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港区白金の「八芳園」の庭園で、満開のサクラを堪能しました。<br /><br />旅行記作成に際しては、八芳園のホームページ、現地の説明板などを参考にしました。

八芳園のサクラ_2018_満開で見頃のサクラを日本庭園で楽しめました。(東京都・港区)

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2018/03/27 - 2018/03/27

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minaMicaze

minaMicazeさん

港区白金の「八芳園」の庭園で、満開のサクラを堪能しました。

旅行記作成に際しては、八芳園のホームページ、現地の説明板などを参考にしました。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
一人旅
交通手段
私鉄 徒歩
  • 東京港区の白金台(しろかねだい)駅にやって来ました。この駅は、東京メトロ(南北線)と都営地下鉄(三田線)の共同使用駅です。両方の車両が同じ線路を走り、同じホームを発着します。

    東京港区の白金台(しろかねだい)駅にやって来ました。この駅は、東京メトロ(南北線)と都営地下鉄(三田線)の共同使用駅です。両方の車両が同じ線路を走り、同じホームを発着します。

  • 「八芳園」へ行くには、白金台駅の東側の出口が近いのですが、目黒通りを横断しなければなりません。<br />「庭園美術館」「自然教育園」は、西側の出口が近いのですが、この場合も目黒通りを横断することになります。

    「八芳園」へ行くには、白金台駅の東側の出口が近いのですが、目黒通りを横断しなければなりません。
    「庭園美術館」「自然教育園」は、西側の出口が近いのですが、この場合も目黒通りを横断することになります。

  • 東口を出て目黒通りを横断し、東へ歩いて八芳園の大きな看板のところ(上の写真)を南へ曲がって、桑原坂(くわばらざか)を下ります。

    東口を出て目黒通りを横断し、東へ歩いて八芳園の大きな看板のところ(上の写真)を南へ曲がって、桑原坂(くわばらざか)を下ります。

  • 左側に神社があります。石柱には「古地老(こじろう)稲荷神社」と刻まれています。説明板によると、文政13年(1830)に、火伏の御神託によって近くの日吉坂上に鎮座されました。大正4年(1915)にこの地に遷宮されて以来、関東大震災や第二次大戦の空襲でも火災を免れています。

    左側に神社があります。石柱には「古地老(こじろう)稲荷神社」と刻まれています。説明板によると、文政13年(1830)に、火伏の御神託によって近くの日吉坂上に鎮座されました。大正4年(1915)にこの地に遷宮されて以来、関東大震災や第二次大戦の空襲でも火災を免れています。

