2018/05/20 - 2018/05/20
4064位(同エリア22960件中)
junxさん
去年トンブリーを散歩したときに見かけた Windsor House ウインザー・ハウスがずっと気になっていたので、再訪してみた。あのときは気づかなかったが、サンタクルス教会の脇から路地沿いに入れば、すぐそばまで行けるのである。このエリアにはバーン・クディチン博物館という小さな私設博物館もあり、街の歴史を伝えている。
教会の背後に静かにたたずむ小さな街区クディチンは、昔ポルトガル人たちによってもたらされたヨーロッパの残り香がいまも感じられる、ちょっと素敵な場所だ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 徒歩
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都心からサナムチャイまでバス40系統で移動。このあたりはブルーラインが延伸されればMRTでも行けるようになるが、街並みを見ながら路線バスの旅も乙なものだ。ここから片道5バーツの渡し船に乗り、対岸へ渡る。サンタクルス教会と、ほとんど目立たないがウインザー・ハウスが見える。
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去年見た時から様子は大きく変わっていない。それでも過去のブログなどに掲載されている写真と見比べると、少しずつ傷みが進んでいるようだ。
てっきり廃屋だとばかり思っていたが、開け放たれた階下に今日は人の姿が見えた。よく見ると、隣のクリーム色の家と廊下で繋がっている。オーナーの親族がいまも使っているのだろう。 -
切妻の斜辺に取り付けられた装飾の向かって右半分が崩れ去っている。一部の窓が壊れ、その下の透かし彫りも部分的に剥がれ落ちている。
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河岸の遊歩道からサンタクルス教会に入ってすぐ右手にある出口に、ビジター向けの案内板があった。Windsor Houseの表記は見当たらないが、バーン・クディチン博物館と同じ方向のはずだ。
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街中と同じ青いソイ(街路)番号の看板も、ここでは手作りの木製。クディチンには Kudichinという表記と Kudeejeenという表記があるらしい。所詮ラテン文字では正確な発音を表現できないのかもしれない。
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ソイと言っても、人がようやくすれ違えるぐらいの狭い路地ばかりだ。1本のソイの少し奥まったところに、バーン・クディチン博物館がある。
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白く塗られた小ぶりな建物は、住宅を改造したもの。新しく見えるが、1935年に中国人の建築家によって建てられたものだそうだ。
博物館へのリノベーションにあたって、全体の構造やドアや窓枠などの建具、ステンドグラス、木彫の装飾、ファサードに刻まれた"MPH"のロゴなど、できるだけ元の建物の姿をとどめるように努力したという。"MPH"はここに住んでいた人のイニシャルだ。MはMr.であり、同時に洗礼名のMichaelでもあるらしい。
1階はオープンスペースで、ちょっとしたカフェとショップになっている。入館料は無料で、寄付を募っている。 -
タイの古い住宅建築には1階部分が開放された、いわゆるピロティ様式のものが多い。かつての高床式から発展したのだろう。
小庭に面した明るい空間。緩やかに弧を描く梁と、1枚づつ模様が異なるタイルの床が美しい。 -
モダンでシンプルな階段の手すりやロッキングチェアのかたちが、建物とよく合っている。直線と曲線を組み合わせた簡潔なデザインは1930年代のアールデコそのものだ。
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階段室の壁に、ウインザー・ハウスを図面に落とした精細なペン画が飾られていた。
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建物の部分や門を写し取ったものもある。門はすでに扉が崩れ落ちた状態で描かれているから、設計図から起こしたのではなく、後年になって採寸したり推測を交えながら描かれたものだと解る。
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本当に小さな庭だが、気持ちがいい空間。特別珍しいわけでもないのに、なぜか館内の人気撮影スポットで、訪れる人はみな撮らずにいられないようだ。
