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用事ついでに、仙台市地下鉄の国際センター駅から、仙台市博物館に行って来た。<br /><br />

仙台市博物館

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2018/06/07 - 2018/06/07

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kaze99

kaze99さん

用事ついでに、仙台市地下鉄の国際センター駅から、仙台市博物館に行って来た。

旅行の満足度
3.5
同行者
一人旅
交通手段
私鉄 徒歩

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  • 仙台市地下鉄の国際センター駅を降りると、フィギュアスケートの金メダリスト2名の大きなパネルがあった。

    仙台市地下鉄の国際センター駅を降りると、フィギュアスケートの金メダリスト2名の大きなパネルがあった。

  • そのパネルの横に、日本フィギュアスケート発祥の地 五色沼の紹介とその二人の手形の説明版があった。

    そのパネルの横に、日本フィギュアスケート発祥の地 五色沼の紹介とその二人の手形の説明版があった。

  • 駅前のMAP看板。

    駅前のMAP看板。

  • 仙台国際センターの脇を進むと、仙台城址入口に出る。<br /><br />その角には、大手門脇櫓が見れる。

    仙台国際センターの脇を進むと、仙台城址入口に出る。

    その角には、大手門脇櫓が見れる。

  • 三の丸・堀跡である五色沼に来た。

    三の丸・堀跡である五色沼に来た。

  • ここは、さっきパネルで見た日本フィギュアスケート発祥の地であった。

    ここは、さっきパネルで見た日本フィギュアスケート発祥の地であった。

  • 子門跡を進み、仙台城三の丸跡にある仙台市博物館に到着。

    子門跡を進み、仙台城三の丸跡にある仙台市博物館に到着。

  • 常設展で興味を惹かれたのは2つ。<br /><br />東光寺の磨崖仏。

    常設展で興味を惹かれたのは2つ。

    東光寺の磨崖仏。

  • 多賀城跡のやや近くにあるとわかった。<br /><br />磨崖仏は鎌倉~室町時代と思われる。

    多賀城跡のやや近くにあるとわかった。

    磨崖仏は鎌倉~室町時代と思われる。

  • 奥の丘状の仙台城と広瀬川、手前の大手町の都市模型。

    奥の丘状の仙台城と広瀬川、手前の大手町の都市模型。

  • 昔のパネル写真展では、先ほどの五色沼での昭和12年の様子があった。

    昔のパネル写真展では、先ほどの五色沼での昭和12年の様子があった。

  • 2つ目の興味は、慶長遣欧使節のコーナー。<br /><br />この3つの展示(ローマ教皇パウロ五世像、支倉常長像、ローマ市<br />公民権証書)が、それぞれ国宝であり、2013年にユネスコ記憶遺産に登録されている。<br />

    2つ目の興味は、慶長遣欧使節のコーナー。

    この3つの展示(ローマ教皇パウロ五世像、支倉常長像、ローマ市
    公民権証書)が、それぞれ国宝であり、2013年にユネスコ記憶遺産に登録されている。

  • 支倉常長は、仙台藩主伊達正宗の命で、遠く、ローマ法王にまで会いに行く。<br /><br />それだけでもその冒険は見るものが多かったが、2日後に放映された世界ふしぎ発見の「伊達政宗の野望 海を渡ったサムライの密命を追う!」では、伊達正宗がローマ法王の後ろ盾を貰い、討幕を進める計画があり、その密命を支倉常長に託したというもの。

    支倉常長は、仙台藩主伊達正宗の命で、遠く、ローマ法王にまで会いに行く。

    それだけでもその冒険は見るものが多かったが、2日後に放映された世界ふしぎ発見の「伊達政宗の野望 海を渡ったサムライの密命を追う!」では、伊達正宗がローマ法王の後ろ盾を貰い、討幕を進める計画があり、その密命を支倉常長に託したというもの。

  • 博物館を出た南側には伊達政宗公胸像があった。<br /><br />伊達政宗は、カトリックの洗礼を受けていないという理由で、日本のカトリックの王に叙任し、騎士団の創設を認めて頂くという密命の野望は砕かれたという。

    博物館を出た南側には伊達政宗公胸像があった。

    伊達政宗は、カトリックの洗礼を受けていないという理由で、日本のカトリックの王に叙任し、騎士団の創設を認めて頂くという密命の野望は砕かれたという。

  • 近くにあった江戸時代後期「寛政の三奇人」の一人、林子平のパネル。<br /><br />仙台市内に墓があるという。

    近くにあった江戸時代後期「寛政の三奇人」の一人、林子平のパネル。

    仙台市内に墓があるという。

  • 魯迅の胸像。<br /><br />中国の小説家で、1904年、現在の東北大学医学部に進学し、医学を学んだ。<br /><br />奥にの魯迅を称える大きな石柱があった。

    魯迅の胸像。

    中国の小説家で、1904年、現在の東北大学医学部に進学し、医学を学んだ。

    奥にの魯迅を称える大きな石柱があった。

  • さらに市指定文化財 残月亭があった。<br /><br />明治中期の書院風茶屋で、初代仙台市長が建てたという。

    さらに市指定文化財 残月亭があった。

    明治中期の書院風茶屋で、初代仙台市長が建てたという。

  • 残月亭は無料開放されていた。<br /><br />四畳半の茶室と水屋、縁と次の間があった。

    残月亭は無料開放されていた。

    四畳半の茶室と水屋、縁と次の間があった。

  • 駅への戻り道も同じ道で戻った。

    駅への戻り道も同じ道で戻った。

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