2017/09/27 - 2017/09/27
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frau.himmelさん
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シェンゲン協定のシェンゲンを訪れて、今夜の宿泊地ルクセンブルクに戻ってまいりました。
ルクセンブルクは神奈川県ほどの小さな国。
なのに、一人当たりのGDPは常に世界一という大変裕福な国です。
古い街並みと要塞群は世界遺産にも登録されている美しい国でもあります。
ところがここに至るまでのルクセンブルクは、近隣諸国の思惑で支配国が次々に変わり、とても複雑な歴史を持つ国でした。
私たちにとって今回のルクセンブルクは旅の繋ぎの国。
10年前にも訪れていましたので、ちょっとだけ観光すればいいかなと思って1泊しか予定しませんでしたが、詳しい歴史を知るにつれ、ああもう1泊すればよかったなーと後悔しました。
私にとっての収穫は、ガイドブックには出ていませんでしたが、歴史的に興味があった世界遺産の「ヴォーバンの防衛施設群」で名高い軍事建築家のヴォーバンが、ここルクセンブルクの要塞にも関わっていたこと。
これを調べ上げた時はうれしかったですね。
なお、私たちは、観光時間もそんなに取れないことから、シニアの心強い味方、ミニトレインで回りました。
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シェンゲン協定のシェンゲンを訪れて、バスでルクセンブルクに帰ってきました。
ルクセンブルク中央駅。
1859年に建てられた歴史建造物です。
時計塔の時計が4時を指しています。
早くホテルに行って、レセプションに預けっぱなしの荷物を部屋に入れなければ。
ホテルは駅前のBest Western Hotel International。 -
受付で荷物を受け取って部屋に入る。
明るくこじんまりとしたなかなかいい部屋じゃない?
薄型テレビに冷蔵庫と金庫、それにポットが付いているのも貧乏旅行の私たちにとっては高得点。 -
窓を開けるとそこから間近に駅の情景が見えます。
駅近も我々シニア夫婦には高得点。
*後日談*
ところが帰国してクレジット支払いを確認すると、2重請求が成されていたのです。急いでJCBに連絡して処理していただきましたけど、こんな間違いもあるのですね。
時々確認しなければいけませんね。 -
さて、ルクセンブルクは1泊だけだから、早く街に繰り出しましょう。
ホテルのフロントで旧市街には何番のバスに乗ればいいか聞いて、駅前からバスで向かいます。
何たって市内乗り放題チケットがあるのだから使わなければ勿体ないわよね。 -
駅前からバスでアドルフ橋を渡ると、教えてもらったバスターミナルにはすぐ着きました。
目指すギョーム広場はどこ?
全くルクセンブルクの地図がわからない2人はまたもや揉める。
さっさと先を行く夫を後ろから追いかけながら、
「本当にこっちでいいの!?」猜疑心全開で後ろから声をかける。
「じゃー先にいってよ!」と夫。
こうしているうちにギョーム広場に着きました。
「ほーら、やっぱりこっちだったでしょう?」、夫の勝ち誇った声。 -
「じゃー、ミニトレインはどこから出発するの?」
「わかった、そこの観光案内所で聞いてくるよ。」
気分がいい夫はギョーム広場の一画に(i)マークの観光案内所を見つけて入っていきました。
面白くない私はベンチに座って待つことに。 -
市庁舎
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市庁舎の後ろからノートルダム寺院の塔が頭を覗かせています。
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観光案内所から出てきた夫、
「早く早く、今からなら5時半のミニトレインに間に合うから。」
そう言いながら、またもやさっさと先に行く夫。 -
ギョーム広場のギョームさんの騎馬像も後ろ姿しか撮れません。
