2018/05/04 - 2018/05/08
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kyon2 and ku-さん
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明けて5月7日、月曜は休館になる施設が多いのが難点ですが、頑張ってまだ行ったことが無い観光ポイントを中心に廻ってきました。
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
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朝5時半過ぎにホテルを出て散歩に出発。
ホテル東側の歩道に公共レンタサイクル[T-Bike]のステーションが設けられていました。 -
約2km離れた府城巽方砲臺が目的地。
昨夜は多くの学生で賑わっていた飲食店街も早朝は静か。 -
5:45ごろ、勝利國小前の案内板で目的地を確認していたら・・・
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ウオーキング中の女性が声をかけて下さり、なんと案内していただけることに。
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今は修禅院というお寺の一部になっている「府城巽方砲台」
ここは城壁都市・台南を取り巻く四方の壁の外側ですが、人口が増えて市域が東に拡大。そして武装反乱が続いたため、清代1836年に築かれたそうです。 -
近年に付け加えられたと思われる石段を使って、屋上に登ることができました。
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壁には、珊瑚がつかわれているそうで、でこぼこしています。
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老古石(白化した珊瑚)とふつうの石材を組み合わせ、カキ殻セメントで固める工法で築かれているとのこと。
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次に向かったのは、台南州立農事試驗場官舎群。
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数棟の官舎がきれいに修復され、文化空間として活用されていました。
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この建物は2017年2月「みなかみ町交流館」として公開。
http://www.tainan.gov.tw/tainanJ/page.asp?id=%7B1FE15B49-6E23-4C40-98CB-F1F7C6279A80%7D -
日本語世代のご婦人が、話しかけてこられました。
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次に向かったのは、広い道幅の林森路を渡ったところ、林森路一段370號あたり。
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台南州立農事試験場の庁舎群。
合わせて三棟が残っているそうですが、まだ本格的な修復は行われていませんでした。 -
こちらの建物は痛みが進んでいるのか鉄屋根で保護されていました。
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推測ですが・・・農事試驗場は広い実験農場を構えていたのだと思います。
その敷地は官公庁や学校の用地として使われている他、こちらの豪華マンションもその跡地利用の一部でしょう。
どう見てもこの樹は少なくとも数十年たっていますものね。
旅の初日に訪れた大東夜市が立つ大きな駐車場もたぶん跡地。 -
しかし、豪華なマンションです。分譲価格は億単位?
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次に案内していただいたのは
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台南龍山寺。
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三階には本尊のひとつ、見事な木彫りの千手観音が。
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こちらの仏像も巡礼にお出かけになるそうで、その際の乗り物。
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見事な龍の彫刻でした。
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道の向こうにバロック調の建物が。
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まだまだ進みます。
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出発点の勝利國小ですが、反対の東側。
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勝利國小の前身は、1939年創立の旧・台南市竹園公學校。
(公學校は台湾人子弟向けの小学校) -
禮堂(講堂)
1952年11月に火災のため焼失。翌1953年9月に再建されたものだそうです。 -
大東門(東門城)。
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和風の各種丼MENUが人気な「毛丼」
日本の古い家屋を使って営業しています。
https://www.facebook.com/%E6%AF%9B%E4%B8%BC-%E4%B8%BC%E9%A3%AF%E5%B0%88%E9%96%80%E5%BA%97-688565001234091/ -
東門教会(巴克禮紀念教会)
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道路の向かい側にも同じ造りの建物がありました。
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台南神学院。
清代の1876年に創設された長老派宣教師養成学校。 -
この周辺の広い一帯は全て長老派教会の所有地。
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神学校の中庭。
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巴克禮(バークレー)氏は、長老教会のイギリス人宣教師。清朝末期から日本統治時期の台南で、長老教会の勢力を拡大させた人物。
長老教会は台南神学校、大平境教会などの宗教施設だけでなく、長栄中学、長栄女中など私立学校も設立。
【日本への割譲に反対し「台湾民主国」を名乗った抵抗勢力でしたが、最後の根拠地・台南が日本軍に包囲されたとき、最高指導者が大陸に逃げてしまい崩壊。
残された台南の指導者たちは日本軍との交渉を行うことを決めましたが、交渉役に選ばれた一人が巴克禮氏でした。
巴克禮の活躍もあって、台南は無血開城。全土が日本軍によって制圧され。本格的な日本統治時代が幕を開けることとなりました。】
……との話しです。 -
禮拝堂からピアノが聞こえてきました。
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中に入らせてもらうことができました。
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ステンドグラスがすてき。
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中庭で鯉さんたちにバナナをお裾分け。
台南は鯉も人なつこくって、バナナを差し出したとたんに、水面に口を伸ばしてパクッと食べてくれました。 -
「さあ、次に行きますよ」
ちょっと待ってくださーーい -
長老派教会管理地区ですから、神社跡じゃないですよね。
何でしょう? -
可愛い!
