2018/05/06 - 2018/05/07
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yeyetravelerさん
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ゴールデンウィーク恒例の京都、大阪での行事終了後、午後京都を、延泊して奈良を徘徊した。京都は阪急嵐山線と嵐電本線界隈を、奈良は法隆寺、浄瑠璃寺、春日大社、元興寺を訪れた。
[行程概略]
5/6(日)PM2時頃モノレールから阪急京都線への乗換駅、南茨木で「京都嵐山1dayパス」(\1,300)を購入し、河原町行きに乗車。この1dayパスは阪急全線、嵐電全線、京都バス嵐山地区で使用可能。大阪泊にしているため大阪まで戻る運賃を考慮して購入。
桂で嵐山線に乗換え、松尾大社駅で下車。改札の目の前にある大鳥居をくぐり、松尾大社へ。
参拝後、徒歩で鈴虫寺へ。住宅街を抜け、途中、月読神社にお参りして15分程度で到着。山門入口に行列があり待ち時間不明のため、参拝をあきらめ松尾大社駅へ徒歩で戻り、一駅先の終点嵐山まで乗車。徒歩数分の法輪寺へ。
十三参りの子らを見ながら参拝した後、渡月橋を渡り、嵐電嵐山駅より鹿王院駅へ。鹿王院まで数分歩く。
参拝見学後、徒歩で車折神社へ。参拝後、車折神社駅から蚕ノ社駅まで嵐電に乗車。広隆寺弥勒菩薩を拝みに行きたかったが、何度かお参りしていたこともあり、更に雨が降りそうになって来、時間も遅くなったので、太秦広隆寺で降りるのはやめた。
蚕ノ社駅から雨が落ちてきた中、木嶋神社へ歩く。参拝後蚕ノ社駅から終点四条大宮へ。阪急に乗換え、烏丸で下車、用事を済ませ、新京極へ行き夕食。夕食後河原町駅から梅田行き特急で大阪へ。
5/7(月)日本橋から地下鉄で天王寺へ行き、8:52発のJR大和路快速に乗り法隆寺駅へ。徒歩で法隆寺まで行き、参拝見学後バスで法隆寺駅へ戻り、奈良へ。奈良駅で奈良交通「奈良公園・西ノ京1日乗車券」(\500)を購入。駅東口より春日大社本殿行きバスで春日大社へ。
参拝見学後taxiで近鉄奈良へ戻り、昼飯用にたなかの柿の葉寿司を買い浄瑠璃寺行きバスで浄瑠璃寺へ。バスは一日6本。
参拝見学後、帰りのバスまで時間があったため、近くに散在する石仏などを見て回った。近鉄奈良へ戻り、循環バスへ乗換え福智院で降り、雨の中元興寺まで歩く。
参拝見学後、徒歩で近鉄奈良へ戻り、伊丹空港行きバスへ乗車。18:30発のJLで帰京。但し、激しい雨の影響か、乗機到着が大幅に遅れ、羽田着は約1時間遅れた。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー JALグループ JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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松尾大社鳥居と楼門 緑が美しい。背後が松尾山。鳥居の前の道を左へ行くと、月読神社経由鈴虫寺へ行ける。
松尾大社 寺・神社・教会
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拝殿
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切断されている相生の松 なぜ杓子なんだろう?
