分の期間で交代利用することになる。私のわがままを認めて戴いた。
それにしても 想像以上に狭く 写真の通り、劣悪な環境だった。ベッドの下段の床との空間にスーツケースを収納するつもりだったが、空間の高さが足りずに 収納できない。 -
④
通路側の左側に 各人のロッカーが並び、ロッカー内部に金庫と2段の引き出し、衣紋掛けなどがある。外に上段に湯沸かしポット、下段にテレビがある。
右側にシャワーと洗面所、トイレがあり、外に小机と椅子一脚。
コンセントは3個利用可能。
70歳前後の男4人が揃うと 座る所も不足する。息苦しく感じる空間。どうしても 室外の共用空間へ出かけることになる。 -
⑤
最初の夕食は 4人揃って 4階のリージェンシーレストランへ。案内されて12人位のテーブルに着く。同席された方々のお話しに寄れば 約半数の方がリピーターの方のよう。(後日知ったが 乗船客の中には 多数回参加経験の方もいらっしゃるみたい。)
食事は 私のような育ちの者には 何の不満もなかった。量も適量でバランスも取れていた。 -
(2)4月25日(水)
①
昨夜は持参した本をベッドで読む等して 過ごす。他の同室3人の方は お酒を嗜まれる方々で 9階の居酒屋「波へい」で楽しまれたみたい。12時頃部屋に戻り眠られた。
朝 7時からの朝食に4人で行き ビュッフェ方式で戴く。
食後 船内探検を一人で実施。船内の大体の配置を頭に入れる。 -
②
海は結構荒れていた。
私は鈍感なのか 昨夜もそれなりに眠れたが 後で聞くと 船酔いに苦しまられた人達もいたみたい。
写真は9階のパノラマバーの辺り。 -
③
同じく9階のリドビュッフェ。こちらでは洋食系の朝食を提供しているようだった。
尚、この船では 朝食、昼食、アフタヌーンティー、夕食の提供時間は定められていて それ以外の時間 食堂は閉鎖されていた。 -
④
スマフォのマップスミーのGPS地図情報を見れば 船は紀伊半島に近づいているようだった。船はやっぱり遅い。 -
⑤
昼食は4階のリージェンシーレストランへ。朝食と同じセルフ方式。写真以外に食後のケーキとコーヒーが付いた。
船も揺れるので お盆を持ってテーブルに運んで行くのが心許なかったが、いつも 船の係の人が お盆を受け取って 案内をかねて運んでくれた。私には有り難かった。 -
⑥
船内新聞が前夜20時半ごろ 船室に配られる。それを見て 翌日の行動計画がたてられる。最初は 盛りだくさんで 見方も分からず、無視していたが 船内でWI-FIを繋ぐ必要もあり、午後「インターネットのつなぎ方」の講座に参加する。
引き続き 時間潰しで 洋上カルチャースクール「初級カメラ教室」に参加する。
(カメラ教室は回を重ねる毎に面白くなり、最終回の5回まで聞いてしまった。) -
⑦
夕食の前に「船長主催のウエルカムセレモニー」があり、途中から参加する。いつものメンバー紹介があり 船長の挨拶後 船の要員は退席する。 -
⑧
それから ピースボートか(株)ジャパングレイスか(その関係は 私には良く分からなかったが。)どちらかの主催のショーがあり、最後に客の何人かも壇上に上がり
YMCAを歌って 終了した。 -
⑨
夕食はウェルカムディナーでワインも出て、おしゃれな格好の女性もいて 華やぐ。御夫婦で参加の方もいらして お幸せそう。
食後 同室の3名の方は 居酒屋へ。私はベッドで本の続きを読み眠る。 -
(3)4月26日(木)
①
朝 起きたら 海は静かになっていた。豊後水道の辺りを船は航行しているようだった。 -
②
昨夕 インターネットカードを購入して スマフォとパソコンではネットの接続は成功していた。但し、WI-FIは不安定だった。
この海域では AUの回線は繋がって スマフォの利用は可能だったので 接続して 時間潰しをする。
四国の佐多岬の辺りが見えてくる。 -
