2018/04/11 - 2018/04/15
8597位(同エリア11182件中)
明石DSさん
旅の朝、青空こそ最高!
予定無きハワイの一日がスタートする
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ハワイ・オアフ島
真珠湾を訪ねる
2018:平成30年4月11日(水)~4月15日(日)
3泊5日
3日目:4月13日(金):晴れ後雨
ホノルル散策
2018.平成30年4月13日(金)
■ホノルルでの一日
昨日の真珠湾戦跡巡りで私のハワイ旅行の目的は達し、「さあ今日はどうしよう・・・」だった。幸い今日もカーテンを開ければ空は青空、朝風呂に入って昨日同様日本から持参のパンを食べて腹ごしらえ。出掛ける準備が出来、8時過ぎに部屋を出た。
ホテル前のフォートデラッシー公園の散策からスタート。ここには「戦跡の歩き方」で紹介されているように軍関係の慰霊碑などが点在されている。それを見つけるのも私の楽しみだ。
http://sakurasakujapan.web.fc2.com/main02/hawaiioahu/area21.html
442連隊戦闘団二等軍曹「ロバート・T・クロダ」の記念碑を見つけた。このホノルルで六男として誕生。1943/昭和18年、兄に倣って志願とある。兄たちは無事に戻って来たのだろうか?
フランス戦線で21歳の若さで戦死、名誉勲章が授与され『支援艦の7番艦(LSV-7)は、クロダの功績を称えるため「ロバート・T・クロダ軍曹」と命名されている。』
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
-
まずはGateway Hotel前の
フォートデラッシー公園の散歩から
ロバート・T・クロダ軍曹の記念碑 -
1944年10月20日、第442連隊戦闘団の二等軍曹
クロダ(21才戦死)は、フランスのブリュイエール近郊で
独力で敵の機関銃の砲床を破壊するも狙撃手に殺害される -
午前8時36分のカラカウア通り
すでに観光客の人出も多い
ハワイ旅行者数
「2016/日本人は年間137万人で前年並み」
ちなみに同年、シナ人16万人、韓国人は20万人
まだ今のところハワイは日本人観光客が圧倒している
https://www.kujiraclub.com/data
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■“レアレアトロリー”に乗る
公園の散策後、HISの“レアレアトロリー”に乗るためにカラカウア通りを歩く。オアフ島滞在中ここを行ったり来たり。8時40分頃ロイヤルハワイアンセンターのバス乗り場に着いたら沢山の人がコース別に並んでいた。
初日に乗った「ダウンタウンコース」に乗って「ニコスピア38(Nico's Pier38)」に行くことにした。あてもなく、そこが何か?知らなかったけど。
http://www.lealeaweb.com/trolley/downtown.html
定刻9時にバスは出発、満席、通路は立客で一杯。バスから見るホノルルの風景は、通りを歩く人たちも観光客で溢れ、テーマパークの如し。
この一帯だけは非日常の世界がある。東京ディズーニーランドやUSJも一度だけだが行ったことがあるけど、それに等しい感あり。 -
HIS“レアレアトロリー”乗り場
初日に乗ったダウンタウンコースで端まで行くことに
やはりダウンタウンコースが一番人気のようだった -
ダウンタウンコース
-
遊びに来た人たち日頃は何を?超満員でバスは発車
といってもアラモアナ・センター直行客が多いけど -
バスの乗客に手を振る人
“オバチャン”グールプもハワイで遊ぶ
当たり前だが、亭主共はお呼びでない -
オバマに続き、将来米国に黒人大統領誕生はあるのか?
