2018/06/02 - 2018/06/07
78位(同エリア991件中)
松太郎さん
念願のインドへ行くことになりました。
いつもの仲間に次はインドへ行こう、ガンジス河の沐浴を見ようとじわじわとインド旅行の機運を盛り上げていました。すると西宮の仲間がインドツアーの説明会があるので聞いてくる。と話はトントン拍子に進んで行きました。
ところが聞いてきた説明は、インドのデリー、アグラ、ジャイプールの黄金のトライアングルツアーでした。ガンジス河のベナレス(バラナシ)が入っていません。おまけにANAのビジネスクラス利用とあります。千葉の仲間は行く気になっています。
ここで意地を張ってガンジス河のツアーを主張したり、別ツアーを探して独りで行くわけにもいかず、インドの下見のつもりで仲間と一緒に行くことになりました。もうビジネスクラスは乗れないと思っていましたが、思わぬ展開から再度ビジネスクラスで行くことになりました。
日程は
6/2 伊丹空港―成田空港―デリー空港着
6/3 クトーブミナール、フマユーン廟、アグラへ
6/4 タージマハル、アグラ城
6/5 ジャイプールへ、ファーテプルシクリ、チャンドバオリ、アンベール城
6/6 ジャンタル・マンタル、風の宮殿、デリー空港発
6/7 成田空港着―伊丹空港着
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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1日目
伊丹空港南ターミナル1階の団体受付カウンターです。
家を朝9時に出て、名古屋10:21発のぞみ159号で新大阪に来ました。
ここでいつもの仲間と合流です。新大阪駅で温かい551の豚まんを買い、リムジンバスで伊丹空港までやって来ました。
伊丹空港団体受付カウンターでは、Eチケットとスーツケースに付けるネームタグをもらってANAのチェックインカウンターへ行きます。 -
今回行くインドは北部、旅行社の言うところの黄金のトライアングル。
デリー、アーグラ、ジャイプルの三角形をつなぐツアーです。
主にAD1200年以降のデリー・スルタン朝やムガル帝国の遺跡や宮殿を中心に7つの世界遺産を巡るツアーです。 -
ANAのチェックインカウンターで「伊丹ー成田」と「成田ーデリー」のボーディングパスをもらい、荷物を預け、早速ANAラウンジへやって来ました。
ANAラウンジは2階のANAスイートラウンジと3階のANAラウンジがあります。私達は2階のANAスイートラウンジを指示されました。 -
中に入るとビール、酒、焼酎、ウイスキー、ジュース、ミルク等の飲み物はありますが、食べ物はあられ、ナッツしかありませんでした。この情報は4トラで入手済でしたので、そのために新大阪で買った551の豚まんをここで開け飛行機を見ながらビールを片手にゆっくりと味わいました。
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昼間からのビールは旨いです。これこそ非日常の体験です。
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ウイスキーは「ローヤル」があります。普段飲めない酒ですのでたまに飲むとやっぱり旨い。普段飲むウイスキーよりマイルドで豊潤です。
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昼間から飲んでると、時間の経つのは早いものです。
もう成田へ行くNH2178便の出発時間(14:10)が近づいてきましたので、8番ゲートへやって来ました。 -
遥か六甲山を眺めNH2178便は成田へ向けて伊丹空港を離陸しました。
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1時間20分のフライトで成田に着きました。
預け荷物はデリーで受取りなので、成田空港では手ぶらです。
デリー行きのNH827便17:50発まで2時間ほどの時間があるので、今度は成田空港のANAラウンジへ行きました。 -
第1ターミナルのANAラウンジは2か所あるようですが、口コミでおすすめの第5サテライトのラウンジに来ました。第4サテライトのラウンジは多少狭く、窓も無いそうです。
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受付を通り中を見てみると、広そうですが人も多く混雑しています。
なんとなく羽田のサクララウンジの方が雰囲気が良さそうです。 -
ここで千葉の仲間夫妻と合流しました。
これで今回のツーリスト、西宮、岐阜、千葉からの4名が揃いました。 -
軽く食事するつもりですが、どうしても目の前にある料理に自制心を抑えきれず手が伸びてしまいます。
カレーライス(JAL肉塊コロコロカレーの勝ち!)、のり巻、サンドイッチ、唐揚げ、どれも平均的な味の単品メニューでまとめておりフードコートの一品の雰囲気で統一しています。 -
野菜スープ、ポテトフライ、サラダ、ビスケット、どれも親しみの持てる1品ですが、JALのサクララウンジの方がワクワク感を感じました。
初めてのラウンジがサクララウンジだったので余計にそう思うのかもしれません。
数少ない経験のラウンジを比較してみました。 -
飲み物はアルコール類、ソフトドリンクが一通りそろっています。
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搭乗です。
沖止めですのでバスでボーイング787機までやって来ました。 -
いよいよ搭乗、3人共期待に胸と腹を膨らませ元気溌剌です。
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ウエルカムドリンクのシャンパンです。
クチコミで言ってた通りプラスチックのシャンパングラスでした。
JALは足長グラスではなかったが、一応ガラスのグラスでした。
でもシャンパンはいつ飲んでも美味しいですね。 -
このツアーの説明会へ自ら行って、このツアーを選んできた仲間も両側にテーブルのあるゆったりとした席にご満悦です。
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フルフラットに可動するシートに、18インチタッチパネル大型液晶ワイドスクリーンの画面です。枕、毛布、ベッドマットレスが各席ついていて、カーディガンも貸してくれます。カーディガンは機内が若干寒めなので重宝しました。
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アミューズ ・・・って 何 ?