③
後方デッキでは ラテン系の音楽が奏でられていた。
この前後(記憶は定かでは無いが)に 「船の不都合があり、青島寄港は断念し、釜山で修理寄港する」旨の 船長放送があった。
何となく 船の進み具合が遅いなぁの感覚もあった。ちょっと 青島では予定していたこともあって残念だが、「お任せします。」の気分。 -
④
午後3時頃 船は関門海峡に差し掛かる。11階のサンデッキには多くの人。 -
⑤
橋を遠ざかっていく 海峡を眺めていたら 下関側に巌流島が現れ、船内放送の案内があった。武蔵と小次郎の銅像らしきものが見え 思いがけず得した気分。 -
⑥
夕刻 スマフォにも飽き、前日の続きのカメラ教室を受講。カメラも奥が深いなと感心する。結構聴講者は多い。
船内では 早朝から深夜近くまで 各種の催し物が行われていた。体育系はヨガ教室・卓球広場・ダンス教室・等など。音楽系は合唱・楽器の練習・演奏会など。娯楽系は麻雀・将棋・囲碁など。社会啓蒙系では水先案内人の時事講演会。個人娯楽では洋上シネマ・図書室利用。
約1000人の乗船客のため 人気のある会場は満席になりやすい。自分の心地の良い船内居場所・催しもの広場を見つけるのは大切だと思った。 -
⑦
夕食は海鮮どんぶり風。写真以外にはまぐりのお吸い物がついて 満足。
夕食後 8時過ぎから 居酒屋「波へい」で同室の方との懇親会へ。私はジュースを飲み、10時頃1次会はお開きととして 煙草を吸いに下に降りた。約5,500円の支払いはベッド下段占有のお礼として私が支払った。2次会の場所と聞いていた「バイアーラウジ」に2度ほど行ってみたが 居なかったので 私は部屋に戻りベッドに入った。 -
(4)4月27日(金)
①
深夜 1時過ぎ広島出身の方が 部屋に戻ってきて 神奈川から参加の方がお店で酔い潰れて 眠ってしまい 店の人に介護を頼み、もう一人の福井の方は 他の部屋の方と口論になり、自分一人で部屋に戻ってきたと 説明される。それから 神奈川の方が 店の人達に送られて戻って来て、後ほど福井の方も戻って来て、二人が口論らしきものになり、間に入った私を越えて、神奈川の方が福井の方を押して、はしごと共に倒れ、仕方が無いので 船の人を電話で呼ぶ。複数の人が部屋に入ったり出たりで 全員ベッドに入ったのは 早朝4時頃。泥酔い者の爆発的で不規則な いびきの多重奏に悩まされながら 私も眠っていた。
7時過ぎ いつものように起き、一人で朝食に行く。
写真は 8階後方の喫煙所。ここでの聞き耳で 諸々の情報を入手できた。私には貴重な場所。 -
②
船首の方向に 釜山の街が見えてくる。
約50年前に 関釜フェリーから この景色を見たはずだが おぼろにしか思い出せない。(高層ビル群は当然なかった。) -
③
ゆっくり 10時半頃 船を下り、釜山に上陸。
その前に 船内でWI-FIを接続し、南北首脳会談が順調に始まったことを知る。一安心。
シャトルバスで釜山駅まで送って貰い。歩いて繁華街(南浦洞)に向かう。同室の福井の方と同じ行動。 -
④
突然の釜山訪問で 観光知識も無く 「市場」が何となく記憶にあったので
「国際市場」を頼りに そこを目指す。
繁華街と思われるところも 日本の建設中の地方都市の感じ。ちょっと お店に立ち寄る気になれない。 -
⑤
尋ねながら 行った「国際市場」は 最初は電機部品の店舗の一群。それから雑貨品店の一群。写真の衣料品店の一群。安いことは安いだろうけれど あえて買って帰るものでも無い。
昼過ぎになり、食事にでもと思ったが 同行の石川の方の賛同を得られない。それで 喫茶店に入り、コーヒーとサンドイッチを頼み、WI-FIを繋ぎ、スマフォの情報を得る。それから タクシーでクルーズターミナルに戻る。 -
⑥
少し歩き疲れて 船に戻れば 食堂は終了の閉鎖中。9階のデッキから見渡せば 新しいターミナルビルの横に 関釜フェリーが見える。