縫いぐるみが、軒先につるしてあるんです。 -
初日に観た台南州長官邸。
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旧・台南第二中等学校。
現・台南第一高級中学。
小姐は守衛さんに「は~い」という感じで声をかけ、まるで顔パス。 -
煉瓦壁の廊下、風情が感じられますね。
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大きな榕樹。学校の歴史を感じさせられます。
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第一高中をあとにして、最終観光ポイントへ。
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クルマで移動して営業している早餐店。
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成功大学構内には清代の城壁が一部だけですが残っています。
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崩れかけていますが、城壁の「小東門」だった場所。
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隣あっているのが「小西門」。
西門路にあった門が道路拡張のために取り壊されることが決まったとき、成功大学が引き取って、小東門の隣に移設したのだそうです。 -
小姐はここでターンして走り去っていかれました。
お会いしてから、2時間半弱。全部で十三ヶ所を案内していただきました。
ほんとにありがとうございました。
成功大学構内を横切ってホテルに戻ります。 -
観光バス4台の大きな団体さんは新北市から。
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朝から歩いた歩数は3万歩近くになっていました。
お腹もペコペコ、いただきまーす。 -
午前の観光に出発。
成大會舘前から乗る予定だったバスが、交差点を通り過ぎるのが見えちゃいました。
次のバスは30分後。
「朝、あんなに歩いたからいいよねぇ」と意見が一致し、TAXIで目的地まで行くことにしました。 -
青年路、台南で初めて踏み切りを渡りました。
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TAXI代は175元でした。
台南市南區鹽[土呈]路131巷57號 -
鄭成功の時代から、この辺りは製塩が盛んで塩田が拡がっていたそうです。
日治時代になって台湾総督府専売局台南支局が設置。1919年に建てられたその庁舎が2003年に台南市の市定古蹟に指定され、2017年に修復が完成し「鹽[土呈]出張所」として公開されました。 -
公開時間
月曜・火曜は休館
水曜-金曜 10:00-18:00
土曜・日曜・祝日 09:00-17:00 -
見学したかった!
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鹽[土呈]北極殿
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新都路口バス停から1線バスで台南駅方面へ戻ります。
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駅まで行かずに途中下車して
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林百貨へ。
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OPEN当初は大勢の人が押しかけて、入場制限されていましたが、いまは平日なら空いています。
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レトロな外観(機械は新式)のエレベーターで5階へ。
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喫茶室で一休み。
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安平の人気店がテナント。
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豆花をいただきます。
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タピオカとピーナッツ
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交差点を渡って
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旧勧業銀行台南支店。
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台南文学館。
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旧合同庁舎は修復工事が始まっていました。
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近道(のはず・・・)の路地を入ってみました。
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報恩堂は寺院を持たない考え方の仏教徒が、私的な瞑想の場として建てた施設だそうです。
台南市の古蹟指定を受けていますが現在は非公開。 -
更に路地を進みます。
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案内板がありました。
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今回、ぜひとも行きたかった観光ポイント。
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つい先日、公開された施設。
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残念ながら月曜はお休み。
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鷲嶺食肆(鶯料理)
忠義路二段84巷18號 -
「鶯料理」は日治時代の高級料亭。
裕仁皇太子が台湾を行啓されたとき、台南ではこの店が御食事を提供したそうです。 -
施設は2013年に修復が完了していましたが、隣に新築したレストラン棟の経営を引き受けてくれる業者がなかなか現れてくれなかったとのこと。
台南の超有名店「阿霞飯店」グループがようやく名乗りを上げてくれ、今年4月26日に「鷲嶺食肆」としてOPEN。 -
隣は旧台南測候所。
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この辺り何回か通った路地ですが、こんな古蹟があることに気づきませんでした。
屏で囲われていたのかなぁ。記憶が曖昧です。 -
路地裏を伝いながら、ホテルにぶらぶらと向かいます。
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巨大!
