2018/05/19 - 2018/05/19
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あの街からさん
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晴れた日には「水原」行こう!と思っていましたが
ソウルに来て5日目
やっと晴れ渡った気持ちの良い
青空になりました。\(⌒∇⌒)/
ソウル駅から
特急列車であっという間の30分
でかくて近代的な「水原駅」に到着。
イ・ビョンフンの演出する
韓国ドラマ「イサン」でも
日本でも知られるようになった
朝鮮王朝第22代王
正祖(チョンジョ)が
父 荘献世子(チャンホセジャ)
を弔う為に造った城塞都市
「水原華城」を
朝鮮王朝の物語に思いを馳せながら
「水原華城をウォーキング」してみょう
と思います。
総面積が130ha(東京ドーム約28個分)
全長は5.7kmというとのことです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
「水原」には
地下鉄1号線でソウル駅からだと22駅
で1時間2分程で(W1850)それとも
ソウル駅発の特急列車およそ30分で行くか?
当然のようにソウル駅発の特急列車で
行くことにしてました。
おおよその日程を相方さんと話しあった時の
「あの街から」は『水原で「水原華城」を
ぐるりと1周ウォーキングをしたい』
話したところ
「それじゃ、私はその日
仁寺洞(インサドン)で
伝統家屋のカフェやら
ギャラリーを回ってゆるりと過ごしたい」
とのことでした。
夕食は一緒にするとして
それまでの時間
今日は別行動 (^o⌒*)/
と決まりました。
ソウル駅のフードコートで
ヨーグルトとクロワッサンで
簡単な朝食取った後
相方さんと
改札口で別れました。 -
土曜日でしたがチケット売り場の
窓口はさほど混んでおらず
ここで言ってみようと覚えてきた
「スオン カジ イル ジュセヨ」
(水原まで1枚ください)
と言ってみたら
その場でプリントした
用紙(レシート)を手渡されました。
時系列になった3本の列車が記載されていて
その中から
12:45発の特急列車にしました。
帰りの列車は決めないでおこう
と片道切符をW4800(480円程)
買い求めました。
特急料金が含まれていて
この料金です。
鉄道・地下鉄等交通費は
割安だなぁと感じました。 -
チケットは感熱紙に印刷された
縦長で名刺を少しだけ大きくした大きさのものでした。
日本のように改札はなく
(こんなところも異文化を感じさせてくれます。)
指定の8番ホームに行くと
「セマウル号」が停車していました。
外観はいつもピカピカになっている
日本の新幹線を見慣れた目には
やや汚れが目につきますが
中は綺麗な車両でした。 -
ソウル駅を出、漢江(ハンガン)を
渡っているなぁ。と思う間もなく
30分ほどで
13:14定刻通りに水原駅に
到着しました。
乗り物好きの「あの街から」にしては
乗りごごちも良い「セマウル号」に
もっと長く乗っていたいくらいでした。
スオン駅前の広場を囲むように
バスターの停留所が並んでいて
11番・13番・36番等
この他にも
行先表示が3桁や4桁の
経由するバスが沢山出ていました。
バスは次々にやって来ます。水原駅 駅
-
持参したメモ用しに
駅からおよそ10分程と書いてあるので
そろそろかなぁと窓の外を見ていたら
あっここかなぁ。と降りてみた所が
立て看板を見て、華城の北門
そして正門でもある「長安門」であると
わかりました。長安門 史跡・遺跡
-
イチオシ
「長安門」
現存する韓国城門の中では最大の城門で
首都を意味し
民が平和に暮らせるようにという
願いが込められているそうです。長安門 史跡・遺跡
-
予定では「八達門」でバスを
下車するつもりでしたが何やら
城門を見て慌てて下車してしまいました。
(〃⌒ー⌒)/
しかし、まぁどうせ1周するつもりなのだから
良いかぁ。と ゆる~く考えて ( ̄ー ̄)
城門をくぐった所に「観光案内所」が在り
W1000でチケットを買って
日本語のパンプレットを2種類いただきました。
以降 ここで頂いた
2種のパンプでの解説文と
地図を頼りに歩きました。 -
先ずは目の前の「長安門」に
上がってみました。
すると旗を手にした先導する人の
後ににぎやかな声と共に
2~30人程の団体さんが
ついてきました。
ここに広がっている
時空間を味わいながら
回ってみたいなぁ
と思っていましたので
ここはエィ!と即決し
予定していた
時計回りの逆回りで歩こうと
進路変更!