南北首脳会談は友好的に進んでいるみたい。
歴史的な日に 釜山に居る偶然に 勝手に意味も無く ちょっと喜ぶ。 -
⑦
昨夜の睡眠不足が応えたきたので 自室のベッドで少し微睡む。
同室者の方からは それなりの謝罪があり、お詫びの一席を設けたいとの申し出もあったが、丁寧にお断りする。
釜山港の出入りを眺めていると 随分経済活動は活発のようだった。
それから 夕食前に 引き続き写真の教室に参加。 -
⑧
夕食は お膳形式の和食。
(数度 お膳形式の和食があったが、私には食べ慣れ親しんでいて 嬉しかった。)
明日も釜山観光なので 今日の皆さんの行動結果を教えて貰い、明日の観光を考えた。 -
(5)4月28日(土)
①
朝10時頃 昨日と同様にシャトルバスで釜山駅へ行き。地下鉄の一日乗車券を購入。
両替を頼んだ若い駅員さんは親切。写真の販売機まで来て購入してくれた。 -
②
昨日水産市場を見なかったので、取りあえず チャガルチ駅まで行く。
地下鉄内で 若い人は席を譲ってくれたが 中年のおばさんには 席の獲得競争に敗れてしまった。
日本と変わらない車内風景。 -
③
駅を降りた所にあったスーパー。野菜の値段を見たら 安いことは安いが 日本とほとんど変わらず。全体に違和感がない。 -
④
水産市場の小売り店舗。行き交う人は観光客が多そう。調理して その場で食べさせてくれるレストラン併設の店が見られたが 時間的にお腹が一杯で利用しなかった。 -
⑤
それから 西面駅で2号線に乗り換え、大淵駅に向かう。
(前日に クルーズターミナルの観光案内所で「釜山ガイドマップ」を手に入れておいた。)
駅舎内のコーナーに 小さな庭の造作物があった。金魚の泳ぐ池などの手作り感が日本と似ていると思った。 -
⑥
駅から15分位歩いて、「釜山博物館」へ向かう。
街は 大学などもある街のためか 土曜日のためか随分落ち着いた感じがする。
道を尋ねて答えてくれる人も親切。 -
⑦
釜山博物館の正門から 博物館の建物を写す。予想していたより大規模な博物館。 -
⑧
日本語の説明もあり、韓国側も 釜山と日本との関係、文化などの交流を重要視しているのが分かる 展示資料内容だった。 -
⑨
展示されていた「弥勒菩薩半跏思惟像」は日本との共通性を感じ、像の様式は間違いも無く朝鮮から伝わってきたものと知った。
朝鮮通信使の絵巻物も 日本に帰ったら 調べてみても良いかなと思った。 -
⑩
2時間ほどたっぷり見て 満足し、ティールームでコーヒーを戴く。
多分 同じクルーズ船からの見学者の方々数組が来ていて 館内で出会った。 -
⑪
少し考えさせられて 屋外展示の石像に送られて 博物館を後にする。
時間も有って 近くのUN記念公園に行く計画もあったが 面倒になり 釜山駅へ地下鉄で戻り、直ぐ来たシャトルバスに乗って クルーズターミナルに戻る。
部屋でシャワーを浴び さっぱりする。 -
⑫
早めの夕食(和食膳)を食べ、6時半からの講演会「ボクと朝鮮半島」に参加する。昨日の首脳会談の録画テレビニュースの映像もあり、平和への期待も高まるが 論議できるほどの材料は無いというのが私の判断。将来の統一に向け 一歩でも、半歩でも試行錯誤できるような環境作りを 隣国として見守っていきたいと思った。今は その日本の立ち位置を確認する時かと思った。 -
(6)4月29日(日)
①
今日は 麗水への終日航海日とか。釜山から麗水まで そんなに遠くないのにと思っていたが 館内放送に寄れば 麗水の停泊に支障があるみたい。
朝ゆっくりと船は釜山を出航して、麗水に向かう。
写真は 8階の共用スペースのソファーのところ。WI-FIも繋がり、一人になりたいとき ここをよく利用した。
-
②