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本殿 醸造の神様なので、酒樽だらけ。ご祭神は二柱で、この地一帯を支配した神様と、一週間前訪れた宗像大社の一女神と同一神を祀っている。嵯峨一帯には渡来人秦氏に関連した遺蹟、寺社が多いが松尾大社も秦氏が祀ったのが起源と書いてあった。秦氏は治水技術、醸造技術など当時の日本になかった先端技術を持っており、それを生かし嵯峨野の開発に携わったと言う。
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昭和最高の作庭家重森三玲による庭。東福寺の庭とは趣が異なる感じ。
松尾大社 寺・神社・教会
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鈴虫寺へ行く途中にあった月読神社
月読神社 寺・神社・教会
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月読神社拝殿と本殿 元々壱岐氏が壱岐島で祀っていたと書いてあった。この地へ移って来たのは、やはり秦氏が関わった可能性が高いと言う。
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住宅街の中にもこのような案内板が設置してあるので道は分かり易かった。
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鈴虫寺への道 左の階段を上る。緑が濃い。
鈴虫寺(華厳寺) 寺・神社・教会
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階段の上が山門 住職の講話を聴かねばならないため、一定人数しか入れないのではないかと推測。10人以上待っており、待ち時間が不明のため参拝見学をあきらめた。
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法輪寺山門 やはり濃い緑が心地よい。
法輪寺(嵯峨の虚空蔵さん) 寺・神社・教会
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山門をくぐると長い階段
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本殿 狛犬ではなく、阿吽の牛。本尊は智恵と福徳を人に授ける虚空蔵(コクゾウ)菩薩。この功徳が授けられるよう、京都の子は数え年13の時にお参りすると言う。ここも秦氏の信仰が起源らしい。建物は全て明治に再建された。
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十三参りの子供たちと親御さん。振袖の子が二人いた。振袖の女の子は化粧をしてもらっていることもあり、とても大人っぽい。それに比べ男の子は幼い感じ。お参り後、渡月橋を渡り終えるまで振り返ってはならないと言う。振り返ると授けてもらった功徳が消えるらしい。我が女房どのは締め付けられた帯が苦しかったことしか覚えてないと言っている。
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多宝塔
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桂川支流 右が中の島
渡月小橋 名所・史跡
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定番の渡月橋からの眺め 相変わらず嵐山を背景にして写真を撮っている外国人が多数。台湾人の親子(母親と娘)から頼まれ、スマホのシャッターを押してあげた。
渡月橋 名所・史跡
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鹿王院山門 扁額「覚雄山」は足利義満筆。
鹿王院 寺・神社・教会
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山門をくぐると青紅葉。右はすぐ住宅地だが静かな緑のトンネルになっている。心地よい。
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誰もいない参道を進むと竹林もあった。
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中門
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中門を入ると掃き清められた庭の先に玄関
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玄関 入っても人がいる気配なく、参拝者は鐘を三打しろと書いてあった。三打するとオバサンが出てきたので拝観料を支払いパンフレットをもらう。全く愛想無し。時間が遅いからか、他に参拝者は居らず。
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舎利殿(左)と本殿。背景は嵐山、借景となっている。
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客殿に架かっている扁額「鹿王院」も義満筆。
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舎利殿から見る庭と客殿
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本殿に入ると参拝者を想定していないのか真っ暗で何も見えず。薄ぼんやりと白壁が分かったので、スマホの画面光で眺めたあと闇雲にシャッターを押してみた。本尊釈迦如来と十大弟子。運慶作。
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車折神社入口 車折と書いてクルマザキと読む。説明書きによると、後嵯峨天皇が社前を通ろうとした時、牛が動かなくなり牛車の轅(カナエ=引棒)が折れたことに由来すると言う。だが何故クルマザキと読むのか不思議だ。車裂の意だろうか?
車折神社 寺・神社・教会
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本殿への石畳の道 両側の木々がとても良い。
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境内にある芸能神社 芸能の始祖、天宇受売命(アメノウズメノミコト)を祀っている。芸人が多数寄進している。若い女性の、「何々さんがあるよ!」という嬌声が聞こえた。
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本殿
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境内に鎮座する清少納言社 本殿に祀られている清原頼業公と同族の清少納言の墓所が不明のため祀ったと説明してあった。
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嵐電駅ホーム越しに見る車折神社の裏門
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木島(コノシマ)神社入口 続日本紀701年のところに神社名があることから、それ以前に創建された古社と説明書にあった。ここも住宅街の中にあるにもかかわらず静寂な雰囲気。木々が鬱蒼としている。木製の鳥居も風情がある。
木嶋神社 寺・神社・教会
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拝殿と本殿
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本殿 夕刻となり御神灯に火が入っていた。加えて参拝者は他に誰も居らず、境内は静謐そのものであった。
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蚕ノ社(嵐電の駅もこの名前)の手水鉢? 境内社として鎮座する蚕養(コガイ)神社、通称蚕ノ社、左が社殿。ここも(養蚕技術を持っていた)秦氏と関係あることが分かる。
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三柱鳥居 日本でただ一つらしい。
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ビール大ジョッキを飲みつつ晩飯を食った新京極の「スタンド」。2月に早死した友人と2年前に入ったところ。献杯して思い出に浸った。
京極スタンド グルメ・レストラン
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法隆寺南大門への参道 雨が降っていたが、玉砂利が切れているところの土の色が明るい。この土の色が関東との違い。
法隆寺iセンター 名所・史跡
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南大門 1438年再建。先に見える中門は修復工事中。金剛力士像を見ることはできなかった。中門横で拝観料\1,500を支払う。西院伽藍、大宝蔵院(百済観音など宝物多数)、東院伽藍に入場できる。
法隆寺 寺・神社・教会
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五重塔
法隆寺 寺・神社・教会
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講堂
法隆寺 寺・神社・教会
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金堂 本尊以下多数の仏像。荘厳な雰囲気。
法隆寺 寺・神社・教会
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講堂から見た西院伽藍 たむろしている団体にはフランス語のガイドがついていた。
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聖霊院
法隆寺 寺・神社・教会
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掃き清められた庭園と鏡池
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食堂と細殿
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東院伽藍へ通じる東大門
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東院伽藍への道 土壁が美しい。
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三つ巴の瓦も古そう!