帰って調べたら、食前酒とともに出される軽いつまみ。 とある、なるほどね。
エゴマのチーズスティック
チキンときのこのパテ
トマトのピクルスとチーズハーブオイル -
今回は和食を選びました。
前菜
胡麻豆腐、穴子笹寿司、とうもろこし真丈、うかいカステラ、串うち(煮蛸 オクラ 海老) -
お造り
鮪 湯葉 醤油餡 -
小鉢
白酢和え -
仲間は洋食を選んだようです。
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主菜
肉とうふ -
香の物
小鉢に入っているのはしらす干しですが、インドツアー中はカレーと一緒に出て来るご飯がしらす干しに見えて仕方がありませんでした。インドの長粒米は本当に細長くジャポニカ米の倍以上の長さがありました。 -
ご飯とお椀(うかい名物 豆水とうふ)
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デザートはワゴンで運ばれて自分で選ぶことが出来ます。
カシスの実入りコンポート
スミレ風味クレームプリーズ
スミレ風味バニラのマスカルポーネクリーム
カシスのジュレ
があります。 -
写真のショートケーキを選びました。
グルメ的に言いますと、ピエール エルメのエモーションアンヴィからショートケーキをチョイスしました。と言うそうです。西宮の仲間の指南です。 -
食事が終わったところで台湾の北辺りまで来ました。
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アルコールが利いてきたのか、眠くなってきたのでシートをフルフラットにしてマットレス、枕、毛布を配置してしばらく寝ることにしました。
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目が覚めるとタイの辺りまで来ていました。
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これからデリーに入りホテルに着く頃にお腹が空いてくるとのクチコミにあるので一風堂のラーメンを頼みました。これは旨かったです。
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ラーメンを食べた後、コーヒーはいかがでしょうか。と言われたので断る理由はありません。いただきました。
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そうこうしているうちにデリーに着きました。
やはり途中で横になって寝ることが出来ると9時間以上の搭乗も疲れません。 -
インド旅行記には必ずと言っていいほど出て来る入国審査の壁の写真の風景が現れました。インドへ来た~という実感が湧いてきました。
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デリー空港の到着ロビーに現地ガイドのラーワトゥさんが迎えに来ていて、バスの待ち合わせ場所まで移動しました。
スーツケースを引きながら100mほどの移動していると見知らぬ若いインド人が私達のそれぞれのスーツケースを持とうとします。ノーサンキューと言ってもスーツケースを離そうとしません。しばらくスーツケースの取り合いをしながらしつこくついてきました。ここで改めてインドに来たんだな~と実感しました。 -
その日はバスでホテルに入り、チェックインしてWifiの設定をしてもらい各自部屋に入りました。
部屋は冷房が利いて快適でした。 -
2日目
翌朝、ホテルの部屋の窓から見えるデリーの日の出です。
曇っていたのかスモッグがひどいのかどんよりとした朝日です。 -
朝食前に部屋の相棒とホテルの外に出てみました。
やっぱりインドへ来たのだな、という雰囲気です。
朝7時、これから1日が始まるという町の光景です。
サイクルリクシャーが走り、野外デスクに人が座っています。 -
大通りにはハチマキなのかターバンなのか頭に巻いて荷車自転車が荷物を運んでいます。
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宿泊した「ピカデリーホテル」です。
周辺の昭和のガード下の街を思わせる光景と対照的に、大きくも新しくもありませんが小綺麗な過ごしやすいホテルでした。 -
朝食です。7:00から開いています。
8:00に荷物を持ってロビーに集合ですので、あまりゆっくりはできません。
先ず目に入ったのがここです。チーズが各種あります。 -
飲食物についてツーリストの冊子・トラベルインフォメーションによると生水は飲まないように、露店で切り売りのフルーツ、生もの、魚介類、アイスクリームや牛乳は食べないようにしてくださいと書いてあります。
仲間の1人は用心のためホテルでもサラダやフルーツ、氷は食べないと言います。私はホテルなら問題ないと思い、何でも食べました。
そして、今回参加の4人共整腸剤や下痢止め、抗菌剤はしっかり準備していましたが結果的には全員重篤な下痢腹痛にはなりませんでした。 -
果物や、サラダ、ベークドトマトなど色々とあります。
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カレーも豆や鶏、ほうれん草、じゃがいもなど種々のものが並べられていました。
辛くはないかと少し身構えていましたが、全くそんなことはなく普通の辛さのカレーでした。日本人旅行者のための特別な味付けかとも思いましたが、同じダイニングにインド人の家族連れの客もいましたから一般的な味付けなのでしょう。一部確かに辛いものもある事はありましたが・・・ -
しらす干しに見えて仕方がなかったインディカ米(長粒米)の炒飯です。
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クロワッサンなどパンの種類もそこそこあります。
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持ってきたのは豆のカレー、ベークドトマト、何かのフライ、チーズ、クロワッサンフルーツケーキです。 普通に美味しいです。