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■オバマの壁画
ガイドさんに教えられバスからオバマの壁画の写真を撮る。今の“Google・Mapストリートビュー”の写真はまだ建物(The Gary Galiher Law Building)に壁画は描かれていない
https://goo.gl/maps/YhrczxcbNTo
ケニア人黒人男性と白人女性との混血であり、見た目も黒人のオバマが大統領選挙で、まさか本当に選ばれるとは思っていなかった。
オバマの父親バラク・オバマ・シニアはケニア人。ケニアで18才で結婚、1959年米国留学が叶い、第二子を宿している妻を置いて渡米。1961年ハワイ大学在学中に既婚を伏せて二度目の結婚、その女性がオバマの母親:アン・ダナム(白人)
父:オバマ・シニアは、ハワイ大学卒業後、ハーバード大学院に入学、ユダヤ系アメリカ人と三度目の結婚後、1965年ケニアに帰国。財務省の上級エコノミストになるも大統領との確執で職を解かれケニアでの要注意人物なった。そして1982年ケニア・ナイロビで交通事故で死亡46才の若さだった。 「えっ暗殺かも?」
母:アン・ダナムは、オバマ・シニアと離婚し、オバマ二世を育てながら1967年インドネシア人と再婚ジャカルタに引っ越す。オバマ二世に父親違いの妹誕生。1972年夫と離れ子供を連れてハワイに帰国その後離婚。1995年ガンで死亡(52才)。
オバマ大統領の両親の経歴には驚く。自由と言えば自由かもだが二人とも身勝手な生き方をしてるとしか思えない。これでは子孫はルーツは複雑で「一体自分は何者?」自分のアイデンティティーも定かではない。移民国家米国ならではの大統領就任だろう。
それぞれが独自の種を維持し、それによって個性が生まれ、独自の文化が継承できる。他とのいろんな違いがあり、その良き面を堅持して行くことこそ互いの健全なる成長に繋がると信じる。
混じり合ってしまえば世も末だ。何もかもが面白くない。日本人だけでも地球人類の未来の為に血統を大切にし日本文明を未来に継承して欲しい。 -
オバマは一体何人?
オバマの家族も家系もゴチャゴチャだ
米国は移民の作った国だが、日本は違う
日本は日本の良さを頑固に守り続けてくれ! -
Google・Map”
オバマの壁画
https://goo.gl/maps/YhrczxcbNTo
今の“ストリートビュー”にオバマの壁画はまだ描かれていない -
常夏のハワイに日陰を提供、ちょうどいい樹
この樹が「侵略的外来種」とは・・・。
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■「ニコス・ピア38」まで
車窓から『米国ハワイ州では侵略的外来種に指定されている』という「モンキーポッド」「日立の樹」「ガジュマル」等々私には良く分からない木が公園に日陰を作っている。CM「日立の樹」は北海道で実際に見た。
http://www.hitachinoki.net/profile/history.html
(抜粋)『侵略的外来種とは、外来種の中でも、移動先で分布拡大したときに、在来種の絶滅につながるおそれがあるなど、とりわけ生態系や人間の生活に大きな影響を及ぼす生物を指します』
熱帯性気候のハワイに日陰を作る木なので、この樹があった方が良いと思うけど・・・。バスは「ホノルル美術館」→「ハワイ州庁舎」→「出雲大社前」→「チャイナタウン」と走る。今日も出雲大社参詣客が沢山降りた。
チャイナタウンからすぐに左手にタワーが見えた。タワーのことは知らなかった。上に昇れそうなので、それを見て帰りにこのタワーに寄ろうと決めた。そして残った乗客も「ニコス・ピア38」の停留所で下車、私も降りた。「ここは何処?」・・・で、何もわからず。とりあえず次のバス時間まで散策しようと辺りを歩く。
「Nico's Pier 38」はシーフード・海鮮料理店で波止場の前にある。この辺りは「オアフの築地」と言われているそうで、屋根にカジキマグロの模型があったりだけど市場の喧騒も、人の往来もなく静かな波止場をぶらついただけだった。 -
ハワイ州庁舎
庁舎の前に立つダミアン神父像
ダミアン神父(1840年 ? 1889年)はベルギー出身の宣教師
モロカイ島で、ハンセン病患者のケアーに生涯を捧げ
自らもハンセン病で命を落とした。享年49才 -
ニコス・ピア38」の停留所
「Nico's Pier 38」はシーフード・海鮮料理店
何か食べようと入店するも、要領分からず出た -
オアフ島の漁港
すでに漁を終えたのか?
様々な漁船が港内にひしめいていた -
この辺りは「オアフの築地」と言われているようだ
カジキマグロの模型が屋根の上を飛んでいる -
なんでこんな長~い連節バスが必要なの?