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夫の後ろ姿を追いかけつつしばらく行くと、ミニトレインが見えてきました。
ここはボックの砲台の上。
正面に見える廃墟は「虫歯」と呼ばれているそうです。
ここから出発します。 -
グリーン色の爽やかな車体。
ルクセンブルクの地図が描かれています。
後方に見える塔はサンミシェル教会。 -
チケットは1人10ユーロ、10時から18時まで30分毎に出ているようです。
今度の5時半出発は最終の1つ前です。
ミニトレインの名前は「ペトリュス・エキスプレス」。
ルクセンブルクは緑深いペトリュス渓谷の岩山に築かれた要塞都市、それでこの名前が付けられました。
ペトリュスエキスプレスはボックの砲台の下に広がる美しい谷底の地区「グルント」を走ります。 -
私たちを乗せて出発したミニトレインは、石造りの古い橋の下をくぐります。
ルクセンブルクは橋の多い街です。
このルートでいくつもの橋が出てきますのでどれがどの橋か混乱します。 -
ミニトレインは谷底へと降りていきます。
ルクセンブルクに10世紀ごろ、ボックフェルゼンの岩山に小さなお城が築かれました。
ルクセンブルクという地名は「小さなお城」という名から来ているのだそうです。
最初にできた要塞の上に、いろんな建築様式で造られた美しい街並みが見えます。 -
ルクセンブルクは14世紀には、ボヘミア王、ハンガリー王、それに神聖ローマ皇帝を4名も輩出する名家に成長し、公国として認められるようになります。
-
しかしその繁栄も長くは続きませんでした。
今で言う放漫経営の付けが回り、15世紀以降は近隣の国々の支配下に入ります。
ブルゴーニュ公国に身売りされ、ハプスブルク家領となりスペインやオランダの支配下にも。 -
ヤコブの塔の下をくぐります。
◆
17世紀にはフランスに支配されます。
ルイ14世は要塞を拡張し、さらに堅固な城砦に仕上げます。
ヤコブの塔はフランスの要塞でした。 -
18世紀にはオーストリアが支配します。
最初に築かれた岩山に穴を開けて、砲台を設置しました。
チロルの軍隊がスイスのチーズのように岩山を穴だらけにした、と言われているそうです。 -
ここに岩山へ入る階段が。入り口なのでしょうか?
岩山の中には全長22㎞にも及ぶ地下要塞が張りめぐされ、現在はそのうち17㎞が残されているそうです。
この地下要塞は「ボックの砲台」と呼ばれ、中を見学することができます。 -
1815年ウィーン会議が開かれました。
ナポレオン戦争後のヨーロッパの秩序を再建するために開かれた会議でしたが、「会議は踊る、されど進まず」。
その会議でルクセンブルクの行く末も話し合われました。
その結果、ドイツ連邦に加盟しながらもオランダ国王を大公とするルクセンブルク大公国となりました。 -
ペトリュス・エキスプレスは、緑に囲まれた渓谷の先に見えるボックの砲台と、出発点で見えた廃墟の「虫歯」が見える道路に出ました。
-
そして向きを変えると・・・。
-
鉄道橋の向こうに近代的な高層ビルが見えます。
ルクセンブルクは今や世界でトップクラスの金持ち国なのです。
世界一人当たりGDPランキングでは、長いこと常にトップの座を維持しているのです。
あの丘の上の高層ビルは、欧州司法裁判所、欧州投資銀行等の欧州連合の機関が建ちならぶ地区、キルヒベルク地区です。 -
1815年のウィーン会議で大公国にはなったものの、ドイツとフランスの戦い(普仏戦争)や二つの大戦であちらこちらと変遷し、一時は永世中立国になったり、ナチスドイツに併合されたりと、決して順風満帆ではなかったルクセンブルクの歴史。
どうしてここまで富裕国になれたのでしょうか?
それは1960年代の鉄鋼危機の後、金融立国へと政策転換を図ったのが功を奏したのです。
◆
ミニトラムは天井部分もガラス張り。 -
ミニトラムはグルント地区の下の小路を走っています。
私たちは一段高いところに建っているサーモン色の大きな建物を眺めています。
上から眺めたり下を眺めたり・・忙しいです。 -
そしてトラムがアルゼット川に差し掛かると、なんと素敵なこの景色!
