2018/04/10 - 2018/04/16
48位(同エリア155件中)
くろへいさん
はじめてラダックの名を聞いたのは大学1年の頃だった。
当時美大生だったくろへいは、銀座の小さな画廊で開催されている写真展を偶然見かけた。
そこには、碧い空にはためく無数の5色の旗と雪を抱いた急峻な山々や臙脂色の衣を纏った僧侶達など、強い色彩に溢れた異国の写真が順序良く展示していた。
何よりも印象的だったのが、画廊で訪れた客を忙しく案内していた青年だった。
青年は、鮮やかな刺繍で織られた衣装に先端の尖った布製の靴と布地の帽子を被っていた。
彼の奇抜な服が現地の民族衣装という事は、展示された写真に映る人々の姿から容易に想像できた。
青年は当時のくろへいより7-8歳年上だった。
彼こそ、この画廊で個展を開いた新鋭の写真家だが、その風貌は精悍で栗色に日焼けした顔からのぞく白い歯が際立っていた。
おぼろげながらも写真家と幾つかの会話を交わした記憶は僅かに残っている。
その会話上でくろへいは初めてラダックという地名を耳にした。
それまで、国外を旅する自らの姿さえ想像だにしなかったが、壁に飾られたラダックという異国の地の写真に激しく心を奪われてしまった。
勿論、海外の写真や映像を見る機会はあったし、知識として何も知らなかった訳でない。
然しながら、あの日銀座で見たラダックの写真と、そのまま彼の地から抜け出て来たような風貌の写真家の姿は、当時のくろへいにとって大きな衝撃だった。
その数か月後には、早くも人生初の海外旅行としてインドへと旅発つのだが、あの日銀座で偶然目にした写真展が、初めての海外旅行へと後押しする大きなきっかけであった事は否めない。
その後、タイに移住したくろへいはインドに数えきれないくらい渡航を重ねていった。
然しながら、何故かラダックへの渡航の機会には恵まれず、初恋の人を何時までも思い焦がれるように、自分にとってのラダックは特別な思いを馳せたまま今に至っていた。
ラダックとの出会いから25年。
恋い焦がれたラダックへの旅がようやく実現に至った。
今のくろへいは、当時銀座で個展を開催した写真家の年齢を大きく超えてしまった。
彼がその後写真家として成功したのか知る由もない。
だが、彼が25年前にファインダー越しに覗いた景色を、自分も覗いてみたい。
そんな思いが思慕と追憶の狭間で、寂寥となって心を震わす。
高揚感とは別の感情に戸惑いながらも、まだ見ぬラダックの地に思いを馳せ夜明けのデリー空港で少し明るくなった空を見上げてみた。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 2.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- タクシー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
デリー空港午前6時20分
薄曇りのデリー空港で朝を迎える。
約5時間の乗継で国際線からレーへと向かうフライトへと接続する。
何度も降り立ったデリー空港だが、この日はヒマラヤ上空を飛ぶフライトのため、いつもよりも高揚した気持ちでタラップを昇る。
この雨雲の彼方に広がるラダックの碧い空への階段のようだ。 -
「世界で最もエキサイティングなフライト」
と呼ばれる雪を抱いた山稜をすれすれに飛ぶGo Air。
バンコク-デリー間はジェットエアーウェイズを利用。
デリー&レー間もジェットで検索したが、満席で発券できずLCCのGO-AIRで別途手配する。 -
レーには定刻通り到着
空港で滞在先等を記載した旅行計画書なるものを提出する。
その後タクシーで市内に移動し、一旦ホテルにチェックインした後に、ホテルの後方に聳えるパゴダへと観光する。
空港から市内まではホテルで送迎を手配すると800Rps