午前中 時間を持て余し (「北朝鮮の脅威」のカラクリ)東京新聞 半田滋さんの話を聞きに行く。
ネットサーフィン方式で拾い読みをしているとの違い、じっくり 時系列で整理され それなりの専門家から話を聞くのは面白かった。ただ 頭が半分眠っているのか 記憶に残らなかった。
クルーズ生活は家事手伝いの作業から解放されて楽だけれど、老齢ゆえに頭もついでに楽をしてしまっている。流されてしまっている。(自戒) -
③
昼食は9階のリドビュッフェで洋食のハンバーガーもどきを食べた。
一日当たり 1万円以下のクルーズ費用しか支払っていないのに それを忘れて 咄嗟にハンバーグをもう一枚お皿に取ってしまった。年寄った「団塊の世代」の行動の典型。ちょっとでも有利に、感情・欲望の趣くままに、みんなと一緒にのパワーを利用して、その行動典型は今更変えれないが 多分他世代からみたら 美しくはないだろうと思う。
この船の乗船客は「団塊の世代」の同窓会のよう。私を含めて「ガキ老人」が多すぎる。勿論 そうで無い方も沢山いらっしゃるが。 -
⑩
午後はカメラ教室に2回参加して、夜 若い方の4年間の陸上自衛隊経験談をお聞きした。私には貴重なお話しだった。
通りかかった通路から ダンスをされている方々の姿が見えたので写真に撮る。洋上では 毎夜どこかで ダンスの練習やパーティが開かれていた。幸せな風景なのだろう。 -
(7)4月30日(月)
①
本日は麗水観光の日。
「麗水歴史観光散歩」のツアーを申し込んだつもりだったが、何故か「麗水アクアプラネットと悟桐島観光」に変わっていた。バウチャーを受け取ったとき 気づかなかった私が悪いので そのまま 朝10時前にツアーに参加する。
写真は麗水クルーズターミナル。麗水は数年前に海洋博が開かれていて そのことは知っていたが 初めての訪問。山に囲まれ それほど大きな街ではなさそう。 -
②
観光バスの中のTVでは 南北首脳会談関連のニュースが 延々と流されていた。
ガイドさんの説明では 「期待と不安」を述べられていた。それが正直な所だろう。
南北両国民の期待実現を少しでも増やし、不安を少なくして 朝鮮半島の安定化が図られるのがるのが 隣国日本にとっても大切なことに思われた。 -
③
バスは港を出発し、近くの「万聖里」黒砂ビーチへ。
松林が少し残り 海水浴場の露店もどきが残り ちょっと季節外れの風景。
台風がよく上陸するところらしい。 -
④
それから 「アクアプラネット」へ。結構大きな施設で 韓国の家族連れで賑わっていた。
1時間近く見学。 -
⑤
それから 昼食会場へ。太刀魚料理の韓国食事コース。量は凄かったが、料理に繊細さは無かった。 -
⑥
食後 地元の商店街を自由散策。アーケードの下に展開される露店、韓国のおばさんパワーに驚く。たくましい。
商店街の若い夫婦がやっている海産物店で お土産に「いりこ」を求める。片言の日本語も話し 真面目そうに思えたので 値段交渉も適度にして買った。 -
⑦
それから 悟桐島に行き 最初に噴水ショーを見る。ガイドさんに連れられ 灯台のあるところまで散策。椿のシーズンはほぼ終わっていた。 -
⑧
悟桐島の岸壁から 麗水の街を写す。オーシャンドリーム号も見えた。
海洋博のイベントも終わり、麗水の街もどことなく、寂しさが漂っていた。
海も 思っていたほど綺麗ではなかった。 -
⑨
それから 船にバスで送って貰い、乗船した。
乗船客には 車椅子利用の方、杖などの歩行介護用具を使われる方が散見された。年老いて身体に不都合が出てきても 積極的に社会に参加していく姿勢、受け入れてくれる環境整備は大事なことだけれど 我が身を考えれば いつかその終点が遠からず来るのだろう。その心の準備がまだ出来ていないことを思った。 -
⑩
夕食は刺身・天ぷらのお膳形式の和食。美味しかった。同席された方との会話も楽しかった。