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2階と3階が展示スペースになっている。2階の展示は、アユタヤ朝に遡るポルトガル人入植の歴史から紐解いてゆく。このパネルは16世紀中頃の、アユタヤに建立されたサン・ドミニク教会とポルトガル人居住区を示すもの。アユタヤの遺跡からは十字架などが見つかっているそうだ。
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アユタヤに住み着いたポルトガルの男たちとサヤーム、ミャンマー、ベトナム人の女性たちから、次第に混血の人々が生まれてきた。彼らはしばしばポルトガル人としての、または「ファラン」としてのアイデンティティーを持ち、カトリック教徒として暮らしていたそうだ。アユタヤが戦乱に巻き込まれると、彼らもタイ人たちと行動を共にした。展示されている甲冑やキャノン砲は、サヤームがポルトガルから購入したもの。
タイ人が欧米人を指して言う「ファラン」という言葉は、欧米人を「ファランジ」と呼ぶアラビア語を起源に持ち、このころに作られたという。 -
多くのモノとともに、たくさんのポルトガル語がタイ語に移入された。ソープ → サブ、サラダ → サラドゥ、ティー → チャー、コーヒー(カフ)→ カフェー、ドア(ポルト)→ プラトゥなどはポルトガル語からの外来語。チリ、パパイヤ、ナッツ、パイナップル、ポテト、ひまわり、グアバ、トウモロコシ、タバコ、トマト、カボチャなども、すべてポルトガルからもたらされたものだという。
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観光客の姿は少ないが、制服姿の女の子たちが見学していた。小学校の社会科見学だろうか?
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3階には、このエリアで昔使われていた道具や書物などが展示されている。
これは2世代前、あるいは3世代前の人たちによって使われていた祈祷書。音韻でローマ字に引き写されたタイ語、パサ・ワットで書かれている。文盲の人々も少なくない時代だったが、この地の多くの人たちがパサ・ワットを読めたそうだ。 -
ポルトガル起源のレシピを持つ料理がサンプル展示されていた。
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3階のテラスから4階にあたる屋上の小さなバルコニーへ昇ることができる。
チャオプラヤー川を背景に、眼下にはとても古そうな建物がいくつも見つかった。 -
サンタクルス教会のドームも見える。
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博物館を出て、いくつかの角を曲がりながら路地を進んでゆくと、唐突にウインザー・ハウスが姿を現した。
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路地に面した有刺鉄線のある塀越しだが、軒先や欄間の木彫の装飾を間近に見ることができる。
人の気配は感じられないが、庭先に洗濯物や道具が置かれているところを見ると、やはり放置されているわけではなく使われているようだ。 -
片側が開け放たれた窓と装飾。見事な建造物だが、傷みが酷い。この状態で、あとどれほど持つだろうか。
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狭い路地越しなので正面からは撮影できないが、博物館のペン画に描かれた門もあった。絵のままに、扉が崩れて傾いている。
外国人が熱心に撮影する様子を通りすがりに見つけた土地の古老が、これは100年前の建物だと教えてくれた。 -
路地に置かれた、中国風の不思議な子供の像を懐く水盤。澄んだ水には頭だけが赤いメダカほどの小さな魚たちが泳いでいた。陶器製の深い大きな壺を使った水盤は、バンコクの古い家屋でもしばしば見かける。
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頭の真上から照り付けるタイの強い日差しに照らされた、建物と塀の隙間。この先の右手にウインザー・ハウスの門がある。
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博物館のすぐ裏手には、Thanusingha Bakery House タヌーシンハー・ベーカリーというお店がある。土地に伝わるカノム・ファラン・クディチン* と呼ばれるお菓子を、ここでいただけるそうだ。
* 初出記事で「ファラン・クディチン」と記していたのを訂正。カノム=デザート、ファラン=欧米人、なので「クディチンの異人デザート」ぐらいの意味だろう。案内板の写真で "Kanoom ..."とあるのも、お菓子屋さんだ。 -
ウインザー・ハウスとどちらが古いだろうかと思うような建物が、この界隈にはいくつもある。室外機があるから、住宅として普通に使っているのだろう。