空港から乗る場合は400Rpsとほぼ定額料金
移動距離は4-5㎞なので、エアコンの無い軽自動車を改造した空港タクシーで移動する。シャンティ ストゥーパ 建造物
-
シャンティーパゴダから市内を俯瞰する
市内のホテルからタクシーを半日チャーター。
料金は1500Rps/半日
トヨタの4WDの新車だったので思惑よりも200-300Rps高い。
同じインドでも、ラダックのタクシー運転手は随分と大人しい。 -
その後2-3のゴンパを訪ねて王宮へと移動
飛行機で急に3500mの高所に来たが、特に高山病の兆しは無い。
高山病は概ね2,600M以上の高地で発症するやっかいな疾病だ。
頭痛と吐き気と不眠が続き、肺水腫の合併症から死に至る事もある。
3,000M以下で発症する者は稀だが、4,000Mを越えると通常何らかの症状がでる。
飛行機で高所に着いた初日はできるだけ歩かず、高度順応に努める事をお勧めする。 -
王宮から市内を俯瞰
灰色の乾燥した町並みが続く -
王宮内部にて
-
王宮内部にて
斜光が幾つもの菩薩の顔を捉える
昨夜バンコクからデリーのフライトで隣に座ったタイ人の青年と偶然遭遇。 -
窓越しに俯瞰する市内
-
翌朝7時にレー市内のホテルを出発。
前日に入域許可証を地元の旅行会社に依頼。
翌朝、レータクシー組合の斡旋で4WDの車輌と運転手を雇って移動。
長距離の移動費は100$/日程度。
トヨタの新しい車輛でインドとは思えない快適さに驚く
並走するインド製のトラック
圧倒的な絶景の中でトラックと並走。 -
一旦レーの盆地を越えると、沙漠のような景色に
-
インダス川源流付近
ザンスカール渓谷との分岐点
Magnetic Hillというビューポイントからの眺望
ここから川沿いに一気に下って行く -
川沿いに下ると、荒涼とした大地に所々オアシスのような平地が散見
標高3,000mを切ると、青々とした緑地が散見し、桃源郷のような村々を見る事が出来る。 -
例年、この時期は杏子の花が渓谷沿いに咲き乱れるという。
しかし、今年の開花は概ね2-4週間も早く、比較的上流の村々で杏の花を見る事が出来た。 -
此処は…多分アルチゴンパだと思う…
というのも運転手のテンジン君には旅行会社経由で全て丸投げしているのだ。
本来なら訪問した場所をgoogleの履歴に残すのだが、周辺は印パ緩衝地帯ゆえ旅行者は4G(3G)SIMは使えず。
例え使えても、谷間などは網羅してないのであまり役には立たないらしい。 -
此処は国道から川を越えて北上した途中にある学校
周囲の風景から標高4,000Mちかい高度にある筈 -
突然の訪問に撮影させて頂く。
壇上に立つ校長先生は英語でスピーチしてた。
「我々わあああ…パキスタンの侵攻をぜったあああい許さないのだあああ」
陸地で国境を接してない日本の学校では想像もつかない緊張が此処には現存している。 -
此処も国道から30分以上北上した先にあるゴンパ。
国道分岐点は杏子の花が満開だったが、500Mほど海抜を上がったこのゴンパ周辺には残雪も多く、未だ冬の様相も残る。
右に立つのは運転手兼通訳兼ガイドのテンジン君 -
坊さんに僧院を案内して頂く。
レー市内の大きなゴンパを除き、基本的にゴンパを拝観する際には都度お願いする。
わざわざ案内して頂くので50Rps程度のバクシーンを喜捨する。 -
朽ちたマニ車
何万回まわったのか? -
ゴンパから戻る側道は杏子の花が満開
-
薄い桃色の杏の花
-
まさに桃源郷
-
途中で食事した村で見かけた小さな姉弟
-
午後の遅い時間にShukpachanの村に到着
国道から10分程度急峻な谷を車で上がると、突然桃源郷のような村が登場。 -
まるで昭和の風景
写真家「土門拳」の世界を垣間見るようだ。 -
時代は令和なのに未だ昭和ぽい
-
