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晴れた日には「水原」行こう!と思っていましたが<br />ソウルに来て5日目<br />やっと晴れ渡った気持ちの良い<br />青空になりました。\(⌒∇⌒)/<br /><br />ソウル駅から<br />特急列車であっという間の30分<br />でかくて近代的な「水原駅」に到着。<br /><br />イ・ビョンフンの演出する<br />韓国ドラマ「イサン」でも<br />日本でも知られるようになった<br />朝鮮王朝第22代王<br />正祖(チョンジョ)が<br />父 荘献世子(チャンホセジャ)<br />を弔う為に造った城塞都市<br />「水原華城」を<br />朝鮮王朝の物語に思いを馳せながら<br />「水原華城をウォーキング」してみょう<br />と思います。<br />総面積が130ha(東京ドーム約28個分)<br />全長は5.7kmというとのことです。

水原華城を朝鮮王朝の歴史物語に思いを馳せながら ぐるり1周ウォーキング〈万歩計と到着時刻も記載>

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2018/05/19 - 2018/05/19

7位(同エリア482件中)

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94

あの街から

あの街からさん

晴れた日には「水原」行こう!と思っていましたが
ソウルに来て5日目
やっと晴れ渡った気持ちの良い
青空になりました。\(⌒∇⌒)/

ソウル駅から
特急列車であっという間の30分
でかくて近代的な「水原駅」に到着。

イ・ビョンフンの演出する
韓国ドラマ「イサン」でも
日本でも知られるようになった
朝鮮王朝第22代王
正祖(チョンジョ)が
父 荘献世子(チャンホセジャ)
を弔う為に造った城塞都市
「水原華城」を
朝鮮王朝の物語に思いを馳せながら
「水原華城をウォーキング」してみょう
と思います。
総面積が130ha(東京ドーム約28個分)
全長は5.7kmというとのことです。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
交通
5.0
同行者
一人旅
交通手段
鉄道 高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 「水原」には<br />地下鉄1号線でソウル駅からだと22駅<br />で1時間2分程で(W1850)それとも<br />ソウル駅発の特急列車およそ30分で行くか?<br />当然のようにソウル駅発の特急列車で<br />行くことにしてました。<br />おおよその日程を相方さんと話しあった時の<br />「あの街から」は『水原で「水原華城」を<br />ぐるりと1周ウォーキングをしたい』<br />話したところ<br />「それじゃ、私はその日<br />仁寺洞(インサドン)で<br />伝統家屋のカフェやら<br />ギャラリーを回ってゆるりと過ごしたい」<br />とのことでした。<br /><br />夕食は一緒にするとして<br />それまでの時間<br />今日は別行動 (^o⌒*)/ <br />と決まりました。<br /><br />ソウル駅のフードコートで<br />ヨーグルトとクロワッサンで<br />簡単な朝食取った後<br />相方さんと<br />改札口で別れました。<br />

    「水原」には
    地下鉄1号線でソウル駅からだと22駅
    で1時間2分程で(W1850)それとも
    ソウル駅発の特急列車およそ30分で行くか?
    当然のようにソウル駅発の特急列車で
    行くことにしてました。
    おおよその日程を相方さんと話しあった時の
    「あの街から」は『水原で「水原華城」を
    ぐるりと1周ウォーキングをしたい』
    話したところ
    「それじゃ、私はその日
    仁寺洞(インサドン)で
    伝統家屋のカフェやら
    ギャラリーを回ってゆるりと過ごしたい」
    とのことでした。

    夕食は一緒にするとして
    それまでの時間
    今日は別行動 (^o⌒*)/ 
    と決まりました。

    ソウル駅のフードコートで
    ヨーグルトとクロワッサンで
    簡単な朝食取った後
    相方さんと
    改札口で別れました。

  • 土曜日でしたがチケット売り場の<br />窓口はさほど混んでおらず<br />ここで言ってみようと覚えてきた<br />「スオン カジ イル ジュセヨ」<br />(水原まで1枚ください)<br />と言ってみたら<br />その場でプリントした<br />用紙(レシート)を手渡されました。<br />時系列になった3本の列車が記載されていて<br />その中から<br />12:45発の特急列車にしました。<br /><br />帰りの列車は決めないでおこう<br />と片道切符をW4800(480円程)<br />買い求めました。<br />特急料金が含まれていて<br />この料金です。<br />鉄道・地下鉄等交通費は<br />割安だなぁと感じました。<br />

    土曜日でしたがチケット売り場の
    窓口はさほど混んでおらず
    ここで言ってみようと覚えてきた
    「スオン カジ イル ジュセヨ」
    (水原まで1枚ください)
    と言ってみたら
    その場でプリントした
    用紙(レシート)を手渡されました。
    時系列になった3本の列車が記載されていて
    その中から
    12:45発の特急列車にしました。

    帰りの列車は決めないでおこう
    と片道切符をW4800(480円程)
    買い求めました。
    特急料金が含まれていて
    この料金です。
    鉄道・地下鉄等交通費は
    割安だなぁと感じました。

  • チケットは感熱紙に印刷された<br />縦長で名刺を少しだけ大きくした大きさのものでした。<br />日本のように改札はなく<br />(こんなところも異文化を感じさせてくれます。)<br />指定の8番ホームに行くと<br />「セマウル号」が停車していました。<br />外観はいつもピカピカになっている<br />日本の新幹線を見慣れた目には<br />やや汚れが目につきますが<br />中は綺麗な車両でした。<br /><br />

    チケットは感熱紙に印刷された
    縦長で名刺を少しだけ大きくした大きさのものでした。
    日本のように改札はなく
    (こんなところも異文化を感じさせてくれます。)
    指定の8番ホームに行くと
    「セマウル号」が停車していました。
    外観はいつもピカピカになっている
    日本の新幹線を見慣れた目には
    やや汚れが目につきますが
    中は綺麗な車両でした。