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スイカのジュースです。好きです。
食事の後はへやに部屋に戻り、荷物をまとめてチェックアウトです。 -
さあ ~。いよいよこれからデリーの市内観光です。
道路はオートリクシャ、オートバイ、バス、乗用車、トラック、時々野良牛が入り乱れてクラクションがあちこちから聞こえてきます。 -
インド門が見えてきました。インドは第一次世界大戦でイギリスからの独立を条件にイギリス側につき戦没者85000人の犠牲を出しましたが、独立できませんでした。この戦没インド兵士の慰霊碑はパリの凱旋門を基にして造った門型モニュメントです。
ここはバスの車窓見学のため素通りです。 -
次のレッドフォート(デリー城)へ向けてバスは走ります。
車窓から街を見ていると別世界を見ているようです。(勿論、日本でない別世界なのですが)人と車、バイク、リクシャー、露店が多い。それが整然と並んでいるわけでなく皆バラバラに動いたり、置かれたり。道路の喧騒の横の道端では民族衣装の女性やワイシャツ姿にビーチサンダルの男性が立ち止まったり、路肩に座ったり、寝転んだり、あらゆるものが街の中に詰め込まれた感じです。
その中に日本の香りも混じっていました。ホンダの看板がリクシャーと民族衣装とバナナ、マンゴウの露店の後ろにかかっています。 -
レッドフォートに来ました。
ここは表から見るだけで中には入りません。
1640年代にムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが建設した都城です。そうですタージマハルを造った皇帝です。このころのムガル帝国は勢いがありました。しかしその後地方勢力やイギリスの台頭で帝国は力を失い皇帝はこの城だけが領土の無力な存在に成り果てました。そして1857年に起きた「インド大反乱(セポイの乱)」でイギリス軍、反乱軍の両方から侵略・略奪を受けて華麗な宮殿は破壊され、現在見られるのはかろうじて残った一部分に過ぎないそうです。 -
このムガル帝国の威容を誇ったレッドフォートの前で、念願のインドにやって来た仲間達は満面の笑みをもって喜びを表していたのだった。しかしこの後徐々にインドの奥深さ、舐めてはいけないことを肌に感じていくことになるのでした。
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次にやって来たのはムガル帝国第2代皇帝フマユーン廟です。
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皇帝フマユーンはインドの人に人気のある皇帝だそうです。
フマユーンが皇帝になったときは、ムガル帝国の基盤も弱く一時はペルシャに亡命していた時期もありました。14年間の臥薪嘗胆の末ペルシャの力を借りてムガル帝国を再興するも、半年後に階段から落ちてあっけなく死んでしまった。これを悲しんでペルシャで結ばれたペルシャ人の妃が9年かけて作らせた廟がこのフマユーン廟です。インドイスラム建築の傑作と言われています。 -
正面の入り口から階段を上って廟の入り口に向かいます。
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イスラム独特のイーワーン式の入り口が見えてきました。
これはイスラム建築によく見られる、一方が完全に開き三方が壁で囲まれて、天井がアーチ状となっているホール又は空間です。と本に書いてありました。 -
中を覗くと誰かが柩に覆いかぶさって何かしています。
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廟の中心に入ると、老婆がフマユーンの大理石の柩を濡れ雑巾で拭いていました。
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この廟の装飾も素晴らしく窓の模様も大理石の透かし彫りです。
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庭も広く、人も少なかったのでゆっくりと見ることが出来ました。
緑多く静かな素晴らしいお墓でした。 -
次の所へ向かいます。道路を走るとこのオートリクシャがあちこちに走っています。市民の足という気がしました。旅行者が乗るときは料金の交渉などで、だいぶ面倒くさい手続きがいるようです。悪徳雲助も多いらしいです。
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やって来ました。クトーブミナール入り口です。
外国人専用入り口です。現地の人の行列を尻目にサッサと入っていけます。しかし入場料は現地の人の数倍の金額を取られます。 -
金属探知機などセキュリティは厳しいです。
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見えてきました。クトーブミナールの塔が。
額に手を当てているのが現地ガイドのラーワトゥさんです。
デリーに大家族で住んでいますが、ネパール人だそうです。若い時名古屋に3か月間インド料理屋に働きに来て独学で日本語を勉強してインドに帰って来て日本人専門の現地ガイドをやっているそうです。ホテルとのWifiやペットボトルの水の本数の取次など頼りになるガイドさんでした。 -
ここで千葉の仲間が盛んに涼しい上着をアピールしています。
新しもの好きの仲間は、これさえあればどんなに暑くても大丈夫?とわざわざ日本で買ってきたそうです。 -
仕組みは、脇の下の両側に換気扇のファンが2つ付いていて、外気を吸い込んで服の中を通ります。その中に入った空気は袖口と襟から出ていきます。
モーターのバッテリーは背中の腰辺りに四角い瘤となって膨らんでいます。
しかし、翌日から仲間はその上着を着てきませんでした。どうしたのかと聞くと吸い込む外気も暑いのと、涼しいはずの冷感下着が思いのほか暑かったので止めたそうです。日本のテクノロジーもインドでは苦戦を強いられたようです。その時のデリーの外気温度は42℃でした。 -
