2018/04/24 - 2018/04/24
232位(同エリア770件中)
愛吉さん
歩きま専科の仲間達と大山街道を歩いています。
今回は4回目、江田から長津田迄歩きました。
この区間は1966年東急田園都市線が開通し最初に開発された地区、従い開発途上ではなく街として出来上がった感じ、旧街道の面影を伝えるものは殆どありません。
昔は野道の街道で旅人を見守ったであろう地蔵や庚申塔等は、自動車道の片隅に集められ風情に欠けます。
今回はニュータウンの中に街道のよすがを求め、道ではなく古社寺巡りの旅となりました。
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 私鉄
- 旅行の手配内容
- その他
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4月24日10時半、田園都市線江田駅に集合。
男4名女4名計8人で出発します。 -
ここら辺りは多摩丘陵を開発して出来た新興の住宅地。
新しい道路が出来、家が建ち並び昔の風情は有りません。
道案内は風人社の”ホントに歩く大山街道”が唯一の頼りです。
道路自体アップダウンが多く、住宅は丘の上迄続きます。 -
住宅街の外れに市ヶ尾竹下地蔵堂。
階段下には10体の地蔵像が鎮座します。 -
地蔵は新旧取り混ぜ色々、古いものは江戸時代の年号が見れます。
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こちらは階段を登った本堂。
毎年11月30日、念仏講が行われ、横浜市の無形文化財に指定されています。 -
境内の外れには石仏や墓石が並びます。
一つだけ離れた手前の石には大六天と記されていますが、辞書で調べると仏教の修行を妨げる魔王とあります。
何を意味するのかは判りません。 -
住宅街を歩いていると玄関先にタケノコを並べている家がありました。
近くに竹藪を所有する昔からの地主さんなのでしょう。 -
竹の下下宿に入りました。
明治15年建築の旅籠綿屋の遺構がそのまま残ります。
現在も人が住んで居ます。 -
しばらく歩くと街道脇に一里榎があります。
一里毎に植えられた道標です。
横浜市の古木名木に指定されていますが、個人の庭の一隅です。 -
中が空洞になって居ますが、火事で焼けた名残だそうです。
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街道を進むと、今度は地の神を祀る地神塔があります、側面には左大山道と書かれ道標も兼ねます。
原則地の神は女性ですが、ここでは男女二人の双体道祖神を祀る珍しいものです。(向かって右の石仏) -
続いて医薬神社があります。
天正年間に医王山薬王院東光寺の境内社としてスタートしましたが、明治の廃仏毀釈により寺を捨てて神社となし、名前を医薬神社としました。 -
街道沿いに青柳という料理屋があります、竹藪の庭を持つ洒落た造りで目立ちます。
きっと前からの地主さんなのでしょう。 -
国道246号線に沿って歩いています。
横浜市緑区に入ります。 -
国道を離れ旧道に入ると道が二股に別れます、その分岐点に片町地蔵堂があります。
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左の石塔に享保二十年の文字が。
台座には南カナ川道、東江戸道とあります。
中央の地蔵の台座には、向かって右かな川みぞの口と彫られています。 -
国道246に戻り長津田に入りました。
道路の脇に古碑を集めた場所があります。 -
傍に立つ案内板を読んで見ましょう。
平成28年12月に移築整備したとあります。 -
ひと際大きく目立つ常夜灯の解説板。
解説板より推理すると現物は現地に残し、レプリカ1基をここに立てたようです。
解説板としては落第です。 -
傍に立つ案内図を見る一行。
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長津田の慈雲山大林寺に到着しました、でもここは裏門、寺域を半周します。
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ここが山門。
曹洞宗の寺院で、江戸時代この地を治めていた旗本岡野家の菩提寺です。
何度も火災に遭い、現在の建物は平成20年の再建。 -
山門前に立つ結界石、こちらは1840年の建立。
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山門前に立つ子育観音と小僧像。
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仁王門の裏側には四天王が。
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同上
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本堂
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境内に並ぶ如来や菩薩像。
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道元禅師と宝山禅師像。
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閻魔大王
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裁きを受ける亡者。
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山門を入れてバックからも眺めます。
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最後は延命地蔵に見送られて長津田の駅に向います。
昭和52年の建立です。
今回はここ迄、では又。
終
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