2018/06/24 - 2018/06/24
12位(同エリア73件中)
かっちんさん
明治23年(1890)から105年間に渡る「炭鉱の時代」を築いた歌志内(うたしない)。
昭和23年(1948)に本市最多の4万6千人を記録しました。昭和40年代に入ると、石炭産業の不振から閉山が相次ぎ、また過疎化の一途をたどり、人口減少に拍車をかけ、平成27年には3,585人となりました。
函館本線砂川駅と歌志内駅を結んでいた旧歌志内線は、昭和63年(1988)4月に廃止になりました。
歌志内には炭鉱遺産として、旧空知炭鉱倶楽部、旧住友上歌志内炭鉱の映画館(悲別ロマン座)が残されています。
歌志内郷土館「ゆめつむぎ」には、実際に炭鉱で使われた機械や道具、旧国鉄歌志内線の思い出、昭和30年代に家庭で使われた生活用具などが展示されています。
炭鉱閉山を乗り越えた歌志内では新たな町づくりとして、ヨーロッパのアルプス地方に似た景観を活かし、「スイスランドうたしない」がスタート。街のあちこちでスイス風の建物を見かけます。
歌志内市の隣の赤平(あかびら)市では、茂尻炭礦、豊里炭鉱、住友赤平炭鉱、赤間炭鉱が開坑し、昭和20年代に最盛期を迎え、平成6年(1994)の住友赤平炭鉱の閉山により約100年に及ぶ炭鉱の歴史に幕が下ろされました。
赤平市内には旧住友石炭赤平立坑、坑口浴場、ズリ山階段、北炭赤間炭鉱原炭ポケットなどの炭鉱遺産が残されています。
なお、旅行記は下記資料を参考にしました。
・空知総合振興局「そらち炭鉱のまちガイドマップ」
・歌志内市「市の紹介、人口」「平成27年国勢調査結果」「郷土館」
・道の駅「うたしないチロルの湯」
・日本マンホールの蓋学会「歌志内市のマンホール」
・北海道文化資源データベース「大正館」
・歌志内市郷土館
・鉄道ホビダス「編集長敬白アーカイブ、気象告知板」
・徳江茂氏「きっぷの話」交通ブックス
・磯兼雄一郎氏、こひつじの家「転轍機標識」
・赤平市「赤平市の炭鉱遺産」
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
歌志内行きのバス
歌志内へのアクセスは、函館本線砂川駅と根室本線赤平駅を結ぶ「中央バスの上砂川線・歌志内線」があります。
午前中、上砂川町を訪れていたので、ここからバスで歌志内へ向かいます。 -
「中央団地入口」バス停
バスは上砂川町から文殊峠を越えて歌志内市に入り、中央団地入口で降ります。 -
ペンケウタシュナイ川
市内を西に向かって流れる「ペンケウタシュナイ川」は、歌志内の地名の由来になっています。 -
道の駅「うたしないチロルの湯」
「チロルの湯」の表玄関に建つ道の駅です。
地元特産品コーナーでは30種類以上の漬物を販売し、軽食レストランでは地元名物の「なんこ」料理の定食やなんこ丼が食べられます。
場所は旧歌志内線の西歌(にしうた)駅~神威(かもい)駅間に位置します。
歌志内市では、スイスランドの自然豊かな景観をイメージさせるような、スイス風の景観づくりをかもい岳山麓、公共施設や個人住宅のデザインに取り入れており、道の駅はそのうちのひとつです。 -
なんこ定食(道の駅)
「なんこ」は産炭地で食べられていた料理で、馬の腸を柔らかくなるまで煮込んで味噌で味付けしたもの。
ここで昼食にします。 -
在りし日の歌志内駅(道の駅内に展示)
旧歌志内線の終点駅です。 -
炭鉱全盛期の住友上歌志内炭鉱(道の駅内に展示)
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「歌志内市街」バス停
再びバスに乗り、旧歌志内線の歌志内駅に近いバス停で降ります。
ただし、歌志内駅は現在残されていません。 -
歌志内周辺の地図
「歌志内市街」バス停は大正館の前にあります。
これから周辺の歌志内郷土館「ゆめつむぎ」、悲別ロマン座を訪れます。 -
デザインマンホール(歌志内)
青い空をバックに雪を頂く神威岳とスイス風にデザインされたかもい岳温泉、かもい岳スキー場のセンターハウスの建物が描かれています。 -
イチオシ
レンガ造りの大正館
大正9年(1920)に建てられた酒店のレンガ造りの蔵を平成6年(1994)に改築し、生活骨董を収蔵・展示しています。 -
歌志内郷土館「ゆめつむぎ」
この建物もスイス風建築のひとつ。