クトーブミーナールはインド最初のイスラーム王朝である奴隷王朝のアイバク王がヒンドゥー教徒に勝利した記念に建てた尖塔(ミーナール)です。
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高さ72.5mあって、コーランの章句がびっしりと刻み込まれています。
岩に彫り込む技術は素晴らしいと思いました。日本ですと木を彫り込みますが、堅い岩に文様を刻むのは職人の技と忍耐に感心させられます。 -
大きな建造物の遺跡の中は涼しくて日本人もインド人も集まってきます。
しかし、中国人、韓国人の姿はほとんど見ません。欧米系の白人もたまにしか見ません。現地ガイドのラーワトゥさんに聞くと、こんなに暑い今は観光のオフシーズンだそうです。でも日本人は1年中やって来るそうです。日本人は強いです。 -
イスラム建築とヒンドゥー建築が混在しているのでどれがなんだかわかりません。おまけに気温が体温以上なので思考力の低下が著しく、なんとなく凄い建物だなとおぼろげに思うばかりでした。
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Iron Pillar(鉄柱)3~4世紀のグプタ朝時代に作られたもので、いまだに錆びていない、と言うのがウリのようです。全体が黒く、黒錆に保護されているようでした。
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昼食にやって来たレストランです。この店の入り口は4トラの写真で見たことがあります。きっと日本人旅行者ツアーの御用達の店なんでしょう。
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昼間からビールです。ツアーの楽しみです。
インドの旅行中、毎日昼、夜ビールを飲みましたが、出てくるビールは全てこの「キングフィッシャー」でした。飲みやすいビールです。 -
店の中は明るくて清潔感が感じられる綺麗なレストランでした。
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始めにナンが出てきました。
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ウエイターが皿の横に2つサラーっと置いていったものです。食べたらミンチカツのような味がしました。普通に食べることが出来ます。
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パコーラー、インド風天ぷら。野菜やチキンなどを一口サイズに揚げたもの。ビールのおつまみにもいい。(地球の歩き方参照)
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バターチキンカレーです。これが美味しいです。今回のツアーの中で1番好きな料理でした。
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豆のカレー
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ほうれん草のカレー。ほうれん草の少しかび臭い香りがそのまま残っているカレーです。
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カリフラワーとインゲン豆のカレーです。
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デザートのアイスクリームです。
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昼食の後はバスに乗ってアグラの町に向かいます。約5時間のドライブです。
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途中のトイレ休憩です。大型のドライブインです。
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中にはフードコートがあります。
冷たい飲み物でのどを潤しました。 -
今回のツアーで私達を運んでくれたのがこのバスです。
外観はピカピカのバスですが中はチョット、クラッシックです。
路面電車のようにバスの運転室と客室との間にガラス窓付きドアーが付いています。 -
彼は運転助手。ドアーボーイ兼バスステップ係、飲料水販売係りのシャイな少年です。言葉が通じないため名前はわかりません。
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バスの走る道沿いには、普通に野良牛が歩いています。
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道端に立っている女性は皆、サリーのついた民族衣装を身に着けていました。
Gパンやスカートの女性はほとんどなく見ることはありませんでした。 -
アグラのホテルに到着しました。フォーポイント・バイ・シェラトンです。
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ロビーに入ってソファーに座ると早速イケメンのウエイターがウエルカムドリンクを持って来て勧めてくれました。 赤い透明な液体です。甘いだけで美味しいとは言い難いです。
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アグラはゴールデントライアングルの東側の都市です。
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ホテルはタージマハルやアグラ城から、わりと近くにあります。このホテルには2連泊します。
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ベッドです。
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トイレには、マレーシアで見た手動ウオシュレットのハンドシャワーが付いていました。マレーシアと違うところはトイレットペーパーのホルダーが付いているというところでした。