ただ 時に ラウンジで座っているときなどに 話しかけられ、クルーズの不満、ピースボートスタッフへの苦情の同意を求められるときがある。話すのもパワーがいるが 聞くのもそれなりのパワーが必要な年齢に私はなっている。面白くも無い話しを耐えて聞く 寛容さはもう少なくなっている。
エコノミックアニマルと言われ、経済成長を旗印に世界に出て行った我々の世代は それなりの (こうして クルーズ生活を楽しめる程度に)豊かさを手に入れて 下り坂を下りて行っている。確かに将来の漠然とした不安はあるが、それはいつの時代も同じこと。
巨大な不満の源泉を マーケットの創出に結びつけた 我々「団塊の世代」のその経済方式は 日本ではもう終わっている。
私の中にも「クレーマー」の要素が残るが ちょっと違うところで 残りの人生を生きたい。 -
⑪
岸壁では 麗水の人々の「出港式」の踊りが披露されていた。
デッキから眺め下ろす私の立場は 何らかのお金を麗水に払い、「ショボい 見世物だなぁと」評価する立場。でも本来は お互いに「別れを惜しむ さよならの」人間関係の儀式。
考えれば ピースボートは若者の世界交流の場の提供が目的とか。普通のクルーズの乗船客で 対価を支払い サービスを受ける関係だけとは異なる。「クルーズ生活を 共に作り上げて行く。」姿勢が大切なのではないかと思った。
(若者の行動・経験を支援して、年寄りは参加させて貰っている気持ちを忘れずに。) -
⑫
夜は山田厚史氏の「アベノミクスって何だろう?」を聞きに行く。正直 経済評論としては面白くなかった。
でも 翌日以降 同氏の講演や対談を 引き続き3回聞くと 教えられることが多かった。年取ると 自分の経験に固執し、異なる考え方を学習する柔軟性に欠けてくる。面倒になってくる。 -
⑬
講演後 デッキに出てみると 2隻のタグボートが ピースボートを引っ張っていた。珍しい風景。
明日は日本の佐世保。時の経つのは速い。 -
(8)5月1日(火)
①
朝食を食べ デッキに出てみると 遠くに写真の軍艦が見えた。(手前側に数隻の自衛艦が係留中。)佐世保には米軍基地があるはずだったので 米軍の空母かと思った。ところが 回り人の話を聞くと 自衛隊のヘリ空母らしい。8時になり、全ての艦船に 旭日旗も掲揚され、確認された。結構壮観。
後ほど 佐世保のレンタカー店の人に教えて貰ったが ゴールデンウィーク休暇中で 多くの艦船が帰港しているとか。 -
②
本日はツアーに参加せずに 学生時代の友人が参画している 西彼杵半島の「音浴博物館」へ レンタカーを借りて行く。約50年振りの再会で楽しみにしていた。
写真は途中の新西海橋。手前には大村湾。景色も良い。 -
③ 長崎市との境に近い 大瀬戸町の山の中にその「音浴博物館」が静かにあった。入り口を下っていくと新緑が綺麗。
-
④
再会した友人の説明に寄れば 旧雪浦小学校開拓分校が昭和51年廃校になり、一時日赤ベトナム難民救護施設として利用され その後H13年から音浴博物館として利用されているとか。 -
⑤
旧校の施設には 多くの蓄音機などの古い機材が展示されていた。 -
⑥
SPレコードが約10,000枚。LPレコードなどが15万枚 と膨大な量。
私も 昔 レコードを捨てたことを思い出していた。 -
⑦
そして 各種スピーカーセットが15個。入館者の方は 自由にスピーカーとレコードを選んで音楽に浸ることができる。
「手回し蓄電機や真空管アンプの奏でるアナログの音に浸るタイムマシーンの世界」
音痴の私にも 雑音が入ったようなアナログの音に何か懐かしさを感じた。8時間も聞き続けた人の気持ちや 滂沱の涙を流した人の気持ちが分かった。 -
⑧
15時までに 船に帰る必要があり、残念ながら ゆっくりはできなかった。