  • ソウル駅を出、漢江(ハンガン)を<br />渡っているなぁ。と思う間もなく<br />30分ほどで<br />13:14定刻通りに水原駅に<br />到着しました。<br />乗り物好きの「あの街から」にしては<br />乗りごごちも良い「セマウル号」に<br />もっと長く乗っていたいくらいでした。<br /><br />スオン駅前の広場を囲むように<br />バスターの停留所が並んでいて<br />11番・13番・36番等<br />この他にも<br />行先表示が3桁や4桁の<br />経由するバスが沢山出ていました。<br />バスは次々にやって来ます。

    ソウル駅を出、漢江(ハンガン)を
    渡っているなぁ。と思う間もなく
    30分ほどで
    13:14定刻通りに水原駅に
    到着しました。
    乗り物好きの「あの街から」にしては
    乗りごごちも良い「セマウル号」に
    もっと長く乗っていたいくらいでした。

    スオン駅前の広場を囲むように
    バスターの停留所が並んでいて
    11番・13番・36番等
    この他にも
    行先表示が3桁や4桁の
    経由するバスが沢山出ていました。
    バスは次々にやって来ます。

    水原駅

  • 持参したメモ用しに<br />駅からおよそ10分程と書いてあるので<br />そろそろかなぁと窓の外を見ていたら<br />あっここかなぁ。と降りてみた所が<br />立て看板を見て、華城の北門<br />そして正門でもある「長安門」であると<br />わかりました。

    持参したメモ用しに
    駅からおよそ10分程と書いてあるので
    そろそろかなぁと窓の外を見ていたら
    あっここかなぁ。と降りてみた所が
    立て看板を見て、華城の北門
    そして正門でもある「長安門」であると
    わかりました。

    長安門 史跡・遺跡

  • 「長安門」<br />現存する韓国城門の中では最大の城門で<br />首都を意味し<br />民が平和に暮らせるようにという<br />願いが込められているそうです。

    イチオシ

    地図を見る

    「長安門」
    現存する韓国城門の中では最大の城門で
    首都を意味し
    民が平和に暮らせるようにという
    願いが込められているそうです。

    長安門 史跡・遺跡

  • 予定では「八達門」でバスを<br />下車するつもりでしたが何やら<br />城門を見て慌てて下車してしまいました。<br /> (〃⌒ー⌒)/<br />しかし、まぁどうせ1周するつもりなのだから<br />良いかぁ。と ゆる~く考えて ( ̄ー ̄)<br />城門をくぐった所に「観光案内所」が在り<br />W1000でチケットを買って<br />日本語のパンプレットを2種類いただきました。<br /><br />以降 ここで頂いた<br />2種のパンプでの解説文と<br />地図を頼りに歩きました。<br />

    予定では「八達門」でバスを
    下車するつもりでしたが何やら
    城門を見て慌てて下車してしまいました。
     (〃⌒ー⌒)/
    しかし、まぁどうせ1周するつもりなのだから
    良いかぁ。と ゆる~く考えて ( ̄ー ̄)
    城門をくぐった所に「観光案内所」が在り
    W1000でチケットを買って
    日本語のパンプレットを2種類いただきました。

    以降 ここで頂いた
    2種のパンプでの解説文と
    地図を頼りに歩きました。

  • 先ずは目の前の「長安門」に<br />上がってみました。<br />すると旗を手にした先導する人の<br />後ににぎやかな声と共に<br />2~30人程の団体さんが<br />ついてきました。<br /><br />ここに広がっている<br />時空間を味わいながら<br />回ってみたいなぁ<br />と思っていましたので<br />ここはエィ!と即決し<br />予定していた<br />時計回りの逆回りで歩こうと<br />進路変更!<br />するとこちらの方向には<br />のどかな風景が広がっていました。<br /><br />この城壁に沿ってウォーキングを<br />することにしました。<br /><br />「長安門」の観光案内所を<br />出発したのが14:12<br />万歩計は9,669歩を表示していました。<br />(これは朝ホテルを出発してからの分)

    先ずは目の前の「長安門」に
    上がってみました。
    すると旗を手にした先導する人の
    後ににぎやかな声と共に
    2~30人程の団体さんが
    ついてきました。

    ここに広がっている
    時空間を味わいながら
    回ってみたいなぁ
    と思っていましたので
    ここはエィ!と即決し
    予定していた
    時計回りの逆回りで歩こうと
    進路変更!
    するとこちらの方向には
    のどかな風景が広がっていました。

    この城壁に沿ってウォーキングを
    することにしました。

    「長安門」の観光案内所を
    出発したのが14:12
    万歩計は9,669歩を表示していました。
    (これは朝ホテルを出発してからの分)

  • 山歩きと似ているところがあって<br />城壁の向こ~うに見えていた<br />「北西砲楼」ですが<br />以外と直ぐ着きました。<br />と<br />歩き始めは余裕で通過。( ̄ー ̄) <br /><br />

    山歩きと似ているところがあって
    城壁の向こ~うに見えていた
    「北西砲楼」ですが
    以外と直ぐ着きました。

    歩き始めは余裕で通過。( ̄ー ̄) 

  • 「北補楼」の奥に<br />水原市の高層ビルが立ち並んで<br />いるのが見えました。<br />朝鮮時代と現代が<br />ファインダーの中でタイムスリップ<br />したような風景でした。<br /><br />

    「北補楼」の奥に
    水原市の高層ビルが立ち並んで
    いるのが見えました。
    朝鮮時代と現代が
    ファインダーの中でタイムスリップ
    したような風景でした。

  • 『華西門』<br />水原華城には<br />「長安門」「八達門」「華西門」「蒼龍門」<br />の4つの門があり「華西門」は<br />華城の西を防衛する役割を<br />持ち(宝物第403号)に指定されています。

    『華西門』
    水原華城には
    「長安門」「八達門」「華西門」「蒼龍門」
    の4つの門があり「華西門」は
    華城の西を防衛する役割を
    持ち(宝物第403号)に指定されています。