明治時代から炭都として栄えた歌志内の歴史や文化を映像や豊富な資料で紹介する郷土資料館です。
炭鉱で使われた採炭機材、道内で二番目に開通した鉄道「歌志内線」の設備、暮らしの生活用具(次の旅行記で紹介)が展示されています。
では館内の展示を紹介します。 -
歌志内駅名標
郷土館の玄関を入ると、まずこの駅名標が目に入ります。 -
イチオシ
歌志内線の思い出コーナー
明治24年(1891)に沿線の炭鉱から産出される石炭の積み出しのため北海道炭礦鉄道の手で開業しました。
その後、国鉄、JR北海道に引き継がれ、炭鉱の衰退に伴って輸送量が減り、昭和63年(1988)4月に廃止されました。
歌志内線(砂川~歌志内)の駅は、砂川市に砂川駅・焼山駅、歌志内市に文殊駅・西歌(にしうた)駅・神威(かもい)駅・歌神(かしん)駅・歌志内駅がありました。 -
時刻表と運賃表
運賃表に残されている昔の駅名を探してみると、千歳空港(現、南千歳)、増毛(留萌本線の廃止駅)、幌加内(深名線の廃止駅)、斜里(現、知床斜里)。
当時の駅名の駅を通り、旅をしたことを思い出します。 -
きっぷ売場
硬券を収納している乗車券箱が見えます。 -
木製の神威駅改札ゲート
平成11年駅解体の際に保存されたものです。 -
改札鋏と廃線記念スタンプ
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鉄道気象告知板
かつて通信手段が限られていた時代、地方気象台からの通報をもとに、各鉄道管理局が「鉄道電報」で各運転現場に伝えられた気象告知です。
現場はただちにこれに従った「気象告知板」を掲出しました。
円板の地色は警戒内容によって4種類に分けられており、風に関するものが「赤」、雪に関するものが「緑」、雨に関するものが「青」、その他が「橙色」です。 -
カーバイトランプと最近の合図灯
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制帽
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国鉄時代のきっぷ
昭和40・50年代の乗車券、急行券、定期券など -
JR北海道時代のきっぷ
歌志内線は昭和62年4月1日に国鉄分割民営化によりJR北海道へ移管。
乗車証明書、オレンジカード、車内補充券、定期券、回数券など。 -
きっぷ
往復乗車券、手回り品切符、準常備乗車券、車内補充券など。
準常備乗車券は、1枚の乗車券に着駅がたくさん印刷してあり、旅客の目的地の駅名の下で裁断して発売する合理的なきっぷです。 -
きっぷ
来駅記念証明書、入場券など。 -
通票閉塞器
単線の駅間でタブレットを受け渡し、列車運行を制御する設備です。 -
転轍機(てんてつき)標識
線路を分岐させる転轍機(ポイント)の状態が、定位であるか反位であるかを表示しています。
青地の円板に白い横線は定位を示しています。夜間は青色灯が点灯。 -
機関車標識灯
蒸気機関車の後部につける標識灯です。 -
さらなら列車
昭和63年に走った歌志内線のさよなら列車。 -
さよなら歌志内号のヘッドマーク
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次は炭鉱関係の展示コーナー
住友歌志内炭鉱の坑内従業員募集ポスター。 -
歌志内礦
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炭鉱で使われた道具
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救援隊の用具
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「炭鉱の縁起かつぎ」と「おもしろ炭鉱用語」
ご飯にみそ汁をかけてはいけない・・・みそ汁で崩れたご飯が落盤を思わせるから
汗をかく・・・坑道の枠木に水滴があると、近くで自然発火が起きている可能性がある、など -
炭鉱の実物機械・道具類展示コーナー
地下1階に展示されています。 -
8トン蓄電車+水平人車
蓄電車は坑内の各レベルで人車や炭車をけん引していました。
水平人車は通常15~16両連結します。 -
炭車(たんしゃ)