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歩行者専用アンダーパスで台鐵線路を横切ります。
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軌道の下になる部分はアートギャラリーになっていました。
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正面は・・・
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旧台南縣知事官邸。
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内部はカフェがOPENしていますが・・・
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月曜はお休み。
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隣にはアートギャラリーがOPENしていました。
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レンタサイクルにしては古すぎる感じ。
デザインの一部でしょうか? -
駅に寄り道して・・・
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明日、高雄に向かう普悠瑪號のチケットを発券。
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台湾でも数少なくなった公衆電話。
なんと悠遊CARDとiPASSが使えるようになっていました。 -
【ご参考】
ホテルの両替レート。
1円=0.25台湾元ですから、それほど悪いレートではありませんね。
少なくとも日本よりはマシ。 -
17時発の無料シャトルバス。
貸し切り状態でした。 -
横断歩道橋ではなく、成功大学付属病院専用の連絡橋。
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神農街まで送ってもらいました。
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2007年夏、早朝の神農街。
さて11年後の神農街は? -
一見、あまり変化はありませんでしたが
・人が住んでいない空き家が出ている
・カフェ風の飲食店や雑貨店が増えた -
昔は道路部分は運河から続く水路で両側に商店が並び
小舟が運ぶ荷物を、ベランダになっている部分から
簡便なクレーンで引き上げていたそうです。 -
廟は健在でした。
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提灯が街並み再生のテーマなんでしょうか?
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間口は狭くても奥まで広い構造のこの商店は、手作り製品の小さなお店が並ぶ販売コーナーに。
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お休み中。
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この交差点で神農街はおしまい。
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更に路地をぶらぶら。
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ところどころにバロック風の古い建物が残っています。
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いい感じですねぇ。
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早朝からやっている水仙宮市場は、さすがにほとんどの店が営業を終えていました。
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通りの向かいに気になるお店を発見!
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新しくOPENした感じ。
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お客さんはまだほとんどいませんでした。
夕食の時間にはちょっと早いせいかな。 -
MENUです。写真があるので、私たちにもすごく注文しやすいですね。
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看板料理らしい水煎包。
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ジューシーで美味しかったです。
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アサリっぽい貝のスープ。
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青菜炒めは空心菜でした。
量が半端なく多かった・・・美味しかったので完食。 -
ぶらぶら歩きをもう少し続けます。
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お祝いグッズを取り扱っている店舗が並んでいる一角。
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花束ならぬクマ束。
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少し買い物して「写真を撮らせてください」とお願いしたら・・・
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赤嵌楼のバス停。
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最終便(ホテル19時発)の無料シャトルバスに拾ってもらいました。
約2時間ぶらついたことになります。
大東夜市に向かうお客さんでほぼ満席。
わたしたちは夜市では降りずに、そのままホテルまで送ってもらいました。 -
最後に同じビル内のデパートに寄り道。
最上階ではイベントが。 -
5月8日、今日は帰国日。
まだ食べていないMENUを探してみました。 -
これがホントの葱パン!
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クスクス。
中東料理ですね。初めて食べました。 -
ホテルをチェックアウト。
後站(東口)改札から入るとホームへの経路は階段だらけなので、いったん正面へと出ました。
そうすると一部ですが、このようにエレベーターを利用できますので。 -
正面改札から入り、ホーム間エレベーターを利用して南方面行きホームへ。
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普悠瑪號111次。
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高雄まで30分かからない最速列車。
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新しい高雄駅の構造が少しだけですが見えました。
開業が待ち遠しいです。 -
Peachのチェックインカウンターは長蛇の列。
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15分遅れで出発でしたが、予約していた神戸ベイシャトルの時刻までには余裕がありましたので間に合いました。
第二ターミナルから港までの直行バスが運行され始めましたので、より便利になりました。
余談ですが、外国人向けにはベイシャトル料金片道1,800円が、何と500円に割引きされるサービスも実施されていました。うらやましい。 -
ku-の歩数計。
5日間で約8万歩。
うち2日間はクルマで観光できたことを考慮すると、けっこうな運動量だと思います。
7日朝の散歩2.5時間が効きました。
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この旅行記へのコメント (1)
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- atouさん 2018/05/24 08:50:21
- 台湾大好きだよ
- 台湾人は日本時代の建物を修復し大事にしてくれています。。ありがたいですね。。
韓国人は日本時代のものすべて破壊し政権が変わるたびに前政権の建物破壊してしまう民族。台湾は日本の兄弟です。。。
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