  • 「華西門」の中を通り抜けてみました。<br />入口を入ると中は1段高くなっていました。<br /><br />土曜日の昼下がり<br />家族連れがお弁当を<br />広げてピクニック中でした。<br />天井を鑑賞するのは<br />止めにして通過しました。<br /><br />4っの門の中はいずれも<br />このような造りになっています。<br />

    「華西門」の中を通り抜けてみました。
    入口を入ると中は1段高くなっていました。

    土曜日の昼下がり
    家族連れがお弁当を
    広げてピクニック中でした。
    天井を鑑賞するのは
    止めにして通過しました。

    4っの門の中はいずれも
    このような造りになっています。

    華西門 史跡・遺跡

  • 「華西門」を出てみると<br />城壁の内側に道路が通っていて<br />門にコンビニが見えました。<br />門から道路に降って行くと<br />小さな韓屋の小さな広場から<br />民族楽器に合わせた歌声が<br />してきました。<br />ソウルの昌徳宮で聴いた<br />あのメロディーと<br />朗々とした歌声を。

    「華西門」を出てみると
    城壁の内側に道路が通っていて
    門にコンビニが見えました。
    門から道路に降って行くと
    小さな韓屋の小さな広場から
    民族楽器に合わせた歌声が
    してきました。
    ソウルの昌徳宮で聴いた
    あのメロディーと
    朗々とした歌声を。

  • 思い出しました。<br />前回2014.5に昌徳宮(チャンドックン)<br />での陰暦の十五夜に開催される<br />夜間特別観覧で<br />満月の宮殿内の演慶堂(ヨンギョンダン)で<br />韓国の伝統音楽の調べを聴いたことを。<br />旅行記『満月の宵 世界遺産の宮殿の特別観覧へ』<br />https://4travel.jp/travelogue/10892547

    思い出しました。
    前回2014.5に昌徳宮(チャンドックン)
    での陰暦の十五夜に開催される
    夜間特別観覧で
    満月の宮殿内の演慶堂(ヨンギョンダン)で
    韓国の伝統音楽の調べを聴いたことを。
    旅行記『満月の宵 世界遺産の宮殿の特別観覧へ』
    https://4travel.jp/travelogue/10892547

  • 予定外の民族演奏と歌声が聴けて<br />♪ ヽ(´ー`)ノ ♪<br />さて、軌道を修正して<br />また城壁沿いのルートへ<br />戻ってきました。<br /><br />城壁沿いのルートは<br />高い位置に伸びていますが<br />下方にテコンドーをしている<br />フィギアかな?<br />と近づいてみると<br />華城を造っている様子の<br />労働者(村民)のフィギアでした。<br />

    予定外の民族演奏と歌声が聴けて
    ♪ ヽ(´ー`)ノ ♪
    さて、軌道を修正して
    また城壁沿いのルートへ
    戻ってきました。

    城壁沿いのルートは
    高い位置に伸びていますが
    下方にテコンドーをしている
    フィギアかな?
    と近づいてみると
    華城を造っている様子の
    労働者(村民)のフィギアでした。

  • 城壁沿いのルートを<br />歩き続けます。

    城壁沿いのルートを
    歩き続けます。

  • 巡視の旗が翻るルートを進んで<br />「西砲楼」を過ぎて<br /> 傾斜がきつい(階段)<br />が待っていました。<br /> <br />時間にしてはそれほど長い時間では<br />ありませんでしたが<br />(;´ェ`) これほどきっいとは。<br />予想にしなかったので<br />気を抜いて?<br />まぁそんなことはなかった<br />とは思うのですが<br />ドロミテのコースより<br />フーフー言いました。<br /><br />

    巡視の旗が翻るルートを進んで
    「西砲楼」を過ぎて
     傾斜がきつい(階段)
    が待っていました。

    時間にしてはそれほど長い時間では
    ありませんでしたが
    (;´ェ`) これほどきっいとは。
    予想にしなかったので
    気を抜いて?
    まぁそんなことはなかった
    とは思うのですが
    ドロミテのコースより
    フーフー言いました。

  • 着きました!<br />西将台(華城将台) 到着14:45<br />万歩計11,941歩<br />華城で一番高い場所になります。

    イチオシ

    着きました!
    西将台(華城将台) 到着14:45
    万歩計11,941歩
    華城で一番高い場所になります。

  • 『西将台 ソチャンデ』<br />八達山の山頂に在り<br />軍事指揮本部であることから<br />華城将台とも呼ばれている<br />そうです。

    『西将台 ソチャンデ』
    八達山の山頂に在り
    軍事指揮本部であることから
    華城将台とも呼ばれている
    そうです。

    西将台 史跡・遺跡

  • ここまで歩いた汗も<br />快感に変わりました。<br />(*^0^*)<br />晴れた日にこの眺望を<br />眺めることができ<br />\(⌒∇⌒)/<br />水原市の市街地を一望<br />することができました。

    ここまで歩いた汗も
    快感に変わりました。
    (*^0^*)
    晴れた日にこの眺望を
    眺めることができ
    \(⌒∇⌒)/
    水原市の市街地を一望
    することができました。

    西将台 史跡・遺跡

  • 『水原華城(スウォンファソ)』<br />朝鮮王朝第21代当時<br />少論派と老論派等幾つかの派閥があり<br />少論派で学び政務を務めていた<br />荘献世子(チャンホセジャ・王子)は<br />相対する老論派の陰謀によって<br />父の王(第21代王)によって死に至らしめられます。<br />時は流れて、<br />荘献世子の子<br />正祖(チョンジョ)が紆余曲折の末に<br />第22代王となりソウルの梨峰山に在った<br />父、荘献世子の墓を風水上優れた土地とされた<br />水原華山に移しました。<br /><br />さらに首都移転を計画して<br />巨大な城塞の建設を開始します。<br />父の眠る地に城を築くことで<br />名誉を回復させると同時に<br />城を建築することは王権が強大であることをも<br />内外に知らせしめる効果もあったとのこと。<br /><br /><br /><br />