ホノルル市内もそんなに広い道とは思えない
こんな長いバスでの右左折は難儀だろうに
前後車両満員の連節バスを見たかった
なかなか壮観だろうなァ~
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■アロハタワーを目指して
30分後に来た二便のバスに乗って次の停留所「ダウンタウン・サウスキング通り」で降りた。目指すはアロハタワー、どこに行っても高い所から街全体を見渡すのが一番の楽しみでもある。今自分がどんなところにいるのか分かりたい。
http://business.nikkeibp.co.jp/atclcmp/15/279811/080700014/
ウォーカー公園から道を渡れば正面にアロハタワーがある。『1926/大正15年/昭和元年に港湾の管制塔として建てられ当時最高層。20世紀の始め海を渡って来る人たちが船から目にするハワイの海の玄関でありその象徴でもあった。』ここでアロハ・オエの演奏とダンスで出迎えていたそうだ。
賑やかだったこの場所も航空時代の幕開けでさびれしまい、今は静かに立っていた。近づけばタワーの前でテントを張って地元の学生らしき男女の一団がイベント開催なのか?受付をしていた。
タワーの玄関に警備の制服着用の“オバチャン”が座っていて入場無料だが手荷物検査がある。エレベーターの脇に英語の「Welcome」と日本語で「アロハ そして ようこそ。展望デッキ営業時間 毎日午前9時 午後5時」と年季の入った日本語の案内表示があった。
しかしこのタワーは「1924年の排日移民法成立まで約22万人がハワイへ渡っている」ということで日本人の移民が禁止された2年後に完成している。このエレベータの日本語表示も戦後日本人観光客が来るようになってからのものだろう。
「英語と日本語のみ」で、その他の文字はないのが嬉しい。このホノルルにはチャイナタウンがあるが、観光客は日本人が圧倒的に多かった。案内表示にも歴史の変遷を感じる。「エレベーター収容人員6名」とこれまた日本語表記の古~い古~い年代物エレベータに乗って上に。
そこで二人の同世代日本人夫婦と偶然同じになり一緒に展望台へ上がる。「どこからですか?」と、互いになんやかんや話したが記憶にない。老いて夫婦でハワイ旅行は良いものだ。私の家内は海外旅行などまったく興味なく毎年一回友達数人と国内旅行が至上の喜び。だが行った場所も忘れている。
「それなら遠くに行かずに、近くでいいホテルに泊まって美味しい物食べてる方がええんちゃうん?」と言っても「アカン、電車やバスで遠くに行くことがえんんや」と言う。一応それが旅というものか?
展望台からの眺めはやはり素晴らしい。どこでもそうだけど、何で高い所から周囲が一望出来れば気分が良いのか?高所恐怖症だから不安定な場所、例えば柵のない崖の上では眺めより恐怖が先立つ。安全ならば高くても気分よく見れる。そして眼下の景色がスラム街だらけでも素晴らしい景色として見える。
何で?見下ろす気分の良さ?自分の今の立ち位置が分かることの安心感?周囲が見れて天敵から襲われない安心感?何か分からないけど、知らない場所に行けば高い所から見たい。そしていつも満足感に浸ることが出来る。なんで?
青空と青い海が広がり風もなく、気が付けばここはハワイ!向こうの方には真珠湾の空もある。零戦や97式艦攻が乱舞し、敵戦艦の爆発炎上の様子が想像できる。神国日本、帝国陸海軍の雄姿は日本人の誇りだ。一敗地にまみれ、今は属国として舐められているがいつの日にか再生を果たす。展望台で15分、下界に降りる。 -
アロハタワー
1926/大正15年/昭和元年 建造
高さ184フィート(約56m)
神戸市ポートタワー 高さ108m
1963/昭和38年 俺13才の時建設
どちらも港のシンボル、海の玄関 -
タワー前で学生らしき集団が
何やらイベントでもあるだろう -
“オバチャン”警備員が一人
手荷物検査があった。入場料ナシ -
エレベーター横の案内表示
アロハ
そして
ようこそ
年季の入った英語と日本語のみの案内表示 -
高層ビル林立の東方向の景色
-
北太平洋の真ん中辺りに点在するハワイ諸島
ハワイ諸島は19の島および環礁
総面積は約28,313km2
オアフ島:1,545km?
東京都:2,190.93km?
オアフ島は東京都の70%ほどの面積 -
10階展望台には観光客がボチボチ
ここに観光客が少ないのは不思議
私はいつも高い所から訪問地の景色を見たい -
真珠湾方向を眺める
あの空の上を・・・。
当日このタワー展望台から何が見え何が聞こえたのか?
日本軍戦闘機が飛び交う様子は?
アリゾナの爆発は?