するとこちらの方向には
のどかな風景が広がっていました。
この城壁に沿ってウォーキングを
することにしました。
「長安門」の観光案内所を
出発したのが14:12
万歩計は9,669歩を表示していました。
(これは朝ホテルを出発してからの分) -
山歩きと似ているところがあって
城壁の向こ~うに見えていた
「北西砲楼」ですが
以外と直ぐ着きました。
と
歩き始めは余裕で通過。( ̄ー ̄) -
「北補楼」の奥に
水原市の高層ビルが立ち並んで
いるのが見えました。
朝鮮時代と現代が
ファインダーの中でタイムスリップ
したような風景でした。 -
『華西門』
水原華城には
「長安門」「八達門」「華西門」「蒼龍門」
の4つの門があり「華西門」は
華城の西を防衛する役割を
持ち(宝物第403号)に指定されています。 -
「華西門」の中を通り抜けてみました。
入口を入ると中は1段高くなっていました。
土曜日の昼下がり
家族連れがお弁当を
広げてピクニック中でした。
天井を鑑賞するのは
止めにして通過しました。
4っの門の中はいずれも
このような造りになっています。華西門 史跡・遺跡
-
「華西門」を出てみると
城壁の内側に道路が通っていて
門にコンビニが見えました。
門から道路に降って行くと
小さな韓屋の小さな広場から
民族楽器に合わせた歌声が
してきました。
ソウルの昌徳宮で聴いた
あのメロディーと
朗々とした歌声を。 -
思い出しました。
前回2014.5に昌徳宮(チャンドックン)
での陰暦の十五夜に開催される
夜間特別観覧で
満月の宮殿内の演慶堂(ヨンギョンダン)で
韓国の伝統音楽の調べを聴いたことを。
旅行記『満月の宵 世界遺産の宮殿の特別観覧へ』
https://4travel.jp/travelogue/10892547 -
予定外の民族演奏と歌声が聴けて
♪ ヽ(´ー`)ノ ♪
さて、軌道を修正して
また城壁沿いのルートへ
戻ってきました。
城壁沿いのルートは
高い位置に伸びていますが
下方にテコンドーをしている
フィギアかな?
と近づいてみると
華城を造っている様子の
労働者(村民)のフィギアでした。 -
城壁沿いのルートを
歩き続けます。 -
巡視の旗が翻るルートを進んで
「西砲楼」を過ぎて
傾斜がきつい(階段)
が待っていました。
時間にしてはそれほど長い時間では
ありませんでしたが
(;´ェ`) これほどきっいとは。
予想にしなかったので
気を抜いて?
まぁそんなことはなかった
とは思うのですが
ドロミテのコースより
フーフー言いました。 -
イチオシ
着きました!
西将台(華城将台) 到着14:45
万歩計11,941歩
華城で一番高い場所になります。 -
『西将台 ソチャンデ』
八達山の山頂に在り
軍事指揮本部であることから
華城将台とも呼ばれている
そうです。西将台 史跡・遺跡
-
ここまで歩いた汗も
快感に変わりました。
(*^0^*)
晴れた日にこの眺望を
眺めることができ
\(⌒∇⌒)/
水原市の市街地を一望
することができました。西将台 史跡・遺跡
-
『水原華城(スウォンファソ)』
朝鮮王朝第21代当時
少論派と老論派等幾つかの派閥があり
少論派で学び政務を務めていた
荘献世子(チャンホセジャ・王子)は
相対する老論派の陰謀によって
父の王(第21代王)によって死に至らしめられます。
時は流れて、
荘献世子の子
正祖(チョンジョ)が紆余曲折の末に
第22代王となりソウルの梨峰山に在った
父、荘献世子の墓を風水上優れた土地とされた
水原華山に移しました。
さらに首都移転を計画して
巨大な城塞の建設を開始します。
父の眠る地に城を築くことで
名誉を回復させると同時に
城を建築することは王権が強大であることをも
内外に知らせしめる効果もあったとのこと。 -
華城の建設は1794年(日本の江戸時代に当ります。)