マレーシアの時よりだいぶ上手に使えるようになってきました。 -
洗面台です。
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部屋の相棒が早速リラックスしてします。
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部屋の奥から入り口側を撮ったものです。
スーツケース2つを楽々開くことが出来る余裕のある部屋です。 -
部屋の大きな窓からはアグラの街が良く見えました。
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部屋の窓から道を隔てた向こう側に朝市とスーパーマーケットがみえました。
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窓の真下には通りの店の裏庭が見え、飼っている牛や朝食の準備の様子が見えました。
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今日の食事は宿泊ホテルのレストランです。
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本来は下の大皿にカレーやお米を直接乗せるのですが、私が取ると皿の中で混ざり合って、ぐちゃぐちゃになりそうだったので小鉢にわけて取りました。
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ナンです。
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バターチキンカレーです。やっぱりこれが好きです。
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キュウリなのか茄子なのか良くわかりませんでした。
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明らかに焼きそばです。
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白身魚のカレーです。
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カレースープです。
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本来の皿の上に置く整理された美しい姿です。
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3日目
翌朝の5時10分のロビーです。朝日に照らされるタージマハルを見るため、夜も明けやらぬ早朝に皆さん集合しました。 -
まだ暗い街中をタージマハルに向かってバスは走ります。
このバスは運転席と乗客の間に電車のような扉が付いています。 -
遥かヤムナー河のかなたにタージマハルがうっすらと見えています。
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ちょっとズームすると確かにタージマハルが霞んで見えています。
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タージマハールの日の出を見た後ホテルに帰って来ました。
部屋から道の向こうの朝市を見ると、沢山の人で賑わっています。 -
オートリクシャや人や野良牛や持ってきた穀物らしきものなどが集まってきています。
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交差点の横の広場の木の下にはスイカらしきものが山積みにされています。
人も、オートバイも自転車、トラクター、トラック・・・あらゆるものが日本の昭和30年代の光景を思い起こさせます。 -
朝食の時間になりました。1階の昨日の夕食のレストランと同じところです。
部屋番号を言って席に案内してもらいます。 -
私達が朝の一番乗りでしたので好きな席を希望できました。窓際の明るい席に案内してもらいました。
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朝はフルーツや、ジュース、パンの種類が増えています。
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サラダもあります、でもメロン、マンゴー、スイカ、パパイヤなどのフルーツの方が美味しいので、そちら中心に皿に盛ってしまします。
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カレー類も沢山並んでいますが朝からのカレーはあまりすすみません。それと少しづつカレーに対してのあこがれが色あせて来ているようです。
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紅茶はやはり有名ですので色々ティーパックが並べてあり飲む人も多いようです。
左からオレンジペコ、アールグレー、ダージリン、アッサム、緑茶です。
コーヒはありますが、あまり美味しくありません。 -
チーズがカットされて数種類プレートの上にのせられています。
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パンもデニッシュなど数種類のものが並べられています。
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ジュース、飲み物はオレンジ、スイカ、ミルクセーキ、牛乳、チャイなどがあります。
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いちの膳は野菜のカレー、チーズ、春巻き風揚げ物、ヨーグルト、パン、マンゴー、メロンです。それにオレンジジュース、コーヒーです。