    『水原華城(スウォンファソ)』
    朝鮮王朝第21代当時
    少論派と老論派等幾つかの派閥があり
    少論派で学び政務を務めていた
    荘献世子(チャンホセジャ・王子)は
    相対する老論派の陰謀によって
    父の王(第21代王)によって死に至らしめられます。
    時は流れて、
    荘献世子の子
    正祖(チョンジョ)が紆余曲折の末に
    第22代王となりソウルの梨峰山に在った
    父、荘献世子の墓を風水上優れた土地とされた
    水原華山に移しました。

    さらに首都移転を計画して
    巨大な城塞の建設を開始します。
    父の眠る地に城を築くことで
    名誉を回復させると同時に
    城を建築することは王権が強大であることをも
    内外に知らせしめる効果もあったとのこと。



  • 華城の建設は1794年(日本の江戸時代に当ります。)<br />1月に開始され1796年9月に<br />当初10年程はかかるのではと<br />見られていた工事が<br />総指揮をとった蔡済恭や<br />朝鮮最高の天才学者と言われている<br />チョン・ヤンギョンその他<br />多くの民によりわずか<br />2年9ヶ月で完成したといいます。<br />

    華城の建設は1794年(日本の江戸時代に当ります。)
    1月に開始され1796年9月に
    当初10年程はかかるのではと
    見られていた工事が
    総指揮をとった蔡済恭や
    朝鮮最高の天才学者と言われている
    チョン・ヤンギョンその他
    多くの民によりわずか
    2年9ヶ月で完成したといいます。

  • <考園の鐘><br />西将台からほんの数歩<br />城壁のルート沿いに在ります。<br />

    <考園の鐘>
    西将台からほんの数歩
    城壁のルート沿いに在ります。

    孝園鐘閣 史跡・遺跡

  • 全体が文化遺産として <br />ソウルの「昌徳宮」と同じく<br />1997年12月に世界遺産に登録されました。<br /><世界文化遺産の記念碑><br /><br />なおもルート沿いに歩きます。

    全体が文化遺産として 
    ソウルの「昌徳宮」と同じく
    1997年12月に世界遺産に登録されました。
    <世界文化遺産の記念碑>

    なおもルート沿いに歩きます。

  • 「西舗楼」を過ぎた所に<br />紫陽花?の花が咲いていました。

    「西舗楼」を過ぎた所に
    紫陽花?の花が咲いていました。

  • 水分補給をしつつ<br />城壁のルートを進みます。

    水分補給をしつつ
    城壁のルートを進みます。

  • 「西南暗門」<br />通過  14:57<br />万歩計12,917歩<br /><br /><暗門>も水原華城に4か所在り<br />奥深くひっそりとした所に<br />建てられ、敵に見つからずに<br />軍事物資を城内に供給できるよう<br />に作られた施設で、有事の際<br />門を閉じて周囲に

    「西南暗門」
    通過  14:57
    万歩計12,917歩

    <暗門>も水原華城に4か所在り
    奥深くひっそりとした所に
    建てられ、敵に見つからずに
    軍事物資を城内に供給できるよう
    に作られた施設で、有事の際
    門を閉じて周囲に

  • 結構傾斜がきつい<br />階段を降りてゆきます。

    結構傾斜がきつい
    階段を降りてゆきます。

  • <西南角楼>(華陽楼)<br />角楼も水原華城に4か所在り<br />いずれもが軍事的な要塞地に建てられ<br />周囲を巡回監視した兵士の休息所<br />となった。

    <西南角楼>(華陽楼)
    角楼も水原華城に4か所在り
    いずれもが軍事的な要塞地に建てられ
    周囲を巡回監視した兵士の休息所
    となった。

  • そこから引き返して<br />八達門へ降りて行くことに<br />しました。

    そこから引き返して
    八達門へ降りて行くことに
    しました。

  • しばしなだらかな<br />城壁のルートを進みます。

    しばしなだらかな
    城壁のルートを進みます。

  • 今度は結構段数がありそうな<br />階段を降りてゆきます。

    今度は結構段数がありそうな
    階段を降りてゆきます。

  • 正面に「八達門」が見えてきました。

    正面に「八達門」が見えてきました。

  • 水原市の高層ビルの中に<br />目立って大きな建物が<br />見えまました。尖塔から<br />夕焼けが綺麗に見える展望台がある<br />という「水原第一教会」のようです。<br />

    水原市の高層ビルの中に
    目立って大きな建物が
    見えまました。尖塔から
    夕焼けが綺麗に見える展望台がある
    という「水原第一教会」のようです。

  • 階段を降りたところに<br />八達門観光案内所がありました。<br /><br />「八達門」から城壁のルートを<br />回る人はここでパンフレットなど<br />の情報収集をすると良いですね。<br /><br />向かいの<br />小さな広場では<br />野菜や生活用品等を並べた<br />市が開かれていましたが<br />先を急ぎます。

    階段を降りたところに
    八達門観光案内所がありました。

    「八達門」から城壁のルートを
    回る人はここでパンフレットなど
    の情報収集をすると良いですね。

    向かいの
    小さな広場では
    野菜や生活用品等を並べた
    市が開かれていましたが
    先を急ぎます。

    八達門観光案内所 散歩・街歩き

  • 階段の下方に<br />「八達門」が見えてきました。<br />八達門を真横から見た所に着きました。<br /><br />城郭がここだけは両側<br />切れていて大きな道路が<br />ロータリーのように<br />通っています。<br /><br />「八達門」  到着15:17  <br />万歩計 14.559歩