  • 神社の隣に「八芳園」の正門があります。

    神社の隣に「八芳園」の正門があります。

  • 正門から入ると、立派なロータリーがあります。「本館 →」の案内板に従って右方向へ歩きます。

    正門から入ると、立派なロータリーがあります。「本館 →」の案内板に従って右方向へ歩きます。

  • 少し歩くと、左側に小さな木戸があり、奥にはサクラが咲いています。木戸が閉まっているので、ここからは入りません。

    少し歩くと、左側に小さな木戸があり、奥にはサクラが咲いています。木戸が閉まっているので、ここからは入りません。

  • さらに歩くと、左に木戸門があります。ここから入れそうです。

    さらに歩くと、左に木戸門があります。ここから入れそうです。

  • しかし、木戸門の左には「当園の施設ご利用のお客様以外の入園はご遠慮ください。庭園内での飲食はご遠慮ください。」と掲示されています。

    しかし、木戸門の左には「当園の施設ご利用のお客様以外の入園はご遠慮ください。庭園内での飲食はご遠慮ください。」と掲示されています。

  • その下には庭園の案内図があります。聞けば、庭園の見学はできるとのこと。

    その下には庭園の案内図があります。聞けば、庭園の見学はできるとのこと。

  • 中へ入ってみると、左の芝生では写真撮影が行われています。

    中へ入ってみると、左の芝生では写真撮影が行われています。

  • 案内図によると、後の建物は本館ではなく、「壺中庵(こちゅうあん)」という建物です。ネットを見ると料亭のようです。

    案内図によると、後の建物は本館ではなく、「壺中庵(こちゅうあん)」という建物です。ネットを見ると料亭のようです。

  • サクラは満開です。

    サクラは満開です。

  • 丘陵の地形を活かした庭園なので、全体が南向きの斜面です。

    丘陵の地形を活かした庭園なので、全体が南向きの斜面です。

  • 遊歩道を歩きながら、斜面を下ります。

    遊歩道を歩きながら、斜面を下ります。

  • 満開のサクラが綺麗です。

    満開のサクラが綺麗です。

  • しかし、雲が多くなって、花が映えません。

    しかし、雲が多くなって、花が映えません。

  • 庭園の一番低いところには池があります。

    庭園の一番低いところには池があります。

  • 都心なので、どの方向にもビルが見えます。

    都心なので、どの方向にもビルが見えます。

  • 土地柄でしょうか、外国の方が多く見られます。

    土地柄でしょうか、外国の方が多く見られます。

  • 手入れが行き届いているので、どこも綺麗です。

    手入れが行き届いているので、どこも綺麗です。

  • しかもサクラが満開です。

    しかもサクラが満開です。

  • でも青空が霞んでいるのが、ちょっと残念です。

    イチオシ

    でも青空が霞んでいるのが、ちょっと残念です。

  • 白金台は、一心太助でおなじみの大久保彦左衛門の屋敷があったと言われています。

    白金台は、一心太助でおなじみの大久保彦左衛門の屋敷があったと言われています。

  • 大久保彦左衛門は「天下のご意見番」と呼ばれていました。

    大久保彦左衛門は「天下のご意見番」と呼ばれていました。

  • 大久保彦左衛門の時代に、一心太助もこの近くに住んでいたのでしょう。といっても太助の住まいは屋敷の外だと思うので、かなり遠かったのかもしれません。

    大久保彦左衛門の時代に、一心太助もこの近くに住んでいたのでしょう。といっても太助の住まいは屋敷の外だと思うので、かなり遠かったのかもしれません。

  • 明治期には、渋沢喜作が住んでいたそうです。渋沢喜作は渋沢栄一の従兄で、横浜に生糸売り込み問屋(横浜),廻米問屋(東京深川)などを営んでいました。また、米相場などの投機事業家の側面も持っていました。

    明治期には、渋沢喜作が住んでいたそうです。渋沢喜作は渋沢栄一の従兄で、横浜に生糸売り込み問屋(横浜),廻米問屋(東京深川)などを営んでいました。また、米相場などの投機事業家の側面も持っていました。