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にの膳はクロワッサン、ロールパン、食パン、バナナ、メロン、マンゴーです。
だんだんとあっさり系の方に流れ始めました。 -
ここで、またまた新しもの好きの仲間が新商品をとりだしました。
ポータブル翻訳機です。日本語からあらゆる国の言語を瞬時に翻訳してしゃべり始めます。
彼は早速、ボーイを呼んでヒンズー語にセットした翻訳機に向かって「この料理は美味しいよ」としゃべりました。一息置いて「XXXX XX XXXXXX」と翻訳機がしゃべりました、ボーイはびっくりした顔をしてその翻訳機をみつめました。彼は同僚のボーイに何か呼びかけると3~4人のボーイが集まって来ました。また仲間が日本語で喋るとヒンズー語になって喋りだす翻訳機にボーイ達は大絶賛です。
今回の新製品は大成功でした。新しもの好きの仲間は昨日の冷風ジャケットの不発を完全にリベンジする事が出来て意気揚々です。 -
朝食を終えて部屋に戻り、窓の外を見ると朝市がますます賑わっています。
馬の荷車も出てきました。 -
サトウキビのプレス機を積んださとうきびジュース屋も忙しそう。
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先ほどの黒い野良牛に加えて白い野良牛も2頭朝市に入り込んでいます。
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いよいよ、タージマハルにやって来ました。
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敷地内に入る前に、身体検査、持ち物検査が金属探知機、x線透視し機を使って行われます。1人づつ丹念に行います。
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長い参道を通って入り口の門へ進んで行きました。
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敷地の門が見えてきます。何か足場を組んで工事をしています。
日本の新聞のニュースで見ましたが、数ヶ月まえの大嵐で入り口の門のミナレットが倒れて木っ端微塵になったそうです、きっとその修復なのでしょう。門のミナレットが3本しかありありません。 -
ついにきました。タージマハルの正門です。
門だけでも立派な建築物です。 -
門の入り口を入ると、中は薄暗く、出口の方ばかりが明るく光を放つタージマハルを想像させます。
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出口自体が大きく見学者の頭の重なりがその大きさを感じさせます。
その先にあの本や雑誌、放送メディアなどで良く目にするタージマハルが霞の中のように見えてきました。 -
門から出てくると、急に光の中の世界に放り出されたようになり、タージマハルが全貌を表します。
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大きい!
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大きい! 大きい!
タージマハルの台部分に乗っている人間の大きさから比べても 大きい! -
イスラム建築に見られるイーワーン式の入り口に着きました。大きい!それにその柱、壁、天井全ての所が大理石の彫刻、象嵌で埋め尽くされています。
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この大きさ、威圧感と清楚感の融合、そしてその美しさはここに来て、実物を見ないと実感できない感触、感覚だと思います。
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一転、廟内に入ると暗く中の様子がよく見えません。
目を凝らすと、大理石に彫られた複雑な文様の透かし彫りの囲いの中に、大理石の石棺が安置されているのが微かに見えます。 -
その大理石の透かし彫りの囲いの周りを見学者が黙々と歩いていきます。
ゆっくりと立ち止まって見ることの出来ないほどの混雑具合です。
もう少し立ち止まってシャー・ジャハーンの思いを想像したかったです。 -
外に出て裏から見たタージマハルです。前後左右どこから見ても同じように見えるように設計されています。
それにしても暑い、暑い 日差しを避ける日影が全くありません。 -
タージマハルの裏側、ヤムナー河が流れて、遥か向こうにアグラ城があります。
シャー・ジャハーンはアグラ城からこちらのタージマハルを日夜眺め、愛する妻の思い出にふけっていたのでしょう。 -
アグラ城にやって来ました。
1573年に3代目皇帝アクバルが居城として建てた城です。
ここの城も巨大な城です。
赤い砂岩で作られた城壁や門がよけいに暑さを増長させます。 -
城内に通じる道です。敵が攻め入って来た時には、両壁の上から煮えたぎった油を敵兵めがけてまき散らし城を守ったそうです。
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ジャハーンギール宮殿です。
この宮殿はアクバルによって作られたものです。 -
イスラム建築の特徴的なイーワーン式の入り口です。
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中の柱や梁などの装飾にはヒンドゥーの彫刻もあります。
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これらの装飾はヒンドゥーとイスラム様式を融合させたものです。
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アクバルは広大な帝国を治めるため、人種、宗教、文化の垣根を取り払い優秀な人材を起用しました。ヒンドゥー教徒の人を武将にし、異教徒の女性を妃に迎え、イスラム教徒以外の人々に課せられていた税を免除なども行っています。