    階段の下方に
    「八達門」が見えてきました。
    八達門を真横から見た所に着きました。

    城郭がここだけは両側
    切れていて大きな道路が
    ロータリーのように
    通っています。

    「八達門」  到着15:17  
    万歩計 14.559歩

  • 「八達門」水原華城に出入りする<br />関所の役割ともなった門。<br />石造の虹の形をした門のうえに<br />門楼を建てられています。<br /><br />『水原華城』は4方角に門を構え<br />正門とも呼ばれる北門「長安門」<br />南にある「八達門」<br />西にある「門華西門」<br />東にある「蒼龍門」の<br />他に<br />「華虹門」「東将門」「西南暗門」など<br />歴史的な建造物が在りますが<br />いずれも建築学的にも<br />秀麗で美しい景観を誇る建物と<br />言われています。<br /><br />

    イチオシ

    地図を見る

    「八達門」水原華城に出入りする
    関所の役割ともなった門。
    石造の虹の形をした門のうえに
    門楼を建てられています。

    『水原華城』は4方角に門を構え
    正門とも呼ばれる北門「長安門」
    南にある「八達門」
    西にある「門華西門」
    東にある「蒼龍門」の
    他に
    「華虹門」「東将門」「西南暗門」など
    歴史的な建造物が在りますが
    いずれも建築学的にも
    秀麗で美しい景観を誇る建物と
    言われています。

    八達門 史跡・遺跡

  • ぐるりと回って<br />市場側の真横から八達門を<br />ファインダーごしに眺めたところ<br />なにやらお祭りの山車の<br />ようにも見えました。

    イチオシ

    ぐるりと回って
    市場側の真横から八達門を
    ファインダーごしに眺めたところ
    なにやらお祭りの山車の
    ようにも見えました。

  • お祭りの門前町のような<br />賑わいでした。

    イチオシ

    お祭りの門前町のような
    賑わいでした。

  • 再び八達門をぐるりと回って<br />大通りに出てきました。<br />目の前に八達門のその前に<br />蒸し器から湯気を立てて<br />肉まんやあん饅を売る店がありました。

    再び八達門をぐるりと回って
    大通りに出てきました。
    目の前に八達門のその前に
    蒸し器から湯気を立てて
    肉まんやあん饅を売る店がありました。

  • ちょうど良い具合に<br />お腹が空いていました。<br />1ヶW1000(100円程)の<br />肉まんやあん饅で昼食にしました。

    ちょうど良い具合に
    お腹が空いていました。
    1ヶW1000(100円程)の
    肉まんやあん饅で昼食にしました。

  • 先ほど城壁沿いにあった<br />売店で買ったポカリスエットを<br />飲みながらのランチ<br />結構なボリュームがあり<br />美味しくいただきました。<br /><br />そう言えば水原華城で<br />使ったW(韓国貨幣)は<br />入場券W1000,肉まん2ヶW2000<br />ポカリW2000のW5000(500円程)<br />で楽しく1日を過ごすことができました。

    先ほど城壁沿いにあった
    売店で買ったポカリスエットを
    飲みながらのランチ
    結構なボリュームがあり
    美味しくいただきました。

    そう言えば水原華城で
    使ったW(韓国貨幣)は
    入場券W1000,肉まん2ヶW2000
    ポカリW2000のW5000(500円程)
    で楽しく1日を過ごすことができました。

  • 八達門の前から大通りを<br />北に5~6分程歩いた所に<br />行宮広場が在りました。<br />何やらイベントが開催されていて<br />テントの店が並んでいました。

    八達門の前から大通りを
    北に5~6分程歩いた所に
    行宮広場が在りました。
    何やらイベントが開催されていて
    テントの店が並んでいました。

  • 空を見上げると<br />たくさんの凧が揚がって<br />いました。

    空を見上げると
    たくさんの凧が揚がって
    いました。

  • 市民の皆さんのようですが<br />休日を親子で楽しんでいるのか?<br />凧揚げもイベントの一環なのかは?<br />わかりませんでした。(笑)

    市民の皆さんのようですが
    休日を親子で楽しんでいるのか?
    凧揚げもイベントの一環なのかは?
    わかりませんでした。(笑)

  • もしかしたらベトナムからの<br />観光客の皆さんかなぁ。<br />

    もしかしたらベトナムからの
    観光客の皆さんかなぁ。

  • アオザイ素敵ですね。<br />皆さん<br />イベントを楽しんでいました。

    アオザイ素敵ですね。
    皆さん
    イベントを楽しんでいました。

  • 青い空に気持ちよさそうに<br />凧が泳いでいます。

    青い空に気持ちよさそうに
    凧が泳いでいます。

  • 休日のひと時を<br />親子で凧揚げ<br />長閑でいいなぁ。<br />お父さんの方が一生懸命だぁ。\(⌒∇⌒)/<br /><br />

    休日のひと時を
    親子で凧揚げ
    長閑でいいなぁ。
    お父さんの方が一生懸命だぁ。\(⌒∇⌒)/

  • 周り一帯の楽しそうな声が響きわたる中<br />突然「アッパ!」と叫ぶ子供さんの鳴き声<br />お父さんは<br />「どうしたンだ?」「泣くな泣くな」<br />とリアクション。<br /><br />そうえいば、<br />八達山の山頂,西将台へのきつい登りで<br />何度も聞こえたのが<br />「アッパ!」と叫ぶ子供さんの鳴き声<br />でした。<br />「韓国ドラマ」でよく見かける<br />父親(祖父・祖母)を中心に<br />家族が回っている様子を<br />見たような気がしました。<br /><br /><br /><br />

    周り一帯の楽しそうな声が響きわたる中
    突然「アッパ!」と叫ぶ子供さんの鳴き声
    お父さんは
    「どうしたンだ?」「泣くな泣くな」
    とリアクション。

    そうえいば、
    八達山の山頂,西将台へのきつい登りで
    何度も聞こえたのが
    「アッパ!」と叫ぶ子供さんの鳴き声
    でした。
    「韓国ドラマ」でよく見かける
    父親(祖父・祖母)を中心に
    家族が回っている様子を
    見たような気がしました。



  • 『華城行宮』<br />『宮廷女官チャングムの誓い』『イ・サン』など<br />数多くの韓流ドラマがロケ地になったことでも<br />知られています。<br /><br />行宮広場でのイベントと<br />土曜日いうこともあり<br />宮内は大勢の観光客の皆さんで<br />溢れていて早々に退散し<br />行宮広場でのイベント会場へと<br />向かいました。