1月に開始され1796年9月に
当初10年程はかかるのではと
見られていた工事が
総指揮をとった蔡済恭や
朝鮮最高の天才学者と言われている
チョン・ヤンギョンその他
多くの民によりわずか
2年9ヶ月で完成したといいます。 -
<考園の鐘>
西将台からほんの数歩
城壁のルート沿いに在ります。孝園鐘閣 史跡・遺跡
-
全体が文化遺産として
ソウルの「昌徳宮」と同じく
1997年12月に世界遺産に登録されました。
<世界文化遺産の記念碑>
なおもルート沿いに歩きます。 -
「西舗楼」を過ぎた所に
紫陽花?の花が咲いていました。 -
水分補給をしつつ
城壁のルートを進みます。 -
「西南暗門」
通過 14:57
万歩計12,917歩
<暗門>も水原華城に4か所在り
奥深くひっそりとした所に
建てられ、敵に見つからずに
軍事物資を城内に供給できるよう
に作られた施設で、有事の際
門を閉じて周囲に -
結構傾斜がきつい
階段を降りてゆきます。 -
<西南角楼>(華陽楼)
角楼も水原華城に4か所在り
いずれもが軍事的な要塞地に建てられ
周囲を巡回監視した兵士の休息所
となった。 -
そこから引き返して
八達門へ降りて行くことに
しました。 -
しばしなだらかな
城壁のルートを進みます。 -
今度は結構段数がありそうな
階段を降りてゆきます。 -
正面に「八達門」が見えてきました。
-
水原市の高層ビルの中に
目立って大きな建物が
見えまました。尖塔から
夕焼けが綺麗に見える展望台がある
という「水原第一教会」のようです。 -
階段を降りたところに
八達門観光案内所がありました。
「八達門」から城壁のルートを
回る人はここでパンフレットなど
の情報収集をすると良いですね。
向かいの
小さな広場では
野菜や生活用品等を並べた
市が開かれていましたが
先を急ぎます。八達門観光案内所 散歩・街歩き
-
階段の下方に
「八達門」が見えてきました。
八達門を真横から見た所に着きました。
城郭がここだけは両側
切れていて大きな道路が
ロータリーのように
通っています。
「八達門」 到着15:17
万歩計 14.559歩 -
イチオシ
「八達門」水原華城に出入りする
関所の役割ともなった門。
石造の虹の形をした門のうえに
門楼を建てられています。
『水原華城』は4方角に門を構え
正門とも呼ばれる北門「長安門」
南にある「八達門」
西にある「門華西門」
東にある「蒼龍門」の
他に
「華虹門」「東将門」「西南暗門」など
歴史的な建造物が在りますが
いずれも建築学的にも
秀麗で美しい景観を誇る建物と
言われています。八達門 史跡・遺跡
-
イチオシ
ぐるりと回って
市場側の真横から八達門を
ファインダーごしに眺めたところ
なにやらお祭りの山車の
ようにも見えました。 -
イチオシ
お祭りの門前町のような
賑わいでした。 -
再び八達門をぐるりと回って
大通りに出てきました。
目の前に八達門のその前に
蒸し器から湯気を立てて
肉まんやあん饅を売る店がありました。 -
ちょうど良い具合に
お腹が空いていました。
1ヶW1000(100円程)の
肉まんやあん饅で昼食にしました。 -
先ほど城壁沿いにあった
売店で買ったポカリスエットを
飲みながらのランチ
結構なボリュームがあり
美味しくいただきました。
そう言えば水原華城で
使ったW(韓国貨幣)は
入場券W1000,肉まん2ヶW2000
ポカリW2000のW5000(500円程)
で楽しく1日を過ごすことができました。 -
八達門の前から大通りを
北に5~6分程歩いた所に
行宮広場が在りました。
何やらイベントが開催されていて
テントの店が並んでいました。 -
空を見上げると
たくさんの凧が揚がって
いました。 -
市民の皆さんのようですが
休日を親子で楽しんでいるのか?
凧揚げもイベントの一環なのかは?