村の至る所にマニ車が
-
齢100を超えた婆ちゃん
首からかけたトルコ石が素敵 -
Shukpachan村の中心には車道が1本だけ。
この車道の僅か150-200Mの間が村の中心地。
車道と言っても通る車は殆ど無い。
カメラを下げて歩くと、すれ違う村人が全員笑顔で挨拶してくれる。
この村にはコンビニもBAR BEERもパブもGOGO BARも無い。 -
リアルジブリの世界が広がっている
-
善良な村人に美しい自然
酒もドラッグもコンビニも無い
くろへいの住む世界と対極な位置にある。 -
クルミを石臼で潰してクルミ餅をつくる。
下方からのアングルで寝ながらカメラを構えると、おばちゃんが笑い転げて仕事にならず。
横で何をしているのか不思議そうな表情で眺める子供。
おばちゃんから頂いたクルミは優しい味がした。 -
村に一軒しかないお店で買ったアイスを食べる少女
前歯が無いのがかわいい! -
手編みのセーターが可愛らしい
-
夕方前に運転手のテンジン君が村の外れにあるゴンパへ案内してくれた。
ゴンパでは村人が祈りを捧げている -
このゴンパに暮らす少年僧たち
-
約20人の少年僧がそれぞれの事情を持ちながらこのゴンパで暮らしている。
-
此処でも住職に案内して頂いた後、お茶をご馳走になる。
小僧達と一緒にビスケットとバターチャイを頂く。
年長者が年少者の世話をし、共同生活の中で躾や社会のルールを学んでいるのだ。 -
くろへいの超望遠用カメラを覗く少年僧たち。
素敵な表情が撮れた。 -
この僧院はShukpachan郊外の切立った断崖に建てられている。
オーバーハング気味の僅かなテラスに張付くように建てられているが、僧院裏のガレ場には頻繁に落石がある。
誰が見たって近い将来(数年以内)にはオーバーハング状の砂岩が崩れて僧院が埋もれるのは火を見るより明らかだ。
その際には殆どの小僧が犠牲になる筈だ。
躊躇しながらも住職にその旨伝えると
「この僧院は2人の偉大な高僧が守ってくれるので大丈夫です」
と言い僧院内の2体の仏像を指して言った。 -
僧院からShukpachan村を眺望する。
ヒマラヤの峰が影を落とす瞬間。 -
この日はShukpachan村で民泊
高校3年の長女ツームちゃんが家を守りゲストを迎える。
父と兄は現金収入のためレーで働く。
ツームは4人の兄妹と70歳になる母と暮らしている。
この日の夕餉はツームちゃん自家製の野菜スープに入ったチーズモモ。
ヤクの乳から手作りのチーズは素朴なフェタチーズのようで美味。
隣のおっさんは運転手兼通訳のテンジン君。
2部屋×1泊2食付で1,000ルピー
ツームちゃんは来年からジャンムの大学に通い、将来は警官になりたいそうだ。 -
翌朝、この日もインダス川沿いのゴンパや村々を訪ねてまわる。
-
標高が下がると杏の花は散り、新緑が目に眩しい。
渓谷から砂利道を上りダー村へ進む -
分道の終点がダー村の入口
ダー村の目的は「花の民」に会う事。
この周辺に住む人達の多くはコーカロイド系なのだ。
山を越えたパキスタン側のギルギット周辺にも同種の人達が住んでいる。 -
村の入口から続く道で会った少女。
彼女もまた完全にコーカロイド系
鼻水が垂れているが、よく見ると美少女なのだ。
因みにインダス川源流に位置する周辺一帯だが、低地のスリナガル一帯までは一般的なインド人に該当するアングロサクソン系が主流を占めている。
一方で高地に移動するに従いチベタン系のモンゴロイドが主流となる。
コーカロイド人は低地と高地の境である標高2,500-3,000m付近に点在している。 -
この村では頭を花々で覆う独特な風習が見られ、通称「花の民」とも呼ばれている。
今でも年配者は頭に小さな花を乗せているが、若者世代を中心に最近では祭事以外で被る事は少なくなってきたそうだ。