    『華城行宮』
    『宮廷女官チャングムの誓い』『イ・サン』など
    数多くの韓流ドラマがロケ地になったことでも
    知られています。

    行宮広場でのイベントと
    土曜日いうこともあり
    宮内は大勢の観光客の皆さんで
    溢れていて早々に退散し
    行宮広場でのイベント会場へと
    向かいました。

  • 「行宮広場」の一角で<br />韓服を着た混声合唱の<br />歌声が響きます。

    「行宮広場」の一角で
    韓服を着た混声合唱の
    歌声が響きます。

  • 民族楽器の調べも<br />

    民族楽器の調べも

  • 生で聴ける機会は<br />滅多にないのに<br />時間が押しているような (;´ェ`) <br />心が残りますが先を急ぎます。

    生で聴ける機会は
    滅多にないのに
    時間が押しているような (;´ェ`) 
    心が残りますが先を急ぎます。

  • 「行宮広場」前の大通りを<br />横断して「閣民与」の前を<br />通り水原川へ出ようと思います。

    「行宮広場」前の大通りを
    横断して「閣民与」の前を
    通り水原川へ出ようと思います。

  • 今回<br />水原への旅をして水原の歴史に触れ<br />少しだけ調べてみようと思いました。<br />その中でこんな逸話や論議が交わされて<br />いることを知りました。<br />それは<br />朝鮮王朝第22代王・正祖(イ・サン)<br />は『水原華城』への<br />遷都を考えていたのか?<br />という問いかけです。

    今回
    水原への旅をして水原の歴史に触れ
    少しだけ調べてみようと思いました。
    その中でこんな逸話や論議が交わされて
    いることを知りました。
    それは
    朝鮮王朝第22代王・正祖(イ・サン)
    は『水原華城』への
    遷都を考えていたのか?
    という問いかけです。

  • 有り・無し<br />肯定派と否定派の両説があり<br />いずれも興味を引くものでした。<br />水原華城は<br />1796年に2年10ヶ月の歳月を<br />かけて完成したと先にお話しましたが<br />完成した暁に第22代王<br />正祖(チョンジョ)は予定通りに<br />移住しました。<br />そして首都として遷都しようとしますが<br />群臣達が猛反対し叶わぬまま<br />ほどなくして正祖も死去。<br />城塞は出来ましたが<br />首都にはならなかったことで<br />その後は荒廃して行くことになった。<br />という言わば歴史肯定派の説。<br />と<br /><br />

    有り・無し
    肯定派と否定派の両説があり
    いずれも興味を引くものでした。
    水原華城は
    1796年に2年10ヶ月の歳月を
    かけて完成したと先にお話しましたが
    完成した暁に第22代王
    正祖(チョンジョ)は予定通りに
    移住しました。
    そして首都として遷都しようとしますが
    群臣達が猛反対し叶わぬまま
    ほどなくして正祖も死去。
    城塞は出来ましたが
    首都にはならなかったことで
    その後は荒廃して行くことになった。
    という言わば歴史肯定派の説。


    水原川 滝・河川・湖

  • 一方、否定派の説は<br />朝鮮では外敵の侵入を極端に警戒したことから<br />道が全くといっていいほど発達しておらず<br />物流はもっぱら人が担いで行われるという状況で<br />荷車を使って大量輸送をしょうにも<br />それができない道路事情でした。<br />

    一方、否定派の説は
    朝鮮では外敵の侵入を極端に警戒したことから
    道が全くといっていいほど発達しておらず
    物流はもっぱら人が担いで行われるという状況で
    荷車を使って大量輸送をしょうにも
    それができない道路事情でした。

  • そのため、大量輸送となると大河が必要となるのです。<br />大河と言わずとも舟の航行が可能な川のある場所が<br />栄えるのですが、その大河が水原にはないのです。<br />海へは10数キロ離れていてそこまで運河を作ったり<br />道路を整備するということも考えられますが<br />40代半ばの心優しい正祖は民衆への負担を考え<br />悠長な大規模工事を行う余裕はなかった<br />と説きます。

    そのため、大量輸送となると大河が必要となるのです。
    大河と言わずとも舟の航行が可能な川のある場所が
    栄えるのですが、その大河が水原にはないのです。
    海へは10数キロ離れていてそこまで運河を作ったり
    道路を整備するということも考えられますが
    40代半ばの心優しい正祖は民衆への負担を考え
    悠長な大規模工事を行う余裕はなかった
    と説きます。

  • 更には、水原行宮は首都機能を持つ王宮としては<br />あまりにも規模が小さいものだったのです。<br />後日拡張する予定だったとしても<br />華城自体、綿密な計画を立てて創られた城であり<br />既に完成形であるため、拡張云々は考えにくい<br />と説き、それは、母 恵慶宮が書いた<br />閑中録(ハンジュンノク)に遷都を考えてなかった<br />であろう記述があると続きますが<br />この説以上に

    更には、水原行宮は首都機能を持つ王宮としては
    あまりにも規模が小さいものだったのです。
    後日拡張する予定だったとしても
    華城自体、綿密な計画を立てて創られた城であり
    既に完成形であるため、拡張云々は考えにくい
    と説き、それは、母 恵慶宮が書いた
    閑中録(ハンジュンノク)に遷都を考えてなかった
    であろう記述があると続きますが
    この説以上に

  • イ・サンは幼少の頃から自身の身分と立場が<br />不安定だったために、常に内心を表には表さない王だった<br />と言います。そのため、ある程度資料が残っている<br />事柄であっても、本心を吐露していないため<br />形として残っていないものは<br />すべて憶測で考えなければならず<br />これからの記述もあくまで憶測の範疇である。<br />と、肩透かしを食らったようでした。<br />