魚雷命中後の爆発音は? -
『かってタワーから山に向かって、Fort Street(フォート・ストリート)があり
その一帯が繁華街で、映画館やレストランが並んでいた。
そしてホテルが建ち並ぶHotel Street(ホテル・ストリート)と交差していた。
今、Fort Streetは歩行者専用道路等になっている』 -
アロハタワー展望台より最後に真珠湾方向を望む
-
チャイナタウンで中華料理店を探したが見つからず
角地の赤レンガの F?・te(フェイト)という店に入る
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■ F?・te(フェイト)で昼食
チャイナタウンで昼食をと中華料理の店を探してグルグル歩くも見つけること叶わず。結局20分ほど歩いてしんどくなって入った店は「 F?・te(フェイト)」。角地に建つ赤レンガの店。
https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g60982-d10228085-Reviews-Fete-Honolulu_Oahu_Hawaii.html
一人なのでカウンター席に座った。メニューを見ても英語だし写真もないのでどんな料理か分からず。ホットドッグのような物を頼んで食べた。ハワイのチャイナタウンにあるアメリカ料理の店。店員はみんな愛想が良い。ハワイに来て感じるのはみんな親切で対応にも笑顔がありホッとする。
食後散歩がてらに「ロス ドレス フォーレス (ダウンタウン店)」に入る。品揃えも置き方も国が違えば違う。人も少なかったので“ゆとり”もより感じた。店を出てダウンタウンの露店が並ぶ歩行者天国を散歩した。
https://child-tabi.com/ross-dress-for-less/
トイレに行くためもう一度店に入りなおしトイレを探す。絵文字を見て分かった。「Rest room」と書いてある。ふ~ん帰国後(アメリカ英語 …… restroom イギリス英語 …… toilet, bathroom)ネット検索は鬼に金棒。
“レアレアトロリー”に乗る為に「ダウンタウン・サウスキング通り」の停留所に戻った。帰国後“Google・Map”を見れば、ここから徒歩12分で出雲大社、8分で「カメハメハ大王の像」がある。 もっと歩き回りたかった。
“レアレアトロリー”が時刻表より1分遅れの12時23分到着、凄い!お客さんも座席に8割。ホンマにワイキキはでっかいテーマパーク、皆遊んでいるのにここで仕事はしんどいなあ。
次の目的地はいよいよ“アラモアナ・センター”どんなとこやねん? -
アメリカ料理の店
カウンター内に一人の女性が -
なかなか雰囲気のある店だった
お客さんもそれなりに入っていた
メニューを見ても分からず
ホットドッグのようなものを頼む -
運ばれて来た食い物を見て
これなら良かったとホッとする -
アメリカ料理の店「 F?・te(フェイト)」
店員も笑顔の対応で気分よく食事が出来た -
散歩しながらロスドレス・フォーレスに入る
ホームセンターのような感じ -
店内の様子
-
店を出たら歩行者天国
左右に露店が並んでいた -
店に入り直しトイレを探す
ハワイではトイレを「Rest room」という
だが絵文字は最高!万国共通なり -
来たぞ我らが“レアレアトロリー”様が
異国の地、オアフ島でこれが来れば一安心 -
それなりに乗客が座っていた
日本人はホント恵まれている
文句いう前に身の程を知れ! -
透明プールを外に突き出して何とする
遊び心をそのまま形にする
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■アラモアナ・ショッピングセンターへ行く
https://youtu.be/9PlwNSceQOM
アラモアナの近くで最近話題の「プールが外に突き出ている」コンドミニアムを写す。さすがオモロイ。白人の発想と実行力には一目置く。“Google・Map”・“ストリートビュー”・YouTubeを無料で提供し世界を支配し金儲けの仕組みを作る。私も一応ユーチューバーだ。
“アラモアナ”を歩く。想像していた通りだったけど、金なく欲しい物もなく、ただ端まで歩いてまた戻って来た。途中、ハワイアンダンスをやっていたのでしばし見学。こういったショーはやっぱりワイキキの夜の浜辺で見た方が良いのだろうけど・・・。
1895/明治28年ハワイ王国は滅亡した。まあ弱肉強食の世界だから移民立国であり自由と民主主義を掲げる強大なる合衆国によって併合されたことで良しとするか。仕方がない。
まだまし?いや幸いだったのかも。そこに答えはない。何故なら「幸不幸すべて心にあり」だから・・・。でも、もう戻れない、現実を受け入れ前を向くしかない。
俺自身は絶対嫌だ。なら子供や孫は?生き続けて欲しいけど・・・。 -
みんなが良く行くアラモアナ
買い物に興味ないので見るだけ -
たまたまハワイアンダンスショーをしていたので見る
やっぱりワイキキの夜の浜辺のステージ見るのが良いけど -
見れば今やみんな混血のような感じ、原住民族は一体?