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東院伽藍四脚門
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舎利殿・絵殿
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有名な夢殿
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鐘楼 “柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺”
法隆寺 寺・神社・教会
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境内にあった異様な幹の木
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春日大社参道 苔むした灯篭が並ぶ。
春日大社 寺・神社・教会
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南門
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南門右側の回廊 斜面に沿い緩やかに反り上がっている。
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御祭神の説明書き
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中門 後ろに御祭神四柱を祀る四つの本殿がある。
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回廊には吊灯籠多数。
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右は直江兼続奉納、左は宇喜多秀家奉納。秀家の灯篭には、武運長久に加え「為国家安全」とある。五大老の気概が窺われると説明してある。若者らしい気概と言うべきか。
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御蓋山浮雲峰遥拝所 武甕槌命(タケミカヅチノミコト)が鹿島より白鹿に乗り地上に降り立たれた神聖な場所を遥拝するところ。
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藤浪之屋 暗幕が張ってあり、万灯篭(=夜、全ての灯篭に火が入る)が再現されている。
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藤浪之屋内部 万灯篭の再現
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砂ずりの藤 花が地上に届くほどらしい。ひと月早く来れば見られただろう。
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浄瑠璃寺バス停に降り立ったところにある案内板と土産屋。人気なし。終点までの乗客=観光客は7人。近鉄奈良から30分弱。山の中。
浄瑠璃寺 寺・神社・教会
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山門への道 周りは人家少なく、山ばかり。この地域は当尾(トオノ)と言い、京都府だが奈良県に近い。興福寺の別所として仏教が根付いたと書いてあった。現在こそ舗装路が続いているが、創建時(平安後期)~鎌倉時代には、興福寺から来るだけでも大変だっただろう。
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浄瑠璃寺山門
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池の正面(西側=彼岸)に本堂。九体阿弥陀仏が鎮座。本堂、九体仏とも国宝。日本一の美人と言われる吉祥天も公開期間で安置されていた。阿弥陀仏に加え、四天王の内の二体、不動明王などを眼前至近距離で拝むことができる。迫力十分。吉祥天は肉付き良く彩色鮮やかで、日本一と称されるのに相応しい。
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池の東(=此岸)に三重塔 池を中心に仏教の宇宙観が表現されている。
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三重塔(国宝) 1176年京都から移ってきたと言う。安置されている薬師如来は公開期ではなかった。
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長尾の阿弥陀磨崖仏 バスが通る道に面している。1307年造立と銘文にある。
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やぶの中三尊 十一面観音、地蔵菩薩、阿弥陀如来。銘文の1262年は石仏群で最古。
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首切り地蔵と阿弥陀仏 これらも1262年。花が活けられており、仏さまが地元の人々の生活に根付いているのだろう。
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元興寺東門 重文 1411年東大寺西南院から移設と説明してあった。
元興寺極楽坊五重小塔 寺・神社・教会
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極楽堂 国宝 蘇我馬子が飛鳥で創設した法興寺(→現、飛鳥寺)が平城京遷都で移ってきて名前が変わり元興寺となったと書いてあった。
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浮図田(フトデン) 浮図とは石塔、石仏の総称。寺内、周辺から集まったものを田圃の稲のように整備したと言う。石仏は鎌倉末期~江戸中期のものが多いらしい。
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浮図田にあった、なで石と式神?
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極楽堂と禅堂(いずれも国宝) 正面の屋根瓦が日本最古の瓦。飛鳥時代のものが今でも使われている。望遠鏡で覗けるようになっていたが、雨が強くよく見えなかった。
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上:奈良の木簡一日乗車券 せんとくんが刻印されている。 下:京都・嵐山1dayパス。
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