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この穴に沢山の香草や香り高い草花を入れて宮殿を良い香りで包んだそうです。
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赤砂岩で出来たアグラ城ですが、これはアクバルの時代に作られたもので、5代皇帝シャー・ジャハーンの時代に作られた建物は白大理石のものが主です。
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皇帝の寝殿ハース・マハルです。隣接するシーシュ・マハルは所謂ハーレムと呼ばれるところで、小さな鏡と金属と陶磁器などで飾られて別名鏡の御殿と呼ばれています。
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皇帝の寝殿ハース・マハルの東にあるのが、5代皇帝シャー・ジャハーンが息子の6代皇帝アウラングゼーブに幽閉されたムサンマン・ブルジユです。
八角形の塔といわれ、ここからタージマハルがよく見えます。 -
ムサンマン・ブルジユから見たタージマハルです。
シャー・ジャハーンは14人の子供を生み、36才で亡くなった妃ムムターズ・マハルの墓、霊廟タージマハルを眺めながら8年間、74才で亡くなるまで過ごしたそうです。 -
内部は白大理石の壁面に草花模様の装飾や色とりどりの宝石で象嵌がほどこされ、思わずため息が出てしまうほどの美しさです。
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シャー・ジャハーンの居たところへは柵で囲って入れません。白大理石の床には水浴びが出来るようなくぼみが作ってありました。
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シャー・ジャハーンの居たところをよく見ると何かがしゃがんでいます。
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じっと目を凝らしてみますと、猿です。床が濡れています。シャー・ジャハーンの生まれ変わりなのでしょうか。じっとタージマハルを見つめているように思えます。
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庭にはリスが遊んでいます。
インドでは、公園に限らず町中などいたる所に住んでいるようで良く見かけます。 -
ディワーニ・アーム(公謁殿)です。
ここで皇帝が一般民衆の訴えを聞き裁定を下していました。 -
大理石の玉座には美しいアーチを作り自分の姿が輝かしく見えるように作られています。
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アグラ城を終えて街の中華レストラン「ゴールデンチャイナ」で昼食です。
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先ずはビール「キングフィッシャー」400ルピー(400x1.79=716円)
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じゃがいものフライ。大学芋のような感じ。
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春巻きのキングサイズ
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しらす干しのようなご飯
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ゴロゴロ野菜の炒め物
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野菜カレー
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上手に盛るとこのようになります。でもすぐに食べながら追加で載せていくので、皿の上はゴチャゴチャになります。
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全くの焼きそばです。旨いです。
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昼食が終わった後はホテルに戻ります。
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2連泊しているホテル「フォーポイント・バイ・シェラトン」に到着しました。 -
暑い中ガードマンさんが立っています。私だったら熱中症で倒れていることでしょう。
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涼しい部屋で相棒と休んでいましたが、窓の外の市場が気になります。朝の市はもう終わっており、人や、運搬車の数も少なくなっていました。
道路の反対側ですので、信号機の無い車道の横断をしなくてはいけませんが、これがチョット冒険です。現地のインド人は車優先の車道の中をトラック、バス、オートリクシャ、トラクターの間を縫うように渡っていきますが私達にそれが出来るか心配です。
まあ、何とかなるだろうと、出掛けることにしました。
ホテルの敷地の門を出るなり、人相の悪いオートリクシャの運転者が塀に沿って歩き始めた私達にオートリクシャごと横付けし、盛んに乗れとアピールします。
すぐそこだから乗らない。とアピールしますが何かしゃべりながらずーっと私達の歩行に合わせて、乗れ乗れ、とアピールし続けます。車道に出たので車道に沿って左折してもまだ私達の歩速に合わせてついてきて乗れ乗れ、と言い続けます。
もう、そのリクシャーを無視して車の途切れた合間の車道を横断してしまいました。さすがに反対車線までは付いてこず無事反対側の市場側に来ました。 -
市場に来るとそこは砂地のような土間で、仮設のような露店が並んでいました。
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衣類のような物や,タオルのような敷物、雑貨が置いてあったりしますが、客もいないのでガン見されます。