6㎡の石炭(又はズリ)を積み、水平坑道では石炭35両、斜坑では石炭7両、ズリ5両を連結しました。 -
先頭車(種車・タネトロ)
斜坑巻揚げ用ロープを坑底まで、たるみなくおろすためのおもり(コンクリート片等を積む)として単独で使われました。
昇坑の際は、これに炭車を連結します。
では郷土館を後にし、町なかを散策しながら悲別ロマン座へ向かいます。 -
イチオシ
旧空知炭鉱倶楽部「こもれびの杜記念館」
この建物は明治30年、北海道炭礦鉄道が空知炭鉱の社員合宿所として建設したものを起源とします。
昭和29年から接待専用の倶楽部となり、平成7年の閉山を迎えるまで数多くの来賓を歓待しました。
炭鉱全盛期を偲ばせる建造物であることから、平成10年に西洋風の本館と数寄屋造りの別館を修復し公開しています。 -
イチオシ
スイス風建築の集合住宅
東光地区改良住宅です。 -
イチオシ
悲別ロマン座
旧住友上歌志内炭鉱の映画館として昭和28年(1953)に開館。
テレビドラマの「悲別ロマン座」として撮影が行われました。 -
倉本聰の「昨日、悲別で」
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ルピナスの群落(悲別ロマン座)
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緑に映えるオレンジの花(悲別ロマン座)
コウリンタンポポです。 -
「赤平消防署」バス停
再びバスに乗り、赤平に到着。
赤平は豊かな炭田に恵まれ、昭和13年(1938)には豊里、住友、赤間に大手炭鉱が進出し、急速に炭鉱開発が進められました。
戦後は日本の経済復興の原動力として、目覚ましい発展を遂げ、昭和20年代に最盛期を迎えました。 -
旧山田御殿(バス停前)
戦後の炭鉱隆盛期に山田組を創設し、売炭、運搬、炭鉱経営などの事業で、一代を築いた山田三郎氏。
昭和26年に出身地の良質な秋田杉を使い、木造2階建て85.5坪の自宅を建築しました。
炭鉱全盛期を象徴する邸宅として、「山田御殿」と呼ばれて来ました。 -
旧住友石炭赤平立坑
昭和38年(1963)に完成した立坑は深さ650m、内径6.6m、櫓の高さ43.8mです。
昭和30年代に入り、地下350mから上の炭量は20年間の稼行で枯渇し、さらに深部開発が必要になりました。
深部開発による出炭と従業員の搬送のスピード化が望まれ、住友石炭赤平炭鉱はビルド鉱となり、平成6年の閉山まで立坑が31年間稼動しました。 -
坑口浴場
当時、立坑とは地下歩道で繋がってり、仕事を終えた鉱員はここで汗を流しました。
浴槽は大きなもので20㎡ほどあり、合計で5つありました。 -
北炭赤間炭鉱の選炭工場跡
「選炭工場」では、採掘現場から産出された石炭に混じる不純物を取り除き、品質別に選別する作業を行います。
赤間の選炭工場は、昭和16年(1941)に建設され、現在は原炭ポケット(採掘された石炭を一時保管する施設)の一部が残されています。 -
日本一のズリ山階段
北炭赤間炭鉱から出るズリ(不要な岩石や廃石)を、ズリ山の頂上にある巻上機でワイヤーをドラムに巻き、ズリを満載したスキップ(トロッコ)を山の頂上まで引き上げ、ズリを堆積していました。
ズリ山は標高197.65m、平均斜度18度。
赤間炭鉱閉山後、平成2年にズリ山に設置した777段の階段は日本一のスケールです。 -
イチオシ
ズリ山中腹から眺める赤平立坑
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根室本線を走る列車(ズリ山中腹から)
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ズリ山の展望広場
777段の階段を途中休みながら上がりました。 -
眼下に広がる赤平市街(展望広場)
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遠くに芦別、十勝岳(展望広場)
芦別も炭鉱の町だったところです。 -
滝川行き快速
赤平駅からは根室本線快速で滝川へ向かいます。
今晩の宿は昨日と同じ旭川の東横インです。
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