わかりませんでした。(笑) -
もしかしたらベトナムからの
観光客の皆さんかなぁ。 -
アオザイ素敵ですね。
皆さん
イベントを楽しんでいました。 -
青い空に気持ちよさそうに
凧が泳いでいます。 -
休日のひと時を
親子で凧揚げ
長閑でいいなぁ。
お父さんの方が一生懸命だぁ。\(⌒∇⌒)/ -
周り一帯の楽しそうな声が響きわたる中
突然「アッパ!」と叫ぶ子供さんの鳴き声
お父さんは
「どうしたンだ?」「泣くな泣くな」
とリアクション。
そうえいば、
八達山の山頂,西将台へのきつい登りで
何度も聞こえたのが
「アッパ!」と叫ぶ子供さんの鳴き声
でした。
「韓国ドラマ」でよく見かける
父親(祖父・祖母)を中心に
家族が回っている様子を
見たような気がしました。 -
『華城行宮』
『宮廷女官チャングムの誓い』『イ・サン』など
数多くの韓流ドラマがロケ地になったことでも
知られています。
行宮広場でのイベントと
土曜日いうこともあり
宮内は大勢の観光客の皆さんで
溢れていて早々に退散し
行宮広場でのイベント会場へと
向かいました。 -
「行宮広場」の一角で
韓服を着た混声合唱の
歌声が響きます。 -
民族楽器の調べも
-
生で聴ける機会は
滅多にないのに
時間が押しているような (;´ェ`)
心が残りますが先を急ぎます。 -
「行宮広場」前の大通りを
横断して「閣民与」の前を
通り水原川へ出ようと思います。 -
今回
水原への旅をして水原の歴史に触れ
少しだけ調べてみようと思いました。
その中でこんな逸話や論議が交わされて
いることを知りました。
それは
朝鮮王朝第22代王・正祖(イ・サン)
は『水原華城』への
遷都を考えていたのか?
という問いかけです。 -
有り・無し
肯定派と否定派の両説があり
いずれも興味を引くものでした。
水原華城は
1796年に2年10ヶ月の歳月を
かけて完成したと先にお話しましたが
完成した暁に第22代王
正祖(チョンジョ)は予定通りに
移住しました。
そして首都として遷都しようとしますが
群臣達が猛反対し叶わぬまま
ほどなくして正祖も死去。
城塞は出来ましたが
首都にはならなかったことで
その後は荒廃して行くことになった。
という言わば歴史肯定派の説。
と水原川 滝・河川・湖
-
一方、否定派の説は
朝鮮では外敵の侵入を極端に警戒したことから
道が全くといっていいほど発達しておらず
物流はもっぱら人が担いで行われるという状況で
荷車を使って大量輸送をしょうにも
それができない道路事情でした。 -
そのため、大量輸送となると大河が必要となるのです。
大河と言わずとも舟の航行が可能な川のある場所が
栄えるのですが、その大河が水原にはないのです。
海へは10数キロ離れていてそこまで運河を作ったり
道路を整備するということも考えられますが
40代半ばの心優しい正祖は民衆への負担を考え
悠長な大規模工事を行う余裕はなかった
と説きます。 -
更には、水原行宮は首都機能を持つ王宮としては
あまりにも規模が小さいものだったのです。
後日拡張する予定だったとしても
華城自体、綿密な計画を立てて創られた城であり
既に完成形であるため、拡張云々は考えにくい
と説き、それは、母 恵慶宮が書いた
閑中録(ハンジュンノク)に遷都を考えてなかった
であろう記述があると続きますが
この説以上に -
イ・サンは幼少の頃から自身の身分と立場が
不安定だったために、常に内心を表には表さない王だった
と言います。そのため、ある程度資料が残っている
事柄であっても、本心を吐露していないため
形として残っていないものは
すべて憶測で考えなければならず
これからの記述もあくまで憶測の範疇である。
と、肩透かしを食らったようでした。 -
イチオシ
さて、水原華城で1番の景勝地
華紅門(北水門)に到着しました。
♪ ヽ(´ー`)ノ ♪
ソウルと同様にここ数日間
雨降りだったのか7つの水門から
虹のように溢れ出る水しぶきは
ため息ものでした。
到着時刻 16:14
万歩計 18,166歩 -
水原川に向かって左
川岸の小道は華紅門の下まで
続いているのだろうと
皆さんの後をついて
行ったところあと一歩の所で
行き止まりになっていて (;´ェ`)
引き返すことになってしまいました。華虹門 (ファフォンモン) 史跡・遺跡
-
華紅門の右奥には訪花随柳亭
が臨めます。
やはりこの眺めを見ながら
「あぁ水原華城にやって来たのだなぁ」
と感じたひと時でした。
ここから
まだ東側を回っていないので
ルートを東に進めて歩きます。 -
華城御車が錬武舘の方から
スイスイと滑るように
降ってゆきました。
何だかテーマパークみたいだぁ。 -
また坂道になりそうですが
その前に「東北角楼」へ向かいます。 -
「東北角楼」の案内板です。
-
「東北角楼」
戦略上でも重要な場所にあって
華城の中でも特に美しい施設
としても有名で
宝物第1709号として
<訪花随柳亭>とも呼ばれて
いる。こちらの方が
風流でいいなぁ。 -
城壁ルートは続いています。
-
ぐるりと回り込んで
-
「東北舗楼」の遥か
向こうに水原市の高層ビルが
見えます。 -
イチオシ
「東北舗楼」
-
城壁ルートを回り込んで
-
錬武台(東将台)が
見えてきました。 -
錬武台(東将台)を真横の入り口から
入ってゆきます。 -
イチオシ
錬武台(東将台) 到着16:31
万歩計19,370歩 -
西陽に照らされて
綺麗でした。練武台 (東将台) 史跡・遺跡
-
イチオシ
国弓場の前の建物は
2階がカフェ・レストランのようでした。
眺めが良さそうでしたが
先を急ぐ時刻となってきましたので
スルーします。 -
皆さん 真剣に遊んでいます!