せっかくなので、現地の旅行会社を介して予め正装して撮影させて頂ける方を紹介して頂いた。 -
こちらが今回撮影させて頂いたご主人。
お茶や手作りの蒸しパンやドライフルーツもご馳走になる。
暫し諸々なお話しを伺う事ができた。 -
満開の杏の花の下で「花の民」の撮影をしたかったが、残念ながらダー村では殆どが姥桜。
僅かに残る花を惜しみつつダー村を後にする。 -
一旦川を渡り、アルチ方面に向かう途中
周辺は深い谷間の為、陽が届かないせいか未だ冬景色が続く。
開花まで数週間を要しそう。
この一帯はモスリムが多く、道を歩く少女もヒジャブで頭を覆っている。 -
此処はアルチに着く前に立ち寄ったゴンパ
-
寒風に舞うタルチョ
-
このゴンパが一番鄙びていて美しかった
-
宝物殿を御開帳して頂く。
屋外の強烈な光量の反面、室内は暗い。
素晴らしい曼荼羅を見せて頂く。 -
続いてラマユルゴンパ
レー市内から近い事もあり、此処まで戻るとツアー客も訪れるようだ。
タイ人ツアーで賑わっており、これまでのゴンパとは異なってかなり忙しい様子。 -
ラマユルゴンパ周辺の景色
荒涼とした風景に息をのむ
テンジン君曰く「ムーンバレー」との事。 -
ラマユルゴンパからレー市内へ向けて最後のパス(峠)を超える。
午後の斜陽が雄大な景色を映す -
ヒマラヤの山稜に、この日最後の太陽が射す
いかにもチベットらしい風景が広がる -
午後7時
遅い落日に山稜が染まる
レーまであと一息! -
午後8時ちかくにレーに到着
テンジン君にシャンティーパゴダで夜景を撮りたいと最後のリクエスト。
長距離を延々とドライブしたのに、嫌な顔ひとつ見せずに快諾してくれた。
ホントに良い奴だ。
ホテルを通り過ぎて、裏側からシャンティーパゴダの丘を登る。
4月とはいえ、標高3500mのレーでは夜になると氷点下に下がる。
凍えながらカメラを三脚にセットして撮影
慎重に設定する。(暗所撮影なので露出計は使わずに全て勘に頼る)
【撮影レシピ】
Nikkor 14-24mm F2.8 FX ワイド14㎜
モード/マニュアル
シャッター速度/30秒
絞り/F22
ISO64
WB マニュアル2800K
フォーカス/マニュアル∞
ミラーアップ リモコン撮影
暗闇の中で思考をフル回転させながら勘で設定。
rawモードで撮っているので、後程PCで確認するも「完璧」な仕上がりに満足。
テンジン君には謝礼として1,000Rpsを差し上げる。
レーのタクシー協会から派遣された運転手だが、本当に親切で完璧なサービスに感謝! -
翌朝、この日は事前にアポしておいたVoygr Expeditions社の写真家ラシード氏の案内で郊外のシクスゴンパへ。
Voygr Expeditions社はBBC、ナショジオ等の撮影キャラバンをサポートする米国との合弁会社だ。
とても個人でツアーを頼む事はできず、ダメ元でコンタクトしてみたが、くろへいの熱意?に負けて実費での案内を請け負ってくれた。 -
勤行の様子
-
読経後、バター茶が振舞われる。
部外者のくろへいもバター茶を頂く。
もう少し湯気が映れば良かった… -
しばし修道院内を歩く
-
自然光が綺麗
-
本堂で遭った僧侶
凄いきれいな英語を話す
暫し僧侶と話を交わす -
シクスゴンパから数km南下した一帯
洪水でこの地区一帯が全滅したそうだ。
災害跡は整地されて何もなくなっていた。 -
シクスゴンパ遠望
手前のストゥーパとの組み合わせでフォトジニックな構成になった。 -
シクスゴンパ遠望
インダス川とヒマラヤをバックに撮る。
あと2-3週間遅ければ、新緑とのコラボになった筈
それでも充分に美しい -
一旦レー市内に戻り昼食をとる
チャパティーとドーサとチャイの定番ランチ -
次に向かうのはレー郊外の僻地にある限界集落。
