2018/03/03 - 2018/03/03
102位(同エリア399件中)
カンゲンさん
クラコフ2日目は、負の世界遺産「アウシュビッツ強制収容所」に行きます。
『アウシュビッツ強制収容所』(世界遺産:31 1979年)
この地に収容された多くの人々の過酷な生活、僅かでも感じ取れたと思い冬場のこの時期に訪れました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- フィンランド航空 ブリティッシュエアウェイズ JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- エクスペディア
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クラコフ駅前のバスステーション、ホテルからは駅の反対(西側)です。
朝7時前、周囲はまだ暗い -
Lajkonik Bus 7:10発でOSWIECIM(オシフィエンチム)に行きます。
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オシフィエンチム行のバス
2階のチケット売り場で、出発時間が迫っているので車内で購入するよう言われ運転手から購入する。
チケットは14プランでした。 -
高速道路から一般道を経由してもうすぐ目的地です。
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1時間半ほどで、オシフィエンチムに到着しました。
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アウシュビッツの見学は、ガイドツアーでないと入場できない時期や時間があります。
この時期は、見学者も少なく個人見学が可能なのでガイドなしにしました。
チケットは日本からオンラインで購入しました。無料です。 -
アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館
入場ゲート 個人は右側、団体は左側が入口です。 -
売店で日本語のパンフレットを購入、25ズロチ
非常にわかりやすく個人で見学する人には必携です。
ちなみに日本語への翻訳者は中谷剛さんです。 -
セキュリティチェックを受けて場内へ入りました。
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雪が残るアウシュビッツで
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第14棟(右)と第13棟
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第16棟から第21棟
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パンフレットを参考に主要な建物を見学
第4棟 「殲滅」
1階に①・②・③・⑥号室、2階に④・⑤号室 -
アウシュビッツの存続(1940年6月14日-1945年1月27日)
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アウシュビッツⅠ
アウシュビッツⅡ-ビルケナウの位置図 -
被収容者を運んできた列車
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④号室で
選別されガス室に誘導される人々は、シャワーを浴びれると思って -
日本人のツアー客をガイドしている方がおりました。
有名な日本人ガイドの中谷さんでしょう。 -
シアン化水素を染み込ませた珪藻土の粒
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ツィクロン B の空き缶
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⑤号室は撮影禁止
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⑥号室で
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5号棟 「重犯罪の証拠」
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5号棟には、赤軍のアウシュビッツ接近に際し、ナチスは痕跡を消すため
ユダヤ人から略奪した物品を破棄しようとしたが間に合わなかった一部が残っています。
大量のメガネ -
タリート(ユダヤの祈りのショール)
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義足や松葉杖
障害者は、労働に適さないためアウシュビッツ到着後すぐにガス室送りになりました。 -
鍋や皿などの日用品
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子供の靴のようです
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5号棟の窓から外を
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歯ブラシや髭ブラシ、靴ブラシなど
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6号棟
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廊下には、囚人番号・姓名・生年月日・職業・収容所連行日・死亡日などが入った写真が。
これらの写真に写っている全ての人が収容所で亡くなった。 -
横になる少年の写真
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やせ衰えた子供達の写真
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1日の食事摂取量のサンプル
たったこれだけ!! ヒドイ -
収容所の一日は、夏は4時30分、冬は5時30分に始まる。
「働けば自由になれる」の門、行進する被収容者 -
収容所登録時の子供と女性
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子供たちの写真、酷すぎる
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ビルケナウのランペ(降車場)で撮られたユダヤ人の家族
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7号棟
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収容所が出来て最初の数ヶ月、床に敷いた藁布団で夜を過ごした。
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簡易便所
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洗面所
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被収容者が増え三段の簡易ベットに
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10号棟は見学できません
ここはドイツ人産婦人科医、カール・クラウベルクが、ユダヤ人女性に断種実験を行いました。
日本でも、旧優生保護法(1948~96年)下で、障害者らへの不妊手術が同じように行われていた。 -
11号棟の中庭
第10棟と11号棟の中庭の「死の壁」の前では、5000人あまりの被収容者が銃殺された。 -
死の壁に前には献花が
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11号棟 「収容所の監獄」
ここは、ゲシュタポに逮捕されたポーランド人や懲罰された被収容者が収監された。 -
11号棟の地下は撮影禁止です
☆購入したパンフレットによると、第4棟の5号室、第11棟の地下室以外は撮影は自由です。
毒ガス、ツイクロンB を使用し、始めた大量殺人が行われた。 -
20号棟 「毒注射」
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ここの治療室で、数千人がフェノール心臓部注射で殺害された。
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集団絞首台(復元)
絞首刑は、脱走で捕まったり脱走者を助けた被収容者が見せしめのため点呼時に行われた。 -
点呼広場
被収容者は、毎日朝と夕方こに立たされ人数確認のため実施された。 -
点呼広場と集団絞首台
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収容所所長の処刑場へ向かう
処刑場の正面左はナチス親衛隊用(SS)病院、右は管理部 -
左は、SS管理部の建物
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アウシュビッツ強制収容所の所長のルドルフ・フェルディナント・ヘス
戦後イギリス軍により逮捕され、ポーランドの裁判所で死刑を宣告されて
1947年4月ここで処刑された。
ヘスは収容所内に家族と住んでいたそうで感覚もおかしいと思った。
本人がこの地での処刑を望んだそうだ。
左の建物は最初のガス室・焼却炉 -
ガス室・焼却炉
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ガス室・焼却炉
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ガス室
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ガス室・焼却炉
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アウシュビッツⅠ 見学終わり、出口に向かう。
入場してから1時間30分、空いていたので意外に早く回れました。 -
アウシュビッツⅡ-「ビルケナウ」へのバス時刻表
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「ビルケナウ」へのバス車内
こちらも空いています。 -
帰りのバス時間を確認
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バス停から入口に向かう
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入口です
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些少ですがドネーションを
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振り返って進入門を
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ランペ(降車場)
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ビルケナウ収容所は、ナチス・ドイツ最大の強制収容所
面積は175ヘクタール、当初の計画は10万人、拡張計画で20万人を収容する予定でした。 -
突然、行列になりました。どうしたんだろう!!
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シュプレヒコールが聞こえてきます。
「ユダヤ教の人たちの特別の日で行進をしている」と、歩いていた人が教えてくれました。 -
ランペに据えられた貨車
ここがアウシュビッツ強制移住のユダヤ人50万人以上を乗せた列車の終点
1944年夏のワルシャワ蜂起でドイツ軍に囚われたポーランド人3,000人も運ばれてきました。 -
なかなか進みません
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行列が延々と
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焼失した囚人バラック跡
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完全にストップ、仕方がないので行列の左側を警備員に断り、
雪道を歩いて前に行かせてもらいました。 -
ガス室と焼却炉の残骸が見えてきました。
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証拠隠滅のため爆破されたガス室
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爆破されたガス室
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監視棟
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ランペの終点、右側に「国際慰霊碑」があります。
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線路沿いをゲートに向かう
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左手は、広大な収容所の跡地
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貨車
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BⅡ区域の木製のバラックとレンガのバラックの残骸
逃亡を防ぐため設けられた鉄条柵、通電されていました。 -
バラックに入ってみました
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ここは被収容者の簡易便所と洗面所
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ひどい
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アウシュビッツの見学終了
いろいろ考えされた場所でした。
一方で、パレスチナの人たちの置かれている状況も気になります。
12時15分のバスでクラクフに戻ります。
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