  • 大正時代には、久原(くはら)房之助が買い受けました。購入当初から、自然の地形を生かした大庭園構想を持っていて、付近の土地も買い集めました。

    大正時代には、久原(くはら)房之助が買い受けました。購入当初から、自然の地形を生かした大庭園構想を持っていて、付近の土地も買い集めました。

  • 久原房之助の丹精のおかげで、自然の美しさを保つつづけた庭園が、都心に残されました。

    久原房之助の丹精のおかげで、自然の美しさを保つつづけた庭園が、都心に残されました。

  • 第二次大戦の度重なる空襲にも大きな被害を受けなかったのは、隣の「古地老稲荷神社」のおかげかもしれませんね。

    イチオシ

    第二次大戦の度重なる空襲にも大きな被害を受けなかったのは、隣の「古地老稲荷神社」のおかげかもしれませんね。

  • 池には鯉が泳いでいて、辺には四阿があります。

    池には鯉が泳いでいて、辺には四阿があります。

  • 池まで下りてきたので、池の周りを巡ります。

    池まで下りてきたので、池の周りを巡ります。

  • 池の東端から、庭園の西の方を見上げています。

    池の東端から、庭園の西の方を見上げています。

  • 機に隠れて分かり難いのですが、東の端にはガーデンチャペルがあります。

    機に隠れて分かり難いのですが、東の端にはガーデンチャペルがあります。

  • この庭園は、おおよそ西から東に向かって低くなっています。写真は、東の端から西方向を見上げて撮っています。

    この庭園は、おおよそ西から東に向かって低くなっています。写真は、東の端から西方向を見上げて撮っています。

  • 木の幹に咲いたサクラです。

    木の幹に咲いたサクラです。

  • 水辺に灯篭があると、日本庭園らしくなります。右に屋根の端が見える四阿は「水亭」と呼ばれています。

    水辺に灯篭があると、日本庭園らしくなります。右に屋根の端が見える四阿は「水亭」と呼ばれています。

  • 「水亭」の丸窓から見た池です。

    「水亭」の丸窓から見た池です。

  • 庭園の東端には「夢庵」と呼ばれる茶室があります。田中平八が建てた茶室を移築してきたものです。田中平八は、江戸時代に横浜で活躍した生糸の貿易商です。

    イチオシ

    庭園の東端には「夢庵」と呼ばれる茶室があります。田中平八が建てた茶室を移築してきたものです。田中平八は、江戸時代に横浜で活躍した生糸の貿易商です。

  • 茶室の和室には、小さなコタツが置かれています。

    茶室の和室には、小さなコタツが置かれています。

  • その横には、小さな女将さんが、小さな座布団に座っています。

    その横には、小さな女将さんが、小さな座布団に座っています。

  • 池の向こう(南側)のビルが、八芳園の本館です。

    池の向こう(南側)のビルが、八芳園の本館です。

  • 手前は、池の辺のシダレザクラです。

    手前は、池の辺のシダレザクラです。

  • 蕾が未だ沢山ついています。

    蕾が未だ沢山ついています。

  • その昔、この付近の丘陵地帯に沼があり、そこから流れていた川の跡を池にしたもので、昔は農業用水として使われていました。

    その昔、この付近の丘陵地帯に沼があり、そこから流れていた川の跡を池にしたもので、昔は農業用水として使われていました。

  • 池の北側には「白?貎館」があります。140畳敷きの御座敷がある大宴会場です。

    池の北側には「白?貎館」があります。140畳敷きの御座敷がある大宴会場です。

  • 「白?貎館」の上(西側)のサクラです。

    「白?貎館」の上(西側)のサクラです。

  • これも満開です。葉が少し出始めています。

    これも満開です。葉が少し出始めています。

  • 西側の高台から、東を見下ろしています。

    イチオシ

    西側の高台から、東を見下ろしています。

  • これも満開です。

    イチオシ

    これも満開です。

  • 久原房之助が作った庭園に、飲食店の話が持ち込まれたのは昭和25年(1950)でした。

    久原房之助が作った庭園に、飲食店の話が持ち込まれたのは昭和25年(1950)でした。

  • 「一木一草たりとも勝手に動かしたり切ったりしないこと」という厳しい条件を付け、自ら「八芳園」と命名しました。

    「一木一草たりとも勝手に動かしたり切ったりしないこと」という厳しい条件を付け、自ら「八芳園」と命名しました。

  • 株式会社八芳園は、昭和25年(1950)5月8日にスタートしました。

    株式会社八芳園は、昭和25年(1950)5月8日にスタートしました。

  • 日本庭園で満開のサクラを堪能しました。

    日本庭園で満開のサクラを堪能しました。

  • 帰りには、正門前のサクラが散り始めていました。

    帰りには、正門前のサクラが散り始めていました。

  • 「八芳園」の訪問記はここまでです。<br /><br />次は「庭園美術館」を目指します。

    「八芳園」の訪問記はここまでです。

    次は「庭園美術館」を目指します。

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