    イ・サンは幼少の頃から自身の身分と立場が
    不安定だったために、常に内心を表には表さない王だった
    と言います。そのため、ある程度資料が残っている
    事柄であっても、本心を吐露していないため
    形として残っていないものは
    すべて憶測で考えなければならず
    これからの記述もあくまで憶測の範疇である。
    と、肩透かしを食らったようでした。

  • さて、水原華城で1番の景勝地<br />華紅門(北水門)に到着しました。<br />♪ ヽ(´ー`)ノ ♪<br />ソウルと同様にここ数日間<br />雨降りだったのか7つの水門から<br />虹のように溢れ出る水しぶきは<br />ため息ものでした。<br /><br />到着時刻 16:14<br />万歩計 18,166歩

    イチオシ

    さて、水原華城で1番の景勝地
    華紅門(北水門)に到着しました。
    ♪ ヽ(´ー`)ノ ♪
    ソウルと同様にここ数日間
    雨降りだったのか7つの水門から
    虹のように溢れ出る水しぶきは
    ため息ものでした。

    到着時刻 16:14
    万歩計 18,166歩

  • 水原川に向かって左<br />川岸の小道は華紅門の下まで<br />続いているのだろうと<br />皆さんの後をついて<br />行ったところあと一歩の所で<br />行き止まりになっていて (;´ェ`) <br />引き返すことになってしまいました。

    水原川に向かって左
    川岸の小道は華紅門の下まで
    続いているのだろうと
    皆さんの後をついて
    行ったところあと一歩の所で
    行き止まりになっていて (;´ェ`) 
    引き返すことになってしまいました。

    華虹門 (ファフォンモン) 史跡・遺跡

  • 華紅門の右奥には訪花随柳亭<br />が臨めます。<br />やはりこの眺めを見ながら<br />「あぁ水原華城にやって来たのだなぁ」<br />と感じたひと時でした。<br />ここから<br />まだ東側を回っていないので<br />ルートを東に進めて歩きます。

    華紅門の右奥には訪花随柳亭
    が臨めます。
    やはりこの眺めを見ながら
    「あぁ水原華城にやって来たのだなぁ」
    と感じたひと時でした。
    ここから
    まだ東側を回っていないので
    ルートを東に進めて歩きます。

  • 華城御車が錬武舘の方から<br />スイスイと滑るように<br />降ってゆきました。<br />何だかテーマパークみたいだぁ。

    華城御車が錬武舘の方から
    スイスイと滑るように
    降ってゆきました。
    何だかテーマパークみたいだぁ。

  • また坂道になりそうですが<br />その前に「東北角楼」へ向かいます。

    また坂道になりそうですが
    その前に「東北角楼」へ向かいます。

  • 「東北角楼」の案内板です。

    「東北角楼」の案内板です。

  • 「東北角楼」<br />戦略上でも重要な場所にあって<br />華城の中でも特に美しい施設<br />としても有名で<br />宝物第1709号として<br /><訪花随柳亭>とも呼ばれて<br />いる。こちらの方が<br />風流でいいなぁ。

    「東北角楼」
    戦略上でも重要な場所にあって
    華城の中でも特に美しい施設
    としても有名で
    宝物第1709号として
    <訪花随柳亭>とも呼ばれて
    いる。こちらの方が
    風流でいいなぁ。

  • 城壁ルートは続いています。

    城壁ルートは続いています。

  • ぐるりと回り込んで

    ぐるりと回り込んで

  • 「東北舗楼」の遥か<br />向こうに水原市の高層ビルが<br />見えます。

    「東北舗楼」の遥か
    向こうに水原市の高層ビルが
    見えます。

  • 「東北舗楼」<br />

    イチオシ

    「東北舗楼」

  • 城壁ルートを回り込んで

    城壁ルートを回り込んで

  • 錬武台(東将台)が<br />見えてきました。

    錬武台(東将台)が
    見えてきました。

  • 錬武台(東将台)を真横の入り口から<br />入ってゆきます。

    錬武台(東将台)を真横の入り口から
    入ってゆきます。

  • 錬武台(東将台)  到着16:31<br />万歩計19,370歩

    イチオシ

    錬武台(東将台)  到着16:31
    万歩計19,370歩

  • 西陽に照らされて<br />綺麗でした。

    西陽に照らされて
    綺麗でした。

    練武台 (東将台) 史跡・遺跡

  • 国弓場の前の建物は<br />2階がカフェ・レストランのようでした。<br />眺めが良さそうでしたが<br />先を急ぐ時刻となってきましたので<br />スルーします。

    イチオシ

    国弓場の前の建物は
    2階がカフェ・レストランのようでした。
    眺めが良さそうでしたが
    先を急ぐ時刻となってきましたので
    スルーします。

  • 皆さん 真剣に遊んでいます!<br />

    皆さん 真剣に遊んでいます!

  • 構えに迫力がありましたぁ。

    構えに迫力がありましたぁ。

  • 遠い的<br />と<br />近い的がありましたが?<br /><br />ルートはそこから<br />さらに回り込んで

    遠い的

    近い的がありましたが?

    ルートはそこから
    さらに回り込んで

  • 4大門の1つ<br />「蒼龍門」<br />到着16:42<br />万歩計19,852

    イチオシ

    地図を見る

    4大門の1つ
    「蒼龍門」
    到着16:42
    万歩計19,852

    蒼龍門 (華城東門) 史跡・遺跡

  • 「蒼龍門」<br />華場の東を防護するための門。<br />美しい景観です。<br />

    「蒼龍門」
    華場の東を防護するための門。
    美しい景観です。

  • 城壁ルートを東へと<br />すると<br />下方に幹線道路が走っていました。

    城壁ルートを東へと
    すると
    下方に幹線道路が走っていました。

  • 国弓場を反対側から<br />眺めたところ<br />城壁(ルート)が通っています。

    国弓場を反対側から
    眺めたところ
    城壁(ルート)が通っています。

  • 回り込んで

    回り込んで

  • しばらく前に<br />八達門の向こうに見えた<br />水原第一教会が<br />ここからも突出して見えました。

    しばらく前に
    八達門の向こうに見えた
    水原第一教会が
    ここからも突出して見えました。

  • 「東北空心墩」<br />この中で兵士が<br />敵を見張るための<br />いわば見張り台。<br />煉瓦で丸く墩台を<br />積んで造られたもので<br />華城の中で異彩を放つ建物です。

