2018/03/01 - 2018/03/01
158位(同エリア598件中)
naoさん
三重県鈴鹿市庄野町は、慶長6年(1601年)に東海道に伝馬制度が敷かれた時点には宿場町が整備されておらず、その後の交通量の増加につれて宿場の必要性が生じた四日市と亀山の間に、寛永元年(1624年)、東海道五十三次の江戸日本橋から数えて45番目の庄野宿が開かれたところです。
東海道五十三次44番目の石薬師宿と同様、庄野宿も当時盛んに行われた伊勢参りの客が見込めなかったことからその経営は大変厳しく、宿場や伝馬の機能を維持するのが困難だったようです。
昭和24年(1949年)に国道1号線が旧東海道の東側にバイパスとして整備されたおかげで庄野宿の町並は残されることになり、現在も宿場町の姿を留める出桁造りの町家が連なる、見応えのある町並が続いています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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庄野宿にやって来ました。
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庄野宿にも石薬師宿と同様の石碑が立てられています。
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庄野宿の町並みです。
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石積で敷地を高くしている町家。
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複雑に重なり合った屋根が特徴的な町家です。
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木部の一部を黒く塗って・・・
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外観の表情に変化をつけている町家です。
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こちらの町家は、玄関にも雨戸を入れておられます。
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大きな妻面を街道筋に見せている町家です。
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脇道から見た街道筋の町家です。
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妻面の一部を見せる町家は・・・
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造り酒屋さんです。
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庄野宿の町並みを振り返った光景です。
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2階の小さな窓が個性的な町家です。
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鈴鹿市が運行するコミュニティバスが庄野宿も走っているようで、町並みにバス停がありました。
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開いている雨戸の間から見えるガラス窓の桟の組み方が良いですね・・・。
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2階の格子が鉄製になっています。
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庄野宿資料館にやって来ました。
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庄野宿資料館に立てられている、歌川広重の浮世絵の東海道五十三次の内の「庄野宿」を描いたもので、「庄野の白雨」の名で知られています。
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こちらの資料館は、旧小林家住宅の保存を目的として鈴鹿市によって復元されたもので、平成10年に開館しました。
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館内には、庄野宿に残る膨大な宿場関係資料や、地元で使われていた民具、農具、日用品などが展示されています。
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幾重にも重なった屋根が、風情ある表情を見せる町家です。
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くぐり戸の付いた門構えの町家です。
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厨子2階の袖影の間に庇を渡した町家です。
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現代風の門構えのある町家です。
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松を模した軽妙なのぞき窓を・・・
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足元の行燈と下草が引き締めています。
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こちらの2階建ての町家や・・・
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手すりのある町家は、どうやら空き家のようですね・・・。
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街道筋から主屋を奥に下げて、植え込みを設けた町家です。
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その町家のお隣に庄野宿の本陣があったようです。
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こちらは庄野宿の脇本陣跡で、北側に高札場が併設されていたようです。
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格子の下の腰壁に、一枚板の幕板をはめた町家です。
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左手に見えるのが脇本陣跡です。
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庄野宿の町並みです。
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「笑門」の注連縄を飾っておられる町家です。
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2階に手すりを付けておられるのは、旅籠屋時代の名残でしょうか・・・。
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川俣神社に鎮座する阿形の狛犬と・・・
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吽形の狛犬。
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1階下屋の熨斗瓦が繊細な表情を見せる町家です。
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こちらの町家の戸袋に、面白い飾り物を発見しました。
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格子のある窓には「鯉の滝登り」を表現した絵が・・・
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また、玄関側には「東海道庄野宿」の文字が銅板から打ち出されています。
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黒漆喰塗の落ち着いた町家です。
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さて、町並みの外れに立っている庄野宿の石碑にたどり着きました。
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では、庄野宿の町並みに別れを告げて家路に着くことにします。
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