写真家のラシード氏は以前BBCが制作したプラネットアースというドキュメント映画の中で、雪豹の生態を撮影する際にこの集落にある老夫婦の民家を撮影隊のBCとして徴用させてもらったとの事。
その後、老夫婦の為に時々野菜や生活用品を届けているそうだ。
今回は、くろへいがガソリン代と野菜の購入代を払う事で同行させて頂く事になった。 -
買物後、ラシード氏の4WDでレー郊外の限界集落まで悪路を進む。
インダス川支流沿いの断崖絶壁に造られた道路を40-50㎞ドライブすると、僅かな窪地にへばりつく様に家が建っていた。 -
3人の息子を育て上げた老夫婦はこの集落で静かに暮らしている。
典型的なチベタン風の家で、随所に極地で済む工夫がみられる。
野菜と果物を運搬してきた僕らに、蒸しパンと塩入のバター茶を振舞ってくれた。 -
家の中央には大きなリビング兼キッチンが配置され、中央にストーブが置かれている。乾燥したヤクの糞をストーブにくべて暖をとる。
天井に空いた煙突へ煙が立ち上って行く。 -
ラシード氏の通訳でこの地での生活の様子を伺う事ができた。
この家がBBCの雪豹撮影のBCになったそうだが、年に1-2回は家畜を襲いに集落まで雪豹が降りて来ることもあるそうだ。
「幻の雪豹」も此処では日常なのか… -
台所に並ぶ真鍮の食器や器をストーブの周囲に並べ、煙突穴から射す陽光で撮影する。
-
「いつも通りの様子を撮らせて下さい。カメラを意識しないで普通に」
ラシード氏の通訳と初めての撮影に婆ちゃんはチョイと緊張。 -
最後に椅子に座ったお爺さんを撮影。
窓から射す自然光を生かした条件で撮るが、光量が少なく手持ち撮影の限界。
FX30㎜ S1/60&F5.6
この条件でISOを2000から徐々に上げて数枚撮影した内の1枚。
液晶で画像を見せると「写真にして欲しい」との希望があったので、後日ラシード氏にデータをメールで送る。
メールのため6KBまで縮小したが、A4 size程度の現像なら問題ない筈。
「この画像は現像して爺さんに渡すので安心してくれ」
早速ラシード氏から返答があった。
ラシード頼んだぞ! -
夕刻前に限界集落を出発しレー市内に無事戻ってきた。
今回分かったのは、ラシード氏は動物写真家だったという事。
くろへいの撮影分野とは異なるが、雪豹の生態系やチベタンの風習等諸々な事を知る事が出来た。
「今度は雪豹を撮影に来なよ。俺がフルアテンドするよ」
機材もお金も時間も無いので、お言葉だけでありがたく頂戴する。
ありがとうラシード君。 -
日暮れまで少し時間があったので、レー市内の市場で買物する。
お目当てはアプリコットのドライフルーツ
観光客用の土産屋では800-1000Rps/㎏
ローカル市場では粒の大小により異なるが350-400Rps -
「サワディーカップ 美味いぞ!」
なにしろ町中を歩く観光客の殆どはタイ人ツアー客。
市場のおっさんも、片言のタイ語で話しかけてくる。
おいらはタイ人じゃないけど…
インドの秘境でタイ語を使って買い物するとは思わなかった。 -
僅か10-20Rpsの小銭に目をひん剥き全身全霊をかけるインド商人は此処にはいない。木漏れ日の中でドライフルーツを並べるチベタン商人。
-
【旅の終わり】
花の民が暮らす峡谷の村々は、まるで桃源郷の憧憬を描写したような世界だった。
そんな春爛漫のインダス川峡谷の小旅行を終え、再び標高3500mのレーへと戻ってきた。
レーの町中に直立するポプラに未だ芽吹きの様子は無くとも、シクス修道院を望む河原に茂る柳蕾は既に淡い綿毛に覆われ冬の終わりを告げていた。
春の訪れには既に幾許かの日を残すも、山稜の彼方に陽が沈んだあとのレーの空は凍えるようだった。
この日、ヤクのチーズを用いた窯焼きピザで贅沢なディナーを終え、ホテルへ歩く道中にふと思いついてシャンティーパゴダの丘へ登ろうと思いついた。