今や絶滅危惧種は動物世界より人間世界の方が多いのでは
違いこそが素晴らしい、混ざり合うのは御免だ -
ロイヤルハワイアンセンター 3階HIS(ハワイ支店)
ここは「テーマパーク・ハワイ」の休憩所
ここに来ればホット一息
初めてのハワイ、一人旅の私にとって
何とも言えないありがたい場所だった
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■HISの拠点はオアシス
午後2時前にロイヤルハワイアンセンターに戻って来た。3階のHISの拠点に辿り着く。案内カウンターで明日の【片道送迎】ホテル(ワイキキ)⇒ホノルル国際空港¥15ドルを 頼んだ。明日の12時50分にホテル前に迎えに来てくれる。
一人旅の“オジン”にとって、ここは砂漠のオアシスのようにホッとする場所だ。有り難い。来るたびに無料のドリンクバーでコーヒーやコーラ等々を飲んで小休止。
シェラトン・ワイキキ・ホテルの前を通って浜辺に出る。そこにはハワイが広がっている。若い頃有名人がハワイ旅行を楽しんでいるのは別次元の世界だった。
パスポートは必要だが今じゃあ国内旅行と何ら変わらず。敷居は低い。誰でも来たければ来れる。その「憧れのハワイ?」に等々来た。
“ダイヤモンドヘッド”が見える浜辺を歩く。このあたりの砂浜は来る前に想像していたより幅が狭かった。なるほどワイキキビーチは「人工の砂浜」のようで、砂を入れても毎年20~30cmの浸食がありイタチごっこのようだ。
https://matome.naver.jp/odai/2141050616636367401
砂浜を歩きながら寝そべってる白人の男女の日焼けで赤くなった背中を見て「こんな日焼けして、どうもないんかい?」と余計なお世話だがいつも心配になる。
今から10年前の平成20年、パラオの珊瑚礁の海で背中を出してシュノーケルで泳いだ。あまりの美しさに見とれて泳いでいたら背中が日焼けして数日痛痒さで大変だった。ましてや白人の日焼けは火傷に見える。
https://4travel.jp/travelogue/10293360
ワイキキの浜辺は確かに目の保養になるけど、ここでのビキニは当たり前。浜辺でなくても通りを露出の多いグラマーな白人女性が普通に歩き、日本人女性も熟女を含めそれなりなのが面白い。
そうここはハワイだから!こんな光景が我が家の近所であろうものなら、すれ違う男はみんな目を白黒させてしまう。ここはハワイだ!
ホテル・シェラトンからハワイの英雄、水泳自由形の金メダリストでありサーフィン普及の立役者であるデューク・カハナモク像まで浜辺を歩く。ここはハワイ、ワイキキビーチを一人ぼそぼそと歩く。
そして午後2時27分、一旦HIS拠点のに戻り小休止。今日の夕方は到着した日に予約した『【金曜日限定】★目の前から見る花火とタンタラス夜景ツアー』に行くことになっている。
http://www.hawaiijapan.com/tour/tour_view.php?no=183&depth1=2&depth2=9&depth3=85
それまで行く当てもないので“レアレアトロリー”に乗ってホノルル巡りをすることにした。 -
シェラトンホテルの前を通ってワイキキの浜辺へ
シェラトン・ワイキキ・ホテル
「ワイキキビーチの絶景を眺めることができる客室」
大人二人 1泊平均 $315.00~ -
ハワイに来てホテルのプールで遊び
数日のんびりするなんて大金持ちならいざしらず
貧乏性の私には“宝くじ”が当たらない限り無理 -
とりあえずワイキキの浜辺を歩くだけ
これがハワイの景色 -
デューク・カハナモク像
逆光で真っ黒な像
ふ~ん、オリンピック水泳で金メダル3個 -
デューク・カハナモクはサーファーでもあった
2020 東京五輪ではサーフィンも競技種目となった
カハナモクもあの世で喜んでいるだろう -
ワイキキの浜辺を散歩して
またここに小休止のために戻って来た -
このドリンクバーで何倍飲んだことだろう
コーヒーとかコーラとか 他にも
無料サービス -
ダイヤモンドヘッド/カハラモールラインに乗る
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■“レアレアトロリー”に乗って
コースは「ダイヤモンドヘッド/カハラモールライン」 西方向ばかりだったが今度は“ダイヤモンドヘッド”の山麓経由で東方向に向かう。一周約90分のコース
午後3時ちょうどバスはロイヤルハワイアンセンターを出発。10分程でホノルル動物園前を行き過ぎる。「こんな近くに動物園が・・・」と見つけたので明日の午前中、予定もないのでここに行くことにした。
そして出発して20分バスは海を見下ろすダイヤモンドヘッドロード上で路肩に停車。他にも何台もの車が停車していた。ガイドも兼ねた運転手の地元のお兄さんが「降りて写真写して」と言うので皆降りた。確かに大海原が見渡せる絶景かも? だけど海ばかりで何も見えず。ここはどこ? 帰国後知る。
そこは「ダイヤモンドヘッド サーフ ルックアウト」だった。この道はホノルルマラソンのコースにもなっている。毎年12月の第2日曜日開催。誰でも参加OK,今年2018年は12月9日(日)参加料2万~3万円。
2017年は「26317名ものエントリーがあり、また、参加者のうち11727人が日本人」フィギュアスケートの浅田真央も完走。男子1位は「ローレンス・チェロノ 29歳 ケニア 2:08:27」・・・速い!そうなんだ、遊びではなく本気の大会だった。
この撮影スポットで私も運転手に写真を写してもらった。そして私が写した何枚かのデジカメ写真にサーフィンをしている者一名が写っていた。写した写真にはサーフィンに良さそうな波が次々押し寄せているのが分かる。その時私は遠くばかり眺めていた。
“ダイヤモンドヘッド”上り口を経由してバスは走る。15:46分大阪焼肉ホルモン「ふたご」の店の前を走る。そしてカハラモール到着は15;58、数名残っていた乗客は私一人残して全員ここで下車。そしてバス待ちをしていた8人ほどが乗車。
一路ロイヤルハワイアンセンターへ向かう車窓の景色はワイキキ周辺のテーマパークとまったく趣が違う普通の街並みがある。ここもハワイでありオアフ島か・・・と。真珠湾攻撃のその日から島全体が騒然とし、日本軍上陸の備えや毒ガス攻撃に備えてガスマスクが支給されハワイの生活は一変した。
『攻撃の数時間後、当時アメリカの準州であったハワイは「戒厳令が敷かれ、ハワイの全島民が戒厳令下に置かれた」当時ハワイでは人口の37%を日系アメリカ人が占めており、「アメリカ軍が日系アメリカ人全員を収監することは不可能だった。日本人はハワイ経済でとても重要な役割を果たしていた」』
あれから75年がたったオアフ島。50年、100年の経過は何もかも変えるなあ~。我この世に生を授かり67年、物心付いた時、我が家はテレビなく電話なく、冷蔵庫洗濯機掃除機もなく、“はじめちょろちょろ なかぱっぱ”コメは釜戸で蒔きで炊いていた。
生まれた神戸市灘区の家傍の道路は進駐軍の茶色いバスが走っていた。神鉄湊川駅構内には乞食が溢れていた。祭りがあれば沢山の傷痍軍人が白装束で義足に義手に寄付集めしていた。トイレは汲み取りで肥えオケ担いだ人夫が一軒ごと汲み取っていた。終わったら便所の小窓から小銭のチップを渡した。もはや歴史なり。
午後4時40分前に“レアレアトロリー”は拠点に戻る。一人旅で初めてのハワイ、そんな私にはHISの拠点とバスがホンマに有難かった。有難過ぎで苦労なく、その分現地の人との接触、交流もないけど・・・。一言の言語発せずともこのオアフ島では過ごせる。 -
ダイヤモンドヘッド/カハラモールライン
-
バスの運転手兼ガイドのお兄さんが
突然バスを止め「写真写して」と言う
「えっ?そんな景色がいいの」と降りる -
ここは「ダイヤモンドヘッド サーフ ルックアウト」