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しかし、朽ちて傾いている建物のほうが多い。かりに現役で使われているにしても、メンテナンスがまったく行き届かず、いつ取り壊されても不思議が無い感じだ。
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屋根が高いタイ様式の住居。モザイク風の木組みの壁面などに特徴のある魅力的な建物だが、激しく朽ち果てていまにも崩れ落ちそうだ。
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古い建物のひとつに、Jantanaphap Thai House ジャンタナパップ・タイ・ハウスという名で案内板が掲げられているものがある。博物館のバルコニーのすぐ下に見えた、放射状の妻板を持つタイ様式の住宅だ。
ここも軒に傷みが見られるが、内部は美しく保たれ、立派に現役で使われているようだ。西洋風の洒落たランプフードが目を引く。 -
先ほどの古老は、この建物と路地を挟んで隣り合う家に住む人だった。古老と立ち話を続けていたら、どうぞお入りなさいと、ジャンタナパップ・タイ・ハウスの中から声を掛けられた。
門を入ると、明るい庭が広がっていた。
路地から少しだけ見えていたのは、バルコニーのように表に面して開放された部屋の内壁だと分かった。木彫で飾られた欄干が際立っている。
1階も居室になっているようだが、本来は居室でなく水位が低い時だけ使われる多目的なスペースだったのではないか。塗色のせいで軽快に見えるが、よく見ると相応に重厚な造りだ。 -
靴を脱ぎ、外階段からバルコニー風の部屋へと上げていただく。壁は大きな絵や写真で飾られ、見事な調度が置かれていた。伝統のある富裕な家だと一目でわかる。
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軒にいくつも吊るされた金属製の風鈴が、まばたきするように煌めきながら鳴っている。突き当りの壁にも大きな窓があり、風通しがよくてとても涼しい。
調度や床材の、深い色のニスの艶が美しい。 -
部屋の奥手に置かれた重厚な鏡台は、この家と同じ125年前のものだという。前の写真の右手に見える背の低い飾り棚も、そして左手に見える天面が大理石の小テーブルも125年前のもの。いずれも輸入されたものではなく、タイで造られたものだそうだ。
あまりの状態の良さに、にわかに信じがたい気がする。 -
招き入れてくださったオーナーのお父様とお母様の肖像が中央に掲げられている。シンメトリーな配置が、鎧戸付きの壁にぴたりとマッチして溶け込んでいる。
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タイのお屋敷には欠かせない王室メンバーの肖像画と、陶器の食器類の素晴らしいコレクション。この飾り棚もまた年代ものだ。
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木造の住宅だが、豪華なシャンデリアが浮いて見える様子はまったく無い。いつ頃のものかは聞きそびれたが、これまた125年前のものだと言われたら思わず納得してしまいそうだ。しかしそんな昔に、電気が問題なく使えたかどうか。
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オーナーは高齢のご婦人。終始笑顔で、たいそう美しい英語で応じてくださった。一枚の写真からでも、この方の気品が伝わることと思う。御年78歳になられるそうだが、ごらんのとおり、大変お元気である。
背後の書棚はもちろん家と同じ年齢。そして、このご婦人が生を受けたとき、書棚も家も、すでに50年近く経っていたことになる。歴史の厚みを感じさせられる。 -
お礼の言葉を重ねつつジャンタナパップ邸を辞し、少しのぼせた気分で路地を抜けた。下々の世界に舞い戻る。
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タヌーシンハー・ベーカリーでは見向きもしなかったくせに、大通りへ戻るまでのソイの店先でカノム・ファラン・クディチンらしきお菓子を見つけて急に欲しくなり、買って帰ることにした。おじさんが手に取っているやつがそれだ。
この人の家は、ひいおじいさんの頃から代々ここに住んでいるそうだ。クディチンの街全体が歴史そのもののようだ。 -
バス通りが近かったので、船を使わずプラポックラオ橋を渡って帰ることにした。バンコクの路線バスの運転席はいつ見ても面白い。いろんなものがぶら下がり、食べ物飲み物何でもありの、大らかな職場だ。さすがにビールだけは無いと信じたい。(笑)
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