酔狂ではあるが、積年の夢だったラダックの旅の最後に、その光景を瞼に焼き付けておきたいという思いが湧いてきたからだった。
ひとりで夜道を歩こうとすること自体正気を失っているが、最後に自らの脚で丘の上に立つ事が、自分にとって旅の最後の儀式のように思ったからだ。
そこには旅の途中で出会ったチベタンの人々の祈る姿が脳裏に重なっていた。
体を大地に投げ出して全身全霊で祈りを捧げる姿は、此処が神々の宿る地である事を語っていた。
白い息を吐きながらおよそ20分ほど舗装された坂道を歩いただろうか、暫くすると白いパゴダが聳える夜の丘へと辿り着いた。
陽が沈んだシャンティーパゴダには訪れる人は無く、僅かに数匹の野犬が酔狂な訪問者の様子を慎重に伺っていた。
寒風に体を震わせながら丘に立つと、灯火に浮かんだ夜のレーが眼下にひろがっていた。
その彼方には白い雪を抱くヒマラヤの峰が町を囲み、そのすべてを紺碧色の夜空が覆っている。
壮大と呼ぶにはあまりにも神々しい風景に心が震えた。
闇の中で寒風に震えるタルチョを見ながら自らもチベット仏教徒というラシード氏の言葉を思い出していた。
「私達の語る生命とは普遍的(Universal)であり川の流れのように途絶える事が無いのです」
チベット仏教では神仏は意識の投影であり幾億もの転生を繰り返すといわれている。
第3の極地とも呼ばれる過酷な環境で、何千年もの歳月をかけて育んできた密教の精神世界の本質がこの数日間の旅で分かる筈は無い。
然しながら、レーの盆地を囲むように聳えるヒマラヤの山稜と紺碧の夜空は、まるで小宇宙のように一つの世界を形成しているような錯覚を与えていた。
銀座の画廊ではじめてラダックに魅せられてから25年間。
そういえば何故今までこの地に来る機会が無かったのか?
何故だか思い当たる節もなく、気づく事も無かった。
ラダックの神々が呼んだのかも…
ふと、そんな錯覚に陥ってしまった。
★撮影機材★
Nikon D750
Nikkor 14-24mm F2.8G ED
Nikkor 24-70mm F2.8G ED
TAMRON SP AF90mm F/2.8 Di MACRO
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- durianさん 2018/06/05 20:39:08
- 憧れラダック
- くろへいさん
こんばんは~
ラダック良いですね。私もくろへいさん のようにラダックの写真を随分前に見た事が有ります。子供達の屈託のない笑顔やむちゃくちゃ綺麗な空の色それが脳裏に焼き付いてここは絶対に見に行かなくちゃとずっと思っています。
ダー”花の民ドクパと大収穫祭”ここに私も行ってみたいと思っておりました。でもこおして現地の旅行社を介してその衣装を身につけて写真を撮らせていだだけたんですね。この祭りは直前じゃないと分からないようですが何日か続くこの花の民大収穫祭にもあこがれます。
くろへいさんが撮られる皆さんの顔の表情本当に素敵です。
私も夏にラダック、サンスカールに行く予定をしています。
durian
- くろへいさん からの返信 2018/06/06 13:49:59
- Re: 憧れラダック
- Durianさん
コメントをお寄せ頂きありがとうございます。
仰るように高地のラダックの空は碧く印象的でした。
チベット方面へは何度か旅しておりますが、その中でもラダックの風景は特別に美しいと思います。
夏にザンスカール方面への旅をご予定しているそうで、何とも羨ましいです。
私も時間があれば、できればマナリーから陸路でレーに入り、ザンスカールやヌプラ周辺を巡ってみたいですね。
素敵な旅行記を期待しておりますので、是非楽しんでお出かけ下さい。
ではでは
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
84