    「東北空心墩」
    この中で兵士が
    敵を見張るための
    いわば見張り台。
    煉瓦で丸く墩台を
    積んで造られたもので
    華城の中で異彩を放つ建物です。

  • やや陽が傾いてきました。<br />城壁ルートを北へと舵を切ります。<br /><訪花随柳亭>のその向こう<br />「長安門」のフィニッシュ地点<br />までもう少し

    やや陽が傾いてきました。
    城壁ルートを北へと舵を切ります。
    <訪花随柳亭>のその向こう
    「長安門」のフィニッシュ地点
    までもう少し

  • 傾いた陽射しが目に眩しい<br />「長安門」が目の前に見えてきました。<br /><br />結局、「長安門」到着は17:27で<br />出発してから3時間15分かかりましたぁ。<br />万歩計は24,155歩<br />水原華城を蛇行しながら (〃⌒ー⌒)/  <br />1周して<br />14,486歩でした。

    傾いた陽射しが目に眩しい
    「長安門」が目の前に見えてきました。

    結局、「長安門」到着は17:27で
    出発してから3時間15分かかりましたぁ。
    万歩計は24,155歩
    水原華城を蛇行しながら (〃⌒ー⌒)/  
    1周して
    14,486歩でした。

  • 水原華城内の建物の中には<br />朝鮮古来の築城法と<br />中国からの近代西洋の建築技法を<br />組み合わせて作られていて<br />他の地域にある城郭には見られない<br />防御システムの導入と建築資材には<br />石とレンガを混ぜて作られたそうです。<br />それが4大門に取り入れられていて<br />歴史的な建築物ながら<br />現代の建築学からみても、<br />科学的かつ合理的で優れた<br />構造をしていることが<br />立証されているということです。<br /><br />

    水原華城内の建物の中には
    朝鮮古来の築城法と
    中国からの近代西洋の建築技法を
    組み合わせて作られていて
    他の地域にある城郭には見られない
    防御システムの導入と建築資材には
    石とレンガを混ぜて作られたそうです。
    それが4大門に取り入れられていて
    歴史的な建築物ながら
    現代の建築学からみても、
    科学的かつ合理的で優れた
    構造をしていることが
    立証されているということです。

    長安門 史跡・遺跡

  • さて<br />父 荘献世子(チャンホセジャ)を<br />弔う為お墓を移したその後に<br />城塞都市建設に着手したと言われる<br />朝鮮王朝第22代正祖(チョンジョ)は<br />幼友達や<br />将来の官僚候補の学び舎<br />成均館(ソンギュンガン)で<br />出会い友情を結んだ友そして<br />父が重用していた忠臣などの助けにより<br />それまでの誤った慣習を撤廃。<br />政策に改革を加えながら<br />自身の理想とする政策を立案・実施し<br />派閥を問わず能力のある者を登用し<br />朝鮮末期文化に華を開かせたということです。<br />この物語には続きがあって<br />

    さて
    父 荘献世子(チャンホセジャ)を
    弔う為お墓を移したその後に
    城塞都市建設に着手したと言われる
    朝鮮王朝第22代正祖(チョンジョ)は
    幼友達や
    将来の官僚候補の学び舎
    成均館(ソンギュンガン)で
    出会い友情を結んだ友そして
    父が重用していた忠臣などの助けにより
    それまでの誤った慣習を撤廃。
    政策に改革を加えながら
    自身の理想とする政策を立案・実施し
    派閥を問わず能力のある者を登用し
    朝鮮末期文化に華を開かせたということです。
    この物語には続きがあって

  • 1800年6月28日、49歳の時<br />正祖イサンは突然の病に倒れ急死。<br />彼の革新的な政策は<br />時代に引き継がれること無く<br />その反動から<br />国王の信認を得た特定の人物や集団が<br />政権を独占する世道(せどう)政治が横行し<br />政権の私物化が行われた。<br />イ・サンの死により強大で新たな悲劇が<br />こうして始まりました。<br />以降、朝鮮半島は200年の<br />暗黒時代に突入して行くことに<br />なったという歴史物語。<br /><br />いつかこの壮大な物語の紐を解いてみたいなぁ<br />と思う反面、これはシェクスピの4大悲劇のごとく<br />ドロドロとした物語だろうなぁと(;´ェ`) <br />その気が失せてきました。 <br /><br />「長安門」前のバス停から水原駅に向かいます。<br />

    1800年6月28日、49歳の時
    正祖イサンは突然の病に倒れ急死。
    彼の革新的な政策は
    時代に引き継がれること無く
    その反動から
    国王の信認を得た特定の人物や集団が
    政権を独占する世道(せどう)政治が横行し
    政権の私物化が行われた。
    イ・サンの死により強大で新たな悲劇が
    こうして始まりました。
    以降、朝鮮半島は200年の
    暗黒時代に突入して行くことに
    なったという歴史物語。

    いつかこの壮大な物語の紐を解いてみたいなぁ
    と思う反面、これはシェクスピの4大悲劇のごとく
    ドロドロとした物語だろうなぁと(;´ェ`) 
    その気が失せてきました。 

    「長安門」前のバス停から水原駅に向かいます。

  • 水原駅18:59発の特急列車で<br />ソウル駅着が19:35。 <br />夕日が沈む漢江(ハンガン)を<br />眺めながらあぁソウルに戻ってきた。<br />とそんな風に感じました。

    水原駅18:59発の特急列車で
    ソウル駅着が19:35。 
    夕日が沈む漢江(ハンガン)を
    眺めながらあぁソウルに戻ってきた。
    とそんな風に感じました。

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