下からボックの砲台の上に建つサン・ミッシェル教会を見上げたところ。 -
車道ギリギリに岩石が迫っています。
-
見上げると、断崖の上に環状城壁が繋がっている。
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高架橋が見えてきました。ここにも城壁は続いています。
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高架橋(Viaduc)、全長290m、高さ45m。
橋の上ではミニトレインに手を降っている人の姿も見えます。 -
橋の下をくぐります。
高架橋を下から見上げると、結構迫力ありますね。 -
ノロノロと走るミニトレインの背後には、従者を従えるように後続車が繋がっています。
-
橋の上に出てきました。
下はペトリュス渓谷。 -
ミニトレインは、ヘアピンカーブの坂を登り、ショッピングセンターなどのビルが並ぶ街中にやってきました。
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高架橋(Viaduc)を渡り始めます。
橋の上からは、深い緑に囲まれたペトリュス渓谷と、古い街並みが見えます。
この景観素敵ですね。 -
この高い塔のまるでお城のような立派な建物は欧州投資銀行。
さすが国際金融の国ルクセンブルクです。
こちらは駅の方面。 -
そして反対側は下の町の可愛い家並み。
緑深いペトリュス渓谷を中心として下の町と上の町、ルクセンブルクの魅力はここにあるのでしょうね。 -
私たちのペトリュス号は憲法広場へと向かっています。
-
ノートルダム寺院の前を通って・・・
-
憲法広場。
-
私たちに手を降ってくれる着ぐるみのバナナたち。
何かイベントでもあるのでしょうか? -
憲法広場には第一次世界大戦の戦没者慰霊塔が立っています。
塔の先端には、黄金の女神(ゲレ・フラ)が、月桂樹の冠をうやうやしく捧げ持っています。 -
あっあの橋がアドルフ橋!。
今回はなぜかアドルフ橋の写真は撮っていないと思ったけど、ここに小さく写っておりました。
◆
アドルフ橋
高さ43m、全長84mの石造りのアーチ橋。
1900年から3年掛けて完成しました。
ルクセンブルクの旧市街と新市街を結ぶ街のシンボルとも言うべき橋です。 -
10年前(2007年)に訪れた時はちゃんと写真を撮っておりました。
やはりアドルフ橋がないルクセンブルクは気が抜けたビール(?)のようなもの。
昔の写真を引っ張り出してきました。 -
街中に入ります。
突如見つけた怪しい日本語、あわててカメラを向けます。
『極度乾燥(しなさい)』。
最初、日本のビール、スーパードライの宣伝かと思いました。
でもそれにしても、あの日本語はなに・・・。
なんと、イギリスのファッションブランドですって。
今年の旅行(6月)でもプラハかどこかで見かけました。 -
再び鉄道橋と、欧州議会事務局などの高層ビルが並ぶキルヒベルクが見える場所にやってきました。
もうまもなく終点のボックの砲台上に到着です。 -
もう一つ重要な橋を忘れておりました。
ルクセンブルク大公夫人シャルロットにちなんで名付けられた「シャルロット橋」。
高さは75m。
ルクセンブルクの主要産業であった鉄鋼が使われています。
この橋を有名にしたのは、なんとここが自殺の名所だったから。
100人以上の人がここから身を投げて自殺したそうです。
今は自殺防護柵が造られています。 -
ミニトレイン、ペトリュス号は私たちをこの美しいグルント低地を臨むボックの砲台で降ろしてくれました。
この景色、ルクセンブルクの観光写真でよく見ますね。
ノイミュンスター修道院文化会館とサンジャン教会。 -
サンジャン教会。
隣接するノイミュンスター修道院と同じく1606年に建てられました。 -
教会横を流れるペトリュス渓谷。
背後にヤコブの塔が見えます。
あちらは17世紀にルイ14世によって築かれたフランスの要塞でした。
後日撮りためたルクセンブルクの世界遺産のDVDを見ていたらこんな解説がありました。
「ルイ14世は要塞専門の建築家を派遣して砦や兵舎を築かせた」と。 -
「要塞専門の建築家」で思い出すのは、世界遺産「ヴォーバンの要塞」で名高いヴォーバンのこと。
もしやルクセンブルクのこの要塞もヴォーバンが手掛けたものでは?
調べてみました。
やはりヴォーバンはこの要塞を再建、拡大しておりました。
そればかりか、軍人であったヴォーバンはルクセンブルク包囲戦 (1684年)でルクセンブルクの包囲を指揮し、勝利を収めていたのです。
旅行の中で知ったおぼろげな線が点と結びつく、なんとうれしいことではありませんか。 -
ここには当時1700人余りのフランス兵士が駐屯していたそうです。
その後フランス軍はここを足掛かりにしてトリーア(ドイツ)に進軍し、トリーアも占領したのです。 -
ボックの砲台の展望台。
この下は断崖絶壁の城塞になっています。
18世紀オーストリアの支配時代、地下にたくさんの砲台を設置した地下要塞を作りました。 -
展望台から見えたシュロスブリュッケ(城の橋)。
さっきあの橋の下を通ったのかしら? -
ここから地下に降りて、ボックの砲台の地下要塞を見ることができるようです。
何世紀もの長い間、ドイツ、フランス、スペイン、オーストリア、オランダと複数の国に支配され、翻弄されてきた要塞都市ルクセンブルク。
今はその要塞の上に摩天楼のようにヨーロッパ連合の様々な超高層ビルが顔を覗かせています。
『ルクセンブルクの新と旧』、その歴史に思いを馳せながらボックの砲台を後にします。 -
ボックの砲台の近くに中央駅行のバス停を見つけました。
疲れちゃった、ここからバスで駅まで帰りましょう。 -
バスを待っている私たちの傍を、今日最終のミニトレイン・ペトリュス号が通り過ぎます。
後ろから相変わらずたくさんの車を従えて・・・。 -
あれは大公宮じゃない?こちらはノートルダム寺院、そしてどこからもよく見えた銀行の塔。
ルクセンブルク市内観光は、結局車窓からの展望ばかりになりました。 -
駅構内の「オーバーヴァイス」。
市内に本店があり、ルクセンブルク大公家の御用達ブランドです。
ここはチョコレートやケーキ類が有名なのですが。
もしかして・・・。
今回の旅のサブテーマ、幻の「ミラベルトルテ」はないかしら?