-
構えに迫力がありましたぁ。
-
遠い的
と
近い的がありましたが?
ルートはそこから
さらに回り込んで -
イチオシ
4大門の1つ
「蒼龍門」
到着16:42
万歩計19,852蒼龍門 (華城東門) 史跡・遺跡
-
「蒼龍門」
華場の東を防護するための門。
美しい景観です。 -
城壁ルートを東へと
すると
下方に幹線道路が走っていました。 -
国弓場を反対側から
眺めたところ
城壁(ルート)が通っています。 -
回り込んで
-
しばらく前に
八達門の向こうに見えた
水原第一教会が
ここからも突出して見えました。 -
「東北空心墩」
この中で兵士が
敵を見張るための
いわば見張り台。
煉瓦で丸く墩台を
積んで造られたもので
華城の中で異彩を放つ建物です。 -
やや陽が傾いてきました。
城壁ルートを北へと舵を切ります。
<訪花随柳亭>のその向こう
「長安門」のフィニッシュ地点
までもう少し -
傾いた陽射しが目に眩しい
「長安門」が目の前に見えてきました。
結局、「長安門」到着は17:27で
出発してから3時間15分かかりましたぁ。
万歩計は24,155歩
水原華城を蛇行しながら (〃⌒ー⌒)/
1周して
14,486歩でした。 -
水原華城内の建物の中には
朝鮮古来の築城法と
中国からの近代西洋の建築技法を
組み合わせて作られていて
他の地域にある城郭には見られない
防御システムの導入と建築資材には
石とレンガを混ぜて作られたそうです。
それが4大門に取り入れられていて
歴史的な建築物ながら
現代の建築学からみても、
科学的かつ合理的で優れた
構造をしていることが
立証されているということです。長安門 史跡・遺跡
-
さて
父 荘献世子(チャンホセジャ)を
弔う為お墓を移したその後に
城塞都市建設に着手したと言われる
朝鮮王朝第22代正祖(チョンジョ)は
幼友達や
将来の官僚候補の学び舎
成均館(ソンギュンガン)で
出会い友情を結んだ友そして
父が重用していた忠臣などの助けにより
それまでの誤った慣習を撤廃。
政策に改革を加えながら
自身の理想とする政策を立案・実施し
派閥を問わず能力のある者を登用し
朝鮮末期文化に華を開かせたということです。
この物語には続きがあって -
1800年6月28日、49歳の時
正祖イサンは突然の病に倒れ急死。
彼の革新的な政策は
時代に引き継がれること無く
その反動から
国王の信認を得た特定の人物や集団が
政権を独占する世道(せどう)政治が横行し
政権の私物化が行われた。
イ・サンの死により強大で新たな悲劇が
こうして始まりました。
以降、朝鮮半島は200年の
暗黒時代に突入して行くことに
なったという歴史物語。
いつかこの壮大な物語の紐を解いてみたいなぁ
と思う反面、これはシェクスピの4大悲劇のごとく
ドロドロとした物語だろうなぁと(;´ェ`)
その気が失せてきました。
「長安門」前のバス停から水原駅に向かいます。 -
水原駅18:59発の特急列車で
ソウル駅着が19:35。
夕日が沈む漢江(ハンガン)を
眺めながらあぁソウルに戻ってきた。
とそんな風に感じました。
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