後ろに見えているビルがホテルで、その5階の部屋から私達は毎朝ここの朝市を見ていたのでした。 -
タージマハルやアグラ城の大理石の床、壁、柱に見られる華麗な装飾を見た後の朝市の砂地の土間、埃っぽいい粗末な仮設テントのような店・・・ 同じ国のあまりの文化、風俗の差に相棒の表情は凍り付いてしまうのでした。
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この奥に行くと、地元の庶民と思しき人が屋台で食事している横を野良牛がトボトボと歩いてきて立ち止まりました。こちらを見るでも無く、餌を欲しがるでもなく、ただ立ち尽くしているだけです。どうも生気がありません。
日本の観光牧場や酪農農家に居る牛はもっと目に生気がみなぎっています。
神様の乗り物として大事にされていると認識していたのとはチョットちがっていました。 -
部屋の相棒は市場の雰囲気に疲れ果てトボトボとホテルに戻っていくのでした。
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ホテルの敷地の入り口まで来てほっとしているところです。
世界遺産になる偉大な文明を残す民族と目の前に繰り広げられる光景の庶民とのギャップは何なのでしょう? 古代アーリア人がバラモン教と共に持ってきたカースト制度が仏教やジャイナ教とを派生しながらも今のヒンズー教を生み、中近東からきたイスラム教と融合分離を繰り返しながらその時代の文明・遺跡を作り出してきました。その偉大な建築物を作り出すのは征服者だけでなく職人やその家族も含めて、その時与えられた立場で、それ相応の生活の中で能力を発揮してきた人々の努力の結晶なのでしょう。そしてその末裔達の住む社会の形態、制度が当時から今に脈々と繋がりこの今の世界を作っているのでしょうか。
イヤー実に奥深い世界です。そう簡単には理解できそうにありません。 -
ホテルに戻り、ホテル内の土産品店に来てお土産に使えるものはないかとTシャツなどを選んでいます。
この売り子のお姉さんの顔ですが、ふくよかでセクシーなヒンズー教の神様の顔そのままのように思えました。日本の仏様、菩薩様、お地蔵様に通ずる顔かたちの様にも思えます。やはり仏教もインドが発祥の地ですから、インド人の顔が仏像の顔のルーツに成っているのかも知れません。 -
午後のテータイムの頃、「タージマハルを望めるカフェでのティータイムもお楽しみ」というスケジュールがあり暑い中バスで出かけました。そこはレストランらしき建物の屋上で遠くにタージマハルを望めるところでした。
実に、この暑い中、屋外でのテータイムです。イヤー暑かったです。
この日の最高の気温は44℃と聞いています。 -
紅茶とクッキーの酷暑の中のテータイムでした。
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建物の廊下に飾られていた、アグラ城らしき城の前を凱旋するインドの古代軍の絵です。
やはりアグラ城での戦いに登場する兵隊は屈強そうです。象部隊もあったと本にありましたが、なるほど現代の戦車に相当しそうな様相ですね。
しかしインドの戦いは暑かっただろうなと思いました。 -
夕食はホテルのレストランです。
中央の焼きそばと、ポテト以外はほとんどカレーです。何回食べてもカレーは美味しいです。でも日本のバーモントカレーやジャワカレーも懐かしくなってきます。 -
カレースープです。
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芋を漉して甘みを加えて蒸したようなものです。
2杯は食べようとは思いません。 -
ナンです。
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デザートは色々なケーキがありました。
どれも美味しくいただきました。
前編はここまでで終わります、つづきの
4日目からは後編に続きます。
後編もお楽しみください。
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この旅行記へのコメント (2)
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- nao-takeさん 2018/08/29 06:46:48
- インドへ行きたくなりました。
- 私もいつかはビジネスでインドへ行きたいです。生水さえ飲まなければ下痢等しませんか?季節はいつが良いのでしょうか?
- 松太郎さん からの返信 2018/09/15 18:30:15
- RE: インドへ行きたくなりました。
- > 私もいつかはビジネスでインドへ行きたいです。生水さえ飲まなければ下痢等しませんか?季節はいつが良いのでしょうか?
遅くなり申し訳ございません。
インドの下痢については4トラ以外でも友人の情報でも当たるとひどい目に合うと聞かされていたので、整腸剤、下痢止め材など用意しました。でもツアーであてがわれる飲食物以外は口に入れないようにしていましたらほぼ大丈夫でした。ツアーの同行者の皆さんも下痢になったり、寝込んだりした人はいませんでした。
季節ですが、4〜6月は暑いです。気温が40℃を超えると気力、体力が萎えてきます。私が次インドへ行く機会がありましたら6月は絶対避けたいです。行くならガイドブックにある通り11月から3月に行きたいと思います。
インドという国は今まで経験したヨーロッパやアジアとは全く違う異次元の世界です。その分興奮もしますし、面白い、素晴らしい、悲しい、馬鹿野郎!と色んな感情を与えてくれました。今も大きなテーマパークに行ったような感情が残っています。
行くなら体力の残っている内の早めに行かれることをお勧めします。
今回私の行ったビジネスとしては比較的安価な「ANAビジネスクラスで行くツアー」は定番ツアーのようで通年あるようです。クラブツーリズムのカタログやホームページから探すことが出来ます。
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