ナンシーでもメッツでも見つけられなかったし・・・、期待して入ります。 -
残念ながらやはりありませんでした。
でも似たようなアプリコットトルテを買って、ミラベルトルテの代用にします。 -
パンも売っていましたので、お昼に引き続きパンを買って、今夜の夕食とします。
ホテルにポットもあるし、足りなかったらカップラーメンでも。
美食の街ルクセンブルクを訪れているのに、なんと貧しい夕食。
毎日胃薬のお世話になっているシニア二人にとっては、もうこれで十分。
結局ラーメンはまたまたスーツケースのコヤシになってしまいました。
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この旅行記へのコメント (6)
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- travelさん 2021/10/28 13:53:49
- ルクセンブルク
- frau.himmelさん、ミニトレインで回るルクセンブルクはゆっくり市街を観光出来るのでいいですね。
私はブリュッセル中央駅からの日帰りのルクセンブルクでしたのでさっと市街を散策しただけでじっくり見て回れませんでした。
frau.himmelさんの旅行記で見れなかったスポットをじっくり見せていただきました。
ティラナとオフリドの旅行記に訪問頂き有難うございます。
オフリドでは1泊か2泊するか迷ったのですが2泊でじっくり見て回れのんびり出来たので良かったです。
travel
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- ぶどう畑さん 2018/07/18 11:27:50
- ルクセンブルクにはいろいろな思い出が…
- himmelさん
ぶどう畑です。
ルクセンブルク、私も一泊しました。
KLMをアムステルダムで乗り換えて、ルクセンブルク空港というルートでした。
1999年の7月ですから、カレコレ20年前?ひぇ~!
旧市街のホテルに泊まったので、ちょっと歩けば大公宮殿などがあり、夕方の散歩はとてもよかった!
その夜は、ホテル前の公園でイベントがあって、バンドの演奏などもあり夜遅くまで賑やかでした。
普通なら喜ぶところですが、日本からの到着日で、早く寝て疲れを取りたいのに、ウルサイというのが正直なところで、おまけに昼間の熱気がこもって、部屋が暑くて、暑くて、参りました…。(泣)
翌日曜日、観光トラムに乗ろうと思ったら、市民マラソン大会があって、なかなか出発しなかったり。
日曜日でお店は閉まっているし、ルクセンブルクは、ちょっとついていなかったなぁ…。
でも、グルントの景色は今でも心に残っていますよー。
素敵な街ですよね!
- frau.himmelさん からの返信 2018/07/20 23:33:56
- RE: ルクセンブルクにはいろいろな思い出が…
- ぶどう畑さん、こんばんは。
返信が遅くなってごめんなさい。
昨日から山梨の方に行っておりまして先ほど9時ごろ帰ってまいりました。
懇意にしている山梨の果樹園さんから、桃が美味しくなったよーって連絡がありまして、ついでに1泊して帰ってまいりました。
毎年この果樹園さんの桃を首を長くして待っている友人たちがいるものですから。
立派な桃でしたよ。ぶどう畑さんにもおすそ分けしたいくらい。
ところでぶどう畑さん、20年も前にルクセンブルクには足を踏み入れていらっしゃるのですか〜?
随分早くからいらっしてたのですね。
しかも旧市街のホテル、立地も最高ではありませんか。
その最高の立地が災いした・・?
でも羨ましい、大公宮殿等旧市街を十分堪能できて。
私はルクセンブルクは2007年と昨年の2度目。
実は2007年もミニトレインで1周しただけ、旧市街はまともに観光していないのです。
美食の街ルクセンブルクで美味しいものも食べなかったし、一体何をしに行ったのでしょうね。
ところでひところ噂になった(?)ミラベルトルテって、私が今回食べたアプリコットトルテに似ていますか?