ただ 朽ちていくものを それなりに生かして 最後まで生かし続ける営みを貴いものと思った。都会の中の施設では無く 山奥の廃校の跡地でひっそりと 待ち続けるのも ありかなと思った。
共に昼食を西海橋の近くでとって 友人とは別れた。
写真はその西海橋。 -
⑨
船に帰り、9階のリドビュッフェでアフタヌーンティーを戴く。 -
⑩
佐世保も出港式を小雨の降る中やってくれた。デッキから手を振り続ける乗客も多かった。
夜 南相馬市の前市長「桜井氏」のお話しを聞いた。熱いお話しだった。
それまで原町が南相馬に変わったことを私は知らなかった。迂闊。
何時の日にか 南相馬の街を訪ねてみたいと思った。 -
(9)5月2日(水)
①
本日は終日航海日。海も低気圧が来て また少し荒れてきそう。
明日の下船を控え、同室の方も 片付け中。私も見習う。
購入していた クーポンの処分も 各人各様にそろそろ行っている。
私は 煙草の購入でなんとかなりそう。免税扱いもあるのか一個に付き 100円位い安い。 -
②
終日 各種講演会に参加して時間を潰す。手軽に聞きに行ける。
最初は桜井氏の復興の話し。
次は山田氏のイタリア 「五つ星運動」の話し。
それから 若い金氏の「在日コリアンって なぁーに?」
それなりに 参考になった。
年老いても 学習する楽しさはある。それを生かす時間は少ないけれど。 -
③
最後に 若い方の自主企画「シリアの魅力と現実」を聞きに行く。
よく勉強はされているが どうしても 伝聞知識が中心になり その権威付けの表現がまだ若い感じ。でも 若い人の目で世界を見て これからも我々老人にも教えて貰いたいと思った。
講演の前から空調の具合が悪く、狭い室内は暑かった。 途中で 失礼だがシャツを脱いで一枚になった。老人の厚かましさと臨機応変性も必要なことだろう。 -
④
最後の晩餐は少し豪華なフルコースだった。 -
⑤
記念にメニューを写す。
(船員の皆様 美味しかったです。有り難う。) -
(10)5月3日(木)
①
横浜港帰港の朝。
同室の方で部屋に戻らぬ方も居た。ラウンジで寝たみたい。
私はそれなりのマイペースで眠り、起きた。
(持参していた 耳栓が有効だった。) -
②
最後の日も 船内では15時近くまで 各種の催し物が開かれていた。
写真は 私の参加した 片岡氏の「世界遺産TOP10」の説明の様子。
ピースボートの巡航コースと関連づけて面白かった。 -
③
会場は満席で みなさん好奇心の強い方々と思われた。
それから 同じ会場で 引き続き 山田さんと桜井さんの 選挙の敗北のお話を聞く。敗北をして何を考えられたのか面白かった。選挙の敗北の恒例挨拶では無く 次に繋がる考察だったと思う。 -
④
最後のランチの後 デッキに出てみると
東京湾の入り口 第二海堡?と 第一海堡?を初めて間近に見る。
ここにも数奇な歴史の一コマがが残っていた。 -
⑤
それから部屋に戻り 荷物をまとめ
もう一度 デッキに戻ると
やがて
横浜ベイブリッジが見えてくる。
世界一周から帰って来たときは どんな気分になるのだろう?
と 思った。 -
⑥
そして
ベイブリッジをくぐった。
小さく ホッとした。
充分に眠れない、身近に他人がいる、そして何よりも老人の短気な気質、どこかでストレスの原因になっていたのだろう。 -
⑦
横浜の街が見えてきた。
今回の予行演習のようなクルーズ 経験してよかったと思う。
準備するものも自分で分かったと思う。
(ネット上にも 持ち物の参考になる記事があることを 後刻知った。)
あとは 乗船の日まで 体を維持するだけかな。 -
⑧
予定より早く15時半頃 オーシャンドリーム号は無事に横浜大桟橋に接岸した。
それから お世話になった お礼の挨拶をして下船した。
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