『サーフィンスポットとして人気のダイヤモンドヘッド・ビーチの素晴らしい景色
そして12月から4月のシーズンにはクジラが見られることも。』 -
この道はホノルルマラソンのコースでもあるようだ
-
1941年の真珠湾攻撃の後
有刺鉄線がワイキキビーチとその他の海岸線に設置された -
私が小さい頃、お祭りとかお正月とか
いろんな場所で傷痍軍人が寄付を募っていた
そんな姿も徐々に少なくなりやがていなくなった -
前方、左右の丘陵
「左:ココ・クレーター」「右:ココ・ヘッド」 -
ハワイ・オアフ島もワイキキ周辺を離れると
そこには普通の市街地の風景がある -
カハラモール到着は15:58
ここで乗っていた数名が降りて
復路待ちの人が数人乗って来た -
“レアレアトロリー”ダイヤモンドヘッド/カハラモールライン
一周廻って約1時間半の時間つぶしで拠点に戻る -
英語メニューと思ったらローマ字だった
「Buta Yakisoba」
期待したけど油が多過ぎ味は今一
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■夕食を食べる
タンタラス夜景ツアーに備えて晩飯をと再び初日行った「Agu Ramen」に入る。
http://www.aguramen.com/
「豚焼きそば11ドル」とまた「揚げ出し豆腐6.5ドル」と「ライス2ドル」を頼んだ。期待した焼きそばは油べたべたで味は今一。消費税込みで計20.42ドル(2662円)とチップで¥2507円。
食後の散歩はホテル前のデラッシー公園を歩く。第442連隊の記念碑がホテル前にあるので毎日この周辺を散策し記念碑を見ていた。『(戦跡の歩き方より) この記念碑は第442連隊、陸軍情報部、第1399工兵大隊、第100歩兵大隊を記念するものである。』 このデラッシー公園は毎日散歩した思い出の場所になった。
http://sakurasakujapan.web.fc2.com/main02/hawaiioahu/area21.html
午後7時の待ち合わせまで、まだ時間があったので部屋に戻って小休止。テレビを付けたら見たことのある顔が写っていた。「えっ?まだ生きているんか?」だった。その人物はマジック・ジョンソン。NBAのスーパースターの彼がHIV(エイズ)に感染し現役引退を表明した時のニュースは衝撃的だった。
当時は感染すれば不治の病だと思っていたし、エイズの恐さが世界中に知られるようになった。以来時々は日本のメディア等々でエイズ感染への注意や現状を知らせる報道があるが、最近そんなことも減って来た。1991年にエイズ感染を公表したマジック・ジョンソンが今も見た感じでは何の問題もなくテレビに出ている。
感染が分かったのは32才の1991年。2018年の今年で27年間だが見た目堂々たる体格を維持し問題なさそう・・・。彼は私より9才年下の58才か。ならば、もうエイズは怖くないのか?いや怖い!
『(転載)HIVは「ヒト免疫不全ウイルス」というウイルスの名前。エイズは「後天性免疫不全症候群」という病気の名前です。だから、HIVには「感染者」という言葉を使いますしエイズには「患者」という言葉を使います。十分エイズは怖い』
http://www.ntv.co.jp/zero/weekly-blog/2007/12/post_133.html -
「豚焼きそば11ドル」「揚げ出し豆腐6.5ドル」「ライス2ドル」
消費税込み計20.42ドル(2662円)とチップで¥2507円 -
『お店の名前の「AGU」は沖縄のブランド豚、「アグー豚」』
https://www.hori-uchi.com/2018/05/agu-ramen-waikiki/ -
食後の散策は私の宿泊ホテル
Gateway Hotel前のデラッシー公園
この記念碑は以下四つの記念碑
「第100歩兵大隊」「第442連隊戦闘団」「陸軍情報部」「第1399工兵大隊」
「第442連隊戦闘団」のキャッチフレーズ
当たって砕けろ!
Go for broke! -
『マーク・クラーク将軍の閲兵を受ける第100大隊』
「第100歩兵大隊」も日系人部隊
1944年6月11日第442連隊戦闘団に第1大隊として編入
それまでの功績から名称は引き続き第100歩兵大隊を使用
編入は双方共に不満だった -
Gateway Hotel一階のABCストアー
ここで毎日飲み物を買っていた -
部屋に戻って「タンタラス夜景ツアー」まで
小休止 -
マジック・ジョンソンの元気な姿に驚く
1991/平成3年のエイズ感染発表は衝撃的だった
久しぶりに目にした姿は健康そのもの
医学の進歩は目覚ましいのだろうが
ウィルスの進化も目覚ましいのだろう -
金曜日の午後7時過ぎ
折角の花火見物も雨が結構振って来た
公園でバーベキューをしている人たちも大変そう
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■花火とタンタラス夜景ツアーに出発
ホテル前にタンタラス夜景ツアーの迎えのワゴン車が来て乗った。中年夫婦と三人の親子連れ、子供も社会人男性で両親は年配。その5人が乗っていたがもう一ヶ所迎えに行くとのこと。私ともう二人(中年夫婦)の計8人のツアーだった。ワゴン車を運転するのは日本人女性ガイド“Tさん”、50代後半だと思う。
“Tさん”は米国人男性と結婚、子供をもうけたが離婚、今は一人オアフ島で元旦那の家の離れを家賃を払って住んでいる。“Tさん”曰く、「夜のツアーには出ないのだけど、今日はツアー担当だった人が行けなくなって急きょ依頼があり来ました」とのこと。
ベテランガイドの“Tさん”は、同世代のような私たちに運転しながら思い出話をしてくれた。「昔は石原裕次郎さんたちのお世話も良くしました。」「1990年の勝新太郎ホノルル・パンツ事件の真相は、ハワイに持ち込む手持ち現金が多いのに申告しなかったことがバレて調べられた。正直に申告しておけばパンツの中はバレなかった。」 https://gossip-history.com/g00337/
他にもハワイに関する芸能人のことや面白い話は山ほどあるようだったが残念ながらガイドの案内としての話もあり多くは聞けなかった。車は金曜日の7時過ぎ、花火見物なのか?車の渋滞のなかマジック・アイランドに向かった。すでに沢山の人が来ていた。 https://goo.gl/maps/NmHNbv7xMGu
そしてあいにくのことに到着前から降り出した雨がやみそうになく降って来た。芝生の公園ではバーベキューをしている人たちも数多くいた。これがオアフ島の週末の光景なのだろう。“Tさん”が、集合場所を指定した後は、バラバラになった。
すぐに雨が激しくなってバーベキューをしていたグループも樹の下に移動したり、雨除けのテントを準備したり大変そうだった。傘を持たない者は樹の下に避難場所を求めて移動した。ツアー―一行も傘を持っていた人もいたし、私も適当な樹を探して雨宿り。
そして午後7時半ごろからヒルトン・花火の打ち上げが始まった。日本の四尺玉と比べようもないが毎週こうやって花火を上げて観光客を楽しませてくれるのは有難い。雨が降るし、しょぼい花火だけどハワイに来て金曜日の週末のこの風景が見れたことは良かった。公園でバーベキュー・・・か、国は違ってもやることは同じだ。これを平和と言う。
花火が終わってタンタラスの夜景を見に車は出発。でも駐車場から出る車がズラーと行列を作って渋滞で動かず。さすがの“Tさん”、大きなワンボックスカーを巧みに運転し、うまくそこを切り抜けて脱出した。50代?いやもしかしたら60代?かもとおぼしき女性ドライバーなのに見事だ。
男と女、どこが違うのか?どこに差があるのか?最近は女性兵士も前線に出てるようだし。スポーツも男性オンリーがなくなった。1964年東京オリンピックの時はマラソンもレスリングも柔道も男性だけだった。女は究極の危機に直面した時は強く逞しい。男は基本女よりビビりで弱虫だ。男は意地と見栄で強がらねばならない。
雨の暗い夜道をタンタラスの丘を目指した。カーブの狭い道を上って行き見晴らしの良い場所で車は停車。他にも駐車車両が何台か路肩に止まっている。本降り雨で「車中から夜景を見るだけでも・・・」と思ったが外に少しの間出て夜景を観賞。林立する高層ビルの明かり輝く夜景はどことも変わらず。見るなら明るい時の方が良い。
タンタラスからホテルに戻ったのは午後9時を過ぎていた。夜景観賞以外は事前の予定もないままの一日だったが、何とか過ごせた。明日は午前中ホノルルで最後の観光をし帰国の途に就く。 -
雨の振るなか「ヒルトン・花火」の鑑賞
毎週金曜日打ち上げならこの程度でも十分だろう -
天気とカメラと写す腕が良ければこんな感じ
https://tori-dori.com/trip/2016/10/12/12888/ -
雨のなか「タンタラスの丘」を登って夜景観賞
デジカメ:カシオ「EX-ZR15」で私が写せばこんなもの -
タンタラスの夜景(ネットより)
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