来週からドイツに行ってきます。
ぶどう畑さんが20年前にルクセンブルクにいらっした同じ7月、暑いでしょうね〜。
この東京の、生命にかかわる暑さに比べると、少しはまともでしょうか。
himmel
- ぶどう畑さん からの返信 2018/07/21 11:49:54
- RE: RE: ルクセンブルクにはいろいろな思い出が…
- himmelさん
ぶどう畑です。
モモと言えば、勝沼。暑くなかったですか?
行ってくだされば、モモをいただきにいつでも馳せ参じましたのにー。(^^)
ルクセンブルク、当時は、フランス語の少しできる後輩とよく旅行をしていました。ルクセンブルクはベルギーとの組み合わせでした。
彼女のご希望で、行先はフランス語圏。おかげで、ニューカレドニアにも行ったり。でも、フランスに行ったのは、現地集合した1回だけかな。
でもね、ドイツに行こうと言っても「うん」とは言わないんですよ。
それで、一人で行っちゃえと。(笑)
実は、ミラベルの時期、時差が大きい場所への旅行は避けてます。
時差ボケが辛いので、ただでさえ暑くて眠りが浅い時期は、帰国後に辛いので…。
ミラベルは、アルザスでジャムを買っただけですが、実がサクランボ程度の大きさみたいで、色はアプリコットより薄いようですね。
来週からドイツ、羨ましいー!
ドイツも日本ほどではないけれど、結構、気温が高いようです。
どうぞお身体に気をつけて!
-
- norisaさん 2018/07/17 06:34:33
- ヴォーバンの防衛施設群
- frau himmelさん
おはようございます。
ルクセンブルク、3年前にオランダ、ベルギーを訪ねた際にも立ち寄りたいと思った国でした。
でも時間が足りず断念。
人によってはそれほど面白くないとのことですが、歴史を知ればここも重要かつ興味深い国ですね。
ヴォーバンの防衛施設群という世界遺産のひとつでもあるのですね。
今や平和そのもののこの国も要塞化されるほど緊張した欧州の歴史に組み込まれていたことを知りましたーー。
この国、なんでいつも豊かなのかな?と疑問に思っていました。
なるほど金融で儲けていたのですね。
イギリスやスイスとも似た、いやそれ以上に金融に依存する国でしたかーー。
さて、シニアとおっしゃても仲睦まじいご夫婦のご様子。
道の正誤をめぐってじゃれあっている姿がほほえましいです(笑)
とはいえホテルの二重請求などのトラブルもあり、旅は油断なりません。
我々も時々やる部屋食。
確かにずっと外食だと胃にこたえる欧米食ですよね。
カップラーメンは我々も愛用品です(笑)
次はいずこへ?でしょうか?
norisa
- frau.himmelさん からの返信 2018/07/18 21:48:21
- RE: ヴォーバンの防衛施設群
- norisaさん、こんばんは。
> 人によってはそれほど面白くないとのことですが・・・
私もその一人でした(笑)。
10年前にも一度行ったし、今回もさっと観光すればいいかなーと。
結果はミニトレインに乗っただけ。まともに観光していないのですから、それは後悔もしますね。
一番行きたかったのはあの丘の上の高層ビル群。
そうです、金融で儲けた銀行のビルが建ちならんでいるあのキルヒベルク地区。
あの自殺の名所だった長い橋を渡って(もちろんバスで)行くのですが、あそこは行けなくて残念でしたね。
あの城塞、ヴォーバンが関わっていることを知って小躍りしました。
だけどその後、ヴォーバン・ルクセンブルクで調べるといろいろ出てくるのですね。
な〜〜んだ、私一人が喜んでいるだけなのかって。
ヴォーバンも多くの要塞を作っていますからね。
ちなみに、ルクセンブルクの要塞は、ヴォーバンの世界遺産の中には入っていないらしです。
ホテル二重請求は初めての経験でした。
後日クレジット会社から電話があり、あのホテルに問い合わせたけど、返事がないとのこと。
一か月以上返事がなければ支払う必要がなくなるので、2件とも私に返却することができるのですが、どうしますか?って。
そこはやはり、1件分は使ったことは間違いないので1件分だけ返却してくださいって、優等生の返事をしましたが、こんなまたとない機会、2件とももらってしまえばよかったなーと黒い欲望が沸き上がりました(笑)。
norisaさん、今度はセゴドンの奄美大島ですね。
本当に東奔西走、身軽く動いていらっしゃいますね。お二人ともスマートでいらっしゃるから。
奄美の青い海を見せていただいて、ひととき暑